LORANの日記
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2005年06月07日(火) 「光の世界」

一昨日に続いて今日もヒーリングでKさんが「光の世界」へ行きました。

私たちが信じていたことのほとんどが真実ではなかったことが証明されました。

生きている限り感情は当然あります。毎日が喜怒哀楽の連続です。

しかしその感情は一晩寝て起きれば忘れていいのです。

私たちはそんな感情を几帳面に、細大漏らさず記憶しています。

その結果として感情というエネルギーが溜まってしまったのです。

感情は喜怒哀楽ですから喜楽のエネルギーが溜まればいいのですが、喜楽は一瞬で

終わり忘れ去られてしまいます。怒哀のネガティブなエネルギーは忘れることがで

きずに毎日反復していますから、ますます巨大化してしまいます。

それでネガティブなエネルギーの塊の中に閉じ込められているのです。

その感情を自分と思い、感情が爆発することを自然のこととして自分を正当化し、

相手に非があると押し付けています。

こうして自分も家庭も社会も世界も、平和から遠ざかっています。

すべては自分が溜めてしまった感情のなせることが原因でした。

感情を抜け出すことができれば、そこには「歓喜と祝福の光の世界」があります。

自分と家庭と社会と世界の平和は、すべて感情の開放で実現できるのです。


2005年06月06日(月) 第1回横浜すぴこん

昨日は第1回横浜すぴこんが開催されました。
LORANのほ他、CLUE さんとMarcato さんが出店されました。
またM さんが応援に来てくださいました。
ご来店いただきました皆様に心から御礼申し上げます。

前回の名古屋すぴこんから2店以上が出店するようになりました。
特にCLUEさんは毎回出店してくれています。

すぴこんの主催者の小泉さんも、同じグループから複数の出店があるのはLORANだけとおっしゃっていました。
すぴこんの各地主催者の間でも、このことは話題になっているようです。

LORANは気づきの場です。
リラックスすれば心身の健康は回復し、人生はらくになります。
なにが自分のリラックスを妨げているのかがわかったら、それをやめればいいのです。

その多くは家族や社会の考えかた=生き方です。
親から子へ良かれと思って教えられ、引き継がれている常識が原因です。

その背後には政治や思想や宗教があります。
従順な羊であることが求められていて、それに疑問や反対をすれば、かっては魔女狩りや異端尋問などの宗教裁判、思想警察の取り締まりなどひどい目にあいました。
でも基本的には昔も今も大きな変化はありません。

そういう訳で、最初は疑問に思っても黙って従うことが処世術になりました。
いわゆる「長いものには巻かれろ。」です。

自分に正直に生きたいと思う気持ちと、みんなとうまく生きることの矛盾が大きくなって、これほど多くの精神的なストレスを持った人がいるのです。

ストレス病は先進国特有の疾病であり、日本は先進国トップの自殺者率でもあります。
日本が平和で住みよいと言っているのは、みんなが仮面をかぶっているに過ぎません。

このような時代にLORANは必然的な存在なのでしょう。
そこで学んだ人たちがすぴこんなどへ出店していることは大きな意義があります。
その出店者を必要とする人たちが集まるからです。
その出店者と会い、話し、触れることで、内部のなにかが目覚め動きだします。

こうして波紋は確実に拡がります。
もし必要なら、いつか世界中に拡がるでしょう。

誰もがストレスを溜めないで自分らしく生きられる世界ができたらいいですね。
人類がいまだに実現したことがない、理想の世界です。


横浜すぴこんであったことをLORANのホームページの「光の世界」へ書きました。
TOPページの「光の世界」を開き、「LORANの考えかた」の次のページです。

http://www.loran.jp/hikari-11.htm


2005年05月30日(月)

今朝は早く起きたので、「神様のつぶやき」を書き込みました。

5時30分過ぎに傘を持って海岸へ向かいました。

富士川堤防の上の道を歩きだすと雨が降ってきました。

海岸へ近づくにつれて風が強くなります。

海岸では感謝を捧げて、早々に帰りました。

1時間歩いて、わずか数人の人にしか会いませんでした。

ですから、雨の日は好きです。

田植えが終わり、半月で数倍に成長した稲のグリーンがとてもきれいです。

蛙は青春の短い期間のために、今日は雨天の中で終日鳴き続けるでしょう。

命が輝く季節はとても美しいですね。


2005年05月28日(土) 不安

私たちが不安になるのは、大抵未来のことです。

明日のこともありますし、老後のこともあります。

しかしよく考えてみると不安になっても仕方がないことだとわかります。


このままの状態なら明日も、老後も不安でしょう。

でも、未来はいまの自分ではないとしたらどうでしょうか?

前提が違うのですから結果も違ってくるでしょう。


私たちは成長も変化もしないということを前提にしています。

ですから未来が不安になります。不安はきっと実現するでしょう。

また成長も変化もきっと起きないのでしょう。


青虫が蝶になることはご存知ですね。

青虫のままなら、青虫が未来に抱く不安は的中するでしょう。

でも蝶に変化してからのことは、青虫には理解できません。

ですから青虫の不安は考えても無駄なのです。

それより青虫は蝶になることが自然ですから、早く実現すればいいでしょう。


2005年05月26日(木) わらしべ長者

海岸で男が座って海を見ていました。

だれもいない早朝の海はとても気持ちがいいのです。

ずっと右手から海岸を走ってくる軽トラックがありました。

静かな海岸の静寂が破られて、男は少し不機嫌になりました。

と、そのとき男の目の前で軽トラックが砂地に車輪をとられて走れなくなりました。

○○丸と荷台に名前が書いてあるのは漁師のものなのでしょう。

二人の初老の漁師が懸命に砂地から軽トラックを脱出させようとしていました。

男は自分以外に海岸に人がいないのを見て、パイプ椅子から立ち上がって歩きました。

一緒になって軽トラックを押しましたが、タイヤが埋まるだけです。

男はパイプ椅子の下に敷いてある細長い板2枚を持ってきてタイヤの下へ敷きました。

これで軽トラックは砂地を脱出することができました。

漁師たちは獲れたばかりの大きなサバを5本、男に手渡して去っていきました。

男は両手にサバをぶら下げて、「わらしべ長者」の話を思い出しました。

今日は付近の町内の可燃ごみ回収の日です。

毎週2回、この日に海岸のごみ拾いをしています。

ごみ袋を持っていたおかげで、サバを5本持ち帰ることができました。

もしかすると、海の神様がご褒美をくれたのかも知れません。

今朝、私が体験したことです。


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