LORANの日記
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2006年09月07日(木) 稲刈りも終盤です。


千葉県九十九里海岸近くの住まいの周囲は正に田園地帯です。

9月初めには稲が穂をたれて、見渡す限り「黄金の波打つ」状態でした。


いまその60〜70%が刈り取られて、切り株になっています。

収穫したお米を袋へ入れて、軽トラックに満載してJAへ運んでいます。


田圃で稲を収穫しているのは、殆どが老夫婦です。

中にはおじいさん一人が広い田圃の仕事をしています。



私は農家の4男でしたから、今頃は農繁休暇で家族全員が真っ黒になって稲刈りをしていました。

親戚の家のみかんの収穫の手伝いもしましたが、夜明け前からみかん山へ行きました。


そんなに忙しくても誰一人不平や不満を言わないのは、家族の一体感があったからでしょう。

家族が仕事に協力し合うことは、家庭教育の基本でしょう。

仕事に打ち込む両親を見て育てば、仕事に誇りを持つようになると思います。



いつの間にか仕事よりも家族よりも、お金が大切になってしまいました。

お金があればいろいろな物が買えるし、贅沢な暮らしもできることを知りました。


お金は自分が仕事を楽しんだ後の「おまけ」であるはずが、仕事の目的になってしまいました。

「お金があれば幸せ」という資本主義社会を作ってしまいました。


その結果、仕事に誇りを持つ人が激減してしまいました。

「かねに使われるような自分ではない。」と、言い切れる人が少なくなりました。


今日も見た農家老夫婦や老人は、後継者が農業以外の仕事をしているのでしょう。

それは確かに、日本の農業の現状や所得を考えればやむをえない選択でしょう。


しかし家族全員が食卓を囲んで、共に今日一日の労をねぎらう一体感が懐かしいのは

単なる私一人の感傷でしょうか?


一昔前は大家族で心労もたいへんでしたが、貧しいながらも家族が助け合い、いたわり

あって生きていました。

そこには「カギッコ」も孤立した子どもも、今ほどには居なかったと思います。


私たちは「おかね」に心を奪われた結果、なにかたいせつなものを失ったと思います。








2006年09月06日(水) 温泉と癒し


今日、車で10分ほどという近くの温泉へ行ってきました。

人口7,000人ほどの村には不似合いな立派な温泉会館でした。


大小の浴槽がいくつもあり、サウナも2種類、砂風呂もありました。

温泉の設備としては、申し分のないところです。


休憩室は和室の大広間で食堂を兼ねていて、数百人の人が食事をすることができます。

私は入浴後、和室の外のベンチに腰掛けていました。


突然大きな司会者の声と大音響の音楽が聞こえました。

正面の舞台に和服を着た歌手が、マイクを持って踊りながら歌い始めました。


歌謡ショーが始まったのです。

何人かの歌手が古い歌謡曲を歌っていました。

多分お客の年齢層に合わせて選曲しているのでしょう。

最後には太鼓まで叩き出して、部屋がビリビリ共振しました。


ゆっくり温泉へ浸かって、美味しいお酒と料理をいただき、歌謡ショーも楽しめる。

これは絵に描いたような娯楽です。これも立派な癒しです。


一方少ないでしょうが、温泉を静かに楽しみたい人もいます。

こちらは自然が豊かな場所で、鳥の声や風が木の葉を吹き抜ける音を楽しみます。


音楽や料理やテレビやBGMは無用です。

自然の中に身を置くことだけで、自分は満点なのです。

これが癒しの人もいます。


温泉は癒しですが、楽しみ方はいろいろです。

どれがいいとか、悪いとかはありません。


自分が好きなら、そこへ行けばいいだけです。


ところで私は・・・

今日行った温泉は、今日で卒業しました。









2006年09月05日(火) 九十九里海岸


いま千葉県の自宅にいます。

こちらにいるときには、毎朝九十九里海岸へ瞑想に出かけます。

いまは往復17kmの本須賀海岸へ自転車で行きます。


ここは今年初め九十九里海岸へ来たとき、最初に降り立った場所です。

周囲になにもなくて、とても静かなところです。


海水浴シーズンも終わり、海の家の撤収が始まりました。

間もなく以前の静かな海岸へ戻ります。


今朝も波打ち際まで砂浜を歩き、小さなパイプ椅子を置いて瞑想しました。

広大な太平洋と66kmに及ぶ砂浜が溶け合うように拡がっています。


遮るものがないので、すべてが一線上にあります。

この雄大さは他の追随を許しません。


瞑想の良さは、自分と自然の存在に没頭できることです。

この楽しみを知ったら、テレビや映画は玩具でしかありません。


かっては1日に映画館3館をはしごしたほどの映画好きでしたが、思い出すと

ハリー・ポッターの最初の作品以来映画を見ていません。


テレビが無いのですからビデオもDVDも縁がありません。

しかし一人で自然や宇宙の世界を縦横に駆け巡っているので、とても楽しいのです。


太平洋の波が十重二十重と海岸へ寄せてきます。

遠浅ですから遥か向こうで波は砕け、滑るように海水が寄せて来ます。

靴下の中に入るほどの細かな砂は、波に表面を仕上げられてとても美しいのです。


自分一人が大自然の中に居ること。

こんな贅沢をさせていただいていることに、心から感謝しています。



2006年09月04日(月) 夕張市財政破綻に思う


40余年前、約12万人の市民がいた夕張市は、いま1万3000人にまで減少しました。

500億円以上に膨張した借金を処理することができず、「財政再建団体」になりました。

つまり財政破綻して、国の管理下へ入ったのです。


夕張市だけがこのような状態にあるのではありません。

多くの自治体と国さえも同じような財政状態にあります。

国民は自分のことだけにしか興味がないので、これからどうなるのか分からないのでしょう。


全ての自治体や国が破綻したら、凄まじいインフレになります。

かって第1次大戦後のドイツが、敗戦による巨額な賠償金の支払いを求められて財政破綻しました。

敗戦で焦土となり、生産力が減少し、賠償金を支払うのですから、破綻して当然でした。


その時ドイツ・マルクの価値は下落し、紙幣が暖房の薪より価値がないため、薪の代わりに紙幣を

燃やしたと伝えられています。

その後、新しいマルクを発行してインフレを収拾しようとしましたが、旧マルクと新マルクの

交換比率は、1新マルク=1兆旧マルクでした。


いまの日本でしたら、いま使っている紙幣で1兆円=新1円 ということになります。

どれほど凄いインフレだったか分かりますか?


ドイツがこんな絶望的なときに現れたのが、ヒットラーでした。

ドイツ国民がヒットラーに大きな期待を寄せたのも、無理からぬことでした。


ここまでは凄いことになっていませんが、日本の国・地方債の残高が1000兆円だそうです。

これでは間もなく、国民一人当たりの借金が1000万円になってしまいます。



こうなったのは、国民の無関心を利用した税金の使い方に原因があります。

土建国家・日本は税金を新幹線や高速道路建設へ優先して使ってきました。


地方への還元と称して、学校、病院、公民館を建設し、治山治水にお金をかけてきました。

それによって地方の建設業者まで、恩恵に浴してきました。


しかし1990年からのバブル崩壊によって、これまでの構図が破綻しました。

信用組合や証券、保険会社の破綻が相次ぎました。


国も国鉄を民営化するなどして、赤字部門の切り離しに熱心になりました。

郵政の民営化もその一環です。


こうなったのは国民が真実を知ることに無頓着だったからでしょう。

政治のことは政治家に任せて置けばいいと思っていたからでしょう。

その政治家は、選挙資金を提供してくれるスポンサーの言いなりだったのです。

スポンサーは自分の仕事がしやすく、対抗する者の参加を排除することで安泰を図りました。


こうして国民は真実を知ることなく、命令に従順に、与えられたもので満足してきました。

その結果が現在の状況になったのです。


自分が無関心でいても、そのつけは必ず自分が払わなければならないのです。

国民一人当たり1000万円の国債は、国民が払わなければならないのです。



この危機を回避する1つの案があります。

税金の半分以上は公務員の給与です。


公務員を減少させない限り、この問題の解決はありません。

公務員を廃止することが、最も簡単な方法です。


「そんなことができるのか?」ですって?

できます。

公務員のOBがいるではありませんか。


定年退職後の公務員のOBに、半日のボランティアをお願いすることです。

もちろん、定年退職後の人々に様々な仕事をボランティアでお願いします。


各町内にある「老人憩いの家」を託児所にして、老人の皆さんに2時間交代でみてもらいましょう。

高齢化で老人が増加していますが、生きがいが無ければ医療費が増えるばかりです。


老人が若い人たちの見本にならなければ、社会は良くならないでしょう。

社会がこうなったのは、老人に大きな責任があるのですから。






2006年09月03日(日) 徒歩旅行


大村一朗著「シルクロード 路上の900日」(めこん刊)を読みました。

大村さんは静岡県清水市(現・静岡市)出身で現在36歳です。

彼が24歳のとき、中国・西安を出発し、2年5ヶ月かかってイタリア・ローマへ到着しました。


1万3000kmのシルクロードを徒歩で横断すること自体が大変な冒険なのに、彼はあらゆる交通機関を

利用しないという徹底した徒歩オンリーにこだわりました。

また利用する宿も1泊100円、200円の低廉な宿を中心に最も安価なところを探し、無ければテントで

過ごしました。零下10〜20℃の酷寒の場所で、また1週間以上も雨の中を歩くこともありました。


ゴビ砂漠を越えるときには20kgを越すバックパックを背負い、280kmも水の無い地帯を歩くので、

通行する車のドライバーが心配して停まってくれたこともしばしばでした。

しかし自分で歩いて行くことを説明して断りました。




永瀬忠志さんはリアカーを引いてアフリカ大陸1万1000kmを徒歩縦断しました。

そのときサハラ砂漠を2週間ほどで歩ききってしまいました。

永瀬さんはリアカーをひきながら、地球一周4万kmを越える4万3000kmを踏破されました。



徒歩旅行はとても原始的な旅行です。

荷物が重いので1日で約30km歩くのだそうです。


飛行機なら1時間で900km以上遠くへ到着できます。

それなら誰でもできます。


永い年月をかけ思い荷物を背負いながら1歩1歩目的地を目指して歩くことは、自分の人生を見つめ直す

ためにもとても有益と思いました。




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