LORANの日記
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2006年11月01日(水) |
ツアーが始まります。 |
今日は11月1日、セミナー会場の予約開始日です。
今から数ヶ月先の会場の手配に行きます。
その後、荷物をまとめて、富士市から千葉県九十九里海岸近く
の自宅へ行きます。
明朝は東京湾アクアラインで羽田空港へ。
午前中の便で松山空港へ行きます。
松山市内のホテルへ宿泊します。
明後日3日から3日間、宇和島市でセミナーです。
楽しい仲間との再会が嬉しいです。
これからの世界は激動の世界だと思います。
その時代を生き抜くには、今までの意識では無理でしょう。
善と悪、正義と邪悪の意識では綱引き同然で共倒れになります。
それを超越した意識が必要です。
モノとカネの20世紀はすでに終わったと言われていますが、
現状はまだその中にあります。
雪や氷に閉ざされていても、その下には春が芽生えています。
枯れたように見える木々の枝先に、蕾が膨らんでいます。
雪雲が切れて、春の陽光が世界を照らしています。
新しい世界が間もなく始まります。
ハロウィンはケルト人の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられたものとされている。ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。
1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
今日はハロウィン。
昭和10年台生まれの私にはなじまないのですが、近くに住む娘の家では
1ヶ月前から飾りつけをしていました。娘はシアトルへ留学していたこと
もあってか、ハロウィンやクリスマスが大好きです。
でも、この時期に「この世と霊界との間に目に見えない『門』が開き、
両方の世界の間で自由に行き来ができる」という考え方は、とても
面白いですね。
私たちが今いる世界と、亡くなった霊が行く世界がはっきり分かれている
ことに、文化の違いを感じます。
西洋の科学偏重の社会でも、古いケルトの信仰はこんな形で残っている
のですね。
私は死後の科学が発達しなければ、いまの混乱は収束しないと思います。
実は死後などというものは迷信であり、肉体が無くなるだけで何にも
変わらないあなたがいるだけなのですが・・・
日本は60年間戦争をしていない大国です。
1945年8月15日に最後の戦争を終えてから、平和を守ってきました。
これはアメリカやイギリスと較べたら、たいへんな違いです。
彼らは自国ではなく、他人の国で戦争をしています。
これを侵略と言わなければ、何と説明するのでしょう。
アメリカとイギリスはとても好戦的な国家です。
イギリスが本家で、アメリカが分家です。
世界の火薬庫、イスラエルはイギリスが後押しをして建国しました。
この三者はとても良く似た性格を感じます。
とても危険な匂いがします。
アメリカが自由と民主主義の国などと、信じている人はいないでしょう。
アメリカ憲法や国連憲章に違反して、イラクを侵略したのですから。
さらに1国の大統領をアメリカへ拉致してきて、アメリカの法律で
裁こうとしているのですから。
その前に起こったニューヨークの「9.11」事件も、アメリカの陰謀と
誰もが思っている位です。
ビン・ラディンというテロリストが同時に旅客機4機を乗っ取り、
アクロバット同然の高度なテクニックでビルへ激突させたとは?
世界一の技術で建築されたビルが、跡形もなく無くなったのは、
高度なビル爆破技術であると伝えられています。
これらを見ると、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件
を思い出します。
国家権力による大統領の暗殺事件だと言われています。
あの時も、今回も、アメリカ国民は忠誠を求められるだけです。
自国が侵略されていない唯一の大国・アメリカの横暴です。
世界金融を支配し、石油を支配するために、アメリカは途方も無い
軍事予算を組んでいます。
それに擦り寄る日本の政治家は、経済界の代弁者だからです。
戦争の足音が次第に近付いています。
日本国民が気がついたときには、手遅れになっていなければいいの
ですが・・・
行動の動機には「愛」か「不安」があります。
「愛しているから・・・」という言葉は、愛が動機でしょうか?
愛が押し付けになっていたら、それは愛ではありません。
「この子が愛される人になるように。」と折檻して殺してしまった
母親がいました。
愛と思っているのですから、罪の意識はありません。
愛とはこれほどまでに、痛々しいのです。
自分の考えを相手に押し付けるのは、愛ではありません。
愛は相手を責めたり、命令することではありません。
愛は相手を認めること。相手を許すことです。
相手を解放すること。相手を手放すことです。
しかし自分に不安があるから、相手を許すことも手放すことも
できません。30歳になってもパラサイトしている例がそうです。
愛国はだれでも自然に持っている愛情です。
それが国家の言う愛国とは内容が異なります。
国民が愛しているのは、自分が育った故郷の山河です。
国家が愛しているのは、権力の支配構造です。
自然な感情を、特定な人々の権力維持に利用されては堪りません。
人が愛と言うとき、それが「愛」か「不安」か確かめる必要があります。
人の顔や姿が違い、服装や持ち物が違うように、意識はそれぞれ違います。
そんなことは知っていると言われますが、知ってはいても理解していますか?
その違いを理解していないから、喜劇や悲劇が毎日演じられています。
「だって、こうするに決まっているでしょう。」はあなたの意識です。
親子、兄弟姉妹、夫婦、その他の人間関係は、意識が違うのに無理やり
同じと強制していませんか?
強制された方は反発するか、我慢するかのどちらかになります。
我慢させれば自分の正当性が実証されたことになり、反発するのは
相手が素直でないと断罪します。
意識はふしぎです。
意識はどこの世界にも行くことができます。空想もそうですね。
過去に意識の中心を置くお年寄りがいます。
現実に意識の中心を置く現実主義の人がいます。
未来に期待する若者がいます。
それぞれの人生ですから、どれがいいのでもありません。
まったくの自由なのです。
しかし、その意識が現実を決定します。
意識が現実を創造し、人はその現実の中で生きることになります。
ですから、もし幸せになりたかったら意識を変えることで可能です。
自分が幸せになるのにふさわしいのですから、幸せになるのです。
意識を変えるのを躊躇する必要はありません。
毎日、何回でも意識を変えることは可能です。
ただし、現実が実現する前に変更してばかりいたら、いつまでも
現実にならないかも知れません。
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