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◇◆◇ 2004年12月08日(水) ◆ |
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◆ 309113 ◇◆◇ |
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Q. 最近の この 『雰囲記。』 は どこに 向かっちゃってるの?
A. はい。 行く宛てもなく 彷徨いながら 今年を 振り返りつつ 『死』に ついて ネットリと 語ってます。 ネットだけにね。 なんつって。 文章長くて 読みづらくて 内容も まとまってなくて ごめんクサイ。 ってか こんなん 誰か 読んでんのか? ええねんっ。 独り言でもっ。 せやかて なんか 言いたいんす。 今が そんな 気分なんす。
・・・「小泉さん。 彼らは 日本政府に 日本自衛隊の 撤退を 求めています。 さもなくば 僕の首を はねると 言っています。」 「すいませんでした。 あと また 日本に 戻りたいです。」・・・
10月26日未明 ホームページに 流された 映像の中で 香田 証生 さんが 脅されながら 語った 内容。
ある日 「天声人語」で 香田さんに 関する 話が 書かれていた。
1月から ニュージーランド イスラエル ヨルダン イラクと 渡ってる。 日本を 出た頃には イラクで 邦人拉致が 相次ぐのを 知らなかったわけだから イラクに 入る時には 危険性の 情報を 持ってなかったんではないか。 また その旅の 目的も 明確に あったのではなく むしろ 名前にある 生の証を 探しての 旅だったんではないか と予想してる。 『そして 「日本に 戻りたい」と つぶやいた時に 生き続けること 自体の 価値を 悟ったのではないか。』 という 言葉で しめくくっている。
銃なんかの前じゃ ちっこくて 弱っちくて 儚い命かもしれないけど... 納得できる 死なんて 少ないのかも しれないけど... 誰かに 奪われるべき 命なんて 何処にも 無い筈なのだぁー。 と 強く 言いたいのだ。 ってか 頭で 戦えょ。 頭突きも可。
この 雰囲記の 第309001回目の 【壱言】は 「I’ll be」 の 歌詞だった。 個人的に 凄く 好きな 言葉です。
壱言――――― 駄目な映画を 盛り上げるために 簡単に 命が 捨てられていく 違う 僕らが 見ていたいのは 希望に 満ちた 光だ。
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◇◆◇ 2004年12月07日(火) ◆ |
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◆ 309112 ◇◆◇ |
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日本漢字能力検定協会が 毎年 全国公募している 『今年の漢字』。 2004年の 今年は 『災』が 選ばれた とのこと。
今現在 北海道の 地震も 続いているし 中越地震 複数の大型台風と 天災が 続いたし という風に 理由が 容易に 想像できるくらい 印象が 強かったからだろう。 2番目に 多かった 『韓』も ま わからなくもないんだけど...。
ある日 「天声人語」で 中越地震に 関する 話が 書かれていた。
阪神大震災の ときに 花を 配ったら 喜ばれたってのを 知ってる人が 新潟の 被災者の みなさんにも 花を 渡したいからと 持って行った という話。 もちろん 食べるモノや 水や 防寒用具も 必要だっただろうけど 家族や 周りの人を 亡くした方々達に とって 自分達の 置かれている 立場も 厳しくて お葬式も してあげられない 状況で その 小さな命が より一層 大切に 思えたんじゃないだろうか。 花を 受け取った時に 涙を 流した人も 居たと言う。
台風23号が 京都を襲い 観光バスが 水没した 事故は 10月20日に 起きた。
迫って来た 雨水に 衣服を 濡らされて 寒い中 歌を 唄い合って 励まし合い バスの上だけじゃなく 周りの 孤立した 他の人たちも 勇気づけられた という。 平均年齢 67歳の 決して 若いとは言えない 37人は 夜から 朝に かけての 10時間を 生き抜いた。 情けないけど この記事は 何回読んでも 勇気づけられると 共に 涙が溢れる。
窮地に 立たされた時こその 強く生きる知恵 ってのは 救い合い 励まし合い 出来る者が 出来る事を やっていく。 当たり前で 単純で 簡単な 考え過ぎる必要のない 些細な事こそ そうあるべきなんだなって 思った。
壱言――――― 駄目な映画を 盛り上げるために 簡単に 命が 捨てられていく 違う 僕らが 見ていたいのは 希望に 満ちた 光だ。
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