LORANの日記
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正義はいつも自分の都合によって決まります。
自分の正当な権利が侵害されることを、正義の名の下に抵抗しようとします。
しかしお互いに正当な権利の考えが違うのですから、お互いが正義を主張します。
それで世界中で正義の名の戦争が絶えません。
本来、正義などないのかも知れません。
単なるエゴとさえ言うこともできます。
2世紀にユダヤ王国が滅ぼされてからユダヤ民族の世界放浪が始まり、20世紀に
イスラエルが建国されるまで続きました。
こんなに永い間、民族が同化を拒み続けた理由は宗教的な根拠によります。
その根拠が正義という名を語るのですが、歴史的に見て紛争や差別の原因でもあります。
世界が平和になることが人類の悲願なのに、民族や宗教による差別が大きな障害になっています。
人が差別をする理由に、歴史的な相手への不信感や嫌悪感があります。
差別は一種の民族的、宗教的な文化として、生活慣習とまでなっています。
こうなると差別もその社会の正義の範疇に入り、理由も無く繰り返されています。
人権問題を扱う世界的な機関が各国政府や団体へ改善を促しても、遅々として進みません。
本来人間は差別や戦争が好きな生き物なのでしょう。
日本人の海外渡航者数は平成16年度で1638万人に上ります。
10人に1人以上が1年間に1回以上海外旅行していることになります。
他の国、民族、宗教の違いによるアイデンティティの違いを知ることにより、
自分にとっての正義とはなにか、なにができるかを考えることもいいかと思います。
「どんなお金持ちにも貧乏人にも、平等に与えられているものがある。
それは時間です。」
そう言われてきました。
確かに時間は誰もが等しく持っています。
そしてお金を払わなくても、いいえ払っても売り買いできません。
時間は無常に流れて行くと誰もが思っています。
どんなに大事な人でも、大好きな人でも、時間はいつか連れ去っていきます。
時間はまるで火葬場行きのベルトコンベアのように、無常に人を運んでいきます。
お金持ちも英雄も、誰もこのコンベアから下りることはできません。
そんな無常な時間なら無いほうがいいのかと問えば、やっぱり時間が欲しいと言います。
人は物質化した存在ですから、存在が無くなる事、死が最も恐ろしいのです。
それで死に至る怖れのある病気やけがを忌み嫌います。
健康法や健康グッズ、健康食品、サプリメント、お守りまでにすがり続けます。
しかしどんなに抵抗しても、時間は砂時計の砂が落ちるように無機質に流れていきます。
人は大河に落ちた木の葉のように、流れて行くほかはないのです。
では本当に時間はどうにもならないのでしょうか?
いいえ、時間はどうにでもなるのです。
あなたは時間を誤解しています。
時間はあなたのものです。そしてあなたが時間です。
そんなバカなと、きっとあなたは思うでしょう。
でもそれは真実です。
あなたが生きていること、それを現実と言います。
現実は過去の表面です。
湯葉(ゆば)は大豆を粉砕して煮て作った豆乳の表面にできる薄皮です。
豆乳が過去であり、湯葉が現実です。
膨大な過去の現実があり、その表面にできた湯葉のような現実があります。
ですから、ちょっとやそっとで現実が変わるはずがありません。
しかし、いかに膨大な過去の現実があっても、それは感情として記憶されています。
ですから過去からの感情を開放することができれば、現実は変えられるのです。
すべての感情を開放ができれば、あなたの時間は軽くなります。
先ほどの例えでいう、豆乳が無くなるからです。
すると湯葉が極端に薄くなり、ついにはできなくなります。
すると感情に支配されない自分がいます。
この状態になると自分の存在は、今までとはまったく違ったものになります。
自分には違いないのですが、まったくの無色透明のように感じます。
チベットの僧院の壁に、大きな目が二つ描かれている写真を見たことがあるでしょう。
あの目が自分であるかのように思えるのです。
自分は宇宙と溶け込んでいますので、自分の意識が目であるように感じます。
時間が自分であることが分かります。
そして宇宙も自分であることが分かります。
もう幾日も雨が降っています。
雨は1日中降ることはありませんが、晴天になることもなく、時々降ってきます。
今朝は止んでいましたが、先ほどから音をたてて降ってきました。
まだ4月も半ばですから、入梅までには間があると思います。
いつの間に桜の花びらは散って、緑が濃くなっています。
たんぽぽの黄色い花が、道端や空地のあちこちに咲いています。
今月初めに行った札幌市郊外の定山渓温泉は、雪が深く真冬の趣でした。
こちらは昨日もツバメが巣作りして忙しく飛び交っているのが見られます。
北と南では2ケ月も季節が違うことがわかり、びっくりしています。
雨を土の中にいる蛙は、心待ちにしているのでしょう。
気が早い蛙は、入梅と勘違いして鳴き出すかも知れません。
早稲品種の稲作をする農家は、田に水を張っていました。
間もなく田植えが始まります。
ビニルハウスの中で稲の苗が行儀よくカセットに並んで、出番を待っています。
5月〜10月までの半年間で稲は収穫されます。
これから農家は1年中で一番忙しい季節を迎えます。
感情と意識について前回書きましたが、理解することが難しいテーマですので補足させていただきます。
感情と意識が違うことを知っている人は稀でしょう。
ほとんどの人は感情で生きています。特に女性は「感情の生き物」とさえ言われます。
それだけ感性が豊かということですが、感情の起伏が大きいので、意識の出る幕がありません。
それでお釈迦様は「女身は法器にあらず」と言ったと伝えられています。
「感情を超越して、意識が悟りに到ることができない」という意味でしょう。
これは女性を侮辱した言葉ではなく、あまりにも感情に翻弄されている女性が多いと言う言葉でしょう。
一般的に見ても思い悩む(これも感情です。)のではなく、思索に耽(ふけ)る女性は極く僅かに思えます。
では男性は思索に耽る人が多いのかと問われれば、近年は男性もあまりにも少ないと思います。
これは仕事や学校、マスコミなどに時間をとられ、自分だけで過ごす時間がないことが原因です。
テレビを見ている時間が8時間という統計があります。
睡眠が8時間、仕事や学校が8時間、テレビが8時間とすると、自分の時間は0になります。
「テレビを見ている時間は自分の時間ではないのか?」という疑問を持つでしょうね。
そうです。自分の時間ではありません。もちろん仕事も学校での時間もです。
自分の時間とは、自分のための時間です。
自分のためとは、自分と向き合う時間のことです。
自分を見つめ、自分を感じ、自分と生きる時間のことです。
ですから仕事をしながら、学校で授業を受けながら、テレビを見ながらできるはずがありません。
ですから自分の時間は0なのです。
このような状態では意識を使うことができません。
いまあなたが生きているのは無意識です。今までと同じで、いつものように生きているだけなのです。
これは眠っているときには意識が無く、起きている時には意識があるという意識ではありません。
本当の意識とは覚醒した意識であり、感情を超越してすべてと一つでありながら、孤高の意識です。
もしあなたが「他の人はどうしてこう考えないのか?」と疑問に思ったとき、意識が働いています。
ですから意識が働けば、他の人と同じ生き方はできません。
それで仙人や隠者となって一人で生きる道を選ぶのです。
人には五感があります。
この五感を使って感情が生まれます。喜怒哀楽のことです。
生きているから五感を使えるのですから、感情は生きている実感になります。
感情は自分が生んだ反応です。
しかも反応の仕方は教えられたものが殆どです。
喜怒哀楽、不安や恐れの感情は哺乳類共通の反応です。
自分の大切なものが失われれば、とても悲しくなります。
それが家族であれば、犬や猫でも悲しみは深いのです。
その悲しみが深く、自分ではどうしようもないとき、相手に対する怒りになります。
感情はすべてエネルギーです。
怒りは最も破壊的で、瞬間風速が大きなエネルギーです。
ですから怒りのあまり、相手に暴力をふるい殺してしまうこともあります。
感情のエネルギーは放出しなければ溜まってしまいます。
喜怒哀楽、不安や恐れのの感情の中でも、喜びと楽しみは表現しやすいので溜まることはありません。
怒りと悲しみ、不安や恐れのは直接相手にぶつけられないことが多いので、その度に溜まっていきます。
相手の言葉や態度から怒りを感じたとき、溜まっていた怒りも反応します。
それで大きな怒りがこみ上げてきます。悲しみも同じです。
溜まった感情はいつの間にか、自分の中で最も大きなエネルギーに成長してしまいます。
すると自分の支配者は感情になります。
しかしこれに気づかないので大きな間違いが起こります。
感情が支配者ですから、自分の意識は感情の陰にあって出る幕がありません。
殆どの人が感情に支配されて生きています。
「殺人はいけない」と誰でも知っています。
「敵が悪いのだから、戦争で殺してもいい」と思っているのは感情です。
家族を失った悲しみと怒りの感情が相手を殺してもいいと思っています。
困ったことは、感情に支配されることを肯定する人が多いことです。
本来感情は一過性のエネルギーです。溜めなければ無くなります。
人間以上に感情を溜める生き物はいません。それで戦争や争いが終わりません。
しかしそれを止めようともしないのです。
そして自分を支配する感情の正当性を主張しています。
これでは永久に平和は実現しないでしょう。
本来誰にでも「意識」が備わっています。
この「意識」は宇宙の中心というか、宇宙の叡智と繋がっています。
それで先人や賢者は「瞑想」によって、宇宙の叡智を自分のものとしてきました。
ソクラテスもお釈迦様もイエス・キリストもそうでした。
しかし誰にでもある「意識」は、いつの間にか感情の陰に隠されてしまっています。
人間は「神」にもなれるのに、戦争や争いに夢中になり「悪魔」のようです。
溜まってしまった感情が、人間を「悪魔」にしています。
ですから感情を開放する必要があります。
LORANでは感情を開放する方法をお伝えしています。
感情から買い方位されると、人は「神」になれると思います。
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