LORANの日記
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2006年09月21日(木) |
おとなになると・・・ |
子どもの時には朝から晩まで走り回っていたのに、思春期からおとなになると変わります。
よく言えば思慮深くなり、落ち着きが出てきたのでしょう。
子どもの時には自分のしたい放題、言いたい放題だったのに、周囲の人に気を遣います。
それもいいのでしょうが、周囲の人に気を遣い過ぎて自分が分からなくなっています。
子どもの頃、自分が分かっていたかと言えば、それも無理でしょうが、ただただ周囲に気疲れ
して健康を損なう人も珍しくありません。
「いい人は短命」の言葉もあります。
「気配り小渕」と呼ばれた小渕恵一総理大臣は在職中に亡くなりました。
おとなになって処世術だけが上手になっても、それがおとなになったと言えるのでしょうか?
自分を相手に合わせているだけなら、自分の人生はいつ実現するのでしょうか?
周囲の人のご機嫌を取ることよりも、もっと大切なことはないのでしょうか?
植物人間になってしまったら、一人で自分の人生を生きることはできません。
ただ呼吸をし、脈拍があるだけでは、自分の人生を生きているとは言えません。
自分一人であっても人生を生き抜いて行く気概がなければ、自分の人生を生きたことにはなりません。
例えその人生が富や名声と無縁であっても・・です。
2400年前のお釈迦様は、王子の生活と両親、妻子を捨てて、苦行の世界へ入りました。
2000年前のイエス・キリストは家族を捨ててガリラヤ湖畔で説法し、十字架に架けられました。
先人は自分の信じる道を貫き通す生き方を、私たちに見せてくれました。
「では、あなたはどう生きるのですか?」と、私たちは尋ねられています。
自分の信じる道を生きるためには、自分が納得できる理由が必要です。
その理由を得るためには、自分がいつも真摯に学ばなければなりません。
その対象は書物だけではなく、大自然、大宇宙の森羅万象のすべてです。
そしてそこから導きだされた答えは、誰かと一致する必要はありません。
ですから、「我一人にても行かん。」という言葉になります。
毎日、他人のことばかり気にしてテレビを見るだけでは、自分を知ることはできないでしょう。
社会情勢を知ることが、自分を知ることよりも優先するとは思いません。
日本は戦後、アメリカのおかげで小作人は解放されて地主になりました。
それまで無かった普通選挙権を獲得し、自分が政治家を選ぶことができるようになりました。
封建的天皇制や軍部の威力がなくなり、民主的になったと思われています。
確かに占領軍が実施した農地解放は日本の有効需要を創るためには絶大な効果がありました。
全国農業協同組合中央会(JA全中)に、恩人・連合軍最高司令長官マッカーサー元帥の銅像
が無いのはふしぎなくらいです。
しかし世界の歴史を見ていると疑問を持たないわけにはいきません。
人類最古のメソポタミア文明から6000年、エジプト文明から5000年、中国文明から
4000年を経過していますが、人間の歴史=戦争の歴史です。
日本は戦後60年間戦争をしていない先進国唯一の国と言っていいでしょう。
超大国・アメリカは戦後だけでも、どれほど戦争を続けているのでしょう?
日本が戦争を止めてから60年間、アメリカは毎日戦争を続けているように見えます。
ではアメリカは誰のために毎日戦争をしているのでしょうか?
それは「全アメリカ国民のために」という大儀があることになっているでしょう。
では全アメリカ国民は大きい戦争だけでも、第1次、第2次世界大戦から朝鮮、ヴェトナム、
湾岸、イラク戦争と毎日のように戦争を続けたいと思っているのでしょうか?
戦争をすれば家族が徴兵で兵役にとられて、戦死するかも知れません。誰が望むものですか。
それなら全アメリカ国民が反対すれば、戦争は無くなるはずですね。
でもそうならないのはなぜでしょうか?
戦争が無くならないのには理由があると思います。
多分最大の理由は、「国家は私物」だからでしょう。
日本が戦争に負けたのは、日本の支配者とアメリカの支配者が戦って、アメリカの支配者が
勝ったからです。
その後、北朝鮮の支配者とアメリカが戦い、休戦して今に至っています。
北朝鮮の支配者は親から息子へ代わりましたが。
イラク戦争もイラクの支配者サダム・フセインとアメリカの支配者との戦いでした。
これもアメリカの支配者が勝ちましたが、その周囲の国の支配者との緊張が高まっています。
イスラエルの建国も、ユダヤ国家を再建したいというユダヤ支配者の希望が実現しました。
そこにあったイスラム国家の支配者との戦争は起こらざるを得なかったでしょう。
サウジアラビアという国名は「サウド家のアラビア」という意味ですから明解ですね。
こうして考えていくと、「国家はすべて私物である」と定義できるでしょう。
すべての戦争は宗教的、民族的な理由があっても、最も大きな理由は支配者同士の国の
取り合いだったのでしょう。
宗教的、民族的な理由は戦争を正当化するために作られたのでしょう。
それならもう、支配者の言いなりになる必要もないでしょう。
支配者が作ったシステムから脱出してもいいと思います。
ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。(時事)
このローマ法王ベネディクト16世の発言によって、イスラム圏内のキリスト教会に放火などの抗議が続いています。
ベネディクト16世は自分の発言を慌てて訂正していますが、混乱は続いています。
バチカンのサン・ピエトロ寺院での前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の歴史的謝罪は、新ローマ法王の泥足で汚されてしまいました。
「ローマ法王のヨハネ・パウロ二世(79歳ポーランド出身264代目の法皇)が三月十二日、バチカンのサンピエトロ寺院で、過去2000年間にキリスト教会が犯した罪を認め、神の許しを請うミサを行った。(2000年3月13日NHK朝のニューズ)」
ヨハネ・パウロ2世が2000年3月12日のミサで懺悔した内容は以下の通りである。
1.歴史上、あなたがた神の子(ユダヤ人)を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓う。
2.(十字軍遠征、異端審問などでは)異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。
3.(アフリカ、米大陸などへの布教では)人種、民族的な差別に基づいた排他的な行いがあり、罪深いふるまいがあった。異人種の権利を迫害し、彼らの伝統的宗教や文化に対する侮辱的な態度を取った。(毎日新聞二〇〇〇年三月十三日より)
現在の世界の混乱の原因は、先進国白人諸国の植民地政策にあります。
その植民地政策へ正当化のお墨付きを与えたのは、当時のローマ法王でした。
大航海時代、カトリックの世界宣教にはスペイン、ポルトガルによる武力征服の隠れた目的があった。両国の「世界二分割征服論」という荒々しい野望を推進させたのは、1493年の法王アレキサンドル6世の勅書である。異教文明の征服と破壊はここに始まり、多くの悲劇が生まれた。
植民地の宗教をすべて邪教と決め付けて徹底的に破壊し、関係者を迫害したのは法王の命令でした。
79歳のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、最後の仕事として、キリスト教徒として懺悔したのでしょう。
そんな前ローマ法王の思いを、現ローマ法王は無残にも踏みにじったのでした。
しかし、彼を責めても仕方がありません。
彼は正しくローマカトリックの頂点に君臨する代表者なのです。
つまり彼の発言こそが、正当なカトリックの意見を代表しているのです。
私たちは、その事実を客観的に観察していればいいのです。
2006年09月15日(金) |
本日(9/15)〜19日まで愛媛県です。 |
間もなく羽田空港へ向かいます。
今日から19日まで愛媛県今治市にいます。
しまなみ海道の南端、来島海峡のほとりにいます。
ここは瀬戸内海きっての潮が早い難所として知られています。
台風13号が沖縄に向かっているそうですが、ここ千葉はよく晴れています。
昨夕、富士市から1週間ぶりに帰宅したのですが、長袖が欲しいほどに涼しいのです。
暦通り秋は深まっています。
人は目の前のことに気を取られて、周囲の自然の移ろいに気づきません。
正に自分自身が自然の存在であることさえ忘れて、人工的環境に慣れてしまいました。
その弊害でアトピーやアレルギーが、半数以上の児童に現れているのに気づきません。
これはマスコミ偏重が主原因であると思われます。
テレビ映像はどんなに美しく映しても虚像でしかないのに、実像と錯覚しているからです。
そのために、自分自身の人生もまた虚像になってしまいました。
自然環境から遊離しているのに、それでいいと思っているのですから。
どうぞあなたを取り戻してください。
あなたの人生を自分の足で歩いてください。
そうすれば、きっとあなたは幸せを感じるでしょう。
今日は朝から雨でした。
富士市から東名高速道路、渋滞の16号線と湾岸線を通り、アクアラインをくぐって
房総横断道路で九十九里海岸近くの自宅へ帰りました。
16号と湾岸線は強風で、横浜ベイブリッジとツバサ橋の上では煽られました。
それにしても今年初めからずっと、ぐずついた日が多いのに気になります。
日照不足で農作物に影響が出なければいいのですが。
また雨が多いと農作物にかび類が繁殖し、病気が出ることもあるそうです。
夏は猛烈に暑いくらいがいいようです。
千葉へ来たら気温が低くて驚きました。
スーパーマーケットでは、買い物客が厚いトレーナーをしっかり着込んでいました。
短パンとTシャツの私たちが、季節外れのようでした。
私たちは「すべては光」であると思っています。
「光」が強ければ、その人は元気で健康です。
もし「光」が弱ければ、その反対の状態になります。
太陽の光に当たると、皮膚がんになるという宣伝がされて、UVカットの商品が販売
されていますが、皮膚がんとは大げさ過ぎると思われます。
私は数年前まで建設業界にいましたが、毎日屋根に上っている瓦職人やぺんき職人に
皮膚がんが発生したというニュースを聞いたことがありません。
それよりも骨粗しょう症を防止のため、カルシュームを摂取しても太陽光線に当たら
なければカルシュームは骨格へ定着しないそうです。
更にこのぐずついた雨や曇り空では、「光」が人体にも不足がちになるかも知れません。
天気のよい日にしっかりと太陽に当たってほしいと思います。
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