LORANの日記
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2007年01月24日(水) |
本当はなにをしたいのですか? |
あれがあればいい。
これができればいい。
だけど自分には無いし、できない。
どうせ、やってもムダ。
もしできなかったら、なんて言われるかわからない。
人の目が怖い。
人の批判が怖い。
自分は孤独。誰も愛してくれない。
自分は無力。神様、助けて。
いつか王子様が、助けに来てくれる。
いつか宝くじに当たって、幸せになる。
いつか思い切り贅沢な生活をしたい。
いつか世界旅行へ行きたい。
・・・
で、あなたは本当はなにをしたいのですか?
地球上には動物と植物が合わせて200万種もいるそうです。
これらのすべてが生きていることは、想像しただけでもスゴイことですね。
地球で生まれた「種(しゅ)」は原始的な生命から発達して、これほどまで
言葉通りに多種多様な形態をとるに至りました。
これもすべて「種」が自らの存在を維持するためのことでしょう。
ですから「種」の存続と発展が、すべての生命活動の原点でしょう。
このように考えると、人間の営みはすべて「種」の命ずるままなのでしょう。
自分に無いものが魅力的に感じるのは、「種」のなせることであり、
恋愛もまた、自分の「種」をより完全な状態で維持したいからでしょう。
母性本能で子どもを必至に守るのも同じだったのですね。
肉体の欲求を支配しているのは、「種」であることが分かります。
そこで疑問が起こってきませんか?
「種」が主人公であるなら、どうして環境破壊や戦争や自殺など、人類を
破滅へ向かわせるような状態を作るのかと。
ここに人間だけに特有な性質が見えてきます。
人間だけが恐怖や不安を持っていることです。
他の動物にも感情があるし、危険を察知すれば逃げ出します。
捕まえられたり、殺されることも恐怖でしょう。
しかし、人間のようにいつも恐怖や不安を感じてはいません。
ですから彼らは感情に支配されないで生きています。
人間だけがいつも恐怖と不安のとりこになっています。
その感情が、環境破壊や戦争や自殺などを引き起こしています。
恐怖や不安を引き起こしているのは、「自我意識」でしょう。
「自我意識」は人間特有の性質です。
本来は「私は誰か?」を知るために与えられた性質だと思います。
それは「自分が光である」ことを確認するためでした。
しかし「自分が光である」ことを知ることは、宗教組織によって
封印されてしまいました。
それで私たちは羅針盤を失った船のように、さ迷っています。
いつまでたっても光が見えません。
それで恐怖と不安が私たちを支配しています。
いま私たちに必要なことは、自分自身が光であることを確認することです。
すべてが光であり、私たちもまた光なのです。
いつも高次元の光が私たちを導いてくれています。
なによりも自分の本質(魂)が光そのものなのです。
生きることは、恐怖や不安の感情から抜け出して、光として生きることです。
2007年01月21日(日) |
この感激の中で死にたい・・・ |
今日は第11回名古屋すぴこんへ出店しました。
東名高速道路、伊勢湾自動車道路、名古屋高速で2時間半でした。
開店前に妻と瞑想をしました。
終わってから、また目を閉じてしまいました。
一瞬で意識が上空へ飛び出して行きました。
会場の名古屋国際会議場が眼下に見えました。
更に上昇して地球が眼下に見えました。
それからしばらく上昇が続きました。
ふと気がつくと、遥か向こうから光が近づいてきました。
本体はまだ彼方の方に見えますが、私の目の前に大きなきらめきが
現れます。
透明な半球形に十文字のきらめきが現れて、それは荘厳で華麗です。
一体何事が起こったのだろうと思っていました。
私の前方に「光」が立たれました。
とても背が高く、とてもスリムで女性的な体型に思われました。
「誰だろう? 観音様かしら?」
今まで「勢至菩薩様」とお会いしたことがありましたが、そのとき
とは比べ物にならないほど、荘厳で華麗な光です。
そのとき、「光」の背景が光に包まれて現れました。
「うわー!」と声をあげそうでした。
そこには何百という菩薩様が並んで居られたのです。
それらの菩薩様を従えて、一層美しくきらめく光の中に立たれていました。
そうなのです。
このお方こそが、「宇宙の中心の光」=「阿弥陀如来様」でした。
ありがたくて、もったいなくて、涙が出ました。
私の意識を呼び出して、お姿を現してくださったのでした。
まさか生きているうちに、お姿を見ることができようとは・・・
私は世界中で一番、いや宇宙中で一番の幸せ者です。
この感激の中なら、死にたいと思いました。
このうれしい気持ちのままで、死にたいと思いました。
「日暮れて、道遠し・・」
いままで歩いて来ても、その道は果てがありません。
ようやく山の頂に立っても、その向こうにまた山があります。
いくつ山を越えても、更に山を越えなければなりません。
しかしこれが自分の決めた道であり、私は誰が認めてくれなくても
この道を行くと、自らを奮い立たせて歩いてきました。
そんな時、私が知る限り最も高貴な光が現れてくださったのです。
「宇宙の中心の光」=「阿弥陀如来様」がすべての菩薩様を従えて
お姿を見せてくださったのです。
こんな僥倖は滅多にどころか、絶対にありえないことなのです。
私は、「それでいいのですよ。」とメッセージをいただいたと
解釈しています。
もうなにも思い残すことは無くなりました。
ただひたすらに、この道を歩きます。
大寒の言葉通り、東京などでは初雪が舞ったそうです。
いまが一年中で一番寒さが厳しい頃です。
この時期に寒稽古や寒行が行われますが、私のような軟弱者には
とてもまねができません。
「冬来たりなば、春遠からじ」とは、シェリーの「西風に寄せる頌歌」
の結びの句と書いてありました。
2月4日の立春まで、丁度2週間ですね。
札幌の息子からは、毎日のように雪が降っていると電話がありました。
昨年は1m以上の降雪だったそうですが、今年はそこまでは降っていな
いようです。
今日は「親子の豊かなコミュニケーション教室・カップル編」を開催
しました。
参加してくださった皆様に御礼申し上げます。
新しい時代は皆様が創造していきます。
しかし、いままでと同じ意識では、新しい時代の創造は不可能です。
アセンションの時代と言っても、なにもしないのではアセンションは
不可能と同じです。
それで、新しい時代で生きる意識について、お話しました。
なにかを感じていただけたと思っています。
また来月、続編を開催します。
「お知らせ」
明日、1月21日(日)10:30 〜 18:30
「第11回なごやすぴこん」が開催されます。
会場は名古屋国際会議場 2号館です。
LORANも出店します。
17:40 〜 18:20 スペシャルセミナーを開催します。
どうぞご参加ください。お待ちしています。
今朝目覚めて驚きました。
なんと、朝8時まで寝坊しました。
既に太陽は中天にきらめいて、私は汗をかいていました。
もう一つは、自分の中が全くの静寂だったことです。
頭の中も、体の中もシンと静まり返っていました。
それで気づいたのですが、この静寂で起きられなかったのでしょう。
私が記憶している限り、初めての静寂の経験です。
数年前から、瞑想中に静寂になったことはありました。
しかし、しばらくすれば元の状態に戻ってしまいました。
今朝は、目覚めたときからずっと静寂が続いています。
ついにここまで来れたという、すばらしいが幸福感あります。
静寂と聞くと、なにも無いという虚無感を想像されるかも知れません。
まったく反対で、無限とも言える巨大な満足感、充足感があります。
自分の内部がとても暖かく、豊かに拡がっています。
この満足感を得られたら、外界の刺激は無用です。
他人に認められたい、評価されたい、愛されたいは無くなっています。
ですから、なにも無くて幸せ、なにもしないで幸せなのです。
仙人がいたとするなら、この精神状態であったろうと思われます。
一人でいても幸せですから、他人に気を遣うのを避けた
のでしょう。
でも、完全に人との交流を断ったのではありません。
村人は病気やケガで困ったとき、仙人にお願いして治療してもらって
いました。お礼に必要な食料や衣服をいただいていました。
ですから、離れて暮らしていても尊敬されていた存在でした。
今日から新しい人生が始まりました。
私をここまで導いてくれた自分の本質と高次元の存在にこころから
感謝しています。
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