LORANの日記
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民族主義という言葉がよく聞かれます。
民族が自分の国家を持つのだからよいことだと誰でも思います。
歴史には様々な戦争や紛争の記録が残されていますが、民族間の紛争が多いのも事実です。
「血は水よりも濃い」という言葉がそれを表しています。
それはまた、自分の血統が他の血統よりも優先する考えにも表れています。
中国では毛沢東までの支配者は王朝と呼ばれていたそうです。
権力を手に入れたら一族でその権益を独占することを言います。
日本でも大企業でもオーナーの息子や娘むこが次期社長になることが多いことも同じです。
それをしなかった松下幸之助氏や本田宗一郎氏は偉大でした。彼らの選択が正しかったことは
その後の会社の業績が証明しています。
民族主義は民族の安全を最高の価値と認め、暮らす土地の確保に全力を尽くす考えかたです。
ユダヤ民族が数千年間の流浪の果てにイスラエルを建国したのもこの表れです。
確かに自分の民族に誇りを持つことは大切です。これは自分の家族に誇りを持つここと同じです。
しかし何事も行き過ぎてはいけないことは当然です。
各人が各人で独自の主張にこだわり、孤立したら社会はなりたちません。
一人の幸せはみんなの幸せにならなければなりません。みんなの幸せは一人ひとりの幸せにならなければなりません。
一人の幸せの根拠が曖昧で、他人の考えに基づいているから、対立や紛争が絶えることがありません。
先ず自分自身の幸せと平和がなににも依存しないでできなければ、家族も社会も世界も平和になることができないでしょう。
2005年10月15日(土) |
巨大歯車が回転した。 |
ここ数日、いろいろな過去に得た情報の接点が一致してきました。
いろいろな本に書いてあったことや自分と仲間の過去生退行催眠で得た情報、チャネリングや瞑想で得た情報です。
一昨日の早朝、海岸で日の出を見ながら瞑想しました。
自分の目の前に巨大な歯車が見えました。観覧車が目の前にあるようでした。
その歯車は停止していたのですが、ぐっぐっと起動したのです。
「やった〜!」と自分の中で歓喜している自分がいました。
涙が流れました。
この歯車はインドでは「チャクラ」とか、仏教では「法輪」と言われるものです。
インド国旗の中央に描かれている輪のことです。
お釈迦さまが宇宙真理を説かれることを「法輪を説く」と言います。
お釈迦さまが悟りを得てから初めて説かれたことを「初転法輪」と呼びました。
数年前に同じ海岸で瞑想中に菩薩様が現れていただいた言葉がありました。
「転生法輪=傳聖法輪」です。文字が途中で変わりました。
ようやく法輪が動きだしました。
このような幸運に恵まれたことにこころから感謝し、これからも今まで以上に精進することを誓いました。
「現実の創造」と言ってもピンとこない人もいるでしょうね。
自分の人生が自分の創造によると言っても、そんなバカなと思うでしょうね。
自分はいつもマジメに生きてきたし、何も悪いこともしていないから自分は非難されることはないと
思っているのでしょうね。だから自分が不当な扱いを受けるのは相手が悪いと非難します。
例えば戦争があって、自分は家族を守るために戦うとします。相手の国民もまた同じように
自分の家族を守るために戦います。その結果、双方の大切な子どもが戦死したとします。
戦いが終わったとき、自分のかわいい息子が戦死したことをどう思うのでしょうか?
これは戦争である。戦争は非情である。虚しいものである。彼は自分を守るために死んだのだから本望だろう。
親として供養して冥福を祈ろう。
このように自分の悲しみを正当化して、自分の無力から目を反らせています。
戦争という殺し合いを正当化することはできません。いまは21世紀です。
いつまで数千年前の野蛮なパターンに支配されているのでしょうか?
いつまで自分が勇気を出して戦争に加担しないと言わないのでしょうか?
いつまで他人の評価を自分の子どもの生命よりも優先しているのでしょうか?
これが「現実の創造」です。あなたたの生き方、考え方が現実を創造しているのです。
目に入れても痛くないほどかわいい子どもを戦争で失ったことは、自分が現実を創造した結果でした。
昨日は海から帰ると同時に雨が降りましたが、今朝やっと雨があがりました。
富士山には頂上付近にうっすらと雪が積もっています。
10月も半ばに近くなり、10月8日の「寒露」を過ぎて寒くなり、10月23日
の「霜降」で秋は深まり、11月7日の「立冬」へ向かいます。
季節が半月周期で変わっていくことを私たちは感じることができません。
テレビなどの影響が大き過ぎて、その中に巻き込まれています。
朝起きて戸外へ出て自然を味わうより、先ずテレビをつける方が優先します。
一度テレビを見だしたら、外の自然のことは忘れてしまいます。
そして学校や職場、近所などの人間関係に没頭してしまいます。
こうして人は自然からどんどん離れていきます。
自然がたいせつ、環境がたいせつ、健康がたいせつといいながら、自分の時間の
殆どをテレビのために使っています。散歩も体操もする時間がないのです。
自分から自然との関係を断ち切っていながら、テレビのスイッチを入れないことさえできないのです。
パキスタンで大きな地震があり数百人が亡くなったという報道がありました。
1ケ月前は大型ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ南部ニューオーリンズを襲いました。
天災が起きれば必ず犠牲者が出ますが、運が悪かったで済むことでしょうか?
そう言うと防災行政の不備を追求する論調になることになりますが、そんな場所に
災害が起きるまで住んでいること自体が無茶苦茶です。
学校や職場でいじめがあったという報道がよく目につきます。
それが原因で自殺する子どももいます。
するとなぜ自殺を防止できなかったかと管理責任を追及することになります。
いじめがあったら原因を明確にして対策をとらなければなりません。
いじめる子どもや仲間や上司に対して、それをやめるように言わなければなりません。
それでもだめなら先生や教育委員会に言ってもいいでしょう。
あまりに度が過ぎるなら警察などに通報することも必要かも知れません。
それができないなら、緊急避難として転校や転職することもいいでしょう。
いじめに対しての対策にはいろいろな方法があります。
それなのに無抵抗でついには自殺してしまうのは、最悪の方法です。
このような事態になる前に選択肢を明確に生徒や社員に説明しておくべきです。
自分ばかりがなぜいじめられるのでしょうか?自分はいつもまじめに生きているのに。
人間には弱いものを攻撃する性質があるようです。子どもにとってはいじめも遊びの一種でしかありません。
だからいじめを肯定するのではなく、それを知った上で対策をとらなければなりません。
今は成績表のつけ方が変わったらしいのですが、相対評価で最低のランクにされた子どもの気持ちは複雑です。
こどもにとってはいじめと同じです。「お前は最低だ。」と烙印を押されるのですから。
勝ち組と負け組がいて学校も会社も社会もすべてが上下関係になっています。
いくら公平平等を言ったところで、それが虚言であることを誰でも知っています。
ですから「自分ばかりがなぜ?」と思うなら早い機会にそこから脱出しなければなりません。
そこの環境改善を目指しても、相手が変わらなければどうにもなりません。
それなら、自分が変わってしまった方が、遥かに早く解決するでしょう。
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