LORANの日記
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2006年10月21日(土) 忠君愛国


「忠君愛国」という言葉を知っていますか?

いま70歳以上の人は、戦時中に骨身に沁みるほど教えられたことです。


政治家の中には、今もこの時の教育が基本になっている人がいます。

それで「道徳教育」に熱心なのでしょう。


皆さんは疑問を持ちませんでしたか?

なぜ道徳教育で「忠君愛国」を教えられるのかと。


いまでこそ、「忠君」の二文字は表面に見えなくなりましたが、戦時中は

すべてに「忠君」が優先していました。もちろん国民の生命よりもです。


今でも「愛国」という言葉の裏には、「忠君」がセットになっています。

日本は「象徴天皇制」を標榜していますが、実態は以前として「天皇制」です。


国会の開会を宣言するのも、内閣総理大臣と大臣を任命し、大使を任命し、

パスポートには天皇の臣民であるという「菊の御紋」が押されています。


これは天皇が最高権力者であり、大臣や大使は天皇の意向を政治や外交に

反映させなければならないということです。

国民の証明をするのは、総理大臣や外務大臣ではなく、天皇なのです。


私は「天皇制擁護者」でも、「反天皇制」でもありません。

実は私は「天皇制」があっても、なくても興味がありません。


ただ昨今の政治の流れは、大変危険を孕(はら)んでいると感じます。

いつ日本が戦争に巻き込まれても、不思議ではないと思うからです。


「愛国」や「親に孝行」は政府や学校で教えられることではありません。

政府の教育機関が学校ですから、政府と学校は同じですが・・・


誰でも自分の親や家族は大好きです。

そんなことは教えられなくても知っています。


苦労をしながら自分を生み、育ててくれた両親が大好きだから、年末年始、

お盆には日本中の人々が里帰りするではありませんか。


しかし「愛国」は違う匂いがします。危険の匂いです。

誰でも自分の母国・日本が大好きです。日本人である誇りもあります。


それは自分の家や家族と同じ感覚です。それだけで十分です。

1億2千万人の国民が等しく感じていることです。


政府や学校でいう「愛国」はその感じではありません。

そこに戦争の匂いを感じるのは、私だけではないでしょう。


権力者は政治は国民のためと言い、国民から富を奪ってきました。

所得が増え、便利で快適な生活を与えられたと喜んでいたら、いつの間にか、

国公債の支払いを押し付けられています。

一人当たり間もなく、約1000万円です。


4人家族なら約4000万円。こんなに貯金がある家庭ばかりでしょうか?

誰もこんな国を命がけで守ろうと思わないから、「愛国」を強制しています。


「愛」が強制でないことは知っているはずなのに、どうしたのでしょう?

「愛」はこころの奥深くから自然に湧いてくるはずなのに・・・



2006年10月20日(金) セイタカアワダチソウ


先週から千葉・九十九里海岸近くへ来ています。

私が7月から住んでいる場所は、別荘分譲をした区画らしく、

お洒落な外観の住宅が多くあります。


近所に空き地が多く、建物が建てられていない区画は2〜3倍

以上でしょう。

そこにいま、セイタカアワダチソウが咲いています。


その名の通り、草丈が1.5mもあり、それが数百坪も黄色い

花を満開に咲かせています。


春の菜の花は背も低く、穏やかな感じをうけますが、こちらは

空き地を占拠するかのように、圧倒的な力で繁茂しています。


「里の秋、セイタカアワダチソウで満たされる。」LORAN


あちこちの空き地や休耕田、分譲地などに、旧来のススキに替

わって、色鮮やかなセイタカアワダチソウの群落が見られます。


数十年間で全国を制覇した北米産の帰化植物だそうです。

アメリカの貿易や金融の自由化を、象徴しているように思われます。


ハチミツを取るのに利用されると書いてあった記事を見ましたが、

今年もきっとたくさんのハチミツが取れることでしょう。


2006年10月19日(木) お粥(かゆ)の中





私たちは、まるでお粥(かゆ)の中にいるようです。


お粥の食器は人間社会です。

お粥は人間のエネルギーです。


一粒一粒のお米が、一人ひとりのエネルギーです。

一人ひとりのエネルギーが混じり合い、お粥のようにどろどろ状態です。


どれが自分のエネルギーなのか判(わか)りません。

どこまでが自分のエネルギーなのか判りません。


ただどろどろに溶けて混じりあい、お互いに影響しあい、

相手のエネルギーと自分のエネルギーが混然となっています。


ですから、自分が誰なのかも判りません。

自分がどう生きればいいのかも判りません。


みんなもそうだからと自分を慰め、

少しでも遅れをとらないように努力をします。


みんなと同じお粥にならなければ・・・

その中でも大きいお米でありたいと願って・・・


いまのあなたの状態が、あなたが求めてきた結果です。

それがあなたにとって好ましくても、好ましくなくても。


もしあなたがいまの状態に満足していないのなら、

私に一つの提案があります。


「お粥の食器から出てみませんか?」

「そんなことをしたら、たちまち干からびてしまう。」ですって?

そうです。干からびてしまうかもしれません。


でもあなたは自分の真実を知りたいと思ってはいませんか?

だからお粥の中にいても、満足できないのではありませんか?


もしあなたに勇気があるなら、お粥の食器から出てみてください。

そこには豊かな自然があります。


人や物やお金はなくても、ゆったりとした時間が流れています。

干からびるかどうかの心配は、それから先のことです。


私はあなたの生活の保障はできません。

でもあなたはきっと干からびないで、輝くお米になると思います。


2006年10月18日(水) 優しさと・・・


昨日のつづきです。


優しさはたいせつですが、そこに強さが必要だと書きました。

その強さは腕力や武力、暴力ではありません。


自分の中にある意識の力を言います。

意識の力は、規制や制限と異なります。


「こうしなければならない」と思っても、それが不安をベースに

していれば、規制や制限になります。


それがもし、自分のこころの奥底から湧き上がってくるのなら、

自らを動かす原動力であり、勇気になります。


このように同じ言葉でも、その原因たるエエネルギーによって、

まったく反対の結果になるのですから、注意が必要です。



「愛」という言葉は誰でも好きですが、思いや行為は反対になるこ

とが多いので、注意を必要とします。


「愛」があるから相手の裏切りを許せないと言う人がいます。

そして相手の非を責め、終には破局に至ります。


「愛」があるから相手の非を許す人がいます。

相手も寛大なこころを汲んで、2度と同じ非を犯さなくなります。


「愛」は執着ではなく、開放です。

制限や規制ではなく、許しと自由です。


大好きな小鳥を鳥かごで飼う人もいれば、育つ環境へ開放する人もいます。

それはその人の意識の問題であり、善悪の問題ではありません。



法律を犯さなければいいと思っている人が多くいます。

法治国家だから、法律を守ることは当然でしょう。


しかし本来、法律は無用だと思います。

法律は規制ですから、違反すれば罰則が適用されます。

罰則があるから法律を守るのでは、本末転倒です。


人と人の関係は、お互いの優しさやいたわりがベースでなければなりません。

ですから法律ではなく、エチケットがあれば十分でしょう。


そうなれば警察も刑務所も要らなくなります。

軍隊も兵器も要らなくなります。


人間にもし叡智があるなら、優しさをベースにした世界を創造しましょう。



2006年10月17日(火) 優しさと厳しさ


現代は優しさを尊重する傾向が強いと思います。

優しさはなによりもたいせつなことであると思います。


傷ついた人を癒す仕事を、私たちはしています。

HPやブログを見ても、優しさに溢れているサイトに人気があります。


人は海や山、空、風、花、木などに触れて、自分を癒しています。

大自然には、人を癒す大きなエネルギーがあります。


今朝も海へ行ってきました。

自宅から自転車で片道40分以上かかります。


今朝は雲ひとつない快晴でした。

その上、長大な海岸線に誰一人いませんでした。


こののどかで優しい海は、私たちに多くの海の恵みを与えてくれます。

ここに住み着いた人々は、永く漁民として生計を立ててきました。


「海は魔物」とも呼ばれます。

幾多の船を沈め、多くの生命を奪ってきました。


漁師の話を本で読みましたが、「板こ一枚下は地獄」と言っていました。

北海道の冬の海では海水温度が5℃以下ですから、落ちたら5分ともちません。


優しさと厳しさは常に同居しています。

同じ愛情でも、母親の優しさと父親の厳しさがあるのと同じです。


どちらが無くても困ります。

自動車のアクセルとブレーキと同じで、片方だけでは運転できません。


いまとても気になるのは、優しさのみが強調されていることです。

武力や暴力を肯定しているのではありません。


優しさは自らの厳しさに裏打ちされたものだからです。

真に優しい人は、とても強い人です。


自分に甘い人は、自分に弱いひとです。

ですから、誰かに守ってもらわなければ生きていけません。


HPやブログの多くが、ただ甘い優しさだけが強調されているように感じる

のは、私だけなのでしょうか?


自らが癒されたら、次には自分を叱咤激励して勇気を持って生きたいですね。




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