LORANの日記
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先ほど、千葉県九十九里海岸近くの自宅へ帰りました。
先月28日以来、9日間で4日間のツアーを2回しました。
飛行機も6回乗りました。
その間に、満月、節分、立春と、季節の変化が続きました。
ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き、蝶が舞っている南国から、
2日後には、雪が積もった町を走っていました。
立春の2月4日から、新しい年が始まりました。
あわただしい1年が始まったと思っています。
愛媛ツアーの初日と、最終日に飛行機から富士山を見ることが
できました。
偶然かも知れませんが、祝福してくれていると思い感謝しました。
写真は愛媛ツアーの初日の富士山です。
待っていても状況は変わりません。
それなら、こちらから出かけて行くほかはありません。
誰かを信じていても、自分を信じられなければ意味がありません。
自分の夢が現実になることを、信じて実行するだけです。
立春の昨日と今朝、来島海峡第3大橋を歩いて渡って、馬島へ行き
ました。
燧灘(ひうちなだ)から昇る日の出は荘厳でした。
これからどのようなことが起こるか楽しみです。
これから羽田空港へ向かいます。
昨日AM2時に帰宅したのですが、もう出発です。
明後日、4日は立春です。
太陽暦では1月1日が1年の始まりですが、私は立春からと思っています。
私にとって、ここ10年間の結論が出る1年間が始まります。
昨日までの宮古島ツアーは、新しいスタートのための最終的な準備でした。
ようやく硬く厚い殻が割れて、自由な自分になれました。
新しいスタートへ向けて、万全な準備ができました。
愛媛県は、私にとって格別な思いがあるところです。
そこの空気は例えようが無いほど、やさしいのです。
初めて松山へ来たとき、「ずっと以前に、ここに居た。」と思いました。
四国南東端の室戸岬では、弘法大師を感じました。
いままでの遠い道のりで目指していた方向が、誤っていないことが分かりました。
これは何にも増して、うれしいことでした。
この道は果てしない道です。
前方にある峰峰は、陽光を受けて輝いています。
この命ある限り、1歩1歩前へ進むだけです。
導きに従って・・・
昨夜、23:25の沖縄発最終便で羽田へ到着しました。
駐車場から車を運転して、今日の02:00に帰宅しました。
あわただしい4日間でしたが、とても満足しました。
八重山諸島の歴史は、本土とは比較にならない(?)ほど過酷でした。
しかし、八重山は、大寒の1月31日とは信じられないほど暖かく、
自然が豊かでした。
ハイビスカスはいたるところに咲いていましたし、ブーゲンビリアの
鮮やかな花が燃えるように咲いていました。
これが夏だったら、どんなにすばらしかったでしょう。
驚いたのは朝顔や桜草が咲き、アゲハチョウが舞っていたことでした。
海岸でショップを開いていた男性は、半袖シャツに半ズボンでした。
アダンの実が黄色く色づき、バナナも実っていました。
池間島のガラスボート(船底がガラス)でさんご礁を見ましたが、
色鮮やかなサンゴが、生き生きとしていました。
このように自然豊かな土地で過酷な歴史があるのは、水の不足と政治の
問題です。
人が生活することは可能であっても、雨水頼りでは農業は大変です。
鹿児島藩による過酷な税の取立てや使役のせいです。
八重山に住む人たちに、アメリカ・インディアンのイメージが重なりました。
沖縄と北海道が本土よりもずっと雇用率が低いことや軍用基地の負担が
大きいことです。
泡盛を昼間から飲む老人や離島の若者に感じる影は、抑圧されてきた民族の
悲哀を感じました。
博物館で出会った地元の75歳の老人の島の過去の歴史は、とてもショック
でした。
私たちはとても享楽的な生活をしています。
楽しければいい、快適ならばいいとしていますが、それだけでは他の動物
と同じです。
自分で考え、自分で行動してこそ、自分の人生になります。
それでなければ、ただ利用されるだけの人生になります。
人は見える世界で生活しています。
しかし見えない世界もまた存在します。
人が誕生するまで、どこにいるのでしょう?
人が亡くなってから、どこへ行くのでしょう。
山の奥深くへ入ると、いままで感じたことがない気配を感じます。
山の霊気かも知れないし、見えない存在の気配かも知れません。
人は大勢で集まると、無敵のような気持ちになりますが、大自然の
中へ一人放り出されたら、とても寂しくていられないでしょう。
冒険家は一人で無人島や雪山や砂漠でキャンプを張れますが、都会
に住む人には怖くてできないかも知れません。
それは自然が豊かな世界は、生命も豊かであり、すべてが存在する
からだと思います。
そこには山や川や海や木や森や泉や沼や巨石などすべてに精霊と呼ば
れる存在が居るからでしょう。
私たちの目には見えませんが、風の中に気配やざわめきが伝わってき
ます。
彼らが私たちに直接害を与えることはないと思いますが、これ以上
立ち入らないように警告することはあるでしょう。
かってこの土地に住んでいた人々は、事あるごとにその地の精霊へ
畏敬と感謝を捧げてきました。
残念なことに現代の人々は、迷信と称して畏敬と感謝を忘れています。
花粉症やアレルギー、アトピーの症状は、これと無縁ではないでしょう。
私は「科学迷信」の風潮が起こした弊害であろうと言っています。
見えない世界を再評価する必要があると思います。
明後日(1/28)から4日間、沖縄の西にある宮古島へ行ってきます。
南西諸島は新婚旅行以来ですから、30年ぶりでしょうか。
どんなことが起こるか、楽しみです。
2007年01月25日(木) |
人情で解決しますか? |
「人情が無ければこの世は闇」と言います。
「人情」は他人へのやさしさでもあります。
どんなものにも適度というものがあります。
「人情」がよく作用すればいいのですが、縛られることもあります。
「人情」だけではどうにもならないことがあります。
お金が無いのに、貸すことはできません。
インドで旅行者が物乞いや貧しい子どもたちに囲まれると聞きました。
すべての人に応じていたら、無一文になってしまいます。
「人情」によって、困っている人をすべて救済することは不可能です。
体の不自由なお年寄りを家に置いていたくても、介護者の都合などで
ケアセンターや病院などのお世話にならざるを得ません。
このように「人情」は、自分の都合のつく範囲で適用されるのでしょう。
そこで「人情」を要求する人と、要求される人の間に闘争が起こります。
ここまで面倒をみてきたのにと、双方が主張します。
一方は親で、他方は介護をする子どもです。
親は面倒をみてくれることが当然と主張しますし、子どもは働かなければ
生計が立たないと主張します。
日本では、国家が老人の生活を保障するシステムがありません。
福祉国家から較べたら、お寒い限りです。
それなら、国民が自助努力をするしかありません。
病気やけがをしないように、健康管理を子どものときからの学習が必要です。
中国の公園などでお年寄りが太極拳をしている風景が紹介されます。
中国では12億人もいる国民に対して、医療水準が整備されていません。
それで老人を中心に、健康維持のために太極拳を指導したそうです。
これによって、老人の健康維持は初期の目的を果たしました。
富裕国家(?)・日本では老人は手厚く介護されています。
朝から晩まで、テレビを見て暮らしています。
これでは体も脳も、機能を失ってしまいます。
自分で考え、自分のことは自分でするように指導しなければなりません。
これは急にできることではなく、子どもの頃から学習する必要があります。
テレビなどは、1日2時間が限度と決めましょう。
一家団欒とは、テレビを消して家族が顔を見ながら話を聞くことです。
お年寄りは尊敬されるように、若い頃から体を動かし、皆のために
功徳を積むことです。
そうすれば、老人になっても元気で活躍できるでしょう。
介護も、最後のときだけ必要になるでしょう。
人情だけで言い争っていたら、共倒れになってしまいます。
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