LORANの日記
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2006年09月29日(金) 失う勇気


勇気には大きく分けると2種類あるようです。


1つは獲得する勇気です。

一般にはこの勇気を勇気と言っているのでしょう。


もう一つは失う勇気です。

こちらは目立たないので、あまり評価されていないようです。


獲得する勇気は、挑戦して達成する華々しさや周囲の賞賛があります。

競技や試験、冒険などの困難や難関を突破する達成感や満足感があります。


失う勇気はとても目立ちません。

例えば、恋人を失ったり、手術で胃を摘出したり、会社を辞めたり、離婚したり、

火事で家を焼失したり、会社が倒産したり、配偶者が亡くなったときなどです。


このような失意のとき、その人の勇気が試されます。

勇気があれば、このような危機を越えることができます。


もし勇気が無ければ、重い重圧に負けてしまいます。

自棄(やけ)になって酒に溺れたり、自殺したり、自分を破壊する行為をします。


他人は同情はしてくれますが、苦境にある人の真の心情までは分かりません。

たとえお金持ちがいても、「これを使え」と100万円、200万円を与えません。


「この世は薄情」と、初めから割り切っていなければ、やっていられません。

「援軍来らず」と覚悟を決めていなければなりません。


ですから、いつも万一の場合の覚悟がなければなりません。

その覚悟ができていないから、失う勇気がないのでしょう。


失う勇気がなければ、その事態を受け入れることができません。

こんなことが自分に起こったことを恨み、呪うばかりです。

周囲の人が援助しないことに怒り、恨みます。

自分の人生を恨み、呪います。

そして自棄酒(やけざけ)を飲み、健康を損ねて死に至ります。


失う勇気があれば、起きた事態を静観し、

「こんなことは人生には付き物だよ」と、潔く受け入れることができます。


事態は最小限の被害で収拾され、数年後には今まで以上に元気に活躍しています。

真の勇気は、失う勇気にあると思います。


2006年09月27日(水) 当たり前のこと


当たり前のことを忘れていませんか?

楽しいこと。

幸せなこと。

健康でいること。

平和で穏やかなこと。


これらは当たり前のことですね。

特別なことではないから、努力はいらないのですね。


だって、あなたが幼い日にはそうだったでしょう?

毎日が楽しくて、幸せで、健康で、平和だったでしょう?


幼いあなたの写真を見てご覧なさい。

こぼれるばかりの笑顔のあなたがいるではありませんか。



楽しいこと。

幸せなこと。

健康でいること。

平和で穏やかなこと。


それは当たり前のことですね。

それが当たり前にならなくなったのはなぜでしょうか?


あなたが周囲に気を遣い始めたからではありませんか?

あなたが周囲の人と比較をしたからではありませんか?


もっと幸せにならなければならないと思ったからではありませんか?

そのためには、もっと努力しなければならないと思ったからではありませんか?


自分がいやなことでも、我慢しなければならないと。

やりたくない勉強や仕事もしなければならないと。


いつの間にか人生は灰色になり、人と会うのが楽しくなくなり、健康は優れなくなり、

気持ちは穏やかでなくなったのではありませんか?


自分の夢や希望は、現実の義務と責任に代わってしまいました。

キラキラと輝く眼差しは、いつの間にか輝きを失いました。



もういいではありませんか?

あなたが求めていたものは無かったことに気づいても。


「青い鳥」を探しに行ったチルチルとミチルは、どこで「青い鳥」を見つけましたか?

「青い鳥」はあなたの中にしかいなかったのではありませんか?



楽しいこと。

幸せなこと。

健康でいること。

平和で穏やかなこと。


それはすべて当たり前のことだったことに気づいても。


2006年09月26日(火) 神がいる国??


「水木しげるの大冒険・幸福になるメキシコ」(祥伝社)を読んで、神がいる国について考えました。

本来は自然信仰でしたから、世界中どこにも神や精霊、妖怪、シャーマンがいたのでしょう。

それは自然のすべてと同じであり、自然の別の名であったのだろうと思います。


大きな山はそれだけで特別な存在感があり、そこから幾つもの川が流れ出し、その流域には

恩恵を受けて多くの森ができ、そこには多くの動物や鳥が住み、川には魚が群れたのでしょう。


その恵みを受けて人々が住み着き、集落はいつか町になったのでしょう。

大きな山は冬には雪をいただき、美しさと威厳を示していたのでしょう。


大きな山も流れる川も森も風も、そして海も人々に無限の豊かな恵みを与えてくれました。

そのすべてに人々は畏敬と感謝をしながら、営々と暮らしてきたのでしょう。


その畏敬は、そこに神を見、精霊を見つけてきたと思います。

その畏敬は、とても自然で健全な反応であったと思います。


しかし人間が社会生活を中心にしてから、自然との結びつきは急速に弱まりました。

科学の発達は小ざかしい浅知恵を与え、自然の畏敬を非科学的と決め付け、迷信にしてしまいました。


科学はまだ幼稚の範囲にあるのに、人間の限りない欲望とつながり、人間万能の思い上がりを

増徴する結果になりました。


人間万能の思い上がりは、まるでシロアリが木造船を食うが如くに地球を蝕んでいます。

このままシロアリが船を食っていったら、船が無くなったときどうするのでしょうか?


それでもシロアリが船を食い続けるのは、人間の欲望を止める理性が無いからでしょう。

その理性は自然に対する畏敬そのものだったと思います。


何物も畏れないことは、欲望が止まらないと同じです。

これは自己崩壊を起こしているのですから、自殺行為と同じです。


人間の浅知恵は人類を滅亡へ追い込んでいます。

子どものアトピーやアレルギーが50%を超えていることが証明しています。


この症状は自然の汚染度に比例して増加しているのです。

人間の反省が自然を破壊することを止めさせなければ、子どもたちは一生苦しむでしょう。


昔も今も大自然は、私たちの母であり、神であるのです。

先進国ではない国々では、いまも神や精霊は生き生きと人々と共に存在しています。


2006年09月24日(日) 空虚な言葉


テレビから聞こえてくる声は、どうしてあんなに空虚なのでしょう。

あわただしく、甲高く、自己主張しています。


こんなに便利で、こんなに快適・・・

世界のあそこで、ここでこんなことが起こっていると。


そのすべてが空虚に聞こえるのはなぜ?

「こんなに真実を伝えている」と言う言葉に、真実味がないのはなぜ?


真実はとても重い。

たとえ蟻一匹でも、人一人でも。


その存在が真実だから、その存在はとても重いのです。

たとえその人が亡くなる寸前であっても、その目の微かな輝きは真実の重みがあります。


しかし聞こえてくる言葉は空虚です。

それを話す人の真実が希薄だから。

その人の人生が真実から離れているから。

その人の情熱や気迫がないから。


そんな空虚な言葉で社会が構成されているから、社会は空虚です。

そこに住む人の意識が希薄だから。

生命の火が微かだから。

人々の目に光が宿っていないから。


言われたことに忠実に。

自分の気持ちを抑圧し、制御できることが大人の資格。

いつの間にか子ども時代の夢や希望は薄くなり、義務と責任で押しつぶされます。


口を出る言葉は、相手が求める言葉になり、

その裏側には悲しみと怒りの赤黒い色。


言葉は本来が神聖であり、愛を語り歓びを語り合うもの。

そこから新たな生命が創造されるはずのもの。


もう一度、思い出してほしい。

あなたが言葉を覚えたばかりのときを。


あなたと両親の言葉の温かさを。

きっとそれをあなたは忘れていないから。


2006年09月22日(金) 消費社会

広告やCMなどの媒体、モデルチェンジなどを利用し、「不必要なものを必要なものである」と消費者の購買意欲をそそることによって、消費活動が行われる社会。
ジャン・ボードリヤール(フランス、1929〜)などに代表される、現代の先進国を捉える見方としても位置づけられる。
日本をはじめとする先進国では、人々は、生活のために必要なものはほとんど保有している。
しかし、現在の経済活動が拡大再生産のもとに成立しているという立場において、企業としては商品を売って利益を上げることが最大のミッションとなる。
こうした考えから、「持っていないと時代遅れだ」「持つことによって、個性的になる」などと消費者を煽ることとなる。
消費社会において、商品は「どんな自分にみせたいのか」を示すためのものになっており、その本来の性能が評価されてはいない面も指摘される。
このような、不必要なものを売るという消費社会の構造が、大量生産・大量消費・大量廃棄を生み出し、環境問題を引き起こす原因であると指摘されている。
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1275


消費社会は無限の資源と無限の大きさの地球がなければ、継続は不可能です。

既に化石燃料である石油は枯渇しかかっていますし、石油の燃焼による炭酸ガスによる

大気汚染や温室効果は、海面の温度上昇による蒸発を同大させて大雨や洪水を引き起こ

しています。他方、気温が上昇し乾燥が進む地域もあります。


代替燃料の開発は石油産業による圧力のせいか、遅々として進みません。

そんな中でTOYOTAがハイブリッド車を商業生産しているのは、特筆に値するでしょう。


現代人のテレビ好きは、異常と言えるでしょう。

1日8時間以上も見ているテレビが放送していることは、潜在意識に入り思考を支配します。

朝から眠るまで「買え、買え」と言われ続けたら、買うことが当然になってしまいます。


このような商業放送局のコマーシャルを野放しにしていては、消費経済は改まらないでしょう。

テレビや新聞などのマスコミの暴走は、報道の自由ではなく、意識の混乱が目的です。

マスコミに意識を操作されたら、自分の意識を守ることは困難です。

24時間テレビなどは、寝不足になり健康のためにもよくありません。

酒やタバコなど中毒を起こす商品の宣伝は、本来してはならないでしょう。

ましてやサラ金の宣伝などは、もってのほかでしょう。


なによりも先ず、消費者=視聴者の意識レベルが改善に向かう必要があります。

そのためにはなにができるかを、真剣に考える時期に来ていると思います。


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