LORANの日記
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「都会」とは人々が多く集まり住んで、商工業や文化の発達した土地だそうです。
確かにその通りですが、都会が人々を集める理由はなんでしょうか?
江戸時代の初め、徳川家康が江戸城へ入って50年間で江戸が完成したそうです。
諸大名に江戸城の築城や町の造営を命じたのでした。
諸大名は江戸屋敷を競って建てましたが、5千坪とか6千坪という
広大な屋敷に、まるでお城のように豪華な建築物でしたので、
藩の財政を逼迫させる原因となりました。
6千坪と言えば、60坪の家が100軒建てられる面積です。
その中でも徳川御三家や譜代の大大名は気が遠くなるような
広大な屋敷を持っていました。
明治神宮は近江彦根藩井伊家の江戸屋敷で、182,342坪。
東宮御所・迎賓館は紀伊和歌山藩の江戸屋敷で、130,000坪。
青山霊園は美濃郡上藩青山家の江戸屋敷で、105,704坪。
東京大学は加賀金沢藩前田家の江戸屋敷で、103,822坪。
その他、小石川後楽園、ホテル・ニューオータニ、慶応大学、
上智大学、青山学院大学などが大名屋敷跡地に建設されています。
殆どの藩の財政支出の約60〜70%が江戸屋敷に支出されました。
地方から集められて、江戸で支出される方式が出来上がりました。
この潤沢なお金が江戸の経済を繁栄させたのでしょう。
一方、地方は苛酷な年貢の取立てに泣かされる構図になりました。
江戸時代は、まったくの消費経済であったことがよくわかります。
この構図は、21世紀になったいまでも大きな変化が見られません。
都会とは、このような消費型の社会を指すのでしょう。
しかし、消費経済が永遠に続くことはありません。
物の生産がなければ、消費はできません。
生産は原材料とエネルギー、人手がなければなりません。
世界中が都会化し、商工業を発達させ、64億人が消費者となって
文化的生活をしたら、それはすばらしい世界かも知れません。
今でも、白人を中心とした先進諸国だけでも環境破壊や大気汚染は
地球の生態系を破壊し、人体への影響も計り知れません。
しかし、先進国以外の国民に文化的な生活をしてはならないとは
言えません。
ですから、いま環境を破壊しない生活を始めなければ手遅れになります。
この質問は自分自身への問いかけです。
でも、相手との関係しか思い浮かばない人が多いのでしょうね。
上司から責任を追及されたり、先生に叱られたり、貧乏くじを
ひかされたり、左遷や退職させられたりという被害者意識です。
「なぜ私なのか?」は、そんな表面的な問題ではありません。
自分という存在をかけた最も重要な質問です。
この質問と同じような質問に、「私はだれ?」があります。
しかし、「なぜ私なのか?」はもっと深い疑問のような気がします。
「私はだれ?」は、自分が誰なのかを思い出そうとしている質問です。
「なぜ私なのか?」は、そこにある意識と行動を質問しています。
「なぜ私は私を選んだのか?」
「なぜ私は私以外ではないのか?」
これらの疑問を持ったとき、深い自分の選択の存在に気づきます。
深い自分の意識が、いまの自分を選んだことに気づきます。
ここに至って、初めて自分自身の存在意義に気づきます。
「私はどうしてここにいるのか?」
その質問に答える準備が始まります。
もちろん、その答えは自分の中にあるのですが、それを見つけることは
とても困難です。
しかし、自分の超意識である本質や魂は、その答えに導いてくれるでしょう。
また、「光の存在」たる高次元存在もまた、協力を惜しまないでしょう。
それは、彼らもまた、私たちが彼ら自身であることを知っているからでしょう。
そして、すべてが調和することを願っているからでしょう。
いま地球人類は大きな転機を迎えました。
「アセンションの時代」とは、このことを言うのでしょう。
「自分がなにをしなくても、誰かが助けてくれる。」と思うのは勝手ですが、
「天は自らを助ける者を助ける。」の言葉通りだと思います。
いままで数十回、数百回の転生を繰り返してきましたが、今回が最後の
チャンスと思って対処しなければならないでしょう。
自分が自分に目覚めなければ、いくら何かをしても遠回りでしょう。
宗教に依存するだけではとても足りないでしょう。
なぜなら、先人の教えを直接受けていないので、曲解しているからです。
このままでは多くても5%以内の人しかアセンションできないかも知れません。
あなたがあなたの真実を知ること以外には、あなたを助けることができません。
太極拳の用語に捨己従人(しゃきじゅうじん)という言葉があります。
これは相手の攻撃に応戦するときの心構えです。
「自分を捨てて、相手の動きに従う」ということですが、自分を捨てる
と言っても、自分の無力化でも、自分を放棄するのでもありません。
自分のもてる力を十分に発揮するのですが、相手を攻撃するのではなく、
相手の攻撃を反らし無力化しながら、反撃のチャンスを待つことです。
この考え方は、とても東洋的だと思います。
西洋の考え方は、力による征服が主流です。
圧倒的に強力な力が評価され、強いことが正義と思われています。
トレーニングの方向も、筋力や技術の向上を目指しています。
国王は、「私が法律である。」と強圧的に服従を強います。
西部劇では、「拳銃が法律である。」と無法者が言います。
アメリカの1極支配になってからは、「アメリカが世界の法律で
ある。」と、国連憲章は無視され、一国の大統領を逮捕し、裁判
へかけます。
こんな目茶目茶なことをしても、強国だから手が出せません。
力(暴力)による支配が露骨なのは、西洋の特徴です。
それは西洋の「神」がとても暴力的で、破壊や破滅をもたらすからです。
一方、東洋の思想は、本来とても穏やかです。
その基本に大きな宇宙の流れがあり、それに合致した生き方を
奨励します。
宇宙や自然は、それ自体が「神」であり、全てに「神」が宿ると
考えられています。
ですから自然環境を破壊したり、支配したりする考え方は西洋的です。
この考え方は、長州藩(山口県)が明治維新をイギリスの協力で成功
したとき、イギリスの学制や考え方を取り入れたことに始まります。
つまり、イギリスは日本を西洋化して支配することに成功したのです。
いま、明治以前の教育を受けた人は日本にはいません。
日本人全員がイギリス的教育を受けた、西洋主義的日本人なのです。
それで日本人が暴力的な生き方になったと思います。
「お金のためならなんでもやる。」
「法律に違反しなければ、なんでもやっていい。」
「地域振興のためなら、自然破壊はしかたがない。」
こんな考え方は、極めて西洋的です。
西洋的というのは、「神との契約」が最優先という考え方です。
家畜は「神」が人間の食用に創造したのだから、食べて当然です。
家畜へ感謝や愛情を与える必要はない。
しかし家畜以外はそうではないから、クジラを殺してはならない。
「神」は生きているときはもちろん、死んだ後も「最後の審判」
で地獄や煉獄へ送り込む、すべての支配者です。
日本人が西洋的になった結果、暴力的・破壊的になりました。
不安や恐怖が蔓延して、病人が増えていることもその表れです。
「捨己従人」は「宇宙の流れに身を任せなさい。」という、
東洋的な考え方です。
「力づくで自然を支配したり、環境破壊してはいけない。」と諭します。
自分自身についても、「もっと自分をたいせつにしなさい。」と教えます。
「あなたの本質=魂が歓ぶことをしなさい。」と。
「肉欲(肉体だけの喜び)を諌め、気持ちが安らぐ生き方をしなさい」と。
「いつまでお金儲けとか、人からの評価とか、相手からの愛情とか、
そんなことにだけ夢中になっているのですか?」と。
「いつになったら、あなたが生まれる前に決めたことを実行する
のですか?」と。
どうぞ、あなたの真実に近づくことを始めてください。
あなたの本質はそれを待っています。
人の悩みは感情の悩みです。
感情の悩みは肉体の悩みです。
それは当然ですね。
ほかに考えようがありません。
ですから人生は悩みの連続です。
この世は苦界とか苦海という言葉もあります。
では、本当にこの通りなのでしょうか?
そんなに苦しむために、この世へ生まれてきたのでしょうか?
「カルマ」と言う前世や過去生の因縁なのでしょうか?
そんなにこの世界は救われないものでしょうか?
私は全く反対の結論を得ています。
お釈迦様もキリストも全く反対の言葉を言っていたと思います。
誰かがお釈迦様やキリストが書いた言葉を、入れ替えたのでは
ないでしょうか?
お釈迦様やキリストやソクラテスの書いた物は存在していません。
当時抜群の頭脳を有する偉大な存在が、字を書けないはずがありません。
もし誰かが焼却するか、隠してしまったら、存在しなくても当然です。
そして、当時の為政者に都合の良い言葉で書いてしまったのかも知れません。
偉大な存在が最も伝えたかったこと。
それは「肉体と感情は同じであり、自我の意識を独立させなければならない」
ということでした。
死が怖いのは肉体であり、肉体が有する感情です。
肉体は死ねば捨てられ、無くなってしまうからです。
ですから死に関するもの全てが恐怖です。
病気、怪我、天災、飢えや旱魃、戦争、そして確実に近づいてくる
明日という未来が恐怖です。
人は感情に支配されているので、この恐怖を自分自身の感情と誤解しています。
それで毎日が不安であり、未来もまた不安になります。
お釈迦様やキリストは全く反対に考えていたと思います。
「感情に支配されてはならない。」と戒めているのが証明です。
では真実の教えはなんだったのでしょう。
それはとてもシンプルです。
「自分が神である。 あなたもまた、私と同じである。」
「全てに仏性が宿る。」
これらの教えは共通です。
「人も全ても神そのものである。」
「感情を離れれば、即時に神に戻ることが可能である。」
感情から離れれば、死はまったく怖れることでは無くなります。
私たちの転生の主役である本質=魂は、肉体から離れることを
切望しています。
一瞬でも早く、肉体から開放されたいのです。
このように「死」は歓びを封印され、苦しみに差し替えられて
しまいました。
そして2000年間以上に渡って、人々は苦しみの転生を繰り返して
来ました。
いまようやく本質=魂の夜明けが訪れました。
「おめでとうございます。」
宇宙中から歓喜の合唱が聞こえてくるようです。
2006年12月09日(土) |
名古屋・ミラクル21 |
今日は名古屋国際会議場で開催された「ミラクル21」へ参加しました。
いままでは「すぴこん」へ出店したついでに、講演をさせていただきましたが、
今回は講演だけを目的に参加しました。
13:00 〜 14:45 までの講演でしたが、コーナーに大勢の皆さまが集まって
くださいました。
主催者の方から「光の卵」のタイトルを希望されていましたので、させて
いただきましたが、それ以外のお話もさせていただきました。
特に「感情」や「自我意識」、「最初の光」については、興味を持って
いただけたと思いました。
講演が終わってから、半数近くの人が残って質問や「神様のつぶやき」を
購入してくださいました。
こころから御礼申し上げます。
このように多くの人のこころを捉えられたのは、今がその時期なのでしょう。
この時代に、このような使命を与えていただいたことに感謝しています。
皆さまが平和で幸せな人生を送ることができますように。
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