LORANの日記
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2006年10月10日(火) 新しい社会



「人は働かなければならない。」と思っています。

「生活資金を得るために」という理由が一番多いのでしょうね。


もし支払うお金が少なくなれば、働く時間は少なくなると思います。

では支払うお金を少なくするには、どうしたらいいのでしょうか?


「買い物は100円ショップで済ませる。」という買い方もあります。

「できるだけ物を買わない。」のは賢明な方法です。


「公園の青シートで暮らせば、家賃や税金、電気代、水道代など節約できる。」

という究極の選択もありますが、これからの季節はつらいものがあります。


実は根本的な解決方法があります。

多分生活費は半分になるでしょう。


公務員制度を廃止すればいいのです。

「え〜、そんなことをしたら、誰がみんなの面倒を見るのですか?」ですって?


「みんなで見るのです。」

「だって仕事があるのですよ。」


「そうです。ですから退職者を中心にお願いするのです。」

「退職者にできるのですか?」


「退職者の中には公務員だった人もいます。

 その人たちに指導をお願いして、みんなが協力するのです。」


「退職者はお年寄りでしょう?

 お年寄りにできるでしょうか?」


「できますとも。

 出勤のローテーションを細かく組めばできます。

 Aさんは1週間のうち月曜日と木曜日の午前中、Bさんは同じ曜日の午後とか。

 ほかに2時間ならOKとか、1時間ならOKという人たちとチームを組みます。」


「なるほど、短時間で毎日でなければできるかも知れませんね。」

 専門のお仕事はどうしたらいいのですか?」


「もちろん専門のお仕事も同じです。

 専門のお仕事に従事した退職者をリーダーになってもらい、他の人は指示に

 従ってお仕事をされればいいでしょう。」


「老人の介護はどうしたらいいのですか?」

「これが実施されたら、家族は仕事に行かなくてもいいようになるでしょう。

 そうなれば、介護は家族ができます。

 しかし家族にだけ介護をさせたら、家族がまいってしまいます。

 それで同じ地区の人々が互いに手を貸すケアセンターを作り、そこでローテーション

 を組んでいただくようになります。」


「保育園や幼稚園はどうなるのですか?」

「同じ地区の保育士の経験があるかたにリーダーになっていただき、お母さんや

 育児が終わったお母さん、これからお母さんになる方に手伝っていただきます。」


「なるほど、すべて経験者がリーダーになって、他の人がローテーションでお手伝い

 するのですね。

 学校は教員経験者がリーダーになるのですか?」


「学校は本来、文部省の管轄です。

 これは国家を存続するための方法です。

 国家は教育と軍隊の2本の柱を持っています。

 私は究極的には、どちらも無用になると思います。

 しかし、現在はその過渡期ですから、教員経験者にお願いします。

 それが順調に進んだら、寺子屋方式にしたいと思います。」


「寺子屋ですか?」

「そうです、寺子屋です。

 明治時代に西洋式学制が導入されるまで、寺子屋教育でした。

 お寺で和尚様が、商家のご隠居が、近所の子どもに読み書きそろばんを教えて

 いました。

 寺子屋では士農工商などの差別は無く、孔子の大学などの講読を行いました。

 いまより遥かに高い教養を身につけていたと思います。

 ですから、明治維新を担った若者は、20〜30歳代であったのも理解できます。」


「このような計画が実施されたとして、結果はどうなるのですか?」

「いくつかの利点が挙げられます。

 第1には、公務員給与が無くなることで、税収の50パーセント以上が削減できます。

 つまり税金が半分になるということです。

 これは商品価格に反映しますので、多分価格は半額になるでしょう。

 そうなれば生活資金が半額になるので、働く時間も半分になるでしょう。


 第2に、高齢化で老人が急増しています。「団塊の世代」が定年を迎えたからです。

 少子化で若者が減少しているのですから、高齢化の負担に耐えられるはずがありません。

 それでこのような相互扶助の社会を必要としているのです。

 老人から仕事を奪ったら、生きがいが無くなり、ボケが進むことは実証されています。

 いままで培った経験を活用していただき、再度現役として活躍する場を提供しましょう。

 お互いに尊敬される関係が社会を豊かなものにすると思います。」


このような社会を至急作らなければ、すぐに行き詰ります。

最近の地方自治体の財政破綻が、それを証明しています。


2006年10月09日(月) あなたの真実


人は「真実」が好きです。

「真実」を捜し求めることが人生なのかも知れません。


人は宇宙の真実、地球の真実、自然の真実、人の真実などを求めてきました。

これはBC400年に生きたソクラテスの疑問と同じです。


彼の疑問は同時代に生きた釈迦、400年後に生きたイエスと同じです。

これらの疑問が次第に専門化されて、科学や宗教になったと思われます。


私は「真実とはその人である。」と思います。

一人ひとりが異なるのですから、真実は異なります。


「共通の真実はないのですか?」と問われれば、共通認識はあります。

地球が丸いとか、朝日は東から昇るとか、水は高きから低きへ流れるなどです。


これらの共通認識は、確かに「真実」に違いありません。

信じる人にとっては、「真実」だからです。


「では、自分の信じていること以外には真実はないのですか?」という問いには、

「真実はあなたですから、あなたが思い出したことは真実です。」と答えます。


多くの人はこの答えに納得できないでしょう。

それは、すべてが平等であるという偽りを信じているからです。


よく周囲をご覧なさい。どこに平等がありますか?

あなたは毎日食事をして、暖かい寝具で眠ることができます。


しかし、世界中に数百万人もいるストリートチルドレンの中には、一度も暖かい

寝具で寝たことがない子どももいるのです。


今現在も4千万人もの難民が寒空の下で震えていますし、同数のエイズ患者が

死の恐怖の中に震えています。


このような人々とあなたが平等なのでしょうか?

平等なのは、同じ地球上に生きているという「真実」だけなのです。


ですから「真実」は人の数だけあります。

地球上には人間だけで、64億人の真実があります。


その「真実」は一人ひとり異なります。

その「真実」は、気づく度に変化します。


どうぞあなたの「真実」に気づいてください。

もしもあなたが自分の「真実」に気づけたら、あなたの人生は変わるでしょう。


今よりもきっと、自信に溢れた元気なあなたになるでしょう。

他人やお金や仕事に依存することは無くなるでしょう。


テレビや新聞などのマスコミに踊らされることもなくなるでしょう。

その結果、とても静かで落ち着き、ゆったりとした人生になることでしょう。


あなたが自分の真実に気づく日を、あなたた自身が待っています。



2006年10月08日(日) 大阪から帰りました。


3日間大阪にいました。

中之島のホテルへ2泊しました。

国際色豊かなホテルで、最初は驚きました。


なんば駅の上のビルで2日間のショップを開きました。

ここは繁華街のど真ん中で、同じビルのB2,B1がパチンコ店でした。


向かいのアーケ−ドを夕方歩いて驚きました。

まるでお祭りか、ラッシュの駅構内のような人の渦でした。


ビ○○・カ○○という家電の大手の巨大なビルがありました。

店内の人の多さに驚きましたが、それ以上に店員さんの多さにビックリ。


数百人?の若い店員が店内くまなく配置されていました。

キャンペーン中なのか、ミニスカートのユニフォームの女性も多くいました。


店内アナウンスは早口で切れ目無く、特売の商品をしゃべり続けていました。

外に出ても、あちこちの店で呼び込みをしていました。


これが都会なのだと痛感しました。

これが人間が求めていた世界なのだと。


私は富士山の麓、富士市で生まれて育って60余年になります。

富士市にいなかったのは、学生時代の4年間と7年前の半年?間です。


周囲が田んぼの住まいでしたが、2ヶ月前に千葉・九十九里海岸へ引越しました。

人口は富士市の1/5。 5万人の小さな町です。

ここは周囲の騒音が、ほとんど聞こえません。


夜は冷たい海風に乗って、潮騒がゴーゴーと聞こえます。

静かになれば遠くの音が聞こえるので、無音にはなりません。

自然の音は耳に心地よく、気持ちも安らかになります。

時間はとてもゆったりとしています。



こんなところから繁華街へ行くと、全くの別世界です。

人工的な自然がありますが、イミテーションですからドライフラワーのようです。


人は群集という群であり、個人という存在は消えています。

同じ顔、同じ服装、同じ買い物袋、同じスピードで歩いています。


まるで映画を見ているような錯覚に囚われます。

「この人たちは何を考えて生きているのだろうか?」と。


ショップを早めに片付けて富士市へ帰りました。

私は都会で生きることは不可能であると痛感しました。


人間の未来は、決して楽観できないと感じました。




2006年10月06日(金) トラブルの原因は?


人生いろいろなトラブルが発生します。

トラブルが起きたらどのように対処したらいいのでしょうか?


先ず、被害を最小限に食い止めること。

事後の復旧や対策の早期策定、早急な回復作業でしょう。


ここで忘れてはならないのは、トラブルの原因究明です。

第1には直接的な原因を究明しなければならいことは当然です。


次にはシステム上に原因がないかどうかです。

どうしてトラブルになるまで気づかなかったかという原因のことです。


そして最後に大切なのは、トラブルが教えてくれているメッセージです。

「もうこの仕事は終わりにしなさい。時代に合わないから。」などです。



これらの原因追求の作業をしないで、復旧のみに関心を持っていたら、

いかに注意してもトラブルは繰り返されるかも知れません。


最近私の知り合いが2人入院されました。

2人とも還暦を迎えられているので、体力の限界かも知れません。


そのお一人は間もなく脳の手術を予定されています。

順調な手術と回復を祈るばかりです。


人生は学びともいいます。

60歳を過ぎてからの学びとはなんでしょうか?


人それぞれの学びが異なるのは当然です。

しかし人生50年を過ぎたら、無理をすれば寿命が無くなります。


それを覚悟で物事に対処するのは当然です。

願わくば、老後は悠々自適の生活をされますように。




2006年10月05日(木) 新しい段階へ入りました。



「新しい段階」と言っても、なんのことやらお分かりにならないでしょうね。

私たちは毎日ワークをしています。


毎朝海岸まで歩き、日の出の朝日を浴びながら瞑想をしています。

私は千葉県九十九里海岸近くへ移転したので、歩いて10分足らずに海岸があります。


自転車で片道30〜40分のところに本須賀という海岸があり、そこへ行っています。

今朝は小雨交じりの天気でしたが、濡れるのを覚悟ででかけました。


さすがに海岸には人影がありませんでした。

右手はるかに2〜3人のサーファーが見えました。


空を覆う厚い雲の中から、時折ジャンボジェット旅客機が姿を見せます。

ここは成田空港へ着陸するコースになっていて、多いときは5機も連なっています。


海鳴りが低く鳴っていますが、風は強くありません。

浪打際へ小さな板を置き、折りたたみの小さなパイプ椅子を置いて座ります。


今朝は自分の中の悲しみのエネルギーを取り出しました。

その後、過去のすべてのエネルギーが出て行きました。


猛烈な吐き気がしますが、内容物が出ることはありません。

周囲に人がいないので、心置きなくできます。


しばらく経つと、ようやく治まってきました。

ふと気がつくと、巨大な「光の存在」が私の前に立っておられました。


私は私と「光の存在」の様子を右手から見ていました。

「光の存在」の巨大な「光の剣」が頭上から降り下されました。


私は着ぐるみが真っ二つになり、中から光輝く存在が出てきました。

新しい段階とはこのことです。


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