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◇◆◇ 2005年03月16日(水) ◆ |
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◆ 30911111 ◇◆◇ |
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何気に なんとなく ゴソゴソとしてたら 節目が 出てきて 交差点で マークシートで オーディエンスで ファイナルアンサー? って 訊いて 自信無さげに 応えても それが 答え。
――――― どうやっても 主観に なるから そうやって 客観的に 看てもらって それによって 救われた 言葉。 保護。
――――― あなたを 支えている 大黒柱が わたしに とっての 尊敬の証 勉強の種 人生の師 新しく 変われた わたしの 柱の傷。
――― 壱言 ――― 1人じゃない 喜び なには なくとも それで 良しと しようか。
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◇◆◇ 2005年03月15日(火) ◆ |
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◆ 30911111 ◇◆◇ |
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ガツン って 音が した。 頭蓋骨が 揺れた ような 気が した。 この 心に 静かに 響いた 衝撃の 瞬間だった。
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『 … 映画 「愛しのロクサーヌ」 の中の スティーブ・マーティンのように 勇気と 誠意と ユーモアのある 人間に 憧れを 抱く 今日この頃 なのです。 しかしながら この ユーモアの バランスというのが なかなか難しく 何もかもを ユーモアにして 真剣な 自分と 向きあうことから 逃げていたら 単なる おチャラケ野郎に なってしまうのです。 ですから 見習うべきは オチ○チ○ なのです。 普段は フニャと していても 肝心要の 時には ビシッと 硬くなる。 それこそが 私の 描く 理想の 人間像で あります。 … 』
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月刊 カドカワ ’95年 3月号掲載 連載エッセイ 「ささやかなる大発見」 第12回 ― 発見 私の理想の人間像 ― の 中で 桜井和寿氏 本人が 記した 文章の 一部。
この言葉に 出逢って 以来 人として 男としての 人生目標像は すっかり オチ○チ○ に。
なんだか めっきり 桜井和寿氏の 一言一句の ほとんどは 我が人生にとって もはや 道標なのであります。
ま 色んな意味で インポテンツに 甘んじぬように...。
お下品で ごめん ください。
――― 壱言 ――― 無駄な ことなど きっと 何一つとして ないさ 君の 身の上話の ひとつでも 聞かせてよ。
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