LORANの日記
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今朝もとてもいい天気です。 日の出の金色に輝く太陽は夜の闇に沈んでいたすべてに生命を復活させます。 毎朝できるだけ日の出の光をあびましょう。 それだけで正常な状態へ戻ることが可能です。
晴天のときも雨天もあります。 寒い日も暑い日もあります。 豪雨と雷鳴が轟くときも大地震に見舞われるときもあります。 台風で大暴風雨に翻弄されるときもあります。
風邪をひいて寝込むこともあります。 腰や足などが痛むときもあります。 頭痛に悩まされるときもあります。
そんなことが日常に頻繁に起きます。 なぜもっと平穏無事に日常を過ごすことができないのかと疑問に思います。
中国の「陰陽学」はその問に答えてくれるかも知れません。 寒さが極まったときに暑さの種が蒔かれて成長し、いつか暑さが極まると。 暑さが極まったときに寒さの種が蒔かれて成長し、また寒さが極まると。
健康もまたそれなのでしょう。 ただ風邪をひいてもできるだけ軽くすめばいいのでしょう。
台風が来ても被害が最小限ならそれでいいのでしょう。 大地震が発生しても自分の家具の下敷きになって死ぬほどバカなことはありません。 それなら下敷きにならない方法をとればいいだけです。
自分の人生ですから、もっと自分の権限を大きくしましょう。 いつまでもお金のために生きているつもりなのでしょうか? お金がなければ生きていけないというのは資本主義社会の合意にすぎません。
世界中にはお金を使用していない未開の土地に住む人たちもいます。 ではその人たちは私たちよりも不幸なのでしょうか? 彼らはきっと私たちのことを不幸な人たちと思うでしょう。 お金のために自分の人生を捧げた「お金宗教」の犠牲者と。
もっと気持ちをらくにしましょう。 なにをしても、結局は自分の人生で最終責任は自分がとるだけなのです。
人の批判に耳を傾ける必要はありません。 彼らは批判の責任をとる気がありません。
それなら自分を信じるしかありません。 自分が後悔しないような人生を生きることだけです。
「理性」という言葉を辞書でひくと、「思考する能力」、「道理によって物事を判断する能力」とあります。 哲学では「理性」をとても重視しています。 理性があるから人間であって、他の生き物は理性がないから無価値であると。
それは本当でしょうか? まず、人間以外の生き物に思考する能力がないのでしょうか? 人間の道理とはなんでしょうか?
人間以外は思考できないから無価値であるとは、なんという傲慢な考えでしょう。 確かに人間と他の生き物は同じではありません。同じでないことが無価値と決め付けることはとても危険です。
哲学は紀元前500年頃、古代ギリシャのソクラテスから始まったとされています。 彼らは人口の3倍もの奴隷を使ってすべての労働をさせていました。 市民(男性のみ)は毎日哲学や政治を論じ、奴隷は労働の道具でした。 「奴隷は道具であって理性は無い」と言われていました。
西洋諸国やアメリカは植民地支配を通じて数千万人の有色人をアジアやアフリカから武力によって奴隷として輸送し、死ぬまで使いました。
それは明治維新の3年前(1865年)に禁止されるまで合法でした。 それ以後も法の目を隠れて奴隷の売買は行われていました。
このような西洋の考え方からすれば、奴隷であるアジア・アフリカ人は彼ら白人の道具に過ぎません。 これはいまでも変わらない偏見です。
第2次大戦以来60年間、白人同士の戦争はありません。 白人同士の局所的な戦争はすべて民族・宗教紛争に限られています。 イスラエルの中東戦争、ヴェトナム戦争やイラク戦争など、戦争は白人が有色人種を一方的に攻撃しています。
理性は時代により、政治形態により、国民・民族・宗教などの違いにより考え方に大きなズレが生じます。 「理性」とはこのような偏見に基づいた考え方ですから、真理ではありません。 「理性」による思考では、世界平和は絵に書いた餅にすぎません。
私たちは平和で安定した生活をしたいと願っています。
ということは、平和でなく安定しない生活はいけないということです。
でも、それは本当でしょうか?
若い時には刺激を求めます。 音楽も、スポーツも、遊びも、生活も。 ですから、新しい発見があり、新しい挑戦があり、新しい世界がはじまります。
お年寄りは変化を求めません。 刺激も、新しい挑戦も、新しい発見も求めません。 エネルギーやバイタリティーが乏しくなってしまったからです。 もう夢を追う元気がなくなってしまったからです。
日本の若者に老人のような傾向が見られるのはとても残念です。 安定志向とでも言うのでしょうか、冒険に挑戦する元気が少ない気がします。
若さとは無謀に近いものがあります。 敢えて危険や冒険に挑戦することは、自分の限界を試すことでもあります。
冒険に命をかけることも、恋に命をかけることも、若さゆえに許されることです。 それが老人のように安定志向では、若さの情熱を発揮できるチャンスがありません。
結果だけを重視するのは老人のすることです。 たとえ無駄でも、やむにやまれぬ情熱が自分を行動に奮い立たせるのが若さの特権です。結果は二の次なのです。
政治の腐敗や不正に対して大学生が中心になってデモをした時代がありました。 安保問題の時代は暴力的なところもありましたが、若さが不正に対して命がけの時代でした。 加藤登紀子さんの先日亡くなったご主人は同志社大学の全学連委員長でした。 東大生の歌手だった加藤さんとはご主人が獄中にあったときに結婚しました。 そんな火を噴くような激しい恋ができる時代でした。
安定志向とは変化を諦めてしまったことです。 次の世界を担う若者の奮起を期待します。
「なまけもの」と呼ばれることは、決して名誉ではありません。 「働かざるもの食うべからず」とも言われました。 働くことで食料を増産し、生活の向上に貢献した時代はそれでよかったのです。
いま世界は一変しました。 ものがあり余り過ぎて、デフレーションという価格破壊を起こしています。 こんな時代にものを生産すれば、さらに価格は低下します。
石油産油国の石油掘削用井戸の開発は半数に激減しました。 石油の生産はこれ以上無理である限界に達しました。 もう石油をじゃぶじゃぶ使った文明生活が限界に達っしたことは明らかです。 これから先は石油の価格は暴騰し、間もなく高値の花になるでしょう。
日本の発電量の過半数が原子力に頼っています。 原子力は放射性廃棄物が生産されます。その処理に莫大な予算と年月が必要です。 何十兆円ものお金と数千年もの貯蔵が必要と国会で言われています。 これを後世に残すという政府の主張は、まったくのキチガイ沙汰です。 国家100年の大計こそ政治の使命なのに、後世への負の遺産を承認するとは正気ではありません。そんな目先のご都合主義の政治家はクビにしなければなりません。 そんな政治家を選んでいる国民が正気ではないのです。
なぜいまの生活にしがみついているのでしょうか。 こんな世界を肯定し支持しているのは、あなた自身ではないのでしょうか。 不平、不満を口にしながら、それに協力しているのはあなた自身ではないでしょうか。
これからの時代は、なまけものでいいのです。 なまけものは所得があまりありませんから、ものを買うことができません。 ですから、資源やエネルギーの浪費をしません。廃棄物も少なくなります。 公害も環境破壊も少なくてすみます。
みんながこうなれば世界は良くなります。 政府がお金をじゃぶじゃぶ使っても、景気はよくなりません。 不景気は所得が少なくなりますから、お金を使えなくなります。 消費が少なくなれば生産も少なくなり、資源やエネルギーの消費は減少します。 公害も環境破壊も減少します。つまりいいことずくめです。
働き過ぎからなまけものへの変更は簡単そうですが、生きがいが無くなる人がいます。 これからはその対応が注目されるでしょう。
立春が過ぎて1週間が経ちました。 昨日と今日の暖かさは春の訪れを感じさせてくれます。 3寒4温と言われるように、暖かい日と寒い日が交互にくる季節です。 でも、1日1日暖かさが増していくようです。
新しい風が吹いています。 会社の仕事に熱中しない人たちのことです。 決まった仕事がないことは、社会人として認められないことを意味していました。 それは50年前に始まった高度経済成長の弊害でした。 政府の所得倍増計画でお金が増えることが生活を充実させ、幸せになると信じられていました。 その結果、日本は世界で第2位の経済大国になりました。
能率本位がまかりとおり、智慧遅れの子はまとめられてしまいました。 学校が差別を正当化しました。その後学校が荒れているのはこれが原因です。
いい学校、いい会社、いい所得が正義となって進学率が急増しました。 いまでも学習塾の終わりの時間には、送迎の自動車が並んでいます。
いつの間にか山は荒れ、杉の木は伐採されず花粉症が国民病になりました。 アトピー、アレルギーの児童が60%を越えました。 いい学校を卒業しても、定職を持たない青年が急増しました。
国民の義務である納税は所得がないからできません。 選挙は利益者の代表しか当選できないシステムですから行きません。 教育は政治が関与すべきではありません。文部省教育は政治教育ですから不登校でいいのです。
しかし地震や台風などの災害時にはボランティアとして駆けつけてくれます。
新しい風、それは求めない人たちの新しい生き方です。
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