LORANの日記
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2006年03月26日(日) 同化といじめ

日本人は島国で他の民族との交流に乏しい特徴があります。

同じ顔、同じ言葉、同じ文化、同じ宗教(戦前は天皇を頂点とする宗教国家でした。)に慣れています。


そのためすべてを均一にしなければ気がすまない傾向があります。

北海道のアイヌ、沖縄、台湾、朝鮮半島、中国の満州など植民地にすると、すべてを日本色に染め替え

なければ気がすみません。


個人の名前や山の名前も日本名に換え、言葉も日本語を強要し、宗教も天皇崇拝を強制しました。

これを同化と言います。同化しなければ排除することが当然と考えています。


この同化思想は世界的に見て、最も排他的で危険な思想です。

自分の民族以外の存在を認めないのですから。


大陸は国境が戦争の度に変更されます。

土地には多くの人々が住んでいます。ですから国名が変わるのですが、文化はそのままです。


お互いがそれぞれの文化や宗教、慣習を認め合うように幼児教育から徹底されています。

日本人は違いを見つけると、同化しないことを責めていじめます。


親がいつもそうしているのですから、子どもはそれを当然と受け止めています。

それで仲間といつも同じでいようと努力しなければなりません。


沖縄、アイヌ、在日朝鮮人は元より、最近では中国、ブラジル、イラン、イラクからの労働者

家族が差別やいじめの対象になっています。


これではいくら対外経済援助をしても、海外で尊敬されることはありません。

1国の総理大臣が自分の主張だけにこだわって靖国神社へ参拝しても、他国の理解を得られなければ

単なるトラブルメーカーに過ぎません。つまりリーダーとしては不適格人物です。


このように自分のことだけで、相手の意向に配慮できなければ友好は成り立ちません。

かってモンゴル帝国が世界制覇をしたとき、相手の宗教や文化を変えるように求めませんでした。

日本軍が占領地政策で行った同化の強制とは反対でした。


報道の自由を守り、記者の安全を守うと「国境なき記者団(RSF)」というNGOがあります。

発表された「2004年度報道の自由度マップ」によると、欧米諸国が「良好」であり、アフガニス

タンなどの紛争国やアルゼンチンなどの軍事独裁国が「やや問題あり」です。日本は韓国と同じく、

中南米、南米、コンゴ、ガーナなどのアフリカ諸国並みの「やや良好」です。


日本人の政治センスは残念ながらこんな程度なのです。


2006年03月24日(金) 「幸せ」になりたいですか?

「幸せになりたい。」と人は言います。

「この幸せが続きますように。」とも人は言います。


「幸せになりたい。」はこれから幸せになるのですから、いまはあまり幸せではないのでしょう。

幸せになることを期待していますが、具体的な行動の予定は未定ですから、達成は幸運によるのでしょう。


「この幸せが続きますように。」は今の幸せが長く続くことを期待していますから、いま幸せなのでしょう。

でも今の幸せを維持しようとする意図がありますので、大きな変化を求めないでしょう。


このように「幸せ」を求めても幸運を待つか、大きな変化は歓迎していません。

これではなかなか「幸せ」を現実化することは困難でしょう。


もし今の「幸せ」に満足していても、将来への不安はあります。

自分も家族も成長し、いつか年をとっていくことは確実です。


また病気やけがや天災や失業など、不安の要素はいっぱいあります。

自分の体力や気力は衰弱し、いまの美貌もいつか輝きを失うでしょう。


そして自分は相手から無価値な存在になることを恐れています。

これでお金が無ければ、誰も相手にしてくれないと思っています。


ですから、年をとることは恐ろしいことになります。

しかも自分という存在が消えてしまう「死亡」は、最も恐ろしいことです。


このように絶対逃れられない「死亡」が将来に待ち構えています。

「死亡」の恐怖と戦いながら生きる人生はとても苦しい人生です。


高齢化社会とは、この「死亡」と戦う苦しみの期間が長くなったことを言います。

人生が苦しいものであるなら、長寿社会は歓迎される社会ではありません。


このように「幸せ」になることは簡単ではありません。

このままの状態を維持することでさえ、殆ど不可能に思えます。


それならどうすればいいのでしょう?

どうすれば少しでも「幸せ」になれるのでしょう?


いまの状態では「幸せ」になれないのですから、いまの状態をやめるしかありません。

いまの「幸せ」にしがみついていることをやめて、積極的に「幸せ」になることに努力しなければ

なりません。


そのためにはいままでの生活パターンや価値観を変えなければなりません。

自分にとって必要なことだけに専念しなければ、時間は無駄に過ぎて行くでしょう。


自分にとって必要なことを知るためには、真実の自分を知る必要があります。

他人から見た「自分」ではなく、思い込みを排除した「自分」のことです。


もし本当の「自分」を見つけることができたなら、後はそれほど難しくありません。

本当の「自分」にとって必要なことだけに専念する人生を送ればいいのですから。


他人の評価を気にして生きることはなくなるでしょう。

自分がきらいな相手と付き合う必要もなくなるでしょう。


自分がいやなら今の仕事はやめるでしょう。

お金だけのために仕事をする必要もなくなるでしょう。


自分が好きなことに専念して、楽しく人生を暮らすでしょう。

そんな楽しい仲間が、あなたの周りに集まるでしょう。


そしてあなたは「幸せ」な人生を生きるでしょう。

そんなに外見は豪華でなくても、シンプルで豊かな人生を暮らすでしょう。


間もなくそんな社会が来ると思います。

そうならなければ人類は「幸せ」になれないからです。





2006年03月23日(木) 「私になりなさい。」


昨日の早朝、日の出を見ながら瞑想していました。

私の中の不用なエネルギーを取り出して捨てました。

朝日を体内へ取り入れました。


その後、自分の中で動いた大きな存在がいました。

その存在は、先ずゆっくり左の肩を上げました。

次に右の肩を上げ、そして頭を持ち上げました。


それからゆっくりと立ち上がりました。

堂々とそそり立つとても大きな存在でした。

まるで観音さまの立像のように見えました。


私が「どうぞお名前を教えてください。」とお願いしました。

すると第三の目に痛みのような衝撃を感じました。

「智積菩薩」と文字が浮かんできました。


「私になりなさい。」という言葉が聞こえました。


「智積菩薩」さまは、仏教では多宝如来さまと共に居られる菩薩さまです。

多宝如来さまは、お釈迦さまの説法を賞賛応援された如来さまとして知られています。


「智積菩薩」さまは智恵を積むと書く菩薩さまですから、智恵を使うことと関係があるのでしょう。

今まで「勢至菩薩」さまに助けていただいていましたが、「勢至菩薩」さまは智恵を持って人を

救うといわれる菩薩さまでした。


いまの時代は科学知識や科学技術が評価されています。

科学がこれほど発達しても、その発達が人類の福祉にどれほど貢献しているのでしょう。


19世紀の戦死者数は1980万人でしたが、20世紀は1億人以上に急増しました。

科学が発達して戦死者数は5倍以上になったのです。


この事実は科学の発達が人間の意識を越えて、暴走していることをあらわしています。

自然環境破壊、エネルギー資源の枯渇、産業廃棄物による汚染などの問題を未解決のまま、

景気対策のため消費を増加させようとする政府や経済団体の暴走は狂気でしかありません。


このような危機的な状況にあって、「智積菩薩」さまは智恵を持って危機を克服するように

とメッセージをくださいます。


私はこのメッセージ通りの人生を送るつもりです。


2006年03月21日(火) アーユルヴェーダ合宿を終えて


19日から21日までの3日間、伊豆高原のペンションを貸し切ってアーユルヴェーダ合宿を開催しました。

体質別に食事の献立やマッサージクリーム、運動メニューなどを用意し、いつでも温泉に入ることもでき

ました。また宿便を排泄し、消化機能を向上させるようにしました。


近くの城ヶ崎海岸で海から昇る日の出を見ながらの瞑想を2日間しました。

好天で美しい太陽を見ることができました。


食前の感謝の祈りや制限の開放、自分自身との和解などのワークや瞑想を繰り返しました。

その結果、頑丈なブロックが崩れて、ようやく自分自身と和解することができました。


標高580mの大室山山頂で「愛の光のワーク」をしました。

とてもすばらしい体験でした。


帰る途中にある日帰り温泉で疲れを流して帰宅しました。

大勢の参加者の皆様に心から御礼申し上げます。






2006年03月19日(日) 他人を基準か?自分を基準か?


私たちがなにかをしようとするとき、その行動の選択の基準は他人(自分以外)か自分かです。

ただし、自分といっても殆どの人は自分を理解していませんので、本当の自分の基準がわかりません。

しかし自分にとって快適か、快適でないかは判断できます。


他人を基準にすることは、他人の評価をいつも気にしていることになります。

成功し、お金持ちになり、名声を博すことはすべて他人に認められたい、愛されたいことが基準です。


決して他人基準が悪いとか言っているのではありません。それも選択肢の一つに過ぎません。

健康が優れないのも、家庭問題があるのも、環境破壊や戦争があるのも、すべて他人が基準だからです。


もしあなたが自分(本当の)を基準にするなら、自分が苦しむような生活をするはずがありません。

他人に認められたくて、無理にいやな仕事や付き合いをするはずがありません。

世間や社会が気になって、テレビや新聞、雑誌に夢中になるはずがありません。

世間体ばかり気にして、いまの生活や仕事にしがみついているはずがありません。

自分のかわいい子どもたちに寂しい思いをさせても保育園へ預けて、働くはずがありません。

環境破壊が深刻化しているのに、生活程度を下げるよりも上昇させようとするはずがありません。


このように自分が基準でないことが、すべてのトラブルの原因です。

でもそれを改めないのは、すべての他人がそれを止めないからです。


自分を基準と言っても、本当の自分に気づくことは簡単ではありません。

夜眠るときにハートへ手を置いて、「今日は楽しかった?」と尋ねてください。


「楽しかった。」と答えてくれたらOKです。

「楽しくなかった。つらかった。」と答えたら、

「ごめんね、明日は必ず楽しくするね。」と約束してください。

これが自分を基準にした生き方です。


みんながこのような生き方をしたら、世界は今日から平和になります。


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