LORANの日記
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2006年09月01日(金) |
今日から松山、今治です。 |
昨日千葉県九十九里海岸から静岡県富士市へ帰ってきました。
今年7月から2箇所で生活しています。
明日第4回愛媛すぴこんイン今治が開催されるので、今朝羽田空港へ向かいます。
空港近くのパーキングへ駐車して、昼ごろのフライトで松山空港へ行きます。
松山空港にはSさんがお迎えに来てくださいます。
明日のすぴこんでは昼ごろ、「光の意識」と名づけたワークショップを開催します。
すぴこんで連続4回目のワークショップです。10日にも富士すぴこんで開催します。
「おもしろい」とご好評をいただいています。どうぞお出かけください。
3日の朝羽田空港へ戻り、そのまま千葉県九十九里海岸の自宅へ帰ります。
ようやく皆様のご理解をいただけるようになって、毎月の移動距離が伸びました。
自分自身が毎日変化し向上しなければ、単なる知識で終わってしまいます。
なによりも自分の意識が「大いなる光」と正しく繋がっていること。
それを信じて行動することに尽きると思います。
それにしても、どうして楽しくない人生にしがみついている人が多いのでしょう?
自分が楽しい人生を送るかどうかは、最大の目的であり決断でしょう。
お金や人はそれ以上の価値を持つものではないでしょう。
しかし自分が創り蓄積した感情が、自分を支配していては困難かも知れません。
それなら蓄積した感情を処理すればいいでしょう。
その方法はLORANのセミナーへ参加すればご指導させていただきます。
蓄積した感情こそが私たちの最大の敵です。
その支配を1日も早く終わらせることが、楽に生きることを可能にします。
明日また今治市でのすぴこんでお目にかかれたらうれしいです。
2006年08月31日(木) |
ただいま自転車です。 |
昨日引越し第2弾をしました。
なにせ引越しは40年以上昔の学生時代から、自分でするものと思っていました。
学校を卒業したときの引越しは、運転免許を取って初めての遠乗りでした。
父親は農業でしたからダットサンの1tトラックを持っていました。
まだ高速道路が無い時代でしたから、それを運転して箱根の峠を越えて行きました。
横浜の下宿で荷物を積み込み、また同じ道を帰って来ました。
今回もまた自分で引越しをしています。
8月14日に第1弾を運びましたが、そのとき運びきれなかった荷物を今回運びました。
今回は自転車を運びました。
いわゆるママチャリと呼ばれる、買い物籠がついた3段変速の自転車です。
これは富士市の廃品回収の中であった自転車を手入れしたものです。
これを6000円で買いました。
あれから4年間位経ちました。
殆ど乗らないでいたので、埃が積もり錆びが浮いていました。
千葉へ行ったら自転車へ乗ろうと決めて、自転車屋さんへ持ち込みました。
前後輪のタイヤとチューブ、ブレーキゴム、鍵を変えてもらいました。
つまり本体以外は新品になりました。修理代金は〆て9450円でした。
9800円の新品の自転車も展示されていましたが、修理して使うと決めました。
今朝は本須加海岸までの往復17kmを走行しました。
先ほどは東金市の大型家電店まで往復22kmをプリンターのインクを買いに行ってきました。
あちこち寄り道をしているので、今朝からでは40kmを優に超えているでしょう。
田舎の農道を、涼しくなった風に吹かれながら自転車に乗るのはステキです。
アブラゼミの声が弱まり、ツクツクホーシという声が盛大に聞こえます。
空の雲はいわし雲、明日から9月です。
「大自然への畏敬」が失われたことはとても大きな間違いだと思います。
かっては病気は悪魔の仕業と信じられて、悪魔払いや魔女狩りが行われました。
ヨーロッパでペストが流行したとき、死体と患者と魔女を焼き殺したこともあります。
科学が発展し病原菌が発見されてから、病気は病原菌が原因と判明しました。
病気と悪魔の関係は解消し、魔女狩りが無くなったことは良かったと思います。
科学の発達は僅かな知識をもってすべてを測る危険をはらんでいます。
科学がそれまでの宗教に代わっただけですから、人間は科学的知識を盲信しています。
間近に見る月に行くことが精一杯の科学で、宇宙をすべて知ったような錯覚をしています。
宇宙の運行はニュートンが唱えた「万有引力の法則」で説明ができたと思っています。
その宇宙の創造も、「ビッグ・バン」が起こったと簡単に一蹴してしまいます。
科学万能は、正に「浅知恵」と呼ばれるものに過ぎません。
「なぜ宇宙は創られたのか?」「宇宙の創造主はだれなのか?」「宇宙の運行の管理者は?」
などにまったく関心がありません。
「地球が創られた意図は?」「なぜ人間は創造されたのか?」「人間はなにを創造しているのか?」
「人が亡くなったらどうなるのか?」「輪廻転生の意味は?」などの疑問には触れないでいます。
そしてただただ快楽的、享楽的な現実を好み、その現実が大自然を破壊していても関心がありません。
それは政府や研究機関の仕事であり、自分は命じられたことだけしていればいいのだと。
これはかって無限に近い永い期間を奴隷として生きてきたDNAが選択している生き方なのでしょう。
これが土着地球人類の基本的な生き方のスタイルであろうと思われます。
2400年前に現れた釈迦や2000年前のイエスは、そのような奴隷的土着地球人類へ気づきを
もたらすために派遣された存在であったのでしょう。
その後も数多くの存在が派遣されてきましたが、そのほとんどは無視されるか迫害されました。
その中でも一定の成果を挙げた存在もいましたが、その教えは曲解され書き換えられました。
そして真意は多くの人々に伝えられず、また気づくことなく闇に消えていきました。
いまもまた、多くのメッセージが届けられていますが、大部分の人々は日常のマスメディアの方を
信じています。マスメディアは気づくことを妨害するツールです。
かって科学が発達する以前は、大自然への畏敬がありました。
これは単なる迷信や脅しによる恐怖ではありません。
テレビやラジオや新聞、雑誌などがない時代は、誰でも圧倒的に巨大な大自然の中に身を置き、
大自然の大きな営みを感じ、その中で生きてきました。それは特別なことではありませんでした。
中には傲慢不遜な輩(やから)が、わざわざ大自然を冒涜する所業をする者もいました。
そのような輩は大自然の大きな力に叩きのめされました。それが伝説となっています。
関東・秩父の山奥の中津川の杣人(そまびと)=木こり、炭焼きの間に言い伝えられている伝説を
遠藤ケイさんが本にまとめています。
その傲慢不遜な人々と今の一般の人々はまったくと言っていいほど酷似しています。
山の神や川の神から天罰を受けた輩と私たちは一緒なのです。
いつの間にか宗教の支配に対する反動が科学への盲信へ走ったのは理解できますが、自分の中の
神性にいつまでも気づかないのは問題でしょう。
そこにマスコミによる快楽的、享楽的生活への誘惑があります。
自分が気づかないのは自分の選択であることを忘れてはいけないと思います。
参考図書 : 「おこぜの空耳(そらみみ)」 遠藤ケイ著 かや書房刊
情熱はどこにあるのでしょうか?
「あるけど、どこにあるのかは分からない」でしょうね。
昨日開催した「1日リラックスワーク」で情熱のありかを探してみました。
瞑想を誘導して、「手が情熱のあるところへ行きます」と言うと、ほとんどの
人の手が同じ場所に落ち着きました。
情熱の種類によっても、場所が異なることが分かりました。
さらにその情熱を高めていくと胸と背中がとても熱くなり、汗でびっしょり濡れました。
急に思いついてしたのですが、その大きな効果に驚きました。
参加者の中には、「青い炎が氷の中にあった」と言う人もいました。
氷つくようなネガティブなエネルギーなのでしょう。
しかし氷が溶けたと言っていましたから、間もなく解消されるでしょう。
ワークをする度に、いろいろな気づきが起こります。
予想もしないことが起こり、びっくりします。
07年度一般会計予算の概算要求額が、今年度当初予算より約2兆9000億円増の82兆6000億円程度になる見通しとなった。国債の償還や利払いに充てる国債費が、金利上昇の見込みから1兆8000億円増加するほか、地方自治体に交付される地方交付税などが同6000億円増加するためだ。各省庁は31日までに概算要求を財務省に提出する。(毎日新聞2006/08/28)
昨年度より約3兆円の増額です。国民一人あたりの予算は約66万円になります。
4人家族なら264万円の税金が使われています。どこへ使われているのでしょうね?
私たちは自分の存在をほとんど忘れているようです。
自分の人生の中で、社会の中で、世界の中で、ほとんど希薄な存在のようです。
透明人間になってしまったように感じられます。
自分の人生を逞しく生きていく気迫が感じられません。
たとえ自分一人でも、自分の信じることを守り通して主張し、行動する勇気が感じられません。
まるで魂が抜けたかのように、着ぐるみだけが存在しているようです。
人生の目的が、お金に困らなくて楽しい人生であればいいのでしょう。
そこには燃えるような情熱も、困難を乗り越える力強さも感じられません。
これが教育の結果であると言ったら、言い過ぎでしょうか?
日本人は従順であり、礼儀正しく、平和を愛する国民と言われています。
その通りでしょう。
それを裏返して見るとお上意識が強く、命じられたことはするが、自分が考えて行動しない
ということになります。つまり主体性と行動力に乏しいのです。
以前「役人の三無主義」という言葉がありました。
「遅れず、休まず、仕事せず。」というのです。
なにかを市民から頼まれても、「自分の仕事でないから。」「前例がないから。」
「予算がないから来年度で検討します。」などと言って、逃げてしまいます。
役所の中で上役に覚えめでたい人が、能力に関係なく出世する世界です。
上役が自分の地位を脅かすような逸材を身近に置くと思いますか?
私は地方の役所との関係を約40年以上続けましたので、それを強く感じます。
仕事をもらうためには、それ相応の危ない橋を渡ることになりますが、運が悪ければ
「(刑務所の)塀の中」へ落ちることになります。
業者も役人もそれを「運」で片付けています。スゴイ世界があるのです。
こういった連中が、予算に蟻の如くにたかっています。
もちろん先生と呼ばれる衆議院議員が、自分の特権のように配分しようとします。
政党と派閥は、予算分捕りグループの別名です。
その後ろには、選挙資金を用意する利害団体が控えています。
法律の殆どが、この利害団体の要求に従って作られていますが、国民は知りません。
故・田中角栄首相は議員立法の名人として有名でした。
自分に都合の良い法律を大量に作ったのです。それを認めた全議員は同罪です。
政府がいう教育とは、「国家の命令通りに動くロボットにすること。」です。
ですから自分が考えて行動されては困るのです。
いま政府の目指した教育の成果があります。
なんの目的も、情熱もない国民が大部分になったのですから。
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