LORANの日記
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2005年01月21日(金) |
第1回名古屋ベイシックコース |
明日から2日間、第1回名古屋ベイシックコースを名古屋市公会堂で開催します。 先週土曜日から5日間の旅が終わったばかりです。20、21日に自宅にいただけでまた短い旅にでます。
こんな生活を、もう10年も以前から憧れていました。 毎日違った空の下を歩く。毎日違う顔を見る。毎日違う空気を呼吸する。
本来、人は旅をする生き物でした。 最初は採集生活でしたから、そこにあった食べ物がなくなれば移動しました。 弥生時代に農業が定着するまでは、そんな生活が当たり前でした。
定着が始まると、土地の私有が起こり、多くを持つ者と持たない者という階級ができました。 定着した者たちの中で力を持つ者が権力を持ち、国という組織ができました。 国と国は相手を倒し、自分の土地を拡げようとして戦いが始まりました。
こうして旅をやめた我々は、戦う生き方を選択しました。
モノやカネによる支配は、土地への定着と一体なのです。
人々が旅に憧れるのは、支配という構造から逃避したいからでしょう。
しかし、「人並みの幸せ願望」でいるうちは、それも不可能でしょう。
釈迦は26歳で後継ぎが生まれるとすぐに出家し、80歳で旅の途中で亡くなるまで旅に生きました。
私たちは先人に学ぶことが少な過ぎます。 もし学んでいたなら、時代を追う毎に平和で楽しい世界が成就していたでしょう。
旅、それは自分を開放し、無限の可能性を与えてくれます。
ツアーや豪華ホテルの利用は、商業主義への便乗です。
なにも決めず、なにも持たない旅が理想的です。
1月15日、雨の中を出発しました。下関に泊まりました。 関門大橋が雨に煙って見えました。海峡をひっきりなしに船が上り下りしていました。露天風呂の10m先は関門海峡でした。大好きな船を見ながら露天風呂をご機嫌で楽しみました。
翌16日は博多へ行きました。みぞれ交じりの冷たい雨が降っていました。 福岡スピコンへ初めて出店しました。 会場のベイサイドプレイス博多埠頭の2階はあまり広くなく、レトロな感じでした。 すてきなお客様とお目にかかれて感謝しています。 昼食はもちろん博多ラーメンでした。 筑紫口の大きなホテルへ泊まりました。とても広い部屋でのんびりしました。
17日、天気は晴れ。広島県に行きました。新幹線の駅からバスの終点まで30分南下すると、とても風光明媚な瀬戸内海の島々が広がっていました。市営渡船で島へ渡りました。 その島にはホテルが2軒あるだけで、住む人はいない、つまり無人島でした。 小さいホテルへ泊まりましたが、新聞もテレビもありません。 ホテルもオーナーはいなくて全員が通いでした。 周囲6kmの島は今がシーズンオフということで海岸には一人も人影がありません。 遠浅の海はずっと先まで透きとおっていました。 時間が止まっているようでした。このままずっといられたらと思いました。
18日は渡船で本土へ戻りました。近くの資料館などを見て散策しました。
19日の今日、バス停へ向かう途中で小雨が降り出しましたが、バスで新幹線の駅に着くと雨は止んでいました。 今朝、バスへ乗ってから丁度、5時間で帰宅することができました。
5日間の旅行でしたが、とてもいい体験をさせていただきました。 無人島はホテル付近以外はまったく人の波動がありません。 人が生活するだけで、自然は大きな影響を受けていることを知りました。 なにもない生活はとても豊かな生活であることを認識しました。
2005年01月14日(金) |
世界で一番幸せな言葉より |
「プロポーズの言葉」の中に次の言葉がありました。
「母さんの涙はもう見たくない!!
母さんを一生、幸せにしてくれますか?」 J・Hさん 40代女性/山口県 (私は当時、小学4年の息子と4才の娘を連れ、今の主人と再婚しました。 これは息子に結婚の報告をする時、息子が主人に言ってくれた言葉です。 この言葉で私たち2人の気持ちがいっそう強くなり、今の幸せにつながっていま す。今年で11年目を迎えることができ、親子4人幸せに暮らしています。)
2005年01月13日(木) |
世界で一番幸せな言葉 |
「プロポーズの言葉 100選」を読みました。
奈良県が募集した「プロポーズの言葉」が奈良県のHPに発表公開されました。
プリントアウトしてみると40ページになりました。
どの言葉にも胸を打つ感動がありました。
人は本当に優しい生き物なのだと実感させられました。
人の優しさをこれほど感じたのは初めてかも知れません。
幸せな言葉を言える人も受け取った人も、きっと世界一幸せな人なのでしょう。
どうぞ、皆さまにもご覧いただきたいと思います。
http://www.pref.nara.jp/kodomo/prkekka/
新聞報道より
「最大被害の大都市は東京・横浜圏 独の会社報告」 世界最大の再保険会社ミュンヘン再保険は11日、津波や地震などが起きた場合 の被害が世界で最も大きい大都市は東京・横浜圏だと警告する報告書「大都市・ 大リスク」を公表した。
報告書は18日から神戸で開かれる国連防災世界会議に提出される。
海沿いに位置する東京・横浜圏は周辺と合わせて3500万人が居住し、火山噴 火、地震、台風、津波、洪水の危険が極めて高いと報告書は指摘。大地震の際に は数十万人が犠牲になり、経済的損失は数兆ドルで世界経済への悪影響も大きい としている。
人口や経済の規模、災害の発生可能性などを基に同社が独自に算出した「リスク 指数」は東京・横浜圏が710で、2位のサンフランシスコの167を大きく引 き離した。ロサンゼルスが100、大阪・神戸・京都圏が92と続いた。
報告書は「危機意識を高め、自然災害だけでなく環境破壊やテロの恐れをも考慮 し対策を練るべきだ」と関係機関に提言している。(ベルリン共同)
再保険会社は、保険会社からの保険を引き受ける。大災害の発生などで保険会社 が支払う保険金が巨額となり、支払い不能になるようなリスクを回避するため、 保険会社は再保険会社に保険料を支払っている。
毎日新聞 2005年1月12日より
このような報道がされていました。 しかし、昨年12月14日の朝日新聞の報道は次のようでした。
「首都直下地震、死者は最悪1万3千人 中央防災会議想定 」
今回のドイツの再保険会社の犠牲者予想は数十万人ですから、こちらは数十分の1の数字です。1923年の関東大震災時の犠牲者数は死者行方不明合計で14万3千人でしたから、人口も都市区域も数倍になった現在の予想としては少な過ぎます。 多分、人心の動揺を抑えるために政府が過小に報告させたと思われます。 私は関東大震災の犠牲者数・14万3千人の3倍〜5倍(40万人〜70万人)は予想されると思います。
このように今回は再保険会社という最も信頼性の高い金融機関の調査報告ですから、無視することはできません。それよりも、町も道路もいつも大混雑で、一旦災害が起こったら安全な避難路も避難地も全くない東京は世界一危険な都市です。 以前の報道で、山の手線の内側では、大震災発生時には火災発生のため酸素がなくなり、窒息死するとありましたがその後はどうなったのでしょうか?
ここまで東京の開発を野放しにしてきた為政者の無能ぶりにはあきれるばかりです。政治家の仕事は「国家百年の大計」にあるはずです。政治家が産業界、宗教界の代表であるかぎり目先の利益優先が国家を滅ぼすことは明白です。しかし、「国民の身の丈にあった政治しか手に入れることはできない」という言葉もあります。
ここまできたら無責任な役人に命を預けるのではなく、東京・横浜を脱出して生き延びることを優先する以外にはないと思いました。
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