≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME


りょうちんのひとりごと
りょうちん
MAIL
HOME

My追加

2012年12月18日(火) ■
Vol.800 バックアップの大切さ

おはようございます。りょうちんです。

今年の夏、突然この『りょうちんのひとりごと』が閲覧できなくなった。他のサイトやHPは普通に見られるのに、肝心な『りょうちんのひとりごと』だけが「NOT FOUND」と表示されてしまう。相方のパソコンを使って調べた結果、原因は俺のボロパソコンではなく、レンタル日記として長年お世話になっている『enpitu』にあるようだ。それまでもサーバーのメンテナンスやらシステム障害やらで閲覧できなくなることが時々あったので、最初は俺ものんきな気持ちでいたのだが。3日たっても一向に繋がらない状態が続くと、さすがに不安にもなる。『enpitu』から『りょうちんのひとりごと』に飛べば、過去に自分が書き続けてきたものがいつでも見られると当たり前に思っていた俺は、バックアップすら取っていない。以前ケータイをなくした時に大切な人たちの連絡先がわからなくなって、あれだけ後悔したにもかかわらず、またしても同じ失敗に俺は青くなった。仕方ないとしぶしぶ諦めの覚悟もついた頃、『enpitu』から復旧に時間がかかったと謝罪があり、『りょうちんのひとりごと』も今まで通り閲覧できるようになったのだが。俺も胸をなでおろしたものの、バックアップの大切さを改めて痛感した出来事だった。
さて。今でもレンタル日記を使って自分の思うことを綴っているなんて、時代遅れも甚だしいと思う。個人のHPが全盛だった頃は、俺みたいに自分のHPを作り日記を書く人が山ほどいたのに、今では俺を含めても数えるほどしかいなくなった。日記からブログになり、SNSが普及するとmixiやらtwitterやらFacebookへと移行し、今年はLINEが大流行した。時代がこんなにまでに変化しているのに、数え切れないほどの誘いを断って俺はそのどれもやらずに相変わらずレンタル日記に依存しているのは、このスタイルにすっかり慣れてしまったからかもしれない。
更新は今や月に一度程度のペースになってしまったが、気づけば『りょうちんのひとりごと』も今回で800回、まもなく丸11年を迎える。何と言われようと当分はこのスタイルで続けていくつもりなので、引き続きよろしくお願いいたします。



2012年11月01日(木) ■
Vol.799 奇妙な住人・後編

おはようございます。りょうちんです。

前回の続き、奇妙な住人・後編。
「てめー、早く金送ってこいよ! いつまで待たせるつもりだよ! 早く10万出せよ!」と、彼女が激昂する電話越しの相手は親なのかダンナなのか。大金を要求する彼女の大きな声は、イヤでも扉越しの俺まで届いてくる。他人の会話が聞こえないように配慮して閉めた扉も、彼女の大声にまったく意味がない。それにしても、ツッコミどころ満載な彼女である。なぜに彼女の口元には歯磨き粉がついたままだったのか? なぜに電話を借りにきたのが同じ階でもない我が家なのか? なぜに穏やかだった態度が電話越しの相手に急変したのか? そしてなぜに大金を送って欲しいとお願いしている相手に、そこまで強い態度で出られるのか?
いくつもの疑問と飲み込めない状況から、俺はしばらくのんきに彼女のやり取りを聞いていたのだが。一向に会話は終わる様子もなく、本当に困ったのは俺の方になってきた。彼女の遠慮ない大声は、俺の部屋だけでなく、静かなアパート中に響き渡っているに違いない。玄関先で大声でお金の催促をしているなんて、端から見ればまるで我が家に借金の取り立て屋がやってきたようにも見える。我が家には多額の借金があって取り立ての催促が来ているらしいなんて、あらぬウワサも流れかねない。彼女の会話はまだまだ続きそうだったが、すぐにしびれを切らした俺は再び扉を開けると、彼女にケータイを返してくれるようにそっと訴えた。「早くしろよな!」と電話の相手に最後は吐き捨てるように言うと、彼女は再びすみませんと低姿勢になり、律儀にお礼まで言って戻っていった。返してもらったケータイの発信履歴を見ると、県外の、北の方の市外局番が表示された。
彼女が再び我が家を訪れても、今度は絶対居留守を使おうと相方とも話していたのだが、それから数週間して105号室は空き部屋になった。その後、彼女の姿を見かけることもない。彼女はどこへ行ったのか? 少し気になるが、我が家に借金の取り立て屋が来るというあらぬウワサが広まってないか、そっちの方が心配である。



2012年10月31日(水) ■
Vol.798 奇妙な住人・前編

おはようございます。りょうちんです。

閑静な平日の午後、仕事が休みだった俺は相方を送り出したあとのひとりぼっちの部屋。ふいにインターホンが鳴った。我が家への来客はけして多くはない。お届けものなら印鑑が必要だし、新聞や宗教の勧誘なら居留守を決め込もうと外の様子をうかがった。すると、「すみませーん、105号のキムラですが…」との声。どうやら同じアパートの住人らしい。はて? 顔を合わせればあいさつ程度はするのだが、名前を名乗られても面識があったか記憶にない。
扉を開けると、見覚えがない30代くらいの女性が立っていた。どういうわけか、よく見ると彼女の口元には真っ白な歯磨き粉がべったりついたままになっている。本来この時点で、俺は警戒心をもっとマックスにしておくべきだった。彼女は電話を貸して欲しいと言ってきた。状況はよくわからないが、今時電話を貸してくれなんて、よっぽど困っているに違いない。もしかしたら彼女は、誰かに緊急に伝えなければならない用件があるのだろうか。ひどく低姿勢な態度と同じアパートの住人というよしみで、警戒心をちょっとだけ緩めた俺は持っていたケータイを彼女に差し出した。固定電話の方が通話料金は安いが、出会ったばかりの赤の他人を部屋の中に通す勇気はさすがになかった。
しかし俺のケータイを受け取った彼女は、そのまま自分の部屋へと戻ろうとした。俺はあわてて呼び止める。電話をかけるなら、ここでして欲しい。万一悪用されたら大変だ。彼女が玄関先で電話をかけ始めたのを確認すると、俺は気を遣って扉を少し閉めてやった。どうやら相手にはすぐに通じたようだ。ところが会話が始まると、それまで穏やかだった彼女の態度が激変した。大声でお金の催促をしている。「てめー、早く金送ってこいよ! いつまで待たせるつもりだよ! 早く10万出せよ!」
同じアパートに住んでいた奇妙な住人・前編はここまで。次回、後編に続く。



2012年09月30日(日) ■
Vol.797 ふたつの謝罪と感謝の気持ち

おはようございます。りょうちんです。

いつの日か父と母に、伝えなきゃいけないと思っていることがある。かしこまって切り出すのはなかなか難しいけれど、大切なことだからごまかさないでちゃんと真面目に伝えたい。ずっと前から思っていた、ふたつの謝罪と感謝の気持ち。
まずひとつ目の謝罪は、家業を継がなかった俺でごめんなさい。これは父と母だけでなく、祖父母や、髪を切ることを生業として始めた曽祖父などの先祖たちに対してもなのだが。本来家業を継ぐべきなのは長男である俺なのに、愚かだった学生時代の俺は、将来の夢の中に父の跡を継ぐという選択肢すら持っていなかったのだ。悩んだ挙句に努力して今の職に就いたのならまだしも、何も考えず苦労らしい苦労もろくにしないで、人生の流れに身を委ねていたら今の状態だったと気づいた時、とてつもない後悔が俺を襲った。できるなら20年程前にさかのぼって、あの頃の俺に将来は父の跡を継ぐという選択肢もあることを教えてあげたい。
ふたつ目の謝罪は、子孫を残さない俺でごめんなさい。俺はおそらくこの先も、子供は残さない人生を送るだろう。ということは、父や母に孫を抱かせてやることは永遠にできないわけだ。自分の血が我が子に繋がり、さらに我が子から孫へと繋がってゆく。そうやって子孫繁栄していくことを、父も母もきっと思い描いていたに違いない。誰もが思うそんなありきたりな夢さえ、俺は自分の勝手で止めてしまった。心の底から申し訳ない気持ちで、ただ胸がいっぱいになる。
俺は今、本当に幸せな毎日を送っている。父と母にしてみれば、家業も継がず子孫も残さないどうしようもなくポンコツな子供にもかかわらず、俺の生き方を非難したことは一度もない。むしろ自分で決めた道なら胸を張って進めと、そう教え育てられてきた。父と母には申し訳ない気持ちでいっぱいであるが、こうやって幸せに生きていられるのも寛大な父と母のおかげなのだ。父と母に心から感謝している。
近い将来、この胸の想いを父と母に伝えようと思う。上手にコトバにできるか少し不安だが、照れずにちゃんと伝えたい。タイムリミットは、迫っている。



2012年08月12日(日) ■
Vol.796 残暑見舞いを送った理由

おはようございます。りょうちんです。

「残暑お見舞い申し上げます。暦の上では秋になりましたが、まだまだ暑い夏が続きそうです。ごぶさたしてますが、2012年の夏は元気に満喫できてますか?」
立秋の日、最近ちょっと疎遠になっている友達や、どうしているのか気になっている友達や、ずっと会えていない懐かしい友達に、俺は残暑見舞いのメッセージを送った。これくらいの短い文章ならば、手紙やハガキではなくケータイからのメールがちょうどいい。あえてまとめて一斉送信にしたから、みんな忙しかったり気が乗らなければ俺のメールに返信してくることもないだろう。
8月に入って、何だか仕事がとても忙しい。今月はまだ一度しか休めてないのに、気がついたら明日からはもうお盆に突入だ。このままいけば2週間ぶっ通しの連続勤務になる。夏が毎年忙しい季節なのはもちろんわかっているのだが、やっぱりちょっとハードだと思う。俺が休みなしで働いている中、相方は9日間のお盆休みが取れたといって実家に帰ったし、友人も弟もそこまで長くはないがお盆中はちゃんと休めると言っていた。まわりを見れば今この時期に血まなこになって働いているのは俺だけしかいなくて、そりゃ卑屈な気持ちが生まれてくるのも仕方がない。忙しいのは悪いことではないが、9月になったらちょっと遅い夏休みを取ってやる。
あてにしてなかった友達からの残暑見舞いの返信が、続々と返ってきた。みんなそれぞれの夏を、それぞれに満喫しているようだ。近況報告が聞けただけで、俺はとてもうれしくて元気が出てきた。みんながんばってる。大なり小なりの悩みや不安を誰もが抱えて落ち込む時もあるだろうけど、がんばってない人なんていない。そんなこと百も承知のつもりだったのに、みんなからのメッセージを読んで改めて確認できた。俺がみんなに残暑見舞いを送った理由は、俺自身がちょっと負けそうになっていたからかもしれない。律儀にメールを返してくれたみんなに、感謝。
そして、俺の残暑見舞いのメールが届かなかったすべての友達へ。残暑お見舞い申し上げます。2012年の夏は、がんばってますか?



2012年08月11日(土) ■
Vol.795 母のオリンピック

おはようございます。りょうちんです。

母は連日、オリンピックに夢中である。元来スポーツ観戦が大好きな母は、特にマラソンとフィギュアスケートに関しては知識も情報もオタクのレベルで、俺が高校野球マニアなのもその血を受け継いでいるからかもしれないのだが、オリンピックじゃなければ放送されないようなマイナーな競技もTV中継されているから、日本人選手を応援しながらその結果に一喜一憂せずにはいられないのだろう。見逃せない試合が夜遅い時間にあったりするからずっと寝不足だと言っていたが、夏の甲子園も始まった今、母は一日中TVにかじりついているに違いない。
穏やかに毎日を過ごしている母だが、昨年あたりからずっと入退院を繰り返している。相変わらず口だけは達者だが、どこかへ出かける時は杖をついて歩くよりも車椅子に乗る方が多くなった。担当医の話によると、少しずつではあるが確実に病魔は母のカラダを蝕んでいて、次に大きな発作が起きたらそれが命取りになる可能性が高いとのことだ。いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているような母は、長くてもあと3年、おそらく1年くらいのうちには発作が起きてしまうだろうと直球で教えられた。そんな命のタイムリミットを告げられても平気な顔をしている母は、「だってもう覚悟はできているからね!」と強い目で言う。いやいや、俺はまだ覚悟はできてないよ。そんな気持ちで父を見ると、何も言わない父も俺と同じ思いだということが手に取るようによくわかった。
ロンドンオリンピックを最後に、現役引退を表明している選手もたくさんいる。結果はどうであれ、彼らは最後のオリンピックで悔いの残らないプレーができただろうか。それと同じように、母のオリンピック観戦もこのロンドンが最後になるだろう。次の開催地、リオデジャネイロでのオリンピックをきっと母は観戦できない。だから、母には精一杯ロンドンオリンピックを楽しんでもらいたい。日本人選手の活躍に喜び、たくさんの感動をともに味わいたい。まもなくオリンピックも閉会してしまうが、そんな想いも含めて今夜も俺はTVの中継に釘付けになっている。



2012年07月31日(火) ■
Vol.794 男だってアオザイ

おはようございます。りょうちんです。

先月発売された旅行誌『じゃらん7月号東日本版』に、俺が書いた旅行記が掲載された。改めて読むとあちこち手直しが必要な駄文だが、なぜかこれが5万円の旅行券に化けたのだから世の中わからない。雑誌に掲載されたのは少し校正されたものなので、以下、オリジナルバージョンをここに記しておく。
ベトナムの民族衣装、アオザイ。女性用の美しいアオザイは日本でも有名だが、実は男性用も存在する。せっかくなら、俺だってアオザイを着てホーチミンの街を散策したい。そんな想いで訪れた、ホーチミン男ふたり旅。
さすがに女性用よりカラフルでデザインの凝ったものは少ないが、男性用のアオザイだって選ぶのに苦労するくらい種類は豊富だ。俺はホーチミンの空と同じ、青い色のアオザイに決めた。縁起の良いドラゴンの刺繍がいたるところに施してあり、鏡の中の自分のアオザイ姿は意外とかっこよく映っている。
さっそく街へと繰り出す俺たち。でも、街中でアオザイを着ている人なんて現地のベトナム人ですら誰もいなかった。本来正装であるアオザイだが、21世紀のホーチミンでは男性がアオザイを着ることは、結婚式でもめったにないらしい。今の俺たちは、いわば日本で紋付袴姿で腰に刀を差している外国人が現れたようなものか。でも、浮いてしまって恥ずかしいという気持ちは最初の5分だけ。寛大な心を持つベトナム人たちは、俺らを見かけると優しく微笑んでくれる。夏のような太陽の下、アオザイ姿の俺たちはホーチミンの街にすぐに溶け込んだ。
ベンタイン市場、聖母マリア教会、ドンコイ通り。ホーチミンの観光地をアオザイ姿で歩いていると、いろんな人に声をかけられる。観光客だと一発で見抜かれ客引きからのお誘いも多かったが、多くのベトナム人から何度も話しかけられたのがうれしかった。これもすべてアオザイのおかげかも。俺たちは結局一日中アオザイ姿のまま、食事をしたり川沿いを散歩したり買い物をしたりしてホーチミンの街を満喫した。
男だってアオザイ。ホーチミンに行くなら、このアイテムは必需品である。



2012年06月27日(水) ■
Vol.793 ムダ食いをしない

おはようございます。りょうちんです。

やばい、太ってしまった。俺って食べてもそんなに太らない体質だからね、と豪語できたのは30代半ばまでで、今や食べればその分だけ正直に成長する体になった。確かに10年程前はどちらかと言えば痩せ気味だった俺だが、今は10kg近くも体重は増加して特にここ1年で一気に2〜3kg増えてしまった気がする。俺の身長から割り出される標準体重も、少しだけ越えてしまった。相方は自分の腹が饅頭そっくりなくせに、それを棚に上げて俺の腹を触ってババロアみたいにふるふるしてると笑う。そうなるとさすがに俺もどうにかしなければと、危機感が生まれてきた。
目下の俺の目標は、ムダ食いをしない。人は食べなければ生きていけない。食事は生きる上で必要不可欠であるから、毎日食べるものはちゃんと食べていきたいし、無理なダイエットなんて全くやるつもりもないのだが。食べる時はそれがちゃんと食べる価値のあるものなのか、吟味してから食べるよう心がけたい。では、食べる価値のあるものとは何か。考えた末、大きく分けて4つあると分類できた。
その� △�いしいもの。例えばすばらしい味付けで、食べると涙が出るくらい感激できるもの。仮に満腹でも、おいしいがゆえもっと食べたいとかまたいつか食べたいと思えるもの。その�◆△修了�にしか食べられないもの。例えば旬の食材や超高級な食材を使ったもの。近い将来に同じものは食べられないだろうと予測できるもの。その��、健康的に優れているもの。例えば理想とする栄養バランスになるべく近い摂取ができる料理や、それを食べることでさらなる健康維持ができるもの。その�ぁ�楽しく食事できる環境で食べるもの。例えば、相方や家族や友達とにぎやかに楽しく談話しながら食べる食事。以上が、俺が思う食べる価値のあるものだ。
この条件を満たせば満たすだけ、より価値が高いと考えられる。逆にひとつも条件を満たしてない場合、つまりどうでもいいつまみ食いとか空腹をしのぐだけのひとりで食べるジャンクフードやインスタントフードは、典型的なムダ食いである。このムダ食いを止めれば、俺ももう少しスリムなナイスバディになれるだろうか。



2012年06月25日(月) ■
Vol.792 『雨』の思い出

おはようございます。りょうちんです。

カーラジオから森高千里さんの『雨』が流れてきた。この曲を聴くと、思い出す出来事がある。俺が大学時代の、『雨』の思い出。
テニスをメインにいろんな球技をするスポーツサークルなんて名ばかりの、よくあるお遊びサークルに俺は大学時代所属していた。彼女は俺が4年生の時の新入生だから3つ下の後輩になる。その頃の俺は就職活動で忙しく、そもそも1年生と4年生じゃ校舎も違ったため、最初は彼女とそんなに接点もなかったのだが。彼女も同郷の千葉出身でしかも大学進学にあたりひとり暮らしを始めたばかりというところから話も徐々に弾み、何度かサークルに顔を出すうちに親しくなっていった。そんな俺らを見て、友達からは「お前ら付き合っちゃえば?」なんて冷やかされたが。残念なことに、彼女のルックスはお世辞にもけしてかわいいとは言えない。メガネをかけていただけで、当時人気の出てきた女お笑い芸人の苗字が彼女のニックネームになっていた。おとなしく控えめで性格こそ悪くはないが、彼女を良き後輩と思うことはあっても恋心を抱くまでには至らなかった。
ある日、サークルの連中とカラオケボックスに流れ込む。ひとしきり盛り上がったあと、俺は大好きな森高千里さんの『雨』を歌ってと、かたっぱしから女の子にリクエストした。しかし誰も知らないと言って歌ってくれない。ひとりでマイクを握るなんてけしてしない引っ込み思案な彼女にも聞いてみたが、答えは同じだった。
それからしばらくして。サークルの連中を引き連れて、俺はまたカラオケボックスに行った。何曲か歌って落ち着いた頃、突然『雨』のイントロが流れ始める。見ると、マイクを持っているのは彼女。「♪ひとつひとつ消えてゆく雨の中 見つめるたびに悲しくなる〜♪」、と見るからに緊張しながら歌う彼女に俺は驚いた。
実は、彼女は俺のためにCDまで買って歌えるように練習したらしいという話を聞いたのは、俺が大学を卒業してずいぶんたってからのことだ。あの時彼女は、どんな気持ちで『雨』を歌ったのか。『雨』を聴くたび、俺は彼女を思い出す。



2012年05月03日(木) ■
Vol.791 象の足

おはようございます。りょうちんです。

確かにその夜、俺は浮かれていた。次の日は休みだったし、ちょうど相方の休みと重なるなら少し遠くへドライブしようなんて企んでいたし、そんな折に5万円もの旅行券が手に入ることが判明したし。いつもと同じ心持ちのつもりだったのに、思い返してみると確かに俺は調子に乗っていた。油断とは、そんな時にやってくる。
両手で抱えた荷物を我が家の前に停めた車に運ぶため、スニーカーは突っかけたまま外に出た。階段を降り最後の段差を踏み込んだ時、俺は見事に足を踏み外す。俺の視界は右回転を始めたが、塞がる両手のせいで体を支えることはできない。重力に負けた俺はスローで動く景色の中、今まで聞いたことのない鈍い音を自分の右足から聞いた。その瞬間、激痛が走る。やってしまった。一瞬で思ったが、俺はアスファルトに転がったままどうにもできなかった。痛みにうめく俺を見て相方はあわてて駆けつけたものの、激痛は増すばかり。過去に足をくじいたことも捻挫したことも山ほどあるが、そんなの比にならないほど痛い。もはや、歩くことも困難だ。
それでもどうにか死にもの狂いで自分の部屋に戻り右足を見ると、左足の倍以上の太さに腫れている。くるぶしもわからないほど腫れて膨らんだ右足は、まるで象の足だ。もう遠出とか言ってる場合じゃない。一晩寝れば良くなるかもという淡い期待は簡単に裏切られ、翌朝の俺の右足はさらに腫れ上がっていた。医者嫌いの俺だが、さすがにこれは非常事態との自己判断により整形外科に直行する。レントゲン写真を見ながら医師は、靭帯損傷、全治3ヶ月の大ケガとの診断。靭帯は断裂こそ免れたもののかなりひどく損傷していて、くるぶしの外側の骨が剥離骨折している可能性もあるらしい。痛みは当分続くためギプスを薦められたが、松葉杖だと仕事にも差し支えると突っぱねると、紫色の右足に固定バンドをはめてくれた。
あれから1ヶ月半、今でも俺はシップと固定バンドの毎日が続く。痛みはかなり楽になったが、まだ走ったり正座したりできない。自業自得とはいえ本当に悔やまれるケガだが、遅くとも夏までに完治せねば。今年も、恒例の夏登山が待っている。