LORANの日記
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今日も強風が吹いています。
天気図を見ると、中国東方の高気圧から送られてくる冷たい空気が、
低気圧を発生させています。
北海道東方に978hp、同南に980hp、津軽海峡付近に1000hp
の低気圧があって、東へ進んでいます。
まるでベルトコンベアのように、次々と低気圧が発生しているのですから、
強風が止まらないわけです。
明日は30日ですが、関東の最東端・犬吠埼は晴天が見込まれますので、
1日早い「初日の出」を見て来る予定です。
AM 6:50の日の出ですから、AM 5:30には出発します。
今日は息子夫婦を出迎えに、羽田空港へ行きました。
道路は仕事が休みに入ったせいか、いつもより空いていました。
到着ゲートには家族や友人を待つ大勢の人々がいました。
お互いが見つかるとパッと笑顔が広がり、言葉が少なくてもお互いの
暖かい気持ちが伝わってくるようでした。
こんな強風下でも、北海道から本州各地へのフェリーは通常運航でした。
皆さま、どうぞご無事でお帰りください。
一昨日の雷雨をもたらした低気圧が東方海上へ去りましたが、
次の低気圧の接近で、今日も1日中強い風が吹き続いています。
今夜は日本海側や名古屋でも、積雪の予報が出されています。
今日を仕事納めにして、明日から帰省が始まる出足を払われました。
今年も様々な出来事がありました。
駆け足で過ぎていく1年間を振り返ると、1年前は昔日の如しです。
世界中の出来事が毎日報道され、世界的な競技が実況中継される
時代になりました。
世界の主要都市に24時間以内に到着できるほど、世界は小さく
なりました。
しかし、情報が多くなり、スピードが速くなるほど、真実を知ることは
困難になると思います。
140年前までは江戸時代で、旅は徒歩に決まっていました。
伊勢参りも富士講も、京へ上がるのも、毎日40kmを歩きました。
時速4kmで、休憩を入れて12時間という行程でしょうか。
日が短い今の時期は、暗いうちから歩き出したと思われます。
周囲の山や川、海や飛ぶ雲に思いをはせながら旅をしたのでしょう。
自分のことを考え、人生を考察するよい機会であったと思われます。
いま、飛行機へ乗っても、すぐにイヤホンを耳へつけ、新聞を読む
人が多くいます。
どのように人生を送ろうとその人の勝手ですが、どうして旅を楽しめ
ないのか、もったいないと思います。
いまこの瞬間は2度と来ません。
この瞬間に楽しめることを見逃してしまったら、映画館でポップコーン
を夢中で食べているうちに、映画が終了したようなものです。
情報の氾濫の中で情報に気持ちを奪われていたら、自分の真実に
近づくことは不可能でしょう。
そう思うと、徒歩でしか旅ができなかった昔の人々は、とても豊かな
旅をしていたのだろうと思います。
便利や快適は、まるで麻薬のように自分を蝕んでいます。
自分を見つめないで生きれば、ただもてあそばれて一生が終わります。
自分の真の意思なくして生きた人生は、まるで幻のようです。
明日の天候が早く回復して、帰省される皆さまが無事目的地へ到着
されますように。
ご家族、親族の笑顔がきっとお待ちになっていることでしょう。
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2006年12月27日(水) |
今日は千葉へ移動します。 |
昨日は朝から雨が降っていました。
次第に雨足が強くなり、夜になったら雷が鳴り続けました。
天気図を見ると、台風並みの低気圧が通過していたのでした。
今朝は打って変わって、さわやかな晴天です。
大気の汚れが洗い落とされ、空気が澄んでいます。
朝日は久しぶりに、すばらしい輝きを見せてくれています。
今日、千葉県九十九里海岸へ移動します。
年末・年始をそちらで過ごします。
想えば丁度1年前でした。
多分、1年前の今日、千葉県の最東端・犬吠埼へ行かなくてはと
急に思ったのでした。
その日、送られてきた雑誌のグラビアの犬吠埼の写真を見ていました。
日本で最初の「初日の出」が見られる場所と書いてありました。
それを見ているうちに、「行かなくては」と思いました。
その日、インターネットで大晦日の予約をとろうと検索しましたが、
目ぼしいところには空室が無く、在ってもお正月料金でした。
それで「初日の出」を断念しました。
その代わりに1月18日を予約し、行って翌朝日の出を見ました。
そのときから、新しい流れが始まりました。
半年後の7月14日に、犬吠埼の南の九十九里海岸へ移転しました。
いま、富士市に10〜15日、千葉県に10日、出張に5〜10日
の割合で活動しています。
お正月は札幌に住む息子夫婦と富士市の娘の家族も合流します。
久しぶりにメンバーが集まり、賑やかなお正月になりそうです。
8年前に事業を辞め、家屋敷を売却処分してスタートしましたが、
あのまま継続していたら、相変わらず仕事、お金、社員などに
使われて、生きていても瀕死の人生か死亡したと思います。
いまはお蔭様で、良き理解者と協力者に恵まれ、全国を飛び回れる
ようになりました。
自分の能力を発揮した分だけ、人生が豊かになることを実感しています。
お金は使うだけあれば十分ですし、それは与えられることも知っています。
願わくば、多くの人が持てるエネルギーを、自分の成長のために使われます
ように。
そうすれば、きっと健康も平和も幸せも、一緒に手に入ると思います。
1年前にアセンションしたと思っています。
アセンションと意識の離脱或いは生命の離脱とは全く異なります。
アセンションは高次元への意識の移行です。
他は現次元内での変化に過ぎません。
具体的に言えば、生死は現次元内での出来事です。
天国も地獄も(私はないと思っていますが)、現次元にあります。
転生も現次元内にあるのです。
例えを言えば、現次元は太陽系のようです。
地球で生まれ、死んだら月か冥王星や海王星へいき、再び地球へ
戻ってくるようなことです。
アセンションは、まるでプレアデス星団へ行って地球を観察して
いるようです。
そこから見れば、地球と人類と月や冥王星や海王星の関係が、
一目瞭然に理解できます。
私は眼下に現次元を見下ろしました。
驚いたことに、そこには巨大な銀白色の箱がありました。
私たちはこの箱の中にいたことが分かりました。
この箱は他の次元に存在する誰かが作ったのでしょう。
私たちは物質世界という箱の中に閉じ込められていたのでした。
亡くなっても、生まれ変わるのは、この箱の中だけの世界でした。
誰もこの箱から出ることは出来なかったのでしょう。
誰が、なんのために?
私たちが家畜を飼っているのと同じことです。
鶏は鶏舎の中でヒヨコで生まれ、死ぬまで卵を産みます。
鶏舎を出ることは一生ありません。
宇宙には「自由の法則」があり、誰もが自由に行動しています。
私たちが家畜を飼って、自由に食べているように、他の次元の
存在が、私たち人類を自由に利用していたのです。
かって先人が、他の次元から派遣されて来ました。
彼らは私たちに、重要な情報をもたらしました。
「自分自身を知りなさい。
現実を捨てなさい。」と。
彼らの名前は、「ソクラテス」であり、「釈迦」であり、「イエス」
でした。
現実を捨てて、自分自身を知ることができれば、アセンションが可能です。
アセンションすれば、家畜小屋から開放されます。
私たちを家畜化して利用している存在以外にも、数多くの高次元存在が
います。
彼らは私たちが何万年も家畜化されていることに、同情したのでしょう。
ですから、情報だけは与えようと来てくれたのでした。
「ソクラテス」はデルフォイの神殿の託宣で「最も賢い人」と呼ばれ
ましたが、その理由は「知らないということを知っている。」でした。
それは周囲の人々への警句でした。
「あなた方は現実に目を奪われている限り、真実を知ることはない。」と。
「釈迦」は王子として生まれましたが、出家して菩提樹の下で悟りました。
真実を知って、死のうと思いましたが、2度にわたって梵天(高次元存在)
が皆へ知らせるように勧めました。
彼はその勧めに従い、80歳まで教えを説きました。
「現実世界から離れて、自分自身を知りなさい。」と。
「イエス」もまた同じことを言いました。
「家族を捨てて私に従いなさい。」
これは「釈迦」が出家を勧めたことと同じです。
そして700人もの人を引き連れて歩きました。
「さ迷える子羊」とは、家畜箱から出られない人類を指しているのでしょう。
しかし、「イエス」はメッセージだけ残して、殺されてしまいました。
いま「アセンションの時代」と言われています。
地球の軌道が、「フォトン・ベルト(光子の流れ)」に入ったと伝えられて
います。
これは「光は情報」ですから、気づきやすくなったと思われます。
数万年間も家畜小屋に閉じ込められていた人類がアセンションするためには、
自分自身に気づくことから始めなければなりません。
2006年12月25日(月) |
あなたに Xmas プレゼントを。 |
今日はXmas ですね。
子どもたちは、朝一番にプレゼントが届いているか、確かめるでしょうね。
そんな楽しいセレモニーが、今朝世界中で起こっているのでしょうね。
世界中の子どもたちとご家族の平和が続きますように。
私たちおとなにも、プレゼントがあってもいいと思います。
かけがえのない自分自身にも。
私たちは自分へ、忘れていたものがありませんか?
自分自身へ忘れていたもの。
それは、自分自身への「愛」です。
ご家族や子ども、恋人、友人には、愛を贈っても、自分へはどうですか?
自分自身へ毎日何回、「ありがとうございます。」と言っていますか?
「今日一日、付き合ってくれてありがとう。」と言っていますか?
「今日は楽しかった?」
「今日は辛くなかった?」
「明日は楽しく過ごそうね。」
毎日、自分自身へ感謝したら、どんなに喜んでくれるでしょうね。
いままで、自分自身に随分冷たかったとおもいませんか?
あなたが他の人の「愛」が欲しい理由は、自分が「愛」に足りなかったから
ではありませんか?
それはあなたの部屋にある観葉植物のように、水遣りが足りない時と同じです。
水が不足すれば元気が無くなり、水が欲しくなるのは当然です。
ただ、自分があげることを忘れているので、相手からもらいたいと思ったのです。
でもお互いが水遣りできない人同士なら、自分に水がないのですからあげられません。
それでお互いに、「愛してくれない」と非難しあうことになります。
自分に水を与えること、「愛」することを思いだしましょう。
今日は Xmas です。
自分自身に「愛」のXmas プレゼントをしてみてはいかがですか?
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