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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2004年02月02日(月)
Vol.430 沖縄から帰ってきました

おはようございます。りょうちんです。

ただいまです。無事、沖縄から帰ってきました。いやぁ、この上なく楽しかった沖縄での日々。3泊4日、朝から晩まで連日フル稼働でアクティブに動き回っていた俺でしたが、その毎日が本当に楽しくて最高の思い出になりました。だってもう、千葉に帰ってくるのがイヤだったもんね。帰ってきてから実はもう今日で3日たつんですが、今だに沖縄のことで頭の中がいっぱいで、無意識のうちに楽しかった沖縄での出来事を思い返しちゃったり、気がつけば沖縄ソングを口ずさんでる俺だったりする次第です。持っていった旅行かばんも、やっと今日になって整理しはじめました。
当分はこんな沖縄浮かれモードで過ごすことになっちゃいそうですが、十分余韻に浸ったあとで、そのうちしっかり通常モードに頭を切り替えなくちゃです。仕事だって俺が休んでいた間、そこそこ忙しかったみたいだしね。まぁ楽しかった沖縄旅行レポートは、近々このサイトでお伝えできればと考えています。てか、時間があればの話だけどね。
さて沖縄に行っていた4日間、俺は仕事を休んで店を抜け出していたわけなんですが。パートさんやバイトくんたちには、「沖縄に行ってるんだから何かあっても俺はすぐには店には行けないからね!」と、釘を刺して沖縄へと旅立ったんですよ。その甲斐あってか、俺なしでも無事に4日間上手にお留守番できたようで。旅行2日目の昼、たった1回だけ俺のケータイに電話がなったのでどうしたものかと出てみると、パートのSさんから。「沖縄、楽しんでますか?」だなんて、いかにもSさんらしい電話で思わず苦笑いしちゃった俺だけど。俺の貴重な休暇に協力してくれたみなさんには、ココロから感謝なわけで。本当にどうもありがとうでした。
さぁ、沖縄旅行で手に入れたたくさんの大切なものをひとつずつ胸に刻んだら。次のステップに向かって、またがんばって歩き出さなくちゃね。



2004年01月24日(土)
Vol.429 沖縄病

おはようございます。りょうちんです。

やばい。病気になった。病名は沖縄病。沖縄に旅立つ日が近づくに連れて沖縄のことしか考えられなくなり、寝ても覚めても沖縄、沖縄。他のことは手もつかずうわのそら、気持ちのボルテージは上がる一方でもうどうしようもない状態なのだ。
弟に沖縄旅行に行くということを話したら、海水パンツとシュノーケルを貸してくれるという。いくら南国沖縄でもこの季節に海水浴はできないことを知っているのにもかかわらず、もしかしたら泳いじゃうかもなんて淡い期待がふいによぎってちゃっかり貸してもらう俺。「これも使う?」なんて、サイパンに行った時のでかいスーツケースをゴロゴロ出してきてくれたけど、危うくそれさえも借りそうになってしまった。マジでそれくらい、高いテンションなのだ。
旅行のプランをいろいろと練ってみる。3泊4日、しかも飛行機は朝いちの便で旅立って最終便で帰ってくる予定なのに、旅行パンフやツアーガイドやそういう関係のサイトなんかを見ていると魅力的なスポットがたくさんありすぎて、収拾がつかなくなってしまう。「こんな場所もきれい!」とか「これおいしそう!」とか騒ぎ立てるばかりの俺を、なんとか軌道修正してくれてちゃんと立派な旅行プランにしてくれる相方にはホント感謝なのだが、もし俺ひとりでこの旅をプランニングしてたらどうなっていたかわからない。
遠足の前日はわくわくした気持ちが抑えきれなくてなかなか寝つけなかったという経験は、誰にでもあると思う。俺は普段横になったら秒単位で眠りに落ちるほどののび太くん級の寝つきの良さなのだが、まだ旅行に行く3晩前だというのにうれしすぎて昨日は全然寝つけなかった。我ながらまったくバカだとは思うのだが、おかげで仕事もなかなか手につかなかったのは事実である。
でも旅行って、こうやって旅立つまでの計画やら想像やらも楽しまなくちゃ。そういうことも、旅行の魅力のひとつなのだ。沖縄に行くまでのこのドキドキをもっと楽しんで、さらに想像以上の沖縄旅行を満喫してきたい。



2004年01月22日(木)
Vol.428 グリーティングカード

おはようございます。りょうちんです。

意外だって思われることも良くあるんだけど、俺ってこう見えてもホント筆不精なのね。よっぽどのことがない限り、想いを文字にして手紙にしたためるなんてことはしなかったりでさ。そんな俺だから、もちろん年賀状を書く習慣なんてないんすよ。だから、友達が少ないわけじゃないとは思うんだけど、結局この正月に俺の元に届いた年賀状はほんの数枚しかなかったんだよね。自業自得な反面、やっぱりちょっと寂しいわけさ。
要は、俺って面倒なことが大嫌いなんだよね。伝えたい想いがあったとしても、それを手紙に書くという作業が面倒だと思ったとたん、実行するのが億劫になっちゃうんだよね。電話とかもっと楽ちんな手段で済ませられるならって、すぐにそう考えちゃう。それはメールもしかりで、受け取ったメールに返事をしなきゃって思っていても、億劫な気持ちが先に立ってなかなか返信できないこともあったりするんだよね。気がつけば時間だけがずるずると過ぎていって、催促のメールがまたやってきちゃったりすることもあったりで。こういうのってメールをくれた相手にとってみたら、俺はホント失礼なヤツだよね。ココロから反省しなきゃだよ。
そういや、グリーティングカードってあるじゃん。この前もクリスマスの時や新年のあいさつとして、いくつか俺もいただいたんだけどさ。あれって、俺は出したことないんだけど、結構良いものかもね。かわいいイラストとかココロが温かくなるアニメーションとかあってさ、そこにメッセージも入れられるし。誕生日とか何かの記念日とか、メールを開けるとそんなグリーティングカードが届いてたりすると、ちょっとうれしいもんだしね。手紙を書くよりも、気軽な気持ちで想いを伝えられそうだしさ。俺も、今度出してみようかな。



2004年01月21日(水)
Vol.427 原点を探しに

おはようございます。りょうちんです。

自分の原点を探す旅は、まだまだ続く。保育園をあとにした俺は、実家に車を止めて、昔良く遊んでいた場所を歩いて巡ることにした。小学生の頃までの俺は、学校から帰ってくると宿題なんかはそっちのけで、いちもくさんに遊びに出ちゃってたっけ。あの頃駆けずり回った自分のフィールドが、今はどんなふうになっているのかこの目で確かめたかった。
「ひろば」と呼ばれていた空き地も、広大な畑が広がる「ひろばたけ」も。あの頃の面影をそのまま残し、長い時を越えて今もなお俺の育った故郷に存在していた。野球や缶蹴りやドッヂボールや陣取りや秘密基地作りなど、その他ありとあらゆる遊びを飽きることなく次から次へと楽しんでいた忘れられないあの頃が、一瞬のうちに脳裏によみがえってきて、懐かしさのあまり胸が震えてしまった。
しかし、あの頃見た景色とはやっぱりどこか違う気がする。昔は自分の駆け回ったフィールドがもっととてつもなく広く思えたのに、今は思ったよりも狭く感じるのだ。それはいつ雪が降り出してもおかしくないほどの低く垂れこめた鉛色の重い雲のせいだけではなく、俺自身の目線が長い年月の間に変わったからなのだろう。成長とは、こういうことを言うのだろうか。
気がつけば、サワガニ捕りをした小さな小川も、ワラビ採りに夢中になった「タケンサ山」と呼ばれる雑木林も、どちらもすっかり変わってしまっていた。そして俺自身も、いつのまにか変わっていたのだろう。その変化が俺にとってすべて良い変化だったとは限らないが、自分の原点を探しに懐かしい場所をいろいろと訪れて、改めて本当の自分を見つけられそうな気がしてきた。
いつかきっと、もっと自分らしくなれるように、Return to Myself!



2004年01月20日(火)
Vol.426 四半世紀の時を越えて

おはようございます。りょうちんです。

俺の今年の目標は「Return to Myself!」。自分自身をもう一度見直したいと思っている。そのためには、本当の自分の姿というものをちゃんと把握していなければならない。そんな想いを胸に秘めて、俺は自分の原点を探しに車に乗りこんだ。
向かった先は、俺の通っていた保育園。実家にはしょっちゅう帰るのに、隣の地区にある保育園には長い間来ることはなかった。その昔、黄色い肩掛けかばんを背負って4年間通っていた保育園は、四半世紀の時を越えて変わったのだろうか。そんなことを考えつつ、長い田んぼの中のまっすぐな道を抜けて保育園へ辿り着いた。
まず最初に驚いたのは、園のすぐそばにあった小さな池がなくなっていたことだった。ザリガニやおたまじゃくしを夢中で捕まえた池が完全に埋め立てられていて、きれいでこじんまりとした公園になっていた。駐車場に車を止めて、フェンス越しに保育園の中をのぞいてみる。アヒル小屋や箱ブランコはもうなかったけど、うんていやすべり台はあの頃のままで、無邪気にこの小さな運動場を駆けずり回っていた懐かしい自分が鮮明によみがえってきた。
俺はいても立ってもいられなくなり、勤務中であろう保母さんを呼び出して、幼少時代を過ごした教室の中も見せてはもらえないかと懇願した。保母さんはそんな俺の無理なお願いを快諾してくれて、さっそく室内を見せていただく。子供用の小さな靴箱も板張りの廊下もあの日のまま。俺が過ごしたすみれ組の教室の前を過ぎて、そしてお遊戯室へと向かった。あの頃は毎日このお遊戯室で、午後の数時間をお昼寝タイムとして過ごしてたっけ。
壁に掛けられていた額縁には、歴代の卒園生の集合写真が飾られていた。その中のひとつに、当時6歳だった俺も発見することができた。写真は少し色褪せていたけれど、それは25年前の春にたしかに俺もここにいたんだという証明だった。
懐かしい気持ちを胸いっぱいに感じて保育園をあとにした俺は、さらに自分の原点を求めて次の目的地へと向かった。



2004年01月19日(月)
Vol.425 水も滴る

おはようございます。りょうちんです。

数日前から締まりが悪くなっていた店の水道の蛇口。最後まで閉めてもぽたぽた滴がこぼれていたんだけれど、それがついに完全に壊れてしまった。ぽたぽたの滴がやがて途切れのない一本の線になり、どんなにコックをひねってもただ水はあふれてくるばかり。どうやら栓を閉めるネジヤマがバカになってしまったようだ。俺は急いでホームセンターへと向かい新しい蛇口の部品とパッキンを買って、さっそく工事に取りかかった。
しかし、店はまだ営業中。工事を始めるにあたって、水道の元栓を閉めるわけにはいかない。たかが蛇口の部品をひとつを付け変えるだけだし大丈夫だろ、と思ったのがまちがいだった。スパナでネジを緩めた瞬間、大量の水があふれ出してきた。その水圧はすさまじいもので、上を向いた蛇口の口からまるで噴水のように水が噴き出し、天井にまで届くほどの高さにまで噴き上げた。
シンク付近は突然のスコールがやってきたかのように、あたり一面あっという間に水浸しになった。俺はあわてて新しい部品を取り付け、最速の力で工事を終わりにしたのだが。もちろん、噴き出す水道の真下で作業をしていた俺は頭からどっぷり水をかぶってしまった。全身ずぶ濡れ、パンツまでぐっしょりの俺。いくら暖房が効いている店内とはいえ、雪も舞うこの真冬に冷たい水をカラダ中に浴びるはめになるなんて。「水も滴るなんとかって言うじゃない〜」なんてパートのおばさんは言ってくれたけど、結局閉店まで湿った服のまま仕事をしなければならなかった俺には、そんなコトバは慰めにもならなかった。
それにしても。あれだけ苦労して工事したのにもかかわらず、完全には水漏れが直らなかった店の水道。明日の朝、修理業者さんがやってくる。んもう、こんなことなら最初からお願いすれば良かったよ。来週には沖縄が待っているというのに、風邪引いちゃうぞ。



2004年01月16日(金)
Vol.424 賞金500万円が当選しました

おはようございます。りょうちんです。

俺ってば、なんてラッキーなんだろう。年明け早々こんなことがあるなんて、今年はもしかしたらすごくツイている年なのかもしれない。ふいに舞い込んできた思いもかけない郵便物。封を開けて中を見てみると、こんなメッセージが書かれていた。「おめでとうございます。あなたに賞金500万円が当選しました!」と。
文面を読み進めていくと、なんとさらに高額な当選金が当たるチャンスがあるのだという。当選金を受け取る意志があるのなら、申し込み用紙に俺の連絡先等を記入して、同封されている封筒に入れてすぐに送り返す必要があるんだそうだ。500万円は確実に俺の手に入るわけだし、もしかしたらそれ以上の賞金を手にできるかもしれないとは、やっぱり俺って日頃の行いが良いからに決まってる。
なんて。今時こんな低レベルな手口に引っかかるバカモノなんているんだろうか、というくらいそれはしょぼい内容の手紙だった。差出人は聞いたこともない会社の名前だし、問い合わせ先の電話番号はどこかの国際電話宛てだし。こんなくだらない手紙に、俺はあきれ返ってむしろ思わず笑いがこみ上げてきた。ホント、こんなの引っかかっちゃうヤツがいるのなら、マジでそいつの顔を見てみたいよ。
以前このひとりごとにも書いた、英会話スクールの悪徳商法に引っかかって月々数万円もつぎ込んでいるバイトのFくんにこの話をした。すると彼は、「さすがに俺でもそんなのにはだまされないですよ」なんて言ってたけど。世の中にはもっといろんな詐欺まがいの事件だってウワサに聞く。たまたま今回はこんな手紙が俺宛てに来たけれど、それはもっとわかりにくくて複雑な落とし穴もあるから気をつけなさいという忠告なのかもしれない。
もちろん今回の手紙に対して、俺は完全なる無視を決め込み、問い合わせも返送もいっさいしなかったのは言うまでもない。



2004年01月15日(木)
Vol.423 沖縄旅行大作戦

おはようございます。りょうちんです。

そしてついに俺の旅行計画は動き出した。久しぶりにちょっと長い休暇を取って遠くの街を観光してやるぞと、もはや気合いだけはあふれんばかりである。
さて、この計画を実行に移すためには、まず仕事のスケジュールを調整しなくてはならない。カレンダーとにらめっこして考え抜いた結果。今月の下旬なら、なんとか都合がつけられそうだ。がんばれば最長4連休はできるだろう。次に資金。これも年末に出たほんの僅かなボーナスがまだちょっとだけ残っている。来月は節約しなきゃならないのは必須だけど、給料日後なら少しくらいの余裕はあるかも。
さぁ、準備は整った。それじゃあ目的地はどこにしよう? やっぱり北風が強く吹く寒いこの街を抜け出して、南の暖かなところへ行きたい。そうだ。決めた、沖縄の海にしよう。1月とはいえ、俺の住むこの街よりも断然暖かいに決まっている。南国天国パラダイスとまではいかないかもしれないけれど、そこはきっとステキな楽園に違いないのだ。
沖縄に行ったら。おいしい郷土料理をたらふく堪能したい。きれいな砂浜と海をこの目で眺めたい。マングローブの森へ行って探検をしたい。戦争の傷跡に触れて痛みを胸に焼きつけたい。自然のたくさん残っている島をいろいろと巡りたい。その他にも、次から次へとやりたいことがあふれてくる。
さっそく本屋さんに行って、沖縄のガイドブックを手に入れた。そして、飛行機やらホテルやらレンタカーの手配もしてもらった。あとは出発を待つばかりである。出発が近づくに連れて、俺のココロのボルテージも勝手にどんどん上がっていっちゃうんだろうけど。でもそれまでに必要なものをそろえたり、プランももっとしっかり練らないと。だって俺の沖縄旅行大作戦は、まだまだ始まりを迎えたばかりなのだから。
そういうわけで今月の27日から3泊4日で、初の沖縄旅行に行ってきます! なんて、実は相方も一緒だったりして。



2004年01月14日(水)
Vol.422 南の島へ

おはようございます。りょうちんです。

弟がサイパンに行って来た。会社の研修旅行だったので、それなりに施設の見学や講習会なんてのもあったらしいのだが。そんなのはあくまでも名目で、行程のほとんどが観光だったんだそうだ。エメラルドグリーンの海にシュノーケルをつけて潜っただとか、白い砂浜で一日中太陽に照らされていただとか、大きななまこを素足で踏んづけて泣きそうになっただとか、アメリカンビーフの分厚いステーキを腹いっぱい食べただとか。冬に似つかわしくないこんがりと日焼けした顔で、楽しそうにサイパンでの思い出話を俺に聞かせてくれた。いくら仕事とはいえ、ホントうらやましい限りである。
5年前の秋、韓国ソウルに行ったのを最後に、俺は海外旅行には行っていない。引き出しの奥でずっと眠ったままでいるパスポートも、とっくの昔に有効期限が切れてしまった。俺の仕事柄、まとまった長期休暇を取ることが難しいので、海外旅行に行くことは不可能に近い。結婚して新婚旅行に行くとかならば、話は別なのかもしれないが。それでもやっぱり旅行に行った話を聞いたりなんかしちゃうと、俺も仕事なんか忘れてはるか遠くに行ってみたいと思う。
決めた。もう俺は、決めたぞ。ちょっとだけ長い休暇を取って、どこか遠くへ旅行に行こう。1週間は無理だけど、4連休くらいならなんとかなるかも。パスポートが切れちゃってるからサイパンとかソウルとか海外は無理だけど、できることなら真冬の寒いこの街を離れて、暖かい南の島へ行きたいかも。
そして今まさに、俺の南の島への旅行大作戦は、密やかに、しかし着々と計画が進められていくのである。



2004年01月08日(木)
Vol.421 オホーツクの街へ

おはようございます。りょうちんです。

バイトのKさんは、今春卒業予定の短大2年生。彼女はずっと、卒業後の進路について悩んでいた。やがて、やっとのことで見つけた彼女の答え。それは就職活動を一切せず、四大への編入の道。どうしても勉強して身につけたい知識と資格があるんだという。そうそう簡単なことではないが、それでもバイトと両立させながら、彼女は一生懸命受験のための勉強に励んだ。そして努力の結果、届いた編入合格の通知。彼女は今春、晴れて四大生として新たなスタートを切る。
「で、学校はどこにあるの?」。ふいに聞いた俺の質問に、思いもかけない地名が彼女の口からこぼれてきた。「それが網走なんですよ」。「え、網走?」。さも当然のようにあっけらかんと突拍子もない答えを言う彼女に、俺は驚きを隠せなかった。大学なんてたくさんあるのに、なぜに網走か? 彼女いわく、どうしても勉強したい学科が網走の校舎にしかないんだそうだ。もちろん千葉から通えるはずなんてないので、彼女にとっての初のひとり暮らしになる。一人娘である彼女の両親からは網走の大学に行くなんてもってのほかだと最初は猛反対されたが、懇願の末、2年間だけの約束ということでお許しをもらったらしい。
北海道でさえも上陸したことがない俺は、もちろん網走にも行ったことがない。だから、網走がどんな街なのか知る由もない。大きな刑務所があって、きれいなオホーツク海が広がっていて、冬は連日氷点下の厳しい寒さだなんて、そんな程度の情報しか知らない。だからこそ、網走がどんな街なのか一度行ってみたいと思う。
ひとり暮らしするための部屋を現地まで探しに行くことはできないので、パンフレットをたくさん送ってもらったと、彼女は喜んでいた。新しい生活が始まる場所がこの街からどんなに遠く離れた北の地だとしても、彼女にとっては楽しみで仕方がないのだろう。そんな彼女の目は、希望で輝いていた。彼女が網走に行ったら、ぜひ遊びに行きたい。もうすぐ、網走の海には流氷がやってくる。いつかオホーツクの街へ行って、俺もこの目で流氷を見てみたい。