LORANの日記
DiaryINDEX|past|will
尊敬と崇拝を混同している人が多いようです。
尊敬はその人の尊敬すべき点を尊敬します。
崇拝はその人の全人格を崇拝します。
だれにでも長所と短所があります。
相手を崇拝する人は最初長所を崇拝しますが、短所を見て相手を否定します。
「こんな人だとは思わなかった」と。
その原因が自分の崇拝癖にあることに気づかないので繰り返します。
相手に夢中になったり、否定したりの繰り返しをします。
周囲の人は迷惑をこうむります。
日本人にはこの癖の人が多いように思われます。
誰かのブームに乗って大いに褒め称え、そしてみんなで貶(けな)します。
これを扇動するのがマスコミです。
そして多くの人々がそれに便乗します。
相手を肯定し、その相手を否定しているのは本人です。
よく恥ずかしくないものだと呆(あ)きれてしまいます。
「みんながしているから」とは、自分の主体性や責任が無い人の言葉です。
成人していながら、自分の主体性や責任が無いのでは困ります。
日本人は英雄が嫌いと言われています。
嫉妬心や自己抑制による不平不満が多いからでしょう。
ですからスターになったり英雄になると、必ず叩かれます。
美空ひばりさんや江川卓さんも叩かれました。
皇室へ嫁した美智子皇后や雅子皇太子妃も叩かれました。
他人の悪口を言ってはいけないのは、日本人の常識ではなかったのですか?
嫉妬心は恥ずかしいことではなかったのでしょうか?
こんな恥ずかしいことがよくできると呆れるばかりです。
マスコミがこのような役割しかできないなら、存在価値はありません。
相手の良さを認めることができないのが原因です。
その良さを認めたら、他のことは大目にみるのがエチケットです。
そんな基本的なことができていないので、全面肯定と全面否定を繰り返します。
それではいつまで経っても成長できません。
自分が自分を信じられないことが、大きな原因です。
自分の良さも尊厳も理解できていないから、相手にも同じことをします。
あなたが平和と幸せな人生を送りたいと思うなら、どうぞ実行してください。
自分がこんなにすばらしいと感激できる生活をしてください。
そのためには自分を好きになる生き方をしてください。
あなたの中のあなたは、それを待っています。
2006年07月24日(月) |
「中村 哲」医師の本から |
「中村 哲」医師を知っていますか?
私がいま最も尊敬する人物です。
彼の行動力は正に「神業(かみわざ)」と言っても過言ではないでしょう。
それを可能にしているのは、彼の中の「神性」でしょう。
「中村 哲」医師は1946年福岡生まれの60歳です。
1978年、福岡の山岳会でパキスタンとアフガニスタ国境のヒンドゥークッシュ山脈へ登って、
初めてその峰の神々しいまでの美しさと、そこに住む人々の貧しい医療の現実を見て衝撃を受け
られたそうです。そこでの子供の死亡率は50%です。
1984年、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)より派遣されてパキスタンのペシャワール
で医療活動を開始されました。
あれから22年間、彼の着実で足が地に着いた医療活動は大きな成果を挙げています。
その活動を支える経済的な基盤は、「ペシャワール会」というボランティアの民間支援団体です。
国や国連の援助を期待しても、その中の抗争や予算獲得競争などの煩雑に嫌気がさしたそうです。
欧米では宗教活動として献金や寄付が当然にありますが、東洋でもわが国の喜捨はほとんど目立ちません。
福祉活動は政治がするものであり、国民は命じられたことをするだけでいいと思われているようです。
そのため中村医師の活動は常に財源不足との背中合わせでいます。
そこでは、たった200円の薬が買えないために人が死んでいくそうです。
それとは反対に死が迫った末期の患者に数百万円もの医療費が投じられる、わが国の医療があります。
これでも人は平等なのでしょうか?
劣悪な環境の中で、中村医師はこの22年間を正に孤軍奮闘で活動されてきました。
彼の活動は下記の本に詳しくあります。
「ペシャワールにて」(癩そしてアフガン難民)石風社
「ダラエ・ヌールへの道」(アフガン難民とともに)石風社
「医者 井戸を掘る」(アフガン旱魃との闘い)石風社
2006年07月22日(土) |
ふしぎなことと自分の発見 |
ふしぎなことはいっぱいあります。
しかし、考えても無駄と思ってはいませんか?
確かに考えてもその真実はわかりません。
その意味では無駄と思うのは正解でしょう。
でも、無駄なら考える必要がないとしたら、人生はとてもつまらないものになりはしませんか?
どうせ昨日も今日も明日も同じとしたら、またどうせ人生なんて決まっているとしたら。
もしも自分や周囲にふしぎを発見したら、単調な毎日は変わり出すかも知れません。
そのふしぎが毎日変化するのを見ることは、新しい発見です。
それが自分の変化だとしたら、自分の新しい発見が続きます。
こんな自分がいたのか、自分にこのようなことができるのか、これから先どうなるのか?
自分の発見が人生を変えていきます。
自己評価が高くなれば、人生もまた高くなります。
趣味も出会う人も高くなって当然です。
そして気がついたときには、以前とは比べものにならないほど成長しているでしょう。
その第一歩はふしぎに興味を持つだけでいいのです。
人を観察すると、「光とつながっている人」と「光とつながっていない人」があるようです。
「光とつながっていない人」は、現実という目の前の現象に巻き込まれて生きているようです。
いわゆる中毒症状になりやすい人たちです。お金、仕事、お酒やたばこ、麻薬・・・
他人(自分以外の人)依存の人や感情に翻弄されている人もそうです。
「光とつながっている人」は自分の意識によって生きている人です。これは極く少数の人です。
どんな時でも自分を見失わないで冷静に対処できます。
他人(自分以外の人)依存やお金や仕事中毒にならない人です。
元々は、人は幼少時には「光とつながっている人」であったのでしょう。
しかし親や教師、マスコミなどの影響によって「光とつながっていない人」になってしまったのでしょう。
「光とつながっていない人」はとても不安です。
それで依存や中毒症状になってしまったのだろうと思われます。
この「光」を宗教では「神」や「仏」と呼びます。
私たちは「高次元の大いなる光」と呼んでいますが、同じ「光」です。
宗教は個人の自由ですが、宗教へ依存させようとする意図があるように思われます。
「神仏への帰依」は一種の依存と思われます。
そうであるなら宗教の信者は「光とつながっている人」であるはずなのに、「光とつながっていない人」
になってしまいます。
これでは本末転倒です。一人ひとりが「光」とつながらなければなりません。
「光」はエネルギーであり、波動であり、情報です。
頭脳はこの「光」を受け取るためにあります。
「インスピレーション」として気づきが起こります。
それに従えば、最短距離で目的地へ到着できます。
その目的地は本来の自分の目的地であり、頭で考えた目的地とは異なります。
それで混乱することも多いのですが、結局は従わざるを得ないでしょう。
LORANヒーリングとは、この「光」をヒーラーがパイプとなって、クライアントさんへお渡しする
ことです。
これによってクライアントさんに「光」が入り、健康が回復し、気づきが起きやすくなります。
いま「光とつながっている人」が多くなれば、世界は変わると思います。
クワガタムシの小型のコクワガタを孫が飼っています。1匹のメスです。
いま、LORANへ来ている若い女性が朝の散歩へ行ったときに見つけたものです。
幼稚園へ通っている孫へプレゼントしてくれました。
孫は数年前からカブトムシやクワガタに興味を持ち飼っていましたが、いまはなにも飼っていなかったので
大喜びです。
7月15日〜17日の引越しへ娘夫婦が手伝いに来てくれて大助かりでした。
孫は両親と海水浴へ出かけて、帰りに貝殻を拾ってきてご満悦でした。
コクワガタは光を嫌うと言って、押入れの中に入れていました。
17日の夜、富士市へ帰宅してから娘から電話がありました。
孫が押入れにコクワガタの飼育篭を入れ忘れたと言うことでした。
コクワガタが死んでしまうと言って、泣き止まないというのです。
それでは明日取りに行くと約束しました。
間もなく孫が餌やスプレーを持ってやってきました。
今の状態で3日間はもつと聞いて安心しました。
孫が自分に買って貰ったドリンクをプレゼントしてくれました。
18日午前中のリラックスワーク、午後一人ヒーリングをしてから千葉県九十九里海岸へ向かいました。
昨日までの引越しの疲れもあり、雨の中をゆっくり運転しました。
午後6時過ぎに到着し、早速押入れを見るとコクワガタの飼育篭がありました。
娘に電話をして、手入れ方法を確認して世話をしました。
翌日19日の午前4時40分に千葉県九十九里海岸を出発し、6時にアクアラインへ入りました。
8時10分に幼稚園へ通園する前の孫へ、コクワガタの飼育篭を手渡すことができました。
それからラ・ホール富士へ急ぎました。今日から二日間のセミナーが9時から始まります。
すでに妻が先行して準備してくれていましたので間に合いました。
とても忙しい日でした。
|