LORANの日記
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「神様のつぶやき」にこのタイトルで書きました。
なにもなくても幸せと思う人は少ないでしょうね。 テレビや雑誌、新聞などの広告媒体は絶えず消費を煽っています。 サラ金はいくらでもお金を貸してくれます。ローンやクレジットもあります。 有り余るほどの服やモノに囲まれている私たちは、本当に幸せなのでしょうか?
私が生まれた時は敗戦の1年前でした。 小学校の入学式の記念写真に写っている子どもたちの服はお粗末でした。 靴を履いている子どももいますが、下駄やぞうりの子どもたちが多くいました。 子どもたちの食事がないので、学校給食が始まりました。
そんな時代におもちゃなど買えるはずもありません。 私は亡くなった母が2〜3歳の私に作ってくれた小さな足袋(たび)を大事に持っています。 こはぜの横に私の名前が縫い付けてあります。
そんな時代は本当に不幸だったのでしょうか?
テレビやCDやおもちゃがなくても、子どもたちは朝から遅くまで近所の子どもたちと一緒に自然の中で遊んでいました。 確かにお肉やケーキを食べることは少なかったのですが、みんな健康でした。
1955年ごろ高度経済成長が始まると、電化製品が家庭に入ってきました。 洗濯機、掃除機、冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ、主婦の労働を助けました。
その後はクーラー、マイカー、マイホームとより快適な生活を目指しました。
子どもたちが上級学校へ進学することが多くなり、支出が増えたため主婦も働かなければならなくなりました。
進学率を上げるためにはより効率のよい授業をする必要があり、お荷物だった「智恵遅れ」と呼ばれた子どもたちは「特別教室」へ集められました。
こうして異常な社会が異常な教育を推し進めていきました。 義務教育期間中から子どもの選別という差別が行われたのです。
学校が荒れ虐めが横行するのは、学校教育がそれをしているからです。
テレビのお笑い番組でタレントがしている芸は、相手を侮辱し虐めているだけです。 それで笑いをとるのですから、子どもたちが真似をしても当然です。
こんな社会を作ってしまった責任は、この世界に生きるおとな全員にあります。 しかしおとなは自分に責任があるなどと考えたこともありません。
自分を正当化し、責任を相手に押し付ける傾向が横行しています。 国会中継などを見ても政策論争ではなく、相手の責任追及しかしていません。
テレビや雑誌、新聞などを見ないで、自然の中で家族と過ごしてみましょう。
おむすびやサンドイッチを作って野山や海岸で1日を過ごしてみましょう。
テーマパークやアミューズメントなどで時間を浪費しないで、家族でゲームをしてみましょう。
電動おもちゃなどではなく、父親が木とのこぎりでおもちゃを作ってみましょう。
いつか子どもたちが成長したとき、きっといい思い出になるでしょう。
「月に群雲(むらくも)、花に風」といいます。
昨日の強風と雨は、正にこの喩え通りでした。
満開の桜を心配する人がきっと多かったのでしょうね。
桜花爛漫の季節、昨日は私の孫も幼稚園へ入園しました。
なにも知らないではしゃいでいる孫と、晴れがましい若い両親の対比が面白かったです。
こうして世代は代わり、次の時代が始まるのだと思いました。
一昨日の日曜日は名古屋すぴこんでしたが、土曜日は福岡すぴこんです。
1週間に2回のすぴこんはとても多忙です。
5月14日は愛媛すぴこん、15日は神戸すぴこんと連日で開催されます。
皆様とお目にかかれる幸せに心から感謝しています。
福岡すぴこんでは主催者の平野さんのご好意で、ミニワークショップを1時間いただきました。
普通は30分ですので、その分内容のあるワークができます。嬉しいです。
もし、時間のある方はどうぞお出かけください。
AM 11:00 〜12:00 で開催します。
今回も「光の卵」のワークです。
福岡では初めてですが、東京と名古屋では3回づつ開催しました。
とても反応が大きいのでどうぞご期待ください。
いま、桜が満開です。
桜の花の下を新入生が入学式に登校していきます。
若い両親に手を引かれた子どもたちは、見ていても晴れがましさを感じます。
今年は3月の初めに寒い日が続いたせいか、桜の開花が遅くなりました。
「花は桜、人は武士」などという言葉があるように、日本人は桜には特別な思い入れがあります。
桜は国花であり、学校や機関の紋章に使われています。
花見といえば桜に決まっています。
桜が満開時のあでやかさは、ほかの花にはないからなのでしょう。
真っ青な空に咲く桜の淡いピンクの花びらを見るのがとても好きです。
また夜桜が暗闇に白く咲いているのは、妖艶な美しさです。
この時期には山のあちこちがピンクに染まっていて、桜が存在を示しています。
以前東京から深夜国道246線を帰って来たとき、小山町と御殿場市の間の山合いで
真っ暗な道路にハラハラと桜の花びらが舞っていました。
見回してもトンネルとコンクリートの壁が高く続くだけの場所でしたが、ずっと上に人知れず咲いている桜があるのでしょう。
その桜を見ることもできないけれど、花びらは桜の存在を雄弁に物語っていました。
誰にも知られず、だれにも認められないで咲く桜に、心から感動しました。
桜の季節になるとライトの中で舞っていた、あの花びらを想い出します。
昨日、遠隔ヒーリングを送っていた時のことです。
ふと気がつくと、まったくの静寂の中にいました。
ただ真っ白な世界でした。
自分だけが存在していました。
私の中で考える声だけが響いていました。
「ここはどこだろう。
どうしてここにいるのだろう。」
ただ、自分だけが存在していました。
自分の声だけが響きました。
いままで宇宙と一体になったり、魂のホームへ帰ったりする経験をしました。
そこでは圧倒的なエネルギーがあり、自分という存在が溶けて消えそうでした。
まったくの愛のなかに包まれる至高の歓びがありました。
今回はそれらの経験とはまったく別の次元でした。
「無(む)」。
なにもない世界がありました。
歓びや愛や感傷などが入り込めない世界でした。
この幸運に感謝します。
私を導いてくれたすべてに感謝します。
ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。 高齢とはいえ、世界中のカトリックの信者にとって大きな損失でしょう。
ポーランド人の法王はイタリア人以外では455年ぶり、スラブ人では初めてという快挙でした。法王は積極的に世界平和と戦争反対への呼びかけをし100回以上の海外渡航と120カ国以上の国を訪問しました。バチカン外交と呼ばれました。
2000年には、過去2000年間のカトリック教会が犯した罪を認め、許しを乞いました。�.罐瀬篆佑肇罐瀬箒気稜�害 �⊇住�軍のイスラム教迫害 ��アメリカやアフリカ先住民に対する迫害についてでした。
ガリレオ・ガリレイに対する1633年の異端尋問の名誉回復もなされました。 360年もたってなにを今更とも思いますが、前任の法王はカトリック教会の間違いを認め改めなかったのですから、勇気ある行動と言えます。
この勇気が母国ポーランドの自主管理労組「連帯」の支持表明につながり、トルコ人による暗殺未遂事件で重傷を負うことにもなりました。
尊厳死や避妊を認めないという頑固さもありますが、精一杯よく活躍された法王であったことは万人が認めるところです。
法王のご冥福を祈ります。
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