LORANの日記
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2006年06月06日(火) |
マスコミの報道に思う |
いつも思うことがあります。
自分と他人の境目が曖昧な人が殆どです。自分がある人は僅かです。
そのため自分の考えよりも、マスコミの報道や論調を優先しているようです。
「マスコミがこう言っている」が正義であるかのようです。
ではあなたはどう思っているのでしょうか?
自分の感情を基準にしないで、図書館で歴史や民族、文化などの背景や基盤を
調べたうえで話をしているのでしょうか?
もしイランやイラクへの戦争に賛成するなら、そこに住む人たちのことをどれほど
理解しているのでしょうか?
もしマスコミの報道を唯一の情報源にしているなら、それはとても一方的な情報で危険です。
なぜならマスコミはヨーロッパの通信社というところから記事を買って報道しています。
ですから通信社の意見をそのまま信じてしまいます。通信社も商売ですから偏向しています。
マスコミの報道は一つの考え方を絶対視しているように感じます。
「こうでなければならない」という考え方がとても強いのです。
それを基準に「あれはいい、これは悪い」と報道します。
報道される側はマスコミに裁かれているのと同じです。
マスコミの基準はマスコミの都合に合わせています。
ですから強引な取材や迷惑な取材も正当化してしまいます。
夜中でもプライバシー無視でも、マスコミという権限があるかのように傍若無人です。
このような横暴を非難すると、「報道の自由」の侵害と自分勝手な理屈を言います。
マスコミは広告媒体=商売ですから、商品=視聴率を売ってなんぼの儲け主義です。
そんな商売人が「報道の自由」を言うなら、取材拒否があって当然です。
しかし拒否すれば、後ろめたいから拒否したような報道をします。
マスコミの報道があまりにも行き過ぎるため、マスコミと弁護士会などが協議する
「報道と人権委員会」があり、人権を擁護することになっていますが、十分な効果がありません。
なぜなら日本人は「いけにえ」が大好きですから、誰かをみんなでいじめようといます。
民族差別や精神的、経済的に弱い人への仕打ちはいじめです。子どもも大人の真似をします。
それは自らが向上する努力をするより、目立つ人の足を引っ張る陰険な思いに原因があります。
かって「天才・美空ひばりさん」や「天才・江川卓さん」もいじめられました。
天皇家に嫁いだ「皇后・美智子さま」や「皇太子妃・雅子さま」もいじめられました。
この先鋒を担いでいるのがマスコミですから、とても恐ろしいことです。
日本人は報道を真実と信じやすい傾向が強い国民です。ですからコマーシャルの効果は絶大です。
一人ひとりが成長しなければ、このような恥ずかしい傾向は改善されないでしょう。
2006年06月05日(月) |
第9回 なごやすぴこん ご来店御礼申し上げます。 |
昨日、なごやすぴこんが名古屋市の吹上ホールで開催されました。
ご来店いただきました皆さまには、心から御礼申し上げます。
14:00〜14:50 ミニワークショップを開催させていただきました。
50分間あれば、ワークショップを十分できます。
いつもすぴこん会場では30分程度です。
今回は「光の意識」を始めて開催しました。
左脳を停止させ、右脳を活性化し、その上で「高次元の光」にお願いして全員へ光をいただきます。
初めてワークショップへ参加された方は、すべてを理解することはできなかったかも知れません。
今回一緒に出店された私以外の4名は、よく光を感じていました。
6月10日は愛媛すぴこん(松山市)、6月18日は横浜すぴこんで同じワークショップを開催します。
昨日会場を出るとき、すぴこんとは別に開催されている名古屋市付近の方のイベントがあり、
次回の12月9日にワークショップを開催して欲しいとの依頼をいただきました。
おかげさまで、各地で皆さまに提供させていただけることに感謝しています。
いま「気づきのとき」と思います。
人類は数万年〜数十万年の歴史を有すると思います。
この200〜300年間で科学が発達し、産業革命が起き、大量生産が可能になりました。
貧乏だった一般庶民も衣服や住居に困らなくなりました。快適・便利になりました。
先進諸国が恩恵をこうむるために、低開発国の人々は貧困と飢餓に苦しんでいます。
彼らの持つものを奪い取って、私たちは栄華を極めています。
この小さな地球でこのような状態が、いつまでも放置されるていいはずがありません。
私たちは「やさしさ」を取り戻さなければならないと思います。
2006年06月04日(日) |
さあ、6月が始まりました。 |
明日は「なごやすぴこん」へ出店します。
7〜8日は千葉県の九十九里浜へ行きます。
9〜12日は「愛媛すぴこん」と松山のセミナーです。
その帰りに、高知県の室戸岬へ行きます。
18日は「横浜すぴこん」です。
新しい「ハートヒーリング」ができて、また新しい展開が始まりました。
7年前と同じ月で、同じパターンです。
前回は13ヶ月で4回引越しをしました。
さあ、これからどのような展開になるのでしょう。
こんな時にはジタバタしても始まりません。
のんびり流れに身を任せて、流れて行くだけです。
ただ動き出したら、しっかりつかまっていないと放り出されてしまうかも知れま
せん。
自分をどこまで信じられるか、試されているのでしょう。
幸せを願わない人はいません。
家族が健康で、仲良く暮らせる幸せを願うのは当然です。
ここまでは誰も異存は無いでしょう。
しかし、幸せを達成するための方法論や考え方は千差万別です。
幸せになるための必要条件が違うことが原因です。
価値観や主義、信条など一人ひとりに違いがあります。
誰からも認められ、愛されることに心を砕く人は多くいます。
世間一般の常識や良識を優先している人も多くいます。
最大公約数的な意見を信じる人も多くいます。
こうして殆どの人の考え方は同じようになります。
みんながそう言っているとか、そうしていることが当然になります。
常識的に生きることが当然であり、よい市民、国民であるという考えかたです。
こうなると、反対意見を言えば社会を敵に回すことになります。
会社で出世することも、社会で認められることも困難になります。
ですから、「長いものには巻かれる」とか「出る杭は打たれる」のように、
反対でも意見は言えない風潮があります。
このような社会での幸せとは、自分の思いや感情を抑圧した上に存在します。
抑圧された感情は病気の原因にもなります。
その反対に、自分が信じるところに従って生きる幸せもあります。
社会的には認められなくても、評価されなくても、自分の心のおもむくままに
生きる幸せもあります。
その生き方を不幸と見る人もいるかも知れません。
でもその人が選択したのですから、それでOKです。
ですから幸せと不幸せは単なる価値観などの相違によることが殆どです。
その価値観を誰にも強制や押し付けをしてはいけません。
社会、国家、民族、宗教などは、この価値観を強制し押し付けます。
私たちはその動きに同調しなくてもいいのです。
2006年05月31日(水) |
この世はファンタジー??? |
あなたがどんなに相手に認め、理解して欲しいと思っても、
あなたがどんなに相手に愛して欲しいと思っても、
それは叶わなかったり、一時の満足に過ぎないかも知れません。
なぜなら、すべての人はファンタジーの中に生きているようなものですから。
一人ひとりの「着ぐるみ」が似ているからと言って、中身まで同じとは限りません。
中身は「着ぐるみ」ほど他の人と似ていないかも知れません。
中には「着ぐるみ」と全く異なる中身が入っているのかも知れません。
それなのにきっと分かってくれるとか、きっと認めてくれるとか期待しても、往々にして
裏切られたと感じることも多いのではないでしょうか。
「着ぐるみ」は社会的な儀礼で、相手に申し合わせたように同じ挨拶や対応をします。
その挨拶や対応を期待して聞けば、まるで自分に好意を持っているかのように受け取れます。
過剰な期待は本人は必死でも、悲劇や喜劇の原因になります。
自分と他人(自分以外の人)が違うという前提を忘れていることが原因です。
自分と他人が違うと思えない理由は、自分の不安感や寂しさにあります。
もし自分と他人が全く異なる存在であるなら、自分は誰からも認められなくて孤独と思います。
この分かって欲しい、愛して欲しいという依存心が無くならないかぎり、悲劇は続きます。
自分を見るのではなく、いつまでも他人ばかりを見ている癖を治さなければなりません。
この世はファンタジーです。
一人ひとりが自分というシャボン玉の中にいて、ふわふわと飛んでいます。
そのシャボン玉は自分の感情がいっぱい詰まっています。
その中で泣いている人も、笑っている人もいます。
生まれてから亡くなるまで、このシャボン玉から出られる人はいません。
シャボン玉の世界を楽しむことができれば、その人の人生は幸せです。
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