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◇◆◇ 2005年06月28日(火) ◆ |
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◆ 309−MR.001 ◇◆◇ |
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つい つい ホロリ... とね。
ぃゃぃゃ...
男の子と 女の子が 近未来風の 怪しそうな 雰囲気の 研究所みたいなトコで ガラス越しに お互いが 見える 2つの部屋に 別々に 隔離されてんですよ。
2人は お互いに お互いを 想い合って 必要とし合って 魅かれ合ってんですよ。
触れ合えず 声さえも 聞き合えず 視覚でしか 確認し合えない 2人は 繋がり合いたい という 想いを 透明な 目に見える 壁である ガラスに お互いの手を 添え合って 少しでも 確かめ合おうと してんですよ。
ある日 実験目的か なんかで 嫌がる女の子が 連れ出されてしまう時に その 研究員風モヒカンオッサン達に 対して 男の子が 怒り狂うんですよ。
その シーンで 2人の間を 隔ててもいるけど 繋げてもいる その窓ガラスを 叩くんだけど 一所懸命に 力一杯に 無我夢中に 叩いている からこそ そのガラスに 手の跡が いっぱい いっぱい 付いてくんですよ。 それが 象徴的に 描かれ 映されるんですよ。
普段の... 2人で 手を添え合う 静寂の シーンと 独りで... 叩く事しか 出来ない 慟哭の シーンとの その 相対する 対照的な コントラストが 凄く 哀しくて
想いの 力強さと 必死さが 突き刺さるように 伝わってくるんですよ...。
目の前に 居てくれている 貴方に 手も 声さえも 届かない... 何も してあげられない... って ことへの 虚無感と 絶望感が 後ろ姿と 手に 集約されてんですよ...。
ホントゥに ホントゥに 切ない シーンだ...。
人ってぇのは 誰かの為に... 自分の為に... 必死こいて 動き出せるんですよ。
そんなんが すっげっ 素敵だと 思いまぁす。
ところで... 料理研究家の 栗原はるみ さん が 出してる 料理本が ある。 「ごちそうさまが、ききたくて」
なんだか 愛を 感じねぇですか? 相手を 想う 心が 見えねぇですか?
貴方の 喜ぶ 気持ち こそが 私の 喜び。 なんか 嬉しいよね。 喜んでくれると。 あともう少しだけ 頑張れるよ。
そんなヒビキが でぇすきで そんな 理由で こんな シリーズ・タイトルに してた 所存でした。
...あぁ わたしゃ 愛に 飢えすぎ ですか...。
...うっとおしくて わりぃか。
壱言――――― 君が 好き この 響きに 潜んでいる 温い 惰性の 匂いが しても 繰り返し 繰り返し 煮え切らない メロディに 添って 思いを 焦がして
君が 好き 僕が 生きる うえで これ 以上の 意味は なくたって いい 夜の 淵 君を 待ち 行き場の ない 想いが また 夜空に 浮かんで 君が 好き 君が 好き 煮え切らない メロディに 添って 思いを 焦がして。
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◇◆◇ 2005年06月27日(月) ◆ |
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◆ 309−MR.002 ◇◆◇ |
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Q. 「ディカップリオォのー 出世作なら〜♪」 何が 思い浮かぶ...?
A. 「WHAT’S EATING GILBERT GRAPE」 この映画は ディカップリオォ も ジョニー・デップ も えがったょ。
この歌が 出来上がった 経緯には ある事件が 切欠にあった とのこと。 ちょうど ラジオで 流され始める 少し前の 出来事だった と 思う。
被害者・加害者 両者を含めた 事件の 当事者たちの 幼過ぎる 年齢とは 全く 反比例してしまうような 残酷さと 非情さに 非現実的なような... でも まさに 現代に溢れる事実を 象徴したような... そんな 違和感に 驚かされた 衝撃的な 事件だったという 記憶がある。
世間的にも 立場的にも もはや 子というより 親側としての 視線になり 自分の 遺伝子を 未来へと 繋いでゆく為の 資格を与えられた 櫻井氏が 唯一無二の 大事な 自分の子供が 関係してしまうかもしれない 可能性を オーバーラップ させて しまうのは 可笑しいこと では ないのだろう。
だけど ちょっと 意外な 視線だった。 この視線は 捉えられがちな 亡くなってしまった子の親のモノ というよりも どっちかっつぅと 加害者となってしまった子の親のモノ 寄りで 見られている。 って 気がする。
で おそらく 人としても 親としても 成長段階であろう 櫻井氏は 「かろうじて 出来ることは 相変わらず 性懲りもなく 愛すこと以外にない」 と 歌っている。 そう。 オレは 親じゃないし 上司経験も 少ないから わかんないんだけど 親と子とか 育てる育てられる という関係に 具体的な 解決策なんて ないんだ。 十人十色 臨機応変 試行錯誤 人それぞれ 失敗は成功の元。 要するに 想う とか 見守る とか 根本的なモノ。 それだけが 答え なんだ。
つまり 加害者が 子供 という 事件が 増えている 現代に 投げ掛ける為に 親の 子に対する 愛情不足とか 親の 在り方とか が 問われる中で 加害者の親が すべきだったんじゃないか って事を イメージしたけど 加害者だとか 被害者だとか という 区別ではなくって 基本的概念として 親は子に 人は人に 何を するべきなのか? それに 尽きるんだって 気付いたんじゃないだろうか。
ところで... これって 観てない人のために 言わない方が 良いのかな? ま 最後は ある理由で お母さんが 死んでしまうんですよ。 で その ある理由が 原因で 家族以外には 姿を 見せなくなってて 家の庭で 開催した 息子の 誕生パーティの 日でさえ 結局 家からは 出なかったような お母さんだったんだけど そんな 母を 心から 想っているが故の あの火葬なんですよ。 親子愛を 感じるのですよ。 ってことは やっぱ テーマ的にも ギルバート・グレイプであってんじゃね?
ってか 久々に なーーーげーーー。
そういえば 誰が為 なんだろう...?
我が為 だけ じゃない って ことなんだな...。
壱言――――― ただ ただ 抱き合って 肩叩き 抱き合って 手を 取って 抱き合って ただ ただ ただ ただ ただ ただ ただ た 抱き合って いこう
戦って 戦って 誰がため 戦って 戦って 誰 勝った? 誰がためだ? 誰がためだ? 誰がため 戦った?
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