ムッキーの初老日記
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| 2002年12月03日(火) |
セキ先生に捧げるバラード |
そろそろ年賀状を作らないといけない時期だ。 私は今でも高3の時の担任と、そして「セキ先生」に、毎年年賀状を出し続けている。
高校三年の時「簿記」という授業があった。 大嫌いな科目だったが、この簿記の先生がセキ先生(♂)である。
はじめに言うと、私は商業っぽい科目が苦手だ。 2年の時はなんと「珠算」の授業があり テストはいつも、アクロバット並みの超低空飛行を続けていた。
ある日、遂に人生最初で最後の0点を取ってしまい、担当の先生に
「お願いだから、掛け算とか、わかる問題からやってくれ。 追試でもし0点を取ったら、1つけるしかないぞ。」
と泣かれた。
そんな私であるから、当然3年になって 「簿記」なんてものを習ってもチンプンカンプンなのであった。 だから当てられるのが何より怖かった。
「次。問5の仕訳を・・・・・・」
セキ先生の目が仄暗く光る。この間がやなんだよ、この間が!
「・・・・ムッキー。」
ギャーッ!Σ(゚口゚;)
私の心の叫びが聞こえたかのようにセキ先生はニヤリと笑った。
「えと、えと、えと・・・○○○・・?」
「全然違う。全く違う。かすってもいない。」
「は・・はい・・・スイマセン」
「こんな問題も出来ないようでは・・・困るな。」
ゆっくりした冷たい声でそう言われるのが恐怖であった。
セキ先生は当時ひどくオッサンに感じられたが 実際は30を幾つか過ぎたくらいだったのではないろうか。 いつもキチンと3ピースを着て、髪は七三で、銀縁のメガネをかけていた。 今はまず見なくなったが、当時はけっこういた「インテリ君」タイプだ。 それで声のトーンが冷たいものだから、正直いうと人気者というよりは ちょっと怖いよね、暗いよね、と言っていた生徒のほうが多かったと思う。
でもこう見えてセキ先生、実はとても「オモシロ好き」だったのだ。
ある日、友人が変わったシャーペンを持って来た。 セキ先生はそれを取り上げ、じーーーーっと見つめ
「これ、どこに売ってた?○○か・・・遠いな。 君は通りがかりなのか?すまんがこれと同じの買って来てくれないか・・・。」
と頼んでいるのを目撃してしまった。
また、廊下で私がある先生のモノマネをしていたらセキ先生が通りがかり 『ヤバイ!怒られる!』と思ったら
「上手いな・・・。他に出来ないのか?」
と言った。調子に乗って色んな先生のモノマネを披露したら セキ先生の顔がにわかに紅潮した。 明らかに笑うのを堪えている・・・! だが次の瞬間、いつものように唇だけでニヤリとし
「またやってみせてくれ・・・。」と言って
くるりと背中を見せ、シュタタターッと早足で行ってしまった。 きっとあの時、彼は笑っていたに違いないと今でも思っている。
こんな事があってから、私はセキ先生が嫌いではなくなった。
私のいた高校では、毎年一冊全校の文集のような物を作っていた。 各クラスの紹介文に、詩や短歌や書、それに卒業生が 各クラスから1、2人、作文を載せるのだ。
私も3年の時、作文を書くことになってしまった。 私は「私の事件簿」というタイトルで 3年間で遭遇した面白い出来事をデフォルメして書いた。
原稿も提出し、ほっとしていたある日、セキ先生に呼び出しを受けた。 私はまた簿記の成績が悪くて怒られるのか、と思ったらそうではなく
「君の原稿を読ませてもらった。 君の作文は面白い。・・・簿記は最悪だがな。」
「はあ。」
セキ先生はその年の文集の編集責任者だったのだ。
「それでだな。ここに『他にもいっぱい面白い事件があったが ページが足りないから省く』ってあるだろう。 これ、書いてみないか。いやいや、長くなってもいい。 どうにでもなるから。ぜひ書いて皆を笑わせてやってくれ。」
と頼まれたが、私はまた書き直したり推考したりするのが めんどくさかったので、断ってしまった。
「そうか・・・。よし、じゃあ今話してくれ、その面白い事件を。」
・・・どうしても「面白い事件」を知りたくてしょうがないのは セキ先生じゃないか。しょうがねえなあ、教えてやるか。
私が身振り手振りで面白おかしく話すと セキ先生は今まで見せたこともない顔でワハハハと笑った。 セキ先生と私は、どうやら笑いのツボが同じようだった。
卒業以来、セキ先生とは一度もお会いしていない。 もうとっくに50は越えてらっしゃるだろう。 年賀状を出すと必ずお返事を下さり 印刷の年賀状に、必ず小憎らしい手書き文が添えられている。
成人式の写真を貼れば「馬子にも衣装。」 結婚式の写真には「よく化けた。」 30になったと書けば「もうばあさんだな。」 去年の写真には「相変わらず写真うつりだけはいいな。」
ちぃっ。ばれてやがる・・・。
今年は暑中見舞いも出した。 ホームページを始めた事。毎日雑文を更新しているので ぜひ見に来て下さい、と書いた。 その返事は、なにもなかった。 セキ先生は見ているだろうか、それとも見ていないのだろうか。
わからない。
でもあの先生の事だから、何も言わずこっそり見て 「ムッキーめ・・・」とニヤリとしているような気がする。
セキ先生。 今日の日記の出来は、どうですか?
| 2002年12月02日(月) |
でっかいことやろうぜ!? |
冠二郎の嫁さん候補の友人、キョーコから 先日、年賀欠礼のハガキが届いた。 一緒には暮らしていないが、お祖父様が夏に亡くなったので 来年の年賀状はなしです。という通知。
そうか・・・。 では私もキョーコには、寒中見舞いを出す事にしよう。
そしてよく見ると、印刷された文面の下に キョーコの手書きで、男前にこう書かれていた。
来年もでっかいことやろうぜ!
来年も・・・って。 キョーコよ。 今年なんかでっかいことやったか俺たち・・・・。
でも君のその前向きさ加減が好きだよ。
| 2002年12月01日(日) |
スウィート・ホーム・シカゴ |
今日は寒いし、明日オッサン君が早朝出勤なのでどこへも出掛けず 朝からずーっと映画を見て過ごしていた。
「ブルース・ブラザーズ」と 「ブルース・ブラザーズ2000」の二本立て。
どっちもビデオでは持っていたが 最近誕生日のプレゼントにと 友人から2作セットのDVDをもらったので それを鑑賞した。
「ブルース・ブラザーズ」は、これまで何回見たか知れない 一番好きな映画。マイ・ベスト・ワンだ。 あんまり見てるもんだから 英語もなんとなく聞き取れるようになった。 昔TVでやった吹き替え(声はバブルガムブラザーズ)も見すぎて 細かいセリフまで覚えた。
もう全てがカッコイイ。BB最高!←BBの画像と音楽。注]BGMが流れます。
USJにいるのでもいいから会ってみたいよ。
うちのウサギ、宇佐山飛蔵(うさやま・とびぞう)は果物が大好きだ。 バナナ、レーズン、みかん、りんごなどなど。 柿や梨や葡萄(レーズンは大好きなのに)はイマイチ好きでないようだ。
特にミカンを食べる様子がなんとも可愛い。 しゃぶしゃぶと音を立てながら、果汁をぼたぼたたらして 夢中になって食べる。
昨夜も、コタツでミカンを食べていたら 匂いをかぎつけた宇佐山さんがゲージの中で
「くれー!俺にもくれー!」と大騒ぎを始めたので
一房の半分をあげると、私の手から奪い取るようにして しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶと美味しそうに食べていた。
・・・と思ったら。いきなり
クケーーッ!
と鳴いて口を菱形に開けている!
「う!宇佐山さん!?」
ケッ!ケッ!
前足を口の前にもって行き必至でもがいている。
しっかりしろ!宇佐山さん!死ぬなー!(;゜□゜)
次の瞬間、クケ!っと鳴いて、おもむろに平静を取り戻していた。 どうやら、ミカンの薄皮が喉に引っかかったらしい。
ああびっくりした。 あんまり慌てて食うけんたい。 そげん喉にも詰まりよろうが。
オマエも、もう立派なおっさんウサギなんだから もっとゆっくり食わんと。 いい加減落ち着けよ・・・。

私の愛車はマツダのデミオ。もう5年は乗っている。 友人も偶然同じデミオ(色違い)を同時期に買い それぞれの愛車に
松田デミ夫、デミ子と名付けた。
あんまり手入れをしないせいもあるんだが 5年もたつと、けっこうあちこち傷んでくる。
特に友人のデミ子は、愛犬(Gレトリーバー)を乗せたり けっこう長距離を走る事も多いので すでに走行距離は9万キロを越し 愛犬の爪あとも目立つそうだ。
それにしてもデミオはいい、と言う話を彼女とした。 燃費もいいし、小回りもきくし、壊れない。 言う事をよく聞く可愛いやつだという事で意見が一致した。
今度買う時もぜひデミオにしよう また色違いで買うのもいいね、と盛り上がった。
「あ、でもな。オッサン君のクルマの方が古いから そっち先買わないと怒られるなあ。」
「そうか。あ、そういやうちのダンナのも来年で10年だわ。」
「そうか、じゃあやっぱりそっちが先だね。」
「んだね。2台は買えないもんねえ。」
そう言ってため息をつき、彼女は言った。
ジャパネットで車も売らないかな〜。 金利手数料ナシの100回払い! オマケに車検とカーナビがついてくる!
おお!いいね! 高田社長、4649。
ムッキー
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