LORANの日記
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2007年03月29日(木) 桜、満開です。


今朝の九十九里海岸はとても暖かでした。

間もなく強風が吹き出しました。


細かな砂が舞い上がって、息をするのが難しい有様でした。

波打ち際を、千鳥が数十羽急ぎ足で駆けて行きました。


九十九里海岸の自宅から、富士市の住まいへ移動しました。

東名高速道路の海老名SAは春休みのせいでしょうか、満車でした。

食堂も満員の盛況でした。

いつもは見ない事故現場を、3箇所も目撃しました。


幕張の海岸沿いの道を通り海を見ましたが、あまりの汚れに驚きました。

昨日の南房総の海とは、まったく異なる海がありました。

サーフボードを手に、海へ入っていく若者がいました。

1〜2時間先へ行けば、きれいな海があるのにと思いました。


あちらこちらに桜が咲いていました。

首都高速道路から、皇居のお堀の桜が見えました。

満開の桜がお堀を囲んでいました。


名古屋城の桜も今頃は見事に咲いているでしょうね。

お城と桜のマッチングは、日本人にはたまらない情緒があります。


「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」

とは、西行法師の有名な和歌ですね。


桜が満開になると、気づかずにこの和歌を口ずさんでいます。







2007年03月25日(日) 天気大荒れでした。


昨日から強風が吹き、昨夜から雨。

今朝は、能登半島で大きな地震が発生しました。


天気はいつも変わるもの。

そうは思っていても、穏やかでない日は落ち着きません。


九十九里海岸は、大しけでした。

ゴーゴーと海鳴りが、絶え間なく響いています。


水平線から幾重にもなって押し寄せてくる波は、人などまったく

寄せ付けません。

大自然の猛威の前では、人は手も足も出ません。


地震、雷・・という言葉があるように、最も恐ろしいのは地震です。


自分が立つ地面が揺れるのですから、これ以上の衝撃はありません。

ただ地面が揺れるというのではなく、自分が立つ基盤が揺らぐという

恐怖心があるのでしょう。


その地面を寄りどころにしている、住宅、神社、仏閣や山までが

崩れてしまうのですから。


自分を受け入れてくれる自然を愛と信じていても、大荒れの天気や

大地震は私たちを突き放すように見えます。


ですから、かって人々は自然を畏怖していました。

自然は恵みを与えてくれる、とてもありがたい存在でした。


しかし一旦、大荒れになれば、人は小さくなって回復を待つばかりでした。

そこに自然や神に対する畏怖と謙虚さがありました。


いまや科学が発達し、自然を畏怖することが無くなりました。

自然は単なる現象に、格下げされました。


人の都合で、自然や神を格下げできるのでしょうか?

思い上がった人類は、自らを絶滅へ追い込んでいるように思えます。



2007年03月24日(土) 意識が行方不明?


人は意識があるから、行動できます。

その意識は、目が覚めていることだけでしょうか?


高速道路で車を運転していると、居眠り運転の車を見つけます。

右に、左に、ふらふらと運転しています。


東名高速道路の東京料金所の手前の下り車線で、ハンドルに

うつ伏せになって運転していた人がいて驚きました。

さて、あのドライバーはどうなったのでしょうね?


それでも、約80km/時で運転していました。

意識が無くても運転できることが証明できます。


通常の生活では、特別な意識は使っていません。

ただ、目が覚めていることの延長線上にあります。


これでは、意識が覚醒して、成長することは望めません。

本来の意識が行方不明になっています。


本来の意識とは、自分が自分である意識のことです。

これを知ることは、かなり困難です。


なぜなら、自分と思っている意識は、ほとんど感情のことです。

感情は肉体が作った、単なるエネルギーに過ぎません。


言い換えれば、まるで「おなら」のようなものでしょう。

放っておけば消えてしまいますが、執着して反復することで増加します。


このような感情を自分の意識と思っているので、人生は楽しくありません。

本来の意識は、もっと気高く、愛に満ちています。

言い換えれば、神の意識でもあります。


本来の意識に戻ることは難しくありません。

自分ひとりの空間で過ごせばいいのです。


人と会わず、テレビや新聞、ラジオを無くし、自然の中で過ごします。

そうすれば、多分、半年位で自分に戻ることができます。


でも、人を気にして生きているのですから、多分できないでしょう。

感情を自分としている限り、本来の人生を生きることはできないでしょう。


それなら、もう諦めて、そのまま生きましょう。

すべてを諦めるという生き方もあります。


2007年03月23日(金) 本当は・・・


幸せになりたければ、幸せになればいい。

健康になりたければ、健康になればいい。


そんな単純なことができないのは、どうしてなのでしょう?

幸せや健康は、そんなに難しいことなのでしょうか?


あなたが幼かったころ、あなたは幸せではなかったのですか?

その頃から、健康ではなかったのですか?


あなたは幼いころ、幸せになろうと思っていましたか?

健康のことが気になっていましたか?


確かに、生まれつき健康に恵まれない人もいますが、少数です。

大部分の人は、成長してから健康を害します。


どうして、幸せや健康を損なうようになるのでしょうか?

それをさせるのは、なんでしょうか?


様々な原因があるでしょうが、最も大きな原因は「呪い」でしょう。

「呪い」というと、恐ろしい特別なモノのように感じますが、とても

ポピュラーです。


「呪い」の別名をよく知っていますね。

「嫉妬」、「ねたみ」、「恨み」、「自己嫌悪」、「自己憐憫」など

です。


「どうしてこんな運命なの?」

「どうして愛してもらえないの?」

「どうして頭がよくない、顔がよくない、スタイルがよくないの?」

「どうして頼みもしないのに、私を産んだの?」

書き出せばきりがありません。


こんな「呪い」を持っているので、人生は楽しくありません。

それで自分を「消滅」させようとします。


健康を損なえば、早く死ぬことができますから・・・

もちろん、頭で考えて死のうとしているのではありません。


このように見ると、世の中では「消滅」させようとしている人が

いっぱいいます。


「麻薬中毒」、「アルコール中毒」、「仕事中毒」、「お金中毒」、

「すべての依存症」、「環境破壊」、「人類滅亡」、・・・


私たちのこころの深いところで、「呪い」が活動しています。

そのまま放っておけば、人類は滅亡してしまいます。



滅亡を防ぐには、反対のエネルギーを増やせばいいのです。

「呪い」の反対は、「愛」です。


「愛」の別名を知っていますか?

「許し」、「寛容」、「受け入れ」、「開放」、「成長」、「存在」

などです。


どうぞ、あなたが先ず、自分を許してください。

自分がここにあることを、存在することを許してください。


自分のこころを開放してください。

自分に寛容になってください。


それができれば、他の人を受け入れることが出来ます。



2007年03月21日(水) 本日、横浜すぴこんへ出店します。


今朝も素晴らしい日の出でしたね。

いまから横浜へ向かいます。

会場の港みらいまで、約120kmですから2時間です。


千葉〜富士を、毎月1〜2回往復していますが、その途中に

あります。


LORANからは、今回4店が出店します。

仲間と一緒に出店できるのは、とても楽しいです。


これが波紋のように拡がっていくことをイメージしています。

「神様のつぶやき」へ、メッセージを書かせていただいて

喜ばれています。


今日はどのような人とお目にかかれるでしょう?

では、行ってきます。


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