LORANの日記
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2006年08月03日(木) |
札幌からただいま帰りました。 |
初めての列車での札幌旅行でした。
8月の繁忙期で格安の航空券が無かったので、列車で行ってみました。
旅は歩くのがベストと言われています。
足が早くなるほど、周囲を注意深く観察することができません。
ジャンボジェット旅客機のように、高度10,000m、巡航速度800kmでは下界の人間の姿を
見ることもできません。
速度は遅いほど、そこに住む人々を感じることができます。
今朝7時に札幌を特急で出発しました。
函館で違う特急に乗り換えて、青函トンネルを通過して八戸で東北新幹線へ乗り換えました。
北海道は空の面積がとても大きくて感動しました。
広々とした大地に畑や牧場がありました。
そこには人の営みが、自然と調和してありました。
東北新幹線で東京まで630kmを3時間でしたが、東京は人工の環境ばかりで地面も緑もほとんど
見られませんでした。
人間が自然から離れたら、不自然に生きるだけです。
不自然な人間は、健康に生きることはできないでしょう。
人間は便利と快適な生活に憧れ過ぎて、自分を自ら滅ぼしているように感じました。
科学が発達して恩恵も多いのですが、滅亡したら元も子もありません。
明日から千葉県九十九里海岸へ行きます。
私たちは自然豊かなところで生活したいと思っています。
いま富士市から札幌へ出発します。
娘婿が30分後に迎えに来てくれます。
今回は札幌まで初めての電車の旅です。
新富士〜東京〜八戸間は新幹線です。
八戸=函館〜札幌間は特急です。
初めて青函トンネルを通ります。
海底トンネルは東京湾アクアライン以来です。
札幌で最もお気に入りのポイント、「おおば比呂志記念室」が工事中で
11月末まで休館なのが残念です。
でも美味しいとうきびをたべられるのですからOKです。
やはり「花よりだんご」です。
では行ってきます。
いま7月29日22:00です。
今月もあと2日です。
7月31日にLORAN の2Fを引き渡します。
いま2F から3Fへの引越しの最中です。
今日はエアコンを業者に取り外してもらいました。
7月15〜17日にパネルトラック1台、千葉へ運んだことが嘘のように荷物があります。
来月になったらもう1台運ばなければなりません。
新しい動きが始まっています。
それに合わせて引越しや予定、計画、準備があります。
明日の「親子の豊かなコミュニケーション教室」の準備で、10人が集まってくれました。
これから大きな動きが始まる胎動が感じられます。
これから始まるワクワク感があるから、どのような困難も乗り越えられます。
みんなで一つのことを仕上げる喜びがあるから、心が一つにまとまります。
梅雨が明けて、蝉が待ちかねていたように鳴きだしました。
1年の寿命を、この夏に賭けて必死で鳴いています。
蝉に負けないように、私たちもこの夏に賭けています。
人は自由になりたいと言います。
自由の概念は、人それぞれ異なります。
その人が何から自由になりたいかということでしょう。
例えば、お金、家族、会社、社会・・・
すべてから自由になるためなら、この世から離れる以外にはないでしょう。
それがいやなら、無人島で一人で生きることでしょう。
それも孤独でいやと言うなら、誰かと一緒に生きるほかはありません。
気が合う人と二人きりで生活することが夢なのでしょう。
それもきっと可能かも知れません。
でも無人島で一人で暮らすこともいいかも知れません。
誰もいないのですから、誰にも気兼ねはありませんし、何もしなくてもいいのです。
ただ誰も自分を助けてはくれませんから、自分で衣食住のすべてを充足しなければなりません。
生きるためのすべてが自己責任です。それができなければ死ぬだけです。
野生の動物は、怪我をすれば自分で治します。
怪我が治らなければ餌を獲ることができませんから、餓死してしまいます。
そこにはかわいそうとか気の毒とかの、センチメンタリズムが入り込む余地はありません。
生か死かの二者択一があるだけです。
大自然や宇宙に憧れている人は多くいますが、そこには冷徹な現実があります。
「すべては愛」という言葉は、その現実を超えたときに実感できるものでしょう。
自分の人生に責任を持たない甘ったれた人が言う言葉ではないでしょう。
ネイティブな民族は文明に影響されない場所で生活しています。
そこには豊かで厳しい自然があります。
彼らは電気も水道もないところで、何物にも執着しないで生きています。
日本人が一緒に暮らすことは数日なら可能でしょうが、何年もできるとは思えません。
私たちは文明なしでは生きられない民族になってしまったからです。
何年間もたった一人で生きることができない民族なのでしょう。
ですから私たちが自由な生活を求めても、それは本当の自由ではないのでしょう。
人工的な環境の中でしか生きられない日本人は、最も自然環境から離れた民族かも知れません。
2006年07月26日(水) |
人はすべて同じ、しかもすべて違う |
人はすべて同じです。ですから「共通の認識」があります。
もし全く違う認識しか無いのなら、社会生活は不可能でしょう。
では「共通の認識」だけなのかというと、「共通の認識」以外の「個別の認識」があります。
この「個別の認識」は一人ひとりが千差万別です。
幼児期には自己意識はありませんから、母親の意識と重なっています。
母親がまるで自分自身であるかのように感じています。
学齢期になり家族以外の人々と交流するようになると、少しづつ自分の意識ができ始めます。
思春期は親の意識から脱却するときですから、親に批判的になるのは当然です。
自分が親の人生と同じ軌跡(結婚や出産、育児など)を経験して、ようやく親を理解します。
このようにして人は成長します。
ここまでは共通ですが、ここから大きく分かれていきます。
「このままの軌跡を続けていく人」と、「異なる軌跡を生きる人」です。
「このままの軌跡を続けていく人」は、社会の「共通の認識」によって生きていきます。
大多数の意見を支持し体制に従順に、その中で生きる方法を模索します。
「出る杭は打たれる」危険を冒さない生き方をします。
このタイプの人が圧倒的に多いと思われます。
「異なる軌跡を生きる人」は、自分の中にある意識に目覚めた人です。
その意識は最初は微かな意識ですが、年齢とともにはっきりしてきます。
例え「共通の認識」を元に大きな事業を営んでいても、自分を追い詰めて放棄させます。
頭の意識は死に物狂いで抵抗しますが、深いこの意識が決めたことには逆らえません。
そしていつか、その事業を放棄し、新しい軌跡で生きるようになります。
中には最初から異なる軌跡を生きる人もいますが、とても稀少な例です。
代表的なのは、「ウォークイン」と呼ばれる現象です。
幼少時に臨死状態になったとき、その子の魂は天国へ帰りますが、その肉体を借りて活動する
「光の存在」がいます。
臨死状態の前後でまったく異なる性格や能力になりますから、理解することができます。
先日も気になるある著名な人の本を読んでいました。多分5冊目だと思います。
すると初めて生い立ちと幼少時の思い出が書いてありました。
彼は5歳のときに臨死体験があったのです。病院に入院した当時の記憶がありません。
幼稚園にあがるころ(6歳)には、小・中学生向の本を読んでいたそうです。
彼は典型的な「ウォークイン」だろうと思われます。
ですからなんの迷いも悩みも挫折も経験しないのです。
もちろん人間ですから悩みが無いはずがありませんが、彼の生き方を妨害できるほどではないのです。
このように人は同じですが、その人は異なります。
もしあなたが「異なる軌跡を生きる人」なら、どのように生きるのでしょうか?
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