Kumsta kayo?(富山編)
DiaryINDEXpastwill


2002年05月15日(水) アパートでのネット接続

こちら(オランダ)来て1ヶ月、アパートに引っ越して約3週間がたちました。

このアパートは、キッチン、ベッドルーム、リビングダイニングの3部屋があり、ベッドルームだけでも日本の部屋より広くて快適です。

リフォームしたばかりみたいで部屋もきれいだし、キッチン道具、食器、家具、電化製品もほとんど新品。

もしかしたら、誰も入ってなかったかもしれない。

道路から引っ込んだところにあって静かだし、すぐ近くにスーパーもある。

これだけよい部屋を引っ越さなければならないかもしれなかった。

それは「家でネットに接続できない」という問題があったから。

ほかの同僚の家はアナログ電話回線なのに、うちはISDN。

パソコンにはアナログモデムしかないから当然接続できない。

会社の部屋を紹介してくれた部署に「何とかしてくれ」と頼んだ。

不動産屋や大家に話をしてくれたが一向に進まない。

「ネットができないと仕事にならない、できなきゃ引っ越さなければならない。」とまで言った。

ほんとうは仕事より日記だけど(笑)。

こっちで打てる手は2つ。

1.日本でパーツを買って送ってもらう。

2.こちらでパーツを探す。

どちらにしてもうまくいく保証は無い。1は時間がかかりすぎる。

ネットで調べてもうまくいかない。

海外のパーツを買うとき日本語のOSにドライバが対応しなかったり認識できないことがよくある。

でも、このままではいつになったらつながるかわからない。

家の近所にパソコンの周辺機器を扱っているお店があったので、聞いてみた。

ISDN用のPCカードがあるそうだ。

動かなかったら自腹でかぶる覚悟で買ってみた。

取り寄せだったから、その間に考えてみると「取扱説明書がオランダ語だったらどうしよう。」ということが心配になってきた。

そして、きのう「動かなかったら助けてくれる?」ときいたら「OK」といってくれた。

家に帰って説明書を見ると英語もあった、ほっ。

インストールも無事完了、接続・・・・やった!!!

つながったよ、つながったよ!!

これで気兼ねなくネットができる。

カードのメーカーのホームページへ行ったら、オランダ語と英語の選択があって英語にしてFAQをみたらオランダ語でした(笑)

更新 オランダ時間 5月15日8:20/日本時間 5月15日15:20 


2002年05月14日(火) 1ヶ月


おかげさまでオランダへ着て無事1ヶ月たちました。

大きく体調を崩すことも無く、大きな問題も無く。

日本人(同じ会社)がいるここと、

アジアショップで「出前一丁」が買えるのと、

1日おきに行っている中華料理屋があるのと、

英語が苦手な日本人に丁寧に教えてくれるアメリカ人トレーナーと、

テレビでCNNとMTVがみられるのと、

そのほか、もろもろのおかげです。

小さな問題はあるけれど、

家でネットができないとか←目下の一番の問題

車で左側を走って、前からきたおばさんを驚かせたとか、

次はパリに行きたいとか(問題ぢゃ無い)

死んでしまうほど、とか 眠れないほどとか困ってはいない。

「一人じゃないこと」と「トレーニング(研修)」であることが今回の海外出張と今までの大きな違い。

いままで(前の会社)は、「海外出張=客先での装置の立ち上げ、トラブル対応」であり、ほとんどは一人だった。

それに加えて、治安のあまりよくない国(昼間でも流しのタクシーに乗れなかったり、会社のセキュリティが銃を持っているような国)が多かった。

仕事はもちろん日程(ホテルの延長や航空機の変更)なども仕事を見越して自分が決めなければいけなかった。

でも、いやなことばかりじゃなかったんだ。

大げさかもしれないけれど、「人生観」が変わったと思う。

彼らから影響を受けたり、得たものは多い。

この日記のタイトルの由来について書いたように。

「井の中の蛙」の「井」が少し広がったし。

☆それに比べるといまはなんて「お気楽」なんでしょう。

休みが近くなれば「今度はどこへ行こう」なんて考えていて。

こんなことがあってもいいよね(自問)。

☆☆

F1オーストリアGP テレビで見てたけど、佐藤琢磨びっくりしたよ。

車から出れないし、心臓マッサージみたいなことしてたし。

放送でわかる言葉は「・・・SATO・・・・」だけ。

大事じゃなくてよかった。

もらい事故だったし。

バリチェロはかわいそうだった、彼のキャラが余計そう感じさせた。

↑わからないひとごめんなさい。

更新 オランダ時間 5月14日8:50/日本時間 5月14日15:50 


2002年05月13日(月) ロンドン旅行記

ロンドン1日目

AM6時起床、遠足の日の子供のように早起き。
空港に2時間以上前につく、地方空港なのでカウンターはあいていなかった。
アムステルダムでの乗換えが1時間弱、ちょっとあせる、走る。
ロンドン・ヒースロー空港では目的、日数、帰りのチケットなど細かく聞かれる。
地下鉄でロンドン市内へ。
2、3日目のツアーの集合時間をメモって来るのを忘れたので(よくやる)、マイバスセンター(ロンドン三越向かい)へ。
ナショナルギャラリー、交通博物館を見て、久しぶりの日本食を堪能しホテルへ。
カウンターへ行くとほかのホテルへ回された。
前でチェックインしてた客もそうであった。
きっと、旅行代理店経由の予約に対しては常套手段だと思う。
チェーンのホテルの部屋数までオーバーブッキングしているんだと思う。
ちょっと、腹が立った、地下鉄の便を考えて選んだから。
ホテルのカウンターは日本人だった。
後で聞いた話だけど、イギリスは世界で一番外国人が多い国だそうです。
日本人もかなりの数いるらしい。

2日目

ストーンヘンジとバース

巨石遺跡のストーンヘンジとローマ浴場跡バースへ。
バースはBathの語源だそうです。
今もなお涌き続けるお湯、温泉みたいなものです。(もちろん入れません)
9日はイギリス以外のヨーロッパのほとんどの国がキリスト昇天祭で休日のため9〜12日の間は観光客が多かった。
同じツアーでも在欧の家族連れが何組か見られました。
あとは、自分の両親のように定年後の夫婦、母と娘。
男2人の自分たちは異色でした(笑)

3日目

ロンドン市内観光(午前)
大英博物館(午後)

午前中はこれがロンドンというところをバスにて見学。
自分で行こうと思うと行くだけで疲れてしまいがちだから手抜きな自分たちにぴったり。
お決まりのバッキンガム宮殿の衛兵交代式はすごい人でした。

大英博物館は、ガイドさんの説明を聞きながら約4時間。
博物館とか美術館てただ歩き回るだけで終わってしまうけどとても興味深くて
もう一度世界史を勉強したくなっちゃいました、少しだけ。
1日観光には「アフタヌーンティー」がついた、1日観光で申し込んだのはわれわれ2人だけ。
ガイドさんとむさいおっさん2人でアフターヌーンティーという落ちがつきました。

4日目
帰路。
帰りはヒースローではなくスタンステッド空港というところから。
市内の駅から電車で行くはずが行ってみるとバスでした。
何でだろうと思って帰ってきてネットと確認したら日曜日はバスだと書いてあった。
そこまでちゃんとみてなかった。
アムステルダムで入国の際、滞在許可があるけどカードがまだないことで少し時間がかかった。
オランダは移民が多いから不法滞在にも敏感らしい。

空港から帰ってくる高速道路は、キャンピングカーをつけた車がたくさんで渋滞でした。

こんな感じで日本から行ったのと変わらない旅行でした。

ミュージカルを見なかったのが少し残念なのと日本のカレーが食べれてうれしかった。

何日かに分けて書こうと思ったけど、分けるほどのものでもないしその日に書きたいことがあったら困るんで、長くなってすみません。

更新 オランダ時間 5月13日8:50/日本時間 5月13日15:50 


halohalo |MAIL

My追加
いつのまにやら2万   多謝 エンピツユニオン