Kumsta kayo?(富山編)
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2005年01月24日(月) 伯母の死

きのうのこと書こうと思ったけど書けそうにない。

昨日、実家から電話が来ていて(誕生日で)出れなかったからさっき電話したら、きょう伯母さん(母の姉)が亡くなったって。

ほんとうはすぐにでも行きたいけど、行けないし、「来なくていい」って言われた。

なんか、涙が止まんないんだけど

はやく一段落して仙台に帰りたい

☆☆少し落ち着いたので追記

気が動転しているときにメールをだしたら、心配して電話を掛けてくれた。
長々と話に付き合ってくれたおかげで気持ちもだいぶ落ち着いてきた。
本当にありがとう、ちー。

亡くなった伯母さんは母方の祖母と同居していたからよくあってかわいがってもらっていた。
個性的で明るく前向きで、姓こそ変わったものの年下の旦那さんと暮らす「サザエさん」みたいなキャラのひとでした。
マイペースというか時々変わったことをするけれど決して憎まれることのないひとでした。
ここ1,2年は入退院を繰り返し、手術も何回もしていたけどこんなに早くお別れが来るなんて思っても見なかった。
内容はわからないけれど、ちゃんと家族宛に手紙を残していたそうです。

やっぱり、ひとには必ず「死」が訪れ、いつかは永遠の別れが来ることを考えさせられました。

伯母は父親と同じ歳、自分の親が死ぬことを思うといとこの気持ちを考えるとすごくつらいです。
いとこは2人兄妹で兄は既婚でまだ子供がいませんでした。
妹はここ数年は、母の看病のために結婚に踏み切れないようなことも聞きました。

うちも同じような状態ですが、万が一の日が来る前に孫の顔を見せてあげたいと思いました、できることなら。

弔電を送ろうとしたらNTTの電報のページがメンテナンス中で他のページから送ったんだけどどうもメールアドレスを間違ったようです。
届くのか心配です。

元気付けてくれたちーのためにも昨日の日記も書こうと思う。

追記、更新 1月25日 1:50


2005年01月23日(日) 誕生日

24日の日記の後に書いています。

きょうは、3○回目の誕生日でした。
当初は土曜日が休みでしたが、日曜日に変えてもらいました。
先週、横浜に行っていた同じ事務所のちーが実家の金沢に帰っているので買い物がてら金沢まで迎えに行きました。
約束の時間より早く着いたので、買い物に先に行きました。
無印でごちゃごちゃとたくさん買って、しまいには両手なべまで買ってしまいました。
そのあと、ブーツを見てサイズがないので送ってもらうことに。
バーゲンはもう終わりかけていたので服は買えず。

ちーと待ち合わせてお茶して昼ごはんを食べてぶらぶらしてから、彼女の実家に東京、横浜、金沢でたっぷり買いこんだ荷物を積みに行きました。
本当はその後温泉に入ってから帰ってくるはずだったんだけど、2日前くらいから女の子の日になってしまったので温泉はあきらめました。

こっちに戻ってきて、彼女の家で荷物を降ろして家に帰ってあずかっていたフラワーアレンジメントを届けて、夕食に。

少しお酒も飲んで、アメリカに残してきた彼の話とかいろいろ深い話をしました。

ちなみにプレゼントは気に入ってもらえたようでよかった。
彼女からはマフラーをいただきました。

ひさしぶりにひとにちゃんと祝ってもらいました。
家で食事しなかったのでケーキを買うのを忘れました。

夕方から自分の携帯を持っていかなかったら、家から電話が何回か入っていました。

更新 1月25日 2:10


2005年01月19日(水) 優しさ

最悪の誕生日を迎えた翌日、
きのうから出張先で調子が悪くて、きょうお昼で早退したようです。
具合が心配だからメールをしたら、そのやり取りの中で

「優しすぎはあまり良くないです。」

「いつも優しいから周りが甘やかされます。私も含めて。」

「けどもう手遅れ。今から優しくなくたったらすねるもん。」

って言われました。
昨日、こっちで仕事を請けてあげたのときのうからの体調の悪いことを心配したことから出た言葉だと思うんだけど。
でも、自分が逆の立場だったらやっぱり誰かに助けてほしいし自分の仕事を投げてまでやったわけじゃないんだよ。

それに自分だってみんなに優しいわけじゃないし、甘えられても限度があるし。
度を過ぎた優しさが迷惑になることもあるってわかっているつもりだけど。

とにかく早く良くなることを祈るばかりです。

更新 1月20日 0:00


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