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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2003年12月15日(月)
Vol.410 我が強い

おはようございます。りょうちんです。

「意外とりょうちんってさ、結構我が強いところあるよね〜」。いつだったかかなり昔、大学時代の友達にこう言われたことがあった。当時の俺は「我が強い」という意味が良くわからず、てっきりそれが誉め言葉だと勘違いしてしまい、「いやぁ、それほどでもないんだけどねぇ…」なんて照れ笑いさえしてしまったのだ。「我が強い」とはけして誉めているのではなく、逆にマイナス的な意味のコトバだと知ったのはそれからずいぶんたってからのことだ。
我が強い。辞書で調べてみると、自分の考えを突き通そうとする気持ちが強い、と書かれている。しかしながら、実は今だにこのコトバの意味がよくわからない。いや、なんとなく意味はわかったつもりなのだが、ちゃんとしたニュアンスがピンと伝わってこないのだ。自分の考えをちゃんと突き通すことができるのなら、むしろやっぱり誉め言葉なのでは、とさえ思ってしまう。日本語って、難しい。
相方に、我が強いとはどういうことなのか聞いてみた。すると、タレントの磯野貴理子さんみたいな人、という答えが返ってきた。たしかに、TVで見る磯野貴理子さんは自分の考えを頑なに突き通そうとするイメージがある。でも、俺は彼女のことはすごく好きだし、好印象を持っている。それゆえに、やっぱり「我が強い」とは誉め言葉なのではと錯覚してしまいそうになる。
思い返してみると、自分の考えをしっかりと持って、正しいと思うことを突き通したということは、今までに多々あったと自分でも思う。でもそれを、頑固で強情で、他人の意見を聞き入れずに協調性がないと取る人もいるだろう。長所と取るか短所と取るか、それは人それぞれなのだ。だから我が強いと言われても、それをプラス思考に考えてこれからもやっていこうと俺は思う。
って、こういうことを我が強いって言うんだろうか? 誰か、「我が強い」の本当の意味を、俺にしっかり教えてください。



2003年12月14日(日)
Vol.409 気分はサンタクロース

おはようございます。りょうちんです。

クリスマスまであと10日。街のあちこちからクリスマスソングが流れ、きれいなツリーもたくさん見かける季節になりました。うちの店ではこのシーズンになると、毎年バイトくんたちにはサンタクロースの衣装を着て仕事に励んでもらうのが恒例となっているんだけど。今日は人手が少なかったこともあり、俺もサンタの衣装で仕事をしてみることにしました。てか、「りょうちんっていったいどんな店で働いてるの?」なんて、俺の仕事を詳しく知らない人はあやしく考えちゃうかな。
さて。サンタの衣装を着るにはちょっと抵抗があったりするバイトくんも、中にはいたりするのね。特に高校生のバイトくんとかは、学校の友達や知り合いに見られたら恥ずかしいとかさ。んでも俺的には、全然OK。むしろ喜んで着ちゃうくらいなんだよね。すっかりサンタクロースになったつもりで、鏡に自分を映して喜んでみたりしてさ。まぁシーズン限定だし、仕事も楽しくやらなくちゃだし。サンタの衣装が着れるのは、俺の仕事の特典だもんね。
で、やっぱりサンタの格好でいると、お客さまからもそれなりに反応があったりするわけ。チビッコが喜んでくれたりしたら俺もうれしいんだけど、でも現実的にいちばん反応してくれるのはやっぱり大人なんだよね。時には「大変ですね…」なんて、ねぎらいのコトバをかけられちゃったりもするし。チビッコがいても、お母さんが「ほらほら、サンタさんがいたよ〜」なんて興味を引かせようとするんだけど、チビッコは全然見向きもしてくれなかったり。あげくの果てには、サンタの赤い服がチビッコには刺激的だったのか、ぐずり出して半泣きになる子もいたりで。せっかく俺の気分はサンタクロースに100%なっていて、Happy Merry Christmasってカンジなのに、仕方がないけどそんなチビッコには正直トホホです。
そういうわけで、まもなく今年も大忙しのクリスマスがやってきます。例年通り、仕事がかなりハードな季節がやってくるけれど、忙しさに負けないでがんばらなくちゃね。



2003年12月13日(土)
Vol.408 今年のうちに

おはようございます。りょうちんです。

年の瀬の12月。年が明けたのはついこの前だと思っていたら、あっという間に年末になってしまった。師走とは良く言ったもので、ただでさえ忙しい身の俺なのに、12月ともなれば仕事もプライベートもさらに輪をかけてあわただしくなったりする。結局やらなくちゃならないことも充分できないまま、毎年お正月を迎えちゃうんだけれど。
それでも少しでもやるべきことを消化するために、休みをフル稼働して大掃除をはじめることにした。いやまあ、あまりにも散らかってしまった部屋を、新年が来る前になんとか片付けなければと切羽詰まってしまったのがホントのところなのだが。
いらないものをゴミ袋にまとめて、洗濯物もきれいに畳んで、隅々までしっかり掃除機をかけて。はっきり言って、掃除はあまり好きじゃないんだけれど。こんな大掛かりな掃除って、いつ以来だろう。キッチンやトイレも含めて、一生懸命部屋を片付けることだけに没頭した。懐かしい写真や昔の雑誌なんかが出てきて誘惑されることもあったけれど、じっと我慢をして黙々と掃除に励んだ。
数時間後、なんとかひととおりきれいな部屋にすることができた。お風呂やキッチンまわり、換気扇に冷蔵庫など、まだまだやり残したところはいっぱいあるけれど。とりあえず、人様に見せられる程度には片付いた部屋になったと思う。お客さんが来ても、これならきっと大丈夫。いろんなものが整理されて、なんだかちょっとだけ部屋が広くなった気がした。
久しぶりにきれいになった部屋で、おいしいお鍋でもしたいなんて考えてみたけれど。そうだ、俺にはまだまだ今年のうちにやらなくちゃならないことが山のようにあるんだった。



2003年12月12日(金)
Vol.407 楽ちんチャリンコライフ

おはようございます。りょうちんです。

冬はやっぱり寒いから、自転車に乗る機会もなにかと減ってしまうのは仕方のないこと。俺の自転車もポンコツママチャリなもんで、ペダルを漕げばギコギコいうしブレーキを握ればキーキーいうし、最近じゃあんまり出番も少なくなっていた。
パートのSさんが愛用している電動自転車を、ちょっとだけ借りて試乗させていただいた。Sさんいわく、どんなに急な上り坂でもどんなに重い荷物を積んでいても、これさえあれば楽ちんチャリンコライフが堪能できると言う。ウワサはウワサ、半信半疑のままさっそくラクラクモードの電源をオンにして、俺は電動自転車のペダルを踏みこんだ。
スーイスーイ。あれ! 最初のステップから、俺がいつも乗っているポンコツママチャリとは明らかに違う。力を入れなくてもペダルに足を乗せてさえいれば、自分の足の重みで勝手にペダルが回転し前へ進むのだ。しかも電動自転車は非常に伸びが良く、1回漕ぐとママチャリを3回分くらい漕いだほど進んでくれる気がした。もはや自転車というよりは、ちょっとしたスクーターといっても過言ではない。
俺は調子に乗って、かなり急な上り坂まで行ってみることにした。俺のポンコツママチャリでは、いつもここは降りて自転車を押してしまう坂。電動自転車と言えども、さすがにこの坂は急過ぎやしないか。そう思い、俺は坂を上りはじめたのだが。ところが、誰かが後から自転車を押してくれている、そんな感覚だった。立ち漕ぎなんかしなくても、ちょっと足に力を入れるだけでぐんぐん坂を上っていくではないか。いつもはへとへとになるこの坂も、今日は余裕で上り切ることができた。予想以上のパワーに、マジで驚いた俺。
ひととおり試乗が終わって、興奮冷めやらぬ俺は他のパートさんにも電動自転車のすばらしさを語った。ボーナス出たら買っちゃうかなんて考えたけれど、「6万円くらいですって!」の声にちょっと躊躇。毎日乗るなら良いかもしれないけど、いつも車に乗ってる俺にはやっぱ必要ないかもね。



2003年12月11日(木)
Vol.406 父へのプレゼント

おはようございます。りょうちんです。

昨日は父の誕生日だった。誕生日だからと言って、毎年特別にお祝いしたりするわけではなかったのだが、今年はどうしても父にプレゼントしたいものがあった。父へのプレゼントなんてもう何年もしたことがなかったから、誕生日なんていう理由でもないとプレゼントなんてちょっと恥ずかしいというのが俺の本音なのだが。
俺の目から見て、最近父はがんばっている。特に母が病に倒れてからの父は、昔の父に比べるとかなりがんばっているように見える。母とふたりして守ってきた店も、今は父がひとりで切り盛りしているし、母が生活する上でのサポートもやらなくてはならない。気持ちを安らげるための自由に使える自分の時間は、以前に比べたら極端に少なくなってしまっただろう。ストレスだって、きっとそれなりに溜まっちゃってるに違いない。昔、激しい衝突もあった父と俺だが、今はとてもがんばっている父をココロから誉めてあげたいと思った。
俺の決めたプレゼントは、財布。先日見かけた父の財布は、もうずいぶん使いこんで相当くたびれていた。かなり年季の入ったその財布は、父にしてみれば充分なじんで使いやすいのかもしれないが、さすがにそろそろ新しいものに変えたって良い頃だろう。そんな想いを胸に、俺はデパートの財布売場でじっくり時間をかけて、デザインからも使い勝手からも父にいちばん似合うステキな財布を探し当てた。
仕事が終わって急いで実家に帰ると、遅い夕食がちょうど始まるところだった。食事が始まってもなかなかプレゼントを渡すタイミングが見つからなかったのだが、今日が父の誕生日だということを母が話したのをきっかけに、俺もうまい具合にプレゼントを渡すことができた。父はひとこと「ありがとう!」と言って、包みを開き財布を取り出す。弟は「すげーじゃん!」なんて言って騒いでいたが、父は財布を手に取って見ながら、ただ笑っているだけだった。
俺の渡したプレゼントを父が気に入ってくれたかどうかはわからないが、俺は父にプレゼントができたということだけで満足だった。



2003年12月08日(月)
Vol.405 100点満点の旅

おはようございます。りょうちんです。

日光で迎えた2日目の朝。旅の続きはさっそくはじまる。朝風呂にゆっくり浸かり。おいしい朝食を堪能して。早々と観光モードに。思い返せば。以前日光にやってきたのは小学校に入る前。20年以上もの時を経て。じっくり日光観光を楽しむ時がやってきた。
最初に向かったのは日光東照宮。静まり返った杉木立の中。朝のさわやかな空気が身にしみる。コミカルな三猿を発見したり。眠り猫を見つけたり。鳴龍に感動したり。手の込んだ造りの陽明門に見とれたり。さすがは世界遺産。たっぷり2時間もかけて。二荒山神社も輪王寺も見て歩く。
二社一寺をあとにして。奥日光をめざす。いろは坂を通過。紅葉もすっかり終わり。寂しい冬枯れの木々の道。カーブのたびにいろはを読み。もじもじくんごっこで盛り上がった。
華厳の滝。はるか昔に見た時と同じ見事に落ちてゆく水の流れ。中禅寺湖。晴れ渡る静かな湖畔を歩く。竜頭の滝。滝を見ながら団子を食べる。人気もまばらなシーズンオフの観光地。湖も滝も貸し切り状態。
ドライブは続き。日光湯元に着いた。湯の湖にて。湖畔を一周する遊歩道を歩く。標高が上がったせいで。ここはもう真冬。吐く息も白い。上着を着ても手はかじかむけれど。1時間かけて湖を回った。夕暮れ迫る湖で。歩きながら相方といろんな話をする。途中でハプニングもあったけど。そんなことも笑い飛ばしちゃうほど。
夜。市街地に戻り。公共の温泉に入る。ゆっくり温泉に浸かりながら。この旅を振り返る。おいしいものをたらふく食べて。観光地もたくさん巡って。楽しい思い出をいっぱい胸に焼きつけた。100点満点の旅。
真夜中の高速を飛ばして。家に着いたらもう日付が変わっていた。非日常はこれでおしまい。明日からは普通に仕事があるけれど。またいつか近いうちに。こんな旅がしたいと思った。



2003年12月05日(金)
Vol.404 栃木路

おはようございます。りょうちんです。

晩秋から初冬にかけての栃木路を旅してきた。相方とはじめてのふたり旅。前日までの雨がウソのように晴れて。快晴の空の下。朝早くから車に乗り込むふたり。平日のすいている国道。北へ向かう。最初の目的地は宇都宮。お昼は宇都宮でおいしい餃子をたらふく食べる計画。
いつだったか母が言っていた。餃子を食べるなら「みんみん」よ。TVでうまいと評判だったらしい。母のウワサなんてあてにしてなかったけれど。友達からのメールでも「みんみん」はおすすめだった。観光案内所で餃子マップを手に入れる。さっそくチェック。「みんみん」発見。迷わず直行。さっそく注文。焼きたて餃子をひとくちほおばる。うまい。感激。あっという間にたいらげるふたり。
「みんみん」を後にして。数店の餃子屋さんをはしご。中にはハズレもあったけど。うまい餃子に舌鼓を打ちながら。次々に餃子を食べ歩いた。一人あたり30粒の餃子たち。ふたりの胃袋に無事収納完了。すっかり満腹。すっかりご機嫌。
そして。めざすは日光。紅葉も終わりすでにオフシーズン。閑散とした夕暮れの駅前を散策したりして。それから予約を入れておいたペンションへ。少しだけくつろいだあとは待望の豪華ディナー。日光名物湯葉もあったり。餃子をいっぱい食べた後にもかかわらず。さらにもりもり食べまくるふたり。なんとデザートのケーキは12種類。あまりのうれしさに泣きそうになる。もちろん完食。うますぎて大満足。
部屋に戻って窓の外を見ると。満天の星屑が輝いていた。氷点下にまで冷えた引き締まる空気の中。鮮明に瞬く星座たち。部屋の電気を消して。静まり返った暗闇にまぎれて。ずいぶん長い間星空を眺めていた。ふいに。オリオン座の横をかすめて大きな流れ星がひとつ。思わず声をあげるふたり。突然の出来事で願い事はできなかったけれど。なにか良いことありそうな予感。
時計の針が12時を過ぎた頃。楽しかった一日もようやく終わり。やがて就寝。そしてこの旅は2日目に続く。



2003年11月30日(日)
Vol.403 イカ墨スパゲティ

おはようございます。りょうちんです。

高校生の頃だったか、イカ墨スパゲティの存在を初めて知った時、あまりのインパクトの強さに俺は一気にココロを奪われた。口に入れるものなのに、その色の黒さと言ったら。不気味な黒い物体は、いったいどんな味がするのか見当もつかない。また、食べると口の中が真っ黒になるというウワサも魅力的だ。俺は、すぐにでも食べてみたい気持ちでいっぱいになった。
ある日、友達と入ったとあるレストランにて。俺はメニューの中に、イカ墨スパゲティがあるのをついに発見した。迷わず注文する俺。やってきた現物は紛れもなく真っ黒で、おそるおそる最初のひとくちを口に含んでみた。うまい。イカの風味と塩味がマッチして、予想を超えるおいしさに俺は舌鼓を打った。
そして、口の中が本当に黒くなっているのかをチェック。友達から手鏡を借りて、とびきりのスマイル。鏡の中には、真っ黒な歯で笑っている俺が映っていた。自分の顔に、思わず吹き出しそうになった。昔の人がやっていたお歯黒とはこんなカンジなのかもしれない。舌やくちびるまでも黒くなって、なんとも不健康そうだし。あぁ楽しい、なんて楽しい食べ物なんだ。おいしい上に、こんなに楽しい経験ができるなんて。友達と一緒に、大笑いしながら俺はイカ墨スパゲティをたいらげた。
しかし、そんな楽しいことなんてすっかり忘れてしまっていた翌日。俺はトイレに行って驚いた。出したものまでが真っ黒だったのだ。まるで木炭のようなそれはあきらかにいつものとは違い、イカ墨を食べたせいだと気付くまでの数秒間はすっかり考え込んでしまった。
昨日、久しぶりにイカ墨スパゲティを食べた。以前食べた時よりもイカ墨の量が少なかったのか、黒さは少しだけ薄いような気がしたのだが。あいかわらずとってもおいしくて、やっぱり口の中も真っ黒になった。でもさ、イカ墨スパゲティを食べたあとに、さすがにチュウはできないよなぁ。



2003年11月28日(金)
Vol.402 コンタクトレンズスコープ

おはようございます。りょうちんです。

忙しい仕事の合間を見つけて、なくしてしまったコンタクトレンズを新たに作りに行くことにした。偶然ではあるが、俺がコンタクトをなくした少し前、相方もコンタクトをなくしてしまったんだそうで、一緒に作りに行くことになった。
前回コンタクトを作ったのはもう5年も前のことで、今じゃかかりつけのコンタクト屋さんもなかったから、とりあえず駅前で配られているチラシやらを参考にいくつかのコンタクト屋さんを巡ることにした。夕闇の街で相方とふたりでああだこうだいろいろと比較検討しながら、とあるコンタクト屋さんに決める。カンジの良いお姉さんに受付してもらうと、さっそく隣の眼科にて検診してもらうことになった。なくしたコンタクト、俺は右目で相方は左目。ふたり合わせてちょうどワンセットになるのだから、料金もそれなりにセット価格になるのかと思いきや、さすがにそういう訳にはいかないらしい。
さて、検診の結果なのだが。俺の目は、少し傷がついてしまっているんだそうだ。原因は、それまで使っていたコンタクト。もう5年も使えば充分寿命でしょうと言われてしまった。俺的にはすこぶる良く見えるし目の方もいたって快調なのだから、寿命だなんて言われても全然ピンと来ないのだが。というか、コンタクトが5年で寿命をまっとうしちゃうなんて知らなかった。今使っている左目のコンタクトも、早いとこ新しいものに変えた方が良いですよと忠告されたが、今回はなくしてしまった右目だけをお願いした。
約1時間後、右目用の新しいコンタクトが手渡された。さっそく装着、視界良好。ぼやけていた世界も、新しくなったコンタクトレンズスコープでいっそうクリアに見えた。今度はなくさないようにしなくっちゃ。



2003年11月27日(木)
Vol.401 それでも母は生きていく

おはようございます。りょうちんです。

母が病院から帰ってきた。外泊や一時退院ではなく、担当の先生からちゃんとした退院の許可が下りて、長かった入院生活にも終わりを告げることができた。7月に一度退院はしているものの、10日あまりですぐに再入院してしまったため、事実上丸7ヶ月の入院生活からの解放となったわけだ。母にとってこの7ヶ月という期間は、手術があったりタイクツな毎日の連続だったりで、本当に長く感じたに違いない。年が明ける前に退院したいという母の願いは、見事に叶えられた。
それでも母は、病気を患う前と同じように過ごせるわけではない。残った障害による不自由な生活。塩分やカロリーなど厳しく制限された食事。そしてその食事のたびに飲まなければならない数種類の薬。お風呂も2日に一度、週に一度は通院もしなければならない。すこぶる元気だったあの頃の母に比べたら今の母はすっかり弱ってしまったように見えるが、それでも母は生きていくのだ。
太く短くでいいのなら、今まで通りにいろんな無茶をしたって構わない。だけどまだまだ長い人生を歩みたいなら、自分のカラダをいたわって無理せず細々とひっそり生きていきなさい。退院する間際、母が担当の先生からそう言われたそうだ。その忠告のように、母はひっそりと生きてゆくことをココロに誓えたのだろうか。
母の退院を祝して、俺の休日を丸一日母と一緒に過ごすことにした。買い物に付き合ったり、歯医者に行ったり、そのまま遠回りして俺の車でドライブしたり、庭のガーデニングを手入れしたり、一緒に夕食を作ったり。朝から夜まで、一緒に行動を共にしながらたくさんの話をした。入院していた時とは明らかに違う、いきいきとした母の姿がそこにあった。母にとっての新しい出発はまだ始まったばかりだが、春になったら家族旅行に行こうという目標に向けて、もっともっとがんばってさらに元気になって欲しい。