LORANの日記
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今朝は雨音で目が覚めました。
昨日までの数日は梅雨の曇り空でしたが、雨は降りませんでした。
梅雨には雨が降ります。
日本は農業国でしたから、半世紀前までは農家が圧倒的に多かったのです。
私も5代続いた農家の4男として生まれました。
農家にとって米の存在はとても大きいのです。
東北や北陸の農民の中には稲作の4月〜10月の半年間が終わると、都会へ出稼ぎに
行った歴史があります。
米がたくさん収穫できれば出稼ぎの必要もありません。
幼い子を祖父母に預けて、家族がバラバラに暮らす寂しさもありません。
その米の収穫には雨水が必要です。
ですから梅雨には、雨がたくさん降らなければ困るのです。
かって雨水が少なくて凶作となり、米の収穫ができない飢饉が発生したとき、多く
の農民が飢餓になり、娘を売らなければならなくなった歴史があります。
いま日本は米を軽視していますが、これは僅か最近20〜30年間の傾向に過ぎません。
日本人も国土の自然もなにも変化していないのです。
ただ、米以外の食料があることと、仕事をすれば賃金をもらえるだけなのです。
梅雨の雨を眺めながら、雨は変わらないけれど人は変わると思いました。
2005年06月20日(月) |
ベイシックコース参加御礼 |
LORANと名古屋で開催のベイシックコースへご参加いただき、まことにありがとうございました。 皆様のおかげさまでとても楽しいセミナーになりました。
「内部の歓びを見つけられない人が、外部の喜びを求める。」と言われます。
歓びはその人の内部で起こるものであり、その歓びを知れば外部の喜びは不要です。
内部の歓びは自分の気づきと変化の歓びですから、連続的で至上の歓びです。
外部の喜びは肉体的で比較的な喜びですから、瞬間的でいつも求め続けます。
ほとんどの人が外部の喜びを求めて止みません。
その喜びを得るためにお金を稼ぎ、自分と他人と比較し、その多少で優劣を競って
います。そのため気が休まるときがありません。
内部の歓びを一度でも知れば、外部のいかなる喜びも色あせて見えます。
他人との比較など、なんの意味もなくなります。
なにを食べても感謝しますから、とても美味しくしかも歓びがあります。
たとえお金がなくても心配しませんから、病気とも無縁です。
恨みや妬み、憎しみなどの感情がありませんから、穏やかに生活できます。
こんなゆったりとこころ安らかに暮らせたら、世界はきっと平和になります。
ベイシックコースへ参加いただきました皆様はこの世界を体験されるでしょう。
そして自分自身を大いに楽しまれることでしょう。
60年前の戦争後、日本を変えたのは思想だと思います。
戦前の儒教・道徳思想から平等思想に変わりました。
そして平等思想教育を受けた世代が定年の時期に達しました。
現在の日本の社会を作ったのは平等思想の世代だと言えるのです。
では平等思想が作った社会は理想的な社会だったのでしょうか?
人々は楽しく平和で安心した生活を送っているのでしょうか?
高年齢者はどうでしょうか?病人や幼い子どもたちはどうでしょうか?
学校は? 社会は? 家庭は? 経済は? 政治は? 環境は?
どれにも及第点をつけることができません。
戦前は現在よりずっと貧しかったのですが、これほど不健全な状態ではなかった
のです。学校も荒れたり、いじめもなく、アレルギーもアトピーもなかった
のです。サラ金地獄も22万人もの自己破産もなかったのです。
つまり平等思想を受けた人々は理想的な社会を作ることに失敗したのです。
平等教育はいちばんたいせつなことを忘れていました。
人は生まれながらにして法の下で平等であることは言うまでもありません。
しかし先輩や長老を敬うことはエチケットであるはずです。子が親を尊敬し、弟子
が師匠を尊敬するのは当たり前のエチケットです。こんな簡単なモラルを無視した
ことが大きな失敗でした。戦後の60年間、我々は大きな過ちを犯したのです。
妻が夫を軽視すれば子どもは家族のリーダーが誰であるかがわかりません。
老人を息子や娘が軽視すれば孫たちは家族のリーダーがわからなくなります。
リーダーがいないなら、子どもたちはだれの命令も無視して傍若無人に振る舞い
ます。18歳未満が刑法の適用を受けないのは、まだ善悪の判断がつかないからです。
ですから家族の長たる存在が脱線を戒め、導いていかなければならないのです。
もし18歳未満の少年に3億円の宝くじが当たったとして、それを自由に使わせたら
どうなるのでしょう。全員ではなくてもそのお金を全部遊興費に使ってしまうかも
知れません。お金は麻薬と同じですから、無くなれば欲しくなって手っ取り早い
方法、犯罪やギャンブルに手を染めることもあるでしょう。
私たちはもう一度、家族、夫婦、兄弟などの関係を見直さなければなりません。
自分たちの過ちを正して、子どもたちに誇れる社会を実現したいものです。
自由と平等がいいのはそれまでの抑圧から開放された人の言い分です。
63億人がすべて自由と平等を主張すれば世界はどうなるのでしょう。
お互いがその権利を主張し合うのではなく、言い分はみんなに聞いてもらったうえ
で、リーダーが採決をして方針を決める以外にはないのです。
みんなが60年間言いたい放題、やりたい放題の結果が現在の世界です。
もし私たちに叡智とやらがあるならば、今こそその叡智を使わなければなりません。
愛は最もたいせつなものと思われています。
キリストは「愛」を伝えたと言われています。
母の愛は至上の愛と讃えられています。
愛は自己犠牲もいとわないから尊いと考えられています。
愛は肉体を持ったまま感じられる最高のものなのでしょう。
ですからこの世界で最高のものは愛と言えるのでしょう。
私たちは肉体を持ったまま感じると、感覚や感情と一体になってしまいます。
肉体は感覚や感情によってすべてを認識するようにできています。
それで感覚や感情を自分自身であると思うことになります。
これでは感覚や感情が主人公になってしまいます。
こんな感情を起こさせた相手が悪いと思い、自分にはなんの責任もないと思います。
自分に責任がないのですから改善する必要はなく、変わる理由もないのです。
それで進歩も成長もなくなります。
愛もまた肉体で感じる感情です。
この地上での最高の感情ですから大いに楽しみたいですね。
でもその上に肉体レベルでは感じることができない歓びがありました。
「歓喜」と「祝福」がそれでした。
台風4号が接近しているためか、梅雨なのか、毎日はっきりしない天気です。
曇り空の下で元気なのはカエルとアジサイの花です。
田んぼの水の中には早くも小さなおたまじゃくしが泳いでいます。
田に水が引かれてから1ヶ月余りですから、カエルさんも忙しいですね。
私たちは70年も80年も生きようと思っていますから、健康や老後が心配です。
カエルさんたちはたった1年間の命ですから、心配はありません。
この夏も、秋も、冬も、春も、一回きりの経験です。
ですから一生懸命生きています。
私たちは「万物の霊長」などとうそぶいていますが、カエルさんにもかないません。
今夜もカエルの合唱が賑やかに聞こえます。
すべての生命が合唱しています。
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