Kumsta kayo?(富山編)
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2002年10月21日(月) パリ4日目


きょうは一日かけて「モン・サン・ミシェル」へ。
早朝にホテルを出て、バスの集合場所へ行く。
いつもながら予定よりかなり早く着いた。
自力で電車、バスを乗り継いでいくには遠すぎる場所なのでパリ発日帰りツアーに参加。
いつもながら、ひとりは自分だけ。
女の子二人はよくいるけど、男二人は見ないし、なんかおかしく思えてしまう。
ということは、男がツアーに参加するにはパートナー(女)を連れて行かなきゃなんないってこと?
でも、なかなか普通の関係じゃ海外旅行に一緒に行かないよね。
片道4時間30分の道のり、現地の目前のレストランで名物といわれるオムレツを食べる。
もともと巡礼者に出していたものだから、そんなにおいしいものではない。
ウェイトレスもツアー客に食傷気味なのか、対応がぞんざいだった。
潮が満ちると完全に島になってしまうが、今は道路がある。
でも、この道路も島の回りの潮の流れに影響があるために取り壊して橋をかけるそうです。
島全体が寺院として建てられ、長い歴史の中では要塞として使われた。
階段がかなりあり、きょうもまた歩きました。
でも、テラス(展望台)からの眺めはすばらしいものでした。
パリから離れているからか、観光客はいるもののそれほど多くはなかった。
日本人は他にもいましたが。
帰りも渋滞に巻き込まれず、帰って来ました。
解散場所の近くで久しぶりの「ラーメン」を食べる。
ドイツの並んで食べるのより、よっぽどマシだった。(おいしくはないが)

記 10月21日 21:10


2002年10月20日(日) パリ3日目


きょうは、ガイドつき「ルーブル美術館」見学。
メンバーは昨日と同じように、カップル、夫婦、女の子同士二人組、それと親子と娘、母と娘、ひとりは自分だけ。
団体用の入り口から入った為、すんなり入れた。
ただし朝早かったため、まだ混雑はしていなかったようです。
このツアーは、無線で解説が聞けるのでガイドさんにぴったりくっつかなくてもよい。
やはり、かなり広くて自分でまわったら歩くだけで一日終わったかもしれない。
午前中で解散、午後は自分行きたいと思ったところ、行かなかったところをまわった。
でも、やっぱり迷子になってしまった方向音痴な自分。
昨日に続いてかなり歩いたので疲れた。
昨日まではルーブルをでた後、ポンピドゥーセンターにある「国立近代美術館」に行こうかと思っていたが見てまわるだけの集中力が保てなさそうなのでやめた。
ルーブルから、「マドレーヌ教会」へ。
地下鉄で2駅、地図で見るとそう遠くはないので歩くことに。
オペラ座とコンコルド広場から来る道が交差するところだった。
日曜日ということで、ミサが行われていた。
生演奏と聖歌。
キリスト教徒ではないけれど、一番後ろの席に座らせてもらい気持ちを沈めて疲れを癒した。
昨日より早い時間にホテルに帰ってきた。

記 10月20日 18:30


2002年10月19日(土) パリ2日目


きょうはとりあえず、午前中は市内観光のツアーに参加。
とりあえず一通り見て、後で気になったところに以降という予定。
朝、ツアー会社に行ってみると「ベルサイユ宮殿」のツアーが2グループもあった。
人気なんですね。
一方、市内観光は10人弱。
若いカップル2組、熟年夫婦、おばちゃん2人組、ひとりで参加は自分だけ。
内容は、「ま、こんなものですか」という感じ。
パリは、ちょっとお洒落さんが来る感じでオランダ普段着(防雨防風仕様)ではちょっと浮いていたかも。
解散後、とりあえず「ピカソ美術館」へ。
ちょっと疲れが取れず、満喫できなかったかも。
その後、コンコルド広場へ。
シャンゼリゼ通りの途中でホットドックを買って食べる。
凱旋門は、見えるがかなり先です。
しかし戻るに戻れないから歩きつづける。
途中で売店がいくつかあるが、ごみ箱が無い。
どうして、どこに捨てるの?
歩きつづけてやっと凱旋門へ。
入り口を入ってみると”階段”だった。
ガイドブックには、エレベータで上がれると書いてあったのに。
小さい子供やお年寄りなど、どう考えても階段では上がれないような人たちがいたところからエレベータはあるようです。
凱旋門の屋上からはパリ市内が一望できる。
散々歩いて、階段を上ったけど、爽快感があった。
でも、きっと筋肉痛だろうな。
まだ明るいけど、きょうは早めに帰りました。

記 10月19日 16時35分


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