Kumsta kayo?(富山編)
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車でドイツの東の端のベルリンまで行こうということになり、家を出たのが10時。 ベルリンの手前のポツダム(ポツダム宣言の)についたのが16時ころ。 同僚が持っていた会社の携帯が鳴った。 オランダ国内のものですがなぜかドイツでも通じた。 この間、デュセッルドルフでは通じなかったのに。 ポツダムかベルリンで一泊する予定だったが、電話の内容は「明日会社にこい」とのこと。 ホテルを決めていなかったのが不幸中の幸い。 そのままUターン。 戻ってきたのは、0時ころ。 往復1300キロ、12時間のドライブ。 一日に1000キロ以上運転したのは初めて。 外灯がないので、ドイツのアウトバーンは、夜は疲れます。
記 10月2日 8:30
「アンネ・フランクの家」を見に行った。 今までは長い列に足が遠のいていたがきょうはならんでもここだけは見ようというつもりで。 名前は聞いたことがあったが、本は読んだことがなかった。 本を読んでいたら、真っ先に行っていただろうというのが感想です。 売店で買った小冊子を読んで、さらに考えさせられてしまった。 簡単に言うことはできないけれど、「人間のおろかさとそれによる犠牲」 世の中が全体主義と恐怖政治に進む中で正しいと判断し行動することはできるだろうか。 きょうもテレビでは、米国のイラクに対する姿勢が報じられる。 本当の平和や幸せが万人に訪れることは不可能なのでしょうか。
記 9月29日 19:50
2002年09月28日(土) |
ザーンセ・スカンス(ZAANSE SCHANS) |
ザーンセスカンスという町に行った。 ここは、チーズ工場、木靴工場、風車、お土産やがありオランダを象徴するものを集めた観光地。 日本人をはじめ多くの観光客がきていました。 日本人はツアーの年配の方がほとんどで、おみやげ物やで「これ、もう一個ちょうだい」とあたりまえのように言って通じてしまっているのを見て、コミュニーケーションは気持ちの問題だと感心しました。
記 9月28日 19:40
halohalo
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いつのまにやら2万
多謝

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