ムッキーの初老日記
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昨夜、ふとウサギの宇佐山さんのゲージを覗くと 床に点々と血痕がついていた。
「!?」
ビックリして宇佐山さんをよくよく見たが どこからも出血しているようには見えない。
だが前右足を、ヒョコっとあげている。 きっとここからの出血に違いないが よく見ようとしても、嫌がって見せてくれない。
右前足が痛そうな他は、腫れてもいないし 食欲もあり元気なので、昨夜はそのままにして 今朝、行きつけの動物病院へ連れて行った。
その結果、右前足の爪が一本取れていた。 一本足の裏に生えてる爪があるのだが(人間で言うと親指か?) それが根元から、ボッキリ。
そこが化膿していたので処置をしてもらい 塗り薬はなめてしまうので、化膿止めの飲み薬を 2週間分もらって帰ってきた。
もう取れた爪は再生しないそうだ。 しかも取れた所から骨が見えてしまっているそうで 肉が盛り上がるまでちょっと時間が掛かりそうだ。
またどうして爪などもげたのか??
よくよく思い出してみると 昨日、ゲージの外に出ていつものようにゴローンとしている時 何かの音に驚いて、いきなりダダーッと走り出した。 あの時に、カーペットか何かに爪が引っかかって もげてしまったんではないかと思う。
ウサギは全般的に臆病な生き物で のんびりしてるように見える時でも 急な物音などに過敏に反応してしまう。
「先天性 ビックリ症」だ。 私もビックリ症なので気持ちはわかるが 宇佐山さんは、臆病なウサギの中でも 最も臆病な部類に入ると思う。
数年前は、玄関先で遊んでいた時 夏だったのでドアを開け放っていたのだが 宅配便の人が来て
「お荷物のお届けでーす!」と言ったら
ビックリしていきなり駆け出し そのまま柱に激突して、鼻血を出した事がある。
鼻血を出したウサギの顔などめったに見れない。 私は鼻血顔でしょんぼりしている宇佐山さんをよそに 爆笑してカメラを探したが 激突のショックで骨折したり、最悪死んでしまう子もいると あとで獣医師に聞き、大笑いした事を宇佐山さんに詫びた。
ともあれ、これから2週間、毎朝晩クスリを飲ませねばならない。 もちろん素直に飲んでくれるはずもなく 2人がかりで針のない注射器で口の中に流し込むのだ。 考えただけでもブルーである。
だけど生爪もげて骨まで見えてしまった宇佐山さんのほうが もっとブルーであろう。
早く元気になっておくれ。

車で、細い路地をゆっくり走っている時や ここよりももっと田舎のほうに行った時など よくお爺ちゃんやお婆ちゃんが歩いているのとすれ違う。
そんな時、私とオッサン君は 「こんにちはー」と言いながら にっこり頭を下げる事にしている。
そうするとお爺ちゃんお婆ちゃんは一瞬 「はれ?(゚o゚)」という顔をするが 大概「ああ、はいはい、こんにちは〜。」という風に 頭を下げたり手を上げたりして、挨拶を返してくれる。
かわいいなあ。
たぶん、どこかの娘だろうとかヨメだろとか 息子だろうとか推測して、挨拶してくれるのだろう。
友達に話したら 「またそんなイタズラして」 と言われた事もあるが、そうじゃない。
私達はお爺ちゃんお婆ちゃんが大好きなのだ。
それに 「はて?今のはどこぞの娘(息子)じゃったろうか?」 と考える事で、ボケ防止にも一役買っているような気がする。
| 2003年01月16日(木) |
ムッキー in 1999 |
失くした宝くじが、まだ見つからない。 忘れかけていたのだが、友人から電話があり 「1万円当たった」とか「3300円当たった」とか聞くと
もしや私のも当たってたかも!
という気になり、また家捜しをしてみた。 本の間やビデオケースの中までくまなく見たが、見つからない。 頭にきて普段開けない引き出しなども見ていたら 1999年の私の手帳が出てきた。3〜4年前の私の記録だ。
探す手を休めてパラパラと手帳をめくった。 当時はプリクラ大ブームだったらしい。 まるで女子高生の手帳のごとく何枚ものプリクラが貼られていた。
若い・・・!
ほんの3、4年前なのに若い。 30も半ばを過ぎると、1年ごとに坂道転がり落ちるように 容貌が変わってくるものだと実感した。
スケジュールのページには、当時の仕事の予定や 会議のメモや、遊びの予定が書き込まれていて ああ、こういうこともあったなあと懐かしく見ていると なぜかあちこちに、わけのわからない事が書かれていた。
座ると巨人
なにこれ。座高が高い自分のことか。
人生は細くて長いゴムだ。人生をかみしめろ!
ゆーとぴあじゃん・・・。
まぶだちバーベQ
・・・意味不明。
ノンフィクションの10
クイズ・グランプリ?
その他にも、おびただしい数の死語が あちこちに記されていた。まるでネタ帳だ。
おマセ、大ピンチ、タッチ交代、モーレツ、ティーン きゃぴきゃぴ、新人類、お色気ムンムン、などなど。
世紀末のムッキーよ。 君は何を考えてこんな言葉たちをメモっていたのか。
それはノストラダムスでも 知らぬ仏のお富さんだ。
| 2003年01月15日(水) |
手塚先生ごめんなさい。 |
小学校の頃。 故・手塚治虫先生の「ブラックジャック」というマンガが大好きだった。 少ない小遣いを貯めてはBJの単行本を集めたものだ。
「好き」が極まった私は、自分も手塚先生のような 漫画家になりたいと思いつめた。
そしてその熱い想いを、ファンレターにしたためて 何通も何通も手塚先生に出した。
お忙しい手塚先生から返事は来なかったが 返事など初めから期待していない。 この気持ちを、巨匠・手塚治虫に伝えられればそれでよい。
だがある日、奇跡は起こった!
学校から帰り、いつもの習慣でポストをのぞくと 私あての一枚のはがきが入っていた。
なんとそれは
手塚治虫先生からのはがきだった!
「来た!来た!手塚先生から返事が来たよー!」
私ははがきを振り回して狂喜乱舞した。 よく見ると、文章部分は印刷であった。 だがその下に「サインとイラストは僕の肉筆です」という言葉と共に
ピノコのイラストと「手塚治虫」というサインが 手書きで書かれてあった!
ピノコは「アッチョンブリケ」のポーズであった。 手塚先生の肉筆・・・。 これはもう人生最大の宝物だと思った。 一生大切にしよう、と。
その誓い通り、そのはがきは今でも大切に保管してある。
だが、やはりそこは小学生であった。 なんと私は、おそれおおくも手塚先生の描いた白黒ピノコに
色を塗ってしまったのだ・・・
色エンピツで。
(゚Д゚)・・・・・・・・・・・。
タイムマシンがあったなら、あの時に帰って 小学生の自分をぶん殴りたい気持ちで一杯だ。
手塚先生、ごめんなさい。
もう「なんでも鑑定団」に出しても何の価値も無いかもしれない。 でもやっぱりこのはがきは、今でも私の宝物のひとつだ。
| 2003年01月14日(火) |
思い出してしまった暗い過去 |
昨日、ふとしたきっかけで思い出してしまった。
すっかり忘れていた過去を。
出来れば思い出したくなかった。
忘れたままでいたかった。
どうして過去は、今頃になって私を苦しめるのか。
私は、私は、小学1、2年生の頃
殿さまキングスのファンだったんだ!

・・・それだけならまだいいが、
親にせがんで ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ) までショーを見に行ったんだ!
・・・それだけならまだいいが、
宮路オサムが大好きだったんだ!
わああああああ<(T□T)>あああああ
すいませんすいませんすいませんー!

ムッキー
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