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2004年03月11日(木) ■ |
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Vol.450 今日を待っていた |
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おはようございます。りょうちんです。
これから書く今回のひとりごとは、書こうか書くまいかすごく悩んだのだけれど。今まで誰にも話したことのなかった俺の中の触れられたくない部分なので、カタチにすることをとても躊躇したのだけれど。俺自身のひとつの区切りとなった今日という日をどうしてもココロにとどめておきたくて、こうやって記しておこうと思う。読んでいる人には何のことなのかさっぱりわからないところもあると思うが、そのへんは了承してほしい。 ずっと。ずっと、今日を待っていた。あの日、いつも威厳のある父が俺の前で涙を流し、初めて弱音を吐いたあの夜から。父も母も俺も弟も、ずっと今日が来るのを待っていた。目に見えない戦いはじりじりと俺らを苦しめ、表向きにはいつだって気丈に明るく笑顔でいることを装っていたけれど。時には耐えきれないほど胸が痛み、見通しのつかない不安が襲い、ひとりで大声で泣いた夜もあった。それでもいつかきっと笑って話せる時が来る日を信じて、俺らはずっと戦い続けてきた。 そしてついに、今日という日がやってきたのだ。父も母も弟も、もちろん俺も。必死になって本当に良くここまで戦ってきたものだ。こうやって家族が集まり、あの日からの長い年月をなかば懐かしみながら思い出し語り合えるなんて、俺らにとって夢のまた夢だった。現実から逃げてすべてを投げ出しそうになった時もあったけれど、夢をあきらめなくて本当に良かったと、今はしみじみ思う。 それでも。これでこの問題のすべてが解決したわけではない。戦いの第2章はこれから始まってゆく。だから、俺は油断しない。ほんの一瞬、今日という区切りをつける余裕を胸に刻んだら、また強い気持ちで戦ってゆくつもりだ。つらく厳しい道がこの先長々と続いていくだろうが、いつの日か家族みんなでココロの底から笑いあえる時が来るまで、俺はあきらめない。なぜならば、それが最終的な俺の目標であり夢なのだから。
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2004年03月10日(水) ■ |
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Vol.449 雪の露天風呂 |
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おはようございます。りょうちんです。
伊香保には、予定よりも遅く到着した俺ら。旅館に着き食事と温泉を済ませたあと、やがて俺らは深い眠りについた。 翌朝。カーテンをあけ、外の風景を見て俺は驚いた。一面の銀世界。夜遅くに降り出した雪は、一晩で伊香保の町を白く変えていた。ベランダから階下をのぞきこむと道路にもうっすら雪が積もっていて、旅館の人が雪かきに精を出しているのが見えた。普段寝起きの悪い俺もこの雪景色を目の当たりにして、一瞬で目が覚める。 ちょっと待った。チェーン持ってきてない。俺の車のタイヤ、スタッドレスじゃないし。てか、天気予報も雪とは言ってなかったし、伊香保町のHPで調べた積雪情報もライブカメラもチェーンが必要だなんて言ってなかった。ましてや細く急な路地を上がって辿り着いたこの旅館、雪の積もったあの坂道を普通のタイヤで下りてくなんて自殺行為に等しい。しまった。関東地方とはいえ、ここは山間部だった。TVの天気予報を見ると、それでも午後からは晴れるらしい。途切れなく落ちてくる雪も徐々に弱まって、かすかに空も明るくなってきたような気がする。じたばたしたって今はどうしようもないのなら、ここはあわてて車を出すよりも、しばらく様子を見て道路の雪が溶けるのを待った方が賢明かもしれない。 開き直った俺は、坂の上にある露天風呂まで歩いて行ってみることにした。しんしんと降る雪の中、少しぬるめの茶色い温泉に肩まで浸かる。湯船に身を委ねてぼんやり空を見上げてみると、湯気の中で火照った顔に幾粒もの冷たい雪が落ちてきて、なんとも心地良い。風情のある雪の露天風呂という予想外のシチュエーションに、俺は喜びを隠せずにはいられなかった。 1時間もたっぷりと露天風呂を堪能したあと、ひなびた石段街でおみやげを買う頃にはすっかり雪もあがっていた。道路の雪も、車の往来で完全に溶けている。よかった。ほっと胸をなでおろす俺。それにしても、雪の露天風呂なんて思いもかけないちょっとした贅沢ができて、ココロから大満足した俺だった。
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2004年03月08日(月) ■ |
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Vol.448 友達だから |
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おはようございます。りょうちんです。
友達から温泉に行こうとお誘いがあった。そういや彼ともずいぶん会ってない。早めに企画を計画すれば、みんなで日程をあわせることもできる。久しぶりに会って、楽しく話に花を咲かせるのも悪くない。俺はふたつ返事で彼にメールをした。 しかししばらくして、突然彼から温泉の企画は中止するという連絡が入った。どこでどう行き違ったのか、彼はひどく機嫌をそこねているようだった。俺はまた自分のデリカシーのないコトバで彼を知らぬ間に傷つけてしまったのかと一瞬不安になったのだが、まったく思い当たる節はない。彼の文面を読んでもどうして彼がそんなに急にへそを曲げてしまったのか理解できず、楽しみにしていた温泉の企画が突然中止になったことがとても残念で納得できなかった俺は、彼への疑問をかなり激しいコトバでメールにして送り返した。 彼が最近、プライベートでかなりばたばたしていたのも、仕事が忙しいのもカラダを壊しがちだったのも全部知っている。それなのに、厳しいコトバでメールを返してしまったことに、俺は少しだけ後悔をした。もしかしたら、彼からもう返事は返ってこないかもしれない。彼との仲も、これが最後になってしまうかもしれない。友達ひとり減っちゃったかもな。そんな思いが胸につかえ、すっきりしなかった。 数日後、返事は返ってきた。彼も熱が冷めたようで、彼らしい謝罪と会って話がしたいという文が書かれていた。結局は、日程的に俺と彼だけで会うカタチになってしまったけれど。こんないきさつから、俺は彼と久しぶりに会うことになった。 彼と会うやいなや話したい話題が次々とあふれ、ふたりはいろんな話をしまくった。静かな温泉地は話をするのに絶好の場所で、真剣な話もくだらない話もずっと話したかったことがどんどん押し寄せてきた。最後には彼が話し疲れてしまうくらいトークに花が咲いたけれど、それでもまだまだ話したいことは尽きなかった。 またいつか話したい話題が積もったら、彼に会いに行こう。だって、彼は俺の友達だから。
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2004年03月03日(水) ■ |
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Vol.447 さみしいひなまつり |
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おはようございます。りょうちんです。
今日は桃の節句、ひなまつり。そういやスーパーでは、バレンタインが終わるやいなやひなまつりコーナーができ。数日前からはひなまつりソングがエンドレスで流れ、菱餅やひなあられやちらし寿司なんかがたくさん並べられるようになった。やっぱり女の子の子供がいる家では、ひなまつりはそれなりにちょっとしたイベントらしい。3人の女の子を持つパートのSさんも、今夜はお手製ケーキを作らなきゃと仕事が終わるとあわてて帰っていった。 男ばかりの兄弟である俺の実家では、当たり前だが昔からひなまつりほど地味なイベントはなかった。祝日になるわけでもないし、3月3日は普通に耳の日だった。保育園でひなまつりの歌を歌ったり、給食で出てきたひなあられを食べることはあっても、家では何をするわけでもなかった。ひなまつりなんて所詮それくらいのレベルのイベントで、俺はそれが普通だと長年思っていたのだが、今思えば他の人に比べるとずいぶんさみしいひなまつりの思い出しかないのかもしれない。かと言って、端午の節句に特別に何かをしたなんて記憶もあんまりないんだけれど。 だから、女の子のいる家にとってひなまつりはちょっとスペシャルなイベントだと言われても、正直ピンとこなかったりする。クリスマスほどメジャーではないが、俺が考えているほどマイナーではないのかもしれない。そういうわけで、押し入れにしまいこんであったひな壇をいちいち出すのが面倒だとか、ひなまつりが終わるとすぐにそれをまたしまわなくちゃいけない苦労だとか、お内裏様とお雛様の配置はどっちがどっちだかいつも悩むだとか。そういう裏話も、俺にはちょっと新鮮に聞こえたりする。子供の成長を祝うのが本来の意味であるひなまつりも、今のご時世はいろいろと大変なんだなぁ。 スーパーにて、せっかくだからと俺も便乗して買った桃のジャムが入った菓子パンは、明日のおやつに取っておこうっと。
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2004年03月01日(月) ■ |
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Vol.446 母との口ゲンカ |
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おはようございます。りょうちんです。
どういうわけか、今日は朝からなんとなく機嫌が悪かった。積もりはじめた雪の中、わざわざ車を出して実家に帰ったのに。着いた早々、母とほんの些細なことで口ゲンカになってしまった。以前なら、こんなたわいもない言い争いなんてしょっちゅうだった。母は口から先に生まれてきたような人間だったし、俺が昔から母に言われてきた理屈っぽいという性格も、実は母譲りなのかもしれない。 でも、久しぶりの母との口ゲンカはちょっと違った。いつものように、俺は母に向かって少しだけ声を荒げて言い分を述べた。すると母は、瞳にいっぱいの涙をためてじっと俺を見るではないか。いつもなら俺よりもさらに大きな声で、俺の言い分を一蹴して反論するのに。まるで叱られる子供のように、やがて母はぼろぼろと泣き始めたのだ。俺はあわてて謝った。機嫌が悪かった俺も悪いのだが、やっぱり涙を流されたらどうすることもできない。母はダダをこねるわけでもなく静かに俺の謝罪を受け入れてくれたが、俺は泣かせてしまったという現実がショックだった。 父や弟に聞くと、最近母はかなり涙もろいのだと言う。昔から何度か母の涙を見たことはあったけど、去年大病を患ってから母は良く泣いているのだそうだ。特に今回のように激しく言い争ったりするとすぐに泣いてしまうんだそうで、父も少し苦笑いをしていた。病気をして気が弱くなってしまったのか、言いたいことを上手くコトバにできなくて悔しいからか、その原因は母本人にしかわからないのだが。 でも、子供のようにすぐ泣くのもどうかと思う。いつだったか弟が、「そうやって人は年を取るとまた子供に戻ってゆくもんだよ」と言っていたけれど、母はまだ子供に戻ってゆくほど老いぼれていない。昔のような強かった母に戻れとは言わないが、病気のせいで気持ちまで弱くなってしまったのなら、もっともっと強くなってほしいと思う。母は元来、そういう人なのだから。 そのあとはなんだか居心地が悪くて、夕飯も食べずに早々と帰ってきてしまったけれど。すっかり雪景色で白くなった帰り道、そんなことを考えていた。
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2004年02月27日(金) ■ |
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Vol.445 信仰するということ |
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おはようございます。りょうちんです。
俺はそんなに強い人間じゃない。だから時には、絶望に打ちのめされそうになることも、どうしようもない悲しみにやりきれなくなることもある。とは言っても、そんな時でも目に見えないものにすがりつこうなんて思わない。胸の奥で強く祈ることはあっても、それは神様や宗教といったものに対してではなく、最終的には願いが叶うように自分の力で動き出すのだ。だから俺は信仰している宗教なんてないし、最後の最後に信じることのできるものは結局は自分自身だと思っている。 しかし世界中には、神様や宗教やそういった目に見えないものを崇拝している人もたくさんいる。そういう人々は厚い信仰がココロの支えになって、不安や迷いを打ち消している。絶望や悲しみを希望や喜びに変える手段としてそれも立派に成り立っているわけだから、そのやり方を俺は否定するつもりはない。俺には絶対にできないやり方だけれど。 だか。宗教という名のもとに、迷いを抱えた人のココロのよりどころになる手段と銘打って、何をしても良いというわけではない。信仰が深くなるあまり善悪の判断さえつかなくなるなんて、本当に恐ろしいことだ。猛毒のサリンをばらまいたり、拉致や殺害事件を起こしたり。幸せを求めるための宗教なのに、希望や喜びをつかむための信仰なのに、そんな悪事はまったくもって関係ない。 数年前、これらの悪事を働いた宗教団体の教祖に、極刑の判決が出た。彼が逮捕されたあと一連の事件の真相が次々とあきらかになり、この問題はまだまだ終わらないなと思っていたが。判決が出た今日までは、それにしても長い裁判だった。犠牲になった人のことを考えると、とても胸が痛い。そして被害に遭ってしまった人たちにとってみれば、今日が終わりなのではなく、これからまだまだこの問題は続いていくのだろう。 宗教を信仰するということは、けして悪いことではない。しかし俺は、これからもずっとどんな宗教も信仰しないだろう。
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2004年02月26日(木) ■ |
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Vol.444 おでんにしよう |
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おはようございます。りょうちんです。
春がすぐそこまで近づいているというのに、我が家ではこの冬、まだ一度も鍋料理をしていなかったことに気がついた。せっかく俺のネーム入り土鍋があるのに、この土鍋を使わないなんてもったいない。そういうわけで今夜の夕食は鍋にしようと、朝からずっとココロに決めていた。 夜になってスーパーに買い出しに行く。もつ鍋にキムチ鍋、水炊きにちゃんこ。チーズフォンデュも良いかもしれない。どんな鍋にしようか考えあぐねていると、おでんだねのセットが見切り品になって売られているのを発見した。大根も今日は安いぞ。そうだ、決めた。今夜はおでんにしよう。 学生時代、俺はずっと深夜のコンビニでアルバイトをしていた。真夜中のうちにやらなくちゃならない仕事は品出しや掃除などたくさんあったのだが、その中におでんを作るという作業も含まれていた。コンビニで売られているおでんは、作り方が完全にマニュアル化されていて誰でも簡単に作ることができるもの。あの頃の俺も、いくら仕事だとはいえ毎晩のように大量のおでんを作っていたっけ。 家に帰って、さっそくおでん作りに取りかかった。土鍋を取り出して何種類もの材料を入れたら。あとはことこと煮込む、煮込む、煮込む。しっかり味がしみこむまで食べたい気持ちをがまんして、そしてついにおいしそうなおでんが完成した。 ちくわも大根もたまごも、どれもこれもじっくり味が染み渡っていてマジでおいしい。本当は一晩たったおでんもさらに味がしみこんでおいしくなるんだけれど、その分まで残ることもなくあっという間に全部たいらげてしまった。あぁ、やっぱりおでんはうまいもの。そして相変わらず食欲旺盛な俺。 さて、次はどんな鍋料理に挑戦しようか。春が来る前に、もっともっとこの土鍋にも活躍してもらわなくちゃ。
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2004年02月25日(水) ■ |
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Vol.443 バカになったのに |
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おはようございます。りょうちんです。
Theピーズの「バカになったのに」という曲。「中学まではまともだったのに、さんざん無理してバカになった」という歌詞で始まるのだが、高校生の時に初めてこの曲を聴いて、まるで自分のことを歌われているようで俺は驚いた。さらに彼らは俺の高校の先輩だということを知って、とても納得したのを覚えている。 管理教育全盛期の中で育った俺は、とても厳しい校則で縛られた中学時代を送った。今になって思えばそれももう懐かしい思い出だが、当時はとても窮屈な学校生活だった。勉強は偏差値一辺倒ですべて片付けられ、それによって必然的に進学高校も狭い選択範囲の中から選ばなくてはならない風潮だった。俺も第一希望の高校に合格するためには、ちょっと努力が必要だった。受験生の俺は、合格をめざして必死でがんばった。初めての恋やその他いろんな誘惑に気を取られながらも、そしてなんとか俺は希望の高校に入学することができた。 入学した高校は、それまでのすべて校則で固められた中学とは違い、とても自由な校風で有名だった。中学ではルールは学校側で一方的に決められていたのに、高校では自分たちで考え責任を持ってルールを決めていくというやり方だった。一気に正反対になった環境に俺は最初こそとまどったが、高校とはこういうところなんだとすぐに順応していった。元来机に向かうことなんて大嫌いで、高校受験のためにやむなく強制的に勉強させられていた俺は、まるで糸が切れた凧のように高校に入ったとたんまったく勉強なんてしなくなった。予習復習や宿題なんてもってのほか、授業中もいねむりをしたり得意の妄想にふけったり、それはそれはお気楽で楽しい毎日だった。そして俺は歌の歌詞のとおり、中学まではまともだったのにさんざん無理してバカになったのだ。 かといって、俺は自分の中学時代も高校時代も否定するつもりはない。両極端な学校生活を過ごせたことによって、大切な青春時代の人間形成ができたのだから。 千葉では、明日から公立高校の入試が始まる。がんばれ、受験生!
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2004年02月24日(火) ■ |
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Vol.442 ZOOKEEPER |
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おはようございます。りょうちんです。
いわゆるゲーム世代と呼ばれる中で育った俺。でも俺は昔から、それほどゲームに執着したわけじゃなかったのね。ちびっこだった頃はファミコンくらいは家にあったけど、昔から飽きっぽい性格だったからか、部屋にこもってずっとTVの前でゲームに明け暮れていたなんて記憶はないんだよね。その後も流行したゲームは一応かじったりもしたけれど、睡眠時間を惜しんでまで没頭しちゃうなんてことはそんなにないんだよね。 時代が変わって、最近じゃパソコンを使ってもいろんなゲームが楽しめるようになったじゃん。つい先日、俺もとあるゲームのサイトに辿り着いてさ。「ZOOKEEPER」というそのパズルゲームは、大学時代に流行った「ぷよぷよ」に似たゲームで。ちょっとやってみたら、これがすげーおもしろくてさ。かわいい動物たちのキャラクターも一気に俺のココロをつかんで、時間がたつのも忘れるくらい久しぶりにはまっちゃったんだよね。 さんざんゲームをして夜更かししたあと、目をつぶるとまぶたの裏に登場する動物たちの画が浮かんできちゃうくらいでさ。「あ、ゾウが降ってきた!」とか、「パンダとライオンを入れ替えて〜」とか、無意識のうちにそんな幻想が見えてきちゃうんだよね。あきらかに俺、ゲームのしすぎだって。そういやテトリスにはまった時も、耳の奥では常にトロイカが流れてきてたっけ。 で、相方にもこの「ZOOKEEPER」を教えてあげたのね。相方は高校時代、どっぷりテトリスにはまっちゃったって言ってたからさ、こりゃきっと「ZOOKEEPER」もどっぷりいっちゃうかもなって思ってたら。案の定、俺の予想以上に夢中になっちゃってんの。今夜は仕事のあと俺んちに遊びに来たと思ったら、さっきまでずっと俺のパソコンを占領して、何度も何度も「ZOOKEEPER」をやってました。こりゃ厳しい動物園の園長さんをぎゃふんと言わせるまで、俺も相方も当分の間はこの「ZOOKEEPER」をやめられそうにないっすね。
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2004年02月22日(日) ■ |
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Vol.441 薬を飲む |
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おはようございます。りょうちんです。
体調が思わしくないなんてこと、俺にはそうそうないのだが。よっぽどのことがない限り、薬を飲むということはしない俺である。胃薬なんかも服用することはまずないし、サプリメントや滋養強壮剤にいたっては実は口に含んだことさえない。薬嫌い、医者嫌いと言えばそれまでだが、いつも気合いで治してしまうというよりは、俺の体調はそれほどまでにひどく崩れないカラダなのだと思っている。 しかしつい先日、健康体を自負するこんな俺が、自分のために薬を買ってそれを服用するということがあった。自分のために薬局へ行き薬を買うなんて、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。それくらい、俺と薬とは縁がないのだ。 健康診断でバリウムを飲んだあと。どうもおなかのあたりがムカムカする。口の中もずっとバリウムが残っているようで気分が悪いので、あわててハンバーガーを買って食べてみたのだが。なんだかあんまりおいしくない。健康診断のせいで前日から何も食べてなかったにもかかわらず、それほど食欲もないカンジだ。あぁきっと、どれもこれもすべてあのバリウムのせいなんだ。ずっと俺はそう思っていた。 しかし、夕方のなって俺のカラダに異変が起きた。激しい寒気がする。しだいに頭はぼーっとしだして、立っているとふらふらもしてきた。熱が出てしまったみたいだ。しかもかなりの高熱っぽい。バリウムを飲んで熱が出たなんて聞いたことないし、いつもの知恵熱なのかもしれないが、こりゃ完全にヤバイと自分でも思った。 仕事を定時で切り上げて、そのままあわてて薬局へと向かい解熱剤を購入。知恵熱だったら、きっとこんなの飲まなくたって次の日になればけろっと治っちゃってるんだろうな、なんて思いながら服用してみた。そして翌朝。いつもと変わらない朝。熱も下がり、すっかり元気になっていた俺。どこまでがバリウムのせいで、どこまでが知恵熱のせいだったのかはわからないけれど。元気になっていたことにすっかり安心した俺。やっぱ薬なんて飲まなくても良かったのかも。だけどこの一件で、さらに輪をかけてバリウムが嫌いになったのは言うまでもない。
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