LORANの日記
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2006年05月12日(金) 第1回所沢ベイシックコース開催しました。


5月10〜11日の両日、第1回所沢ベイシックコースを開催しました。

主催してくださった 「Roots & Route」 さん、ありがとうございました。

またご参加いただきました皆様に御礼申し上げます。


今回はとても明るく、パワフルでステキな皆さまが参加してくださいました。

これからの皆さまの大きな成長を期待しています。


今までは2日間の合宿で開催していた内容を、AM9時〜PM5時の限られた時間内で行いました。

そのため、最初に雑念の固まりの左脳の暴走をセーブし、右脳を活性化する瞑想をしました。

すぐに全員の頭に静寂が戻ってきました。

効果があって、2日間が終了した時点でも頭が静かな状態でした。

メモを取らなくても、乾いた砂に水が浸み込むように必要な事柄が記憶されます。

とても合理的な方法でしたので、内容が多い割には時間の短縮が可能になりました。


いま自分と思っている自分は「感情」です。

「感情」が自分を支配しています。ですから本来の自分の人生を送ることは不可能です。

ですから早く「感情」を開放する必要があります。


そうは言っても「感情」の開放は簡単ではありません。

これができたら「悟り」を開いたと言っても過言ではありません。

お釈迦様でも7年間もかかったのですから。


しかし簡単にできる方法を見つけました。

それは左脳の暴走を止めればいいのです。


感情は左脳を暴走させます。しかし左脳が感情に反応しなければ同じ効果が得られます。

左脳をリラックスした状態にすれば、卓球のラリー状態にはならないからです。

感情が必死にボールをサーブしてきても、打ち返さなければラリーになりません。


感情が無くなってしまうのだろうかと心配される人もいますが、そんなことは全くありません。

蓄積された感情が無くなっていくだけですから、感情はとても鮮明になります。


うれしい、楽しいも、悲しみや怒りも、もちろん感じます。

ただ、悲しみや怒りが持続しなくなるだけですから、とても楽になります。

悩みなどは、いままでなんで悩んでいたのだろうと不思議に思うほどです。


もし、多くの人が感情の蓄積を止めれば、精神科や神経科へ行く方が大幅に減少することでしょう。

また争いが無くなりますから、事件や戦争はなくなるでしょう。

平和への最も近道だろうと思います。


2006年05月08日(月) 世にも不思議な物語??(1)


人は自分が差別されることを恐れ、嫌います。

それで「公平」、「平等」という言葉が大好きです。


「人は生まれながらにして、法の下では平等である。」という言葉を信じています。


しかしこの言葉は余りにも平面的に過ぎます。

誰でも悪いことをすれば、刑法などの罪になるということです。


実際には様々な差別が社会にはあります。

パート社員と正式社員では待遇がちがいますし、男性社員と女性社員でも違います。


文句を言えば、法律に違反していないと開き直られます。

その法律は殆どが議員立法であり、議員の支持団体(スポンサー)に都合のよい法律です。


業者や業界は、メンバー以外の業界への参入を防ぐために献金をして法律を作ります。

そのような法律に規制されて、無駄な手間ひまやお金を使わせられているのが現状です。

しかも法律が増えれば役人の仕事が増えるのですから、役人と税金は増えることになります。


社会福祉は高齢化が進んでいるのでとても大切です。

社会福祉を充実させるには、莫大なお金と人手が必要になります。

それを増税なしで実現するのは不可能です。


しかし増税を繰り返していたら、国民は更に苦しい生活をしなければなりません。

両親が共働きでいながら、子どもとのスキンシップを完全にすることは不可能です。


お金持ちなら共働きもしないで済むでしょうが、大多数の貧乏人は働かなければなりません。

お金持ちとはお金のことを考えずに生活できる人たちです。僅かですが存在します。

貧乏人とは自分の意思を曲げてまで、生活費を稼ぐために睡眠時間を削って働く人々のことです。

ですから一流企業の社員もまた貧乏人なのです。

賃金の多いか少ないかは、ここでは問題ではありません。


みんなが大好きな「公平」、「平等」という言葉はどこへ行ってしまったのでしょう?

アメリカン・ドリームのように、大成功すれば夢のような生活ができると信じているのでしょうか?

いつか宝くじで大儲けをすれば、きっと夢が叶うと信じているのでしょうか?


もしそうなら「公平」、「平等」という言葉は真実ではないことになります。

ただ大多数の貧乏人の不平や不満を抑える口実に過ぎません。


こんな社会に疑問も持たずに生きていることが、世にも不思議な物語なのです。


2006年05月07日(日) 先住民族の滅亡


アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残し、参院議員も務めた萱野茂(かやの・しげる)さんが、6日午後1時38分、急性肺炎で死去した。79歳だった。(中略)同町の二風谷ダムを巡っては「アイヌの聖地が奪われる」と建設に反対し、アイヌ民族を先住民族と認めない国を提訴。97年の札幌地裁判決で「アイヌは先住民族」とする判決を受けた。(朝日新聞 2006/05/07)


アイヌ民族が先住民族であることは、誰もが知っていることです。

しかし9年前に国がやっと認めたという記事を見て、日本人の特殊性に愕然としました。

この考え方に従えば、アメリカ合衆国にはアメリカ・インディアンと呼ばれる先住民族は存在しませんし、

オーストラリアにはアボリジーニと呼ばれる先住民族は存在しないことになります。


日本が沖縄、台湾、朝鮮でおこなった皇民化(教育)政策は、そこに住む民族の文化を消滅させることを

意図していました。氏名を日本名へ変えさせ、宗教を改宗させ、言葉を話すことも禁止しました。


これは民族浄化=消滅と同じです。


日本人はヒットラーが実施したユダヤ民族の民族浄化を非難しますが、ガス室は使わなくても同じ趣旨の

ことを行ってきました。


日本には在日朝鮮人と呼ばれる人々が66万人(95年時)いますが、1982年の難民条約を国が認める

まで児童手当法や国民年金法は国籍法の日本人に該当しないという理由で適用されませんでした。

日本人と同じ税金を負担しながらです。


1815 年にオランダ王国が誕生して以来、政府はオランダの全ての児童に十分な教育の保証をする義務を履行してきました。しかし、これは政府に学校 の独占権があるとか、教える教育内容に権限があることを意味しません。1848年の憲法に則り、どんな団体の人でもそれぞれの宗教、思想、教育理念に基づ いた学校の創設が認められています。(オランダ大使館ウェブサイト)


日本の人口は12780万人、オランダの人口は1620万人で、ノーベル賞受賞者数は日本人5人、

オランダ人13人です。日本人は2556万人に一人、オランダ人は124.6万人に一人ですから、

20倍の違いがあります。これも自由教育の成果と言われています。


文化が違う民族が同じ地球上に存在しています。これは紛れも無い現実です。

しかも今さら鎖国政策をとることは不可能です。

ではどうしたら問題を起こさないで済むでしょう?


お互いがお互いを認め合う以外には方法がありません。

文化も言葉も宗教も違うのですから相手を尊重し、また自分も尊重してもらいましょう。


相手のプライバシーへ立ち入らないこと。相手を批判しないことが必要です。

同等な立場で、お互いが協力し合えることを考えましょう。

それができなければ、人類の進歩など「絵に描いた餅」に過ぎません。


2006年05月06日(土) メルマガ第3号発行しました。



本日メルマガの第3号を発行しました。

昨日作成して、本日の発行予約を入れました。


メルマガ第1号は、まぐまぐ編集部の承認を得る必要がありましたので、サンプルのつもりでした。

第2号はようやく承認が下りてから最初の発行でしたが、承認期間が3〜4日ありました。

毎週発行とうたっていたのであわてて作成したため、本文だけのメルマガになってしまいました。


そんなどたばたがあって、今回初めて落ち着いて作業ができました。

とは言っても、まだ試行錯誤の段階です。お見苦しいところはご容赦ください。


メルマガの良いところは、HPのように見に行かなくても手元へ届くことでしょう。

予定を直接お伝えするには格好の媒体と言えると思います。


しかしどんなものでもマンネリ化したら、飽きられてしまいます。

これから自分のお伝えしたいことを整理して掲載していきます。


どうぞよろしくお願い申し上げます。


2006年05月05日(金) 子どもの日


今日は子どもの日です。

今日が誕生日の家族がいるのですが、昨日繰り上げて誕生日を祝いました。


息子たちが今日、札幌へ戻るからです。

先ほど羽田空港へ到着し、カウンターへ荷物を預けたとの電話がありました。


13:00には新千歳空港へ到着し、15:00には自宅へ着くでしょう。

私たちの連休も間もなく終わります。


「光陰、矢の如し」と言うように、時間は飛ぶように去っていきます。

10年、20年はあっという間です。


その間に生まれた子どもは20歳になり、成人して独立していきます。

いつか子どもは結婚して親になっていきます。


人の営みは時代が変わっても、内容は全く同じように見えます。

子どもから親へ、親はいつの間にか高齢になっていきます。


木の葉が芽吹き、大きな葉に成長します。

古い葉は、枯れて落葉します。


葉の交代はあっても、一つの木にとっては1年が過ぎただけです。

私たちの一生は、木の成長の一部に過ぎません。


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