ムッキーの初老日記
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あれは少なくとも12、3年は前のことだ。 もう21時は回った結構な時間に、おもむろに「パフェ」が食べたくなった我々は 夜の街にパフェを求め、車で飛び出した。
TVで見たのか、話に出たのか。その辺はもう忘却の彼方だが パフェを食べたい!!という衝動的な感情だけは まるで昨日のことのように、今もはっきりと思い出せる。
パフェはどこで食べられる? 喫茶店だろう。 喫茶店か、この時間にやってるのか。 どこかはやってるだろう、とにかく探そう。
めぼしをつけて行ってみるが、どこももう閉店していた。 ああパフェ!パフェが食べたいよっ!!
そしてやっと見つけた1件の小洒落た喫茶店に飛び込んだ。 メニューには燦然と輝く「フルーツパフェ」「チョコレートパフェ」の文字が躍る! オッサン君はフルーツのほうを、私はチョコのほうを注文し、待つこと10分。 ついにそれはテーブルにやって来た!!
ありっΣ(・д・) Σ(・д・)
その「パフェ」は、白くて大きなお皿できた。 周囲にはフルーツ(と、チョコ)ソースできれいに模様が描いてあり 大きな皿の真ん中に、小さなアイスとフルーツに生クリームが添えてあった。
小洒落た喫茶店では、パフェも小洒落ていた。
違うんだ。違うんだよ。 我々が食べたかったパフェは、縦長のグラスに入った あの、いかにも「パフェ!」という佇まいの、あの、あの 昔ながらの日本の伝統的なパフェなんだよー( ゚Д゚)( ゚Д゚)!!
我々は小声で文句を言いつつ、もそもそとその子洒落たパフェを食べ 満たされない心のまま店を後にした。 車に乗りこむとオッサン君が言った。
「だめだ。このパフェが食べたいという感情は、 あんなオシャレパフェじゃ満たされない! もう一軒行こうぜ。」
えー!もう一軒かよ!と思いはしたが そういう馬鹿みたいなことはキライじゃないので 「おーいいね、行こう行こう」と賛成してみた。
さて、そういうパフェはどこで食べられるのか。 少し冷静に考えてみたら、すぐ気が付いた。
ファミレスだよ!( ・∇・)人( ・∇・)
なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか。 ファミレスなら絶対あるに違いない。しかも深夜まで営業している。
そして入ったデ○ーズで、我々は思い描いたとおりの 正しい形のパフェを、すぐに見つけることが出来たのであった。

※正しいカタチのパフェ
シ・ア・ワ・セ ( ´ー`)( ´ー`)
だが、「パフェが食べたい」という願望は満たされていなかったが 「甘いものを食べたい」というその裏にあった願望は十分満たされていたので 追い求めていた正しいカタチのパフェではあったが 思いのほか感動は薄かった。
今ではこんなバカも出来やしない。 それは成長したからではなく、今もしこれと同じことをしたら 初老になって弱った胃腸が悲鳴を上げるであろう。 胃痛、下痢・・・恐ろしい惨事が引き起こされるであろう。
あの頃を振り思う。
なんでもない(健康)ことが、幸せだったと思う。 なんでもない夜のこと 二度とは戻れない胃腸が若かった夜。
+・+・+ 生活の句読点 オッサン君 +・+・+
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今期、唯一見てるドラマ「バンビ~ノ!」
主演の松本潤は演技もバンビーノ(半人前)なのだが
脇役にいい人を揃えて主役の弱さを補っている。
私が毎週楽しみにしてるのは、北村一輝。
ホントはこういう濃い顔はあんまり好きじゃないのだが、なぜかこの人は特別だ。
毎週お約束?のようにあるのがこの北村一輝演じる所の
「与那嶺さん」のウィンク・シーン。これがもう・・・
(*゜∀゜)=3ムッハ~~!!
ボーっと見てるとハートを射抜かれるよ。
ご用心ご用心!
ウィンクシーンの画像がなくて残念だが この後左目をパチ!っとやる所を想像して頂きたい。

Yahooテレビ「バンビ~ノ!」 http://tv.yahoo.co.jp/tv_show/ntv/bambi/index.html
「バンビ~ノ!」公式サイト http://www.ntv.co.jp/bambi/intro/index.html
+・+・+ 龍鵬オ時代到来 +・+・+
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2007年06月07日(木) |
【ムッキーの北海道リポート】8 |
■ ルーツ~北海道と私~
自分の5代6代前の先祖のこと、何か知ってますか? もし知ってるとしても、それは直系くらいなもので 例えば母系の曾祖母が、どこから来た人か?なんて そこまでわかる人はあんまりいないでしょう。 私もですよ。 それが先日、ひょんなことから知る機会があり 驚きの事実が明らかになったのです。
私の母の母系を辿った曾祖母が、半分アイヌだったようです。
この曾祖母は30歳くらいで他界し、その後すぐ後妻さんが来たようで 大昔だし、写真や資料?らしいものは何も無く 「そうだったようだ」という言い伝え?が残っているだけなのです。
多分、曾祖母の嫁ぎ先(祖母の実家)に行けば 写真の1,2枚はあるかもしれませんが 祖母もとっくに他界し、もう何の付き合いも無いので調べようもありません。
この曾祖母の娘が嫁に行き、そのまた娘が嫁に行き 生まれたのが私です。
リアル・ミーをご存知の方ならおわかりでしょうが 私自身は、まったくアイヌ民族の特徴を残してはいません。 顔も体毛も薄い、どこからみても「和人」です。
ただ、母の兄弟や、私の従姉妹などに 一体誰に似たのか?っていうくらい「濃い」顔立ちがいるんです。 体毛は知りませんけども。 今思えば、アイヌの血が濃く出た結果でしょう。
さて、身体的特徴は何も受け継がなかったかに見える私ですが 「北海道に郷愁を感じる」という心の面で出ている気がします。
数年前、北海道に旅行したことを 「北海道ズッコケレポート」および 「初老日記」に、くりかえしくりかえし書いています。
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>北海道。初めて行った土地なのに、なぜか懐かしい。 >一番心に残ったのは、その雄大で美しい景色。 >関東にいてはわからない、北の国の景色、暮らし。そういうものだった。 >大いなる大地の、その中に身を置いている時が、一番幸福だった。 >また帰って来たい。この大空と大地の中へ。
>ちょっと前まで、北海道に特に何の興味もなく >まして自分が行くなんて、きっと一生ないと思っていた。 >なのに今は、北海道が私を呼んでいる。 >こうなると、こんなにもチーちゃまを激愛したのも >北海道が私を呼び寄せるためだったのでは?とまで思えてくる。
>初めて行った場所なのに、なぜか郷愁を誘う北海道。 >私の前世は道産子だったのかも知れん。 >もしいつか宝くじでも当たったら、北海道に移住したいものだ。
>北海道旅行から、早いものでもう丸2年が過ぎた。 >北海道は、初めて行ったのに「帰って来た」みたいな感じがした。 >「お帰り」って言ってるような気がしたんだよ。
以上「初老日記」&「ズッコッケレポート」より抜粋---------
そしてこの北海道旅行で偶然通りかかって立ち寄ったのが 「二風谷」という場所で、ここはアイヌに縁の深い土地でした。
その二風谷に「アイヌ資料館」というのがあり、何気なく立ち寄りました。 http://www.ainu-museum-nibutani.org/html/sryo0N.htm
そこを建てたのが「カヤノ・シゲルさん」(故人)というアイヌ出身の方で アイヌ語や神話、生活などに関する本を執筆し アイヌ出身ではじめて国会議員もつとめた方だそうです。
その当時は「へえ、そうなんだ( ・∇・)」と思っただけでしたが 今回、私の曾祖母の旧姓が、同じ「カヤノ」だと聞き、ぞっとしました。 私は、偶然通りかかったとしか思ってなかったけれど 呼び寄せられたのではないか? 北海道が、二風谷が「お帰り」と言っていたのではないか? なんて面白い! そう思うことは、とても私の気に入りました。
祖母の晩年(享年56歳)の顔と、そのカヤノシゲルさんの 60代当時の顔が、これがまたよく似ているんです。
きっとどこかで繋がっているのかも知れません。 遠い遠い親戚のオッサンだったのかもしれないね。
曾祖母の母か父がアイヌだったとすると、私は5代目。 たった5代でも、16人の曾祖父母がいる。 6代前だと32人。もっと昔の事など調べようも無い。
私を頂点に、逆ピラミッドに先祖がいる。
その中には、いろんな人がいただろう。 その集大成が、私なのだと思うと、粗末には出来ない気がします。
2006/11/22
2007年06月06日(水) |
【ムッキーの北海道リポート】7 |
【7】さよなら北海道
占冠、日高、平取、二風谷と、ルート237を太平洋を目指し南下。太平洋沿いの小さな町、富川に出たのはもう昼過ぎであった。ここからはルート235に乗り、新千歳を目指す、海を見ながらのドライブだ。待ってろよ海の幸~!
だが、すぐに我々はそれが間違いだったと気付いた。行けども行けども、何もない。ただ海沿いに広い道が続くのみ。食べ物屋がただの一件もそこには存在しないのである。ほんの時たま、普通のラーメン店や、喫茶店などがあるにはあるが、我々が求めている「海の幸が堪能できる店」は、皆無だった。
途中、市民センターのようなものがあったのでそこに立ち寄りトイレなど借りる。大浴場などもある立派なセンターだった。そこの喫茶室でピザなどの軽食も食べられる。
「どうする?何か食べる?」 「うん・・・お腹すいたね。どうする?」 「でも、ここまできてピザもないよね。この先に海の幸が待ってるかもしれないよ。」 「それもそうだな。」
かなりのすきっ腹だった我々だが、海の幸とのめぐり合いを信じ、涙を呑んだ。「そうだ、受付のおねえさんに聞いてみよう」、と、まっちょが聞きに行った。そして哀しい顔で戻って来て、私とちょび婆にこう告げた。
「このへんに、美味しい海の幸が食べられるところはありませんかって聞いたら・・・ 『この先ずーーっと、そんなものはなかったと思います』って返事だったよ・・・。」
∑( ̄▽ ̄)∑( ̄▽ ̄)
お願い。誰か嘘だと言って。もしかしておねえさんの記憶違いかも知れないという事に望みを託し、その後もR235をひた走るも、本当にまったく、食事出来る店は皆無であった。 もうこうなったら予定変更だ。我々は車を停めガイドブックを睨む。
「お、ずーっと先に苫小牧という町があるよ。新千歳を通り越すけどさ、ここに市場があるって!新鮮な海の幸が安く食べられるって書いてあるよ!」 「それだ!よし!そこへ行こう!そこしかない!」
空腹でしくしくする腹を押さえ、餓死寸前の我々は苫小牧の市場へ向かった。苫小牧に着いたのは、もう午後3時。すきっ腹で目が回る。朝の8時から何も食べていないのだ。それもこれも皆新鮮な海の幸のためである。海の幸、海の幸を食べさせてくれー!
苫小牧の市場の中にある、海産物を食べられるお店に飛び込んだ我々は、自分の好きな具材を選んで乗せられる「幸せ丼」をオーダーした。運ばれて来た幸せ丼は、つやつやの海の幸がてんこ盛りで、本当に幸せな気持ちになった。丼の他に海老のお吸い物や温泉卵などが付いていて、見るからに美味しそう。我々は「いただきます」を言うのももどかしく、幸せ丼をかっこんだ!
う、うまい・・・!
めちゃくちゃ空腹だった事を差し引いても、幸せ丼は本当に美味しかった。 あまりの美味しさにちょび婆など涙目になり、後から入ってきた見ず知らずのおじさんにまで「うまいよおおお!」と訴えていた。おじさんはちょっとビックリしていたが「そうかい、そんなに美味いかい、よかったなあ」と笑ってくれた。
幸せ丼のお陰で、念願だった北海道の海の幸を堪能し、餓死も免れた。 その後市場をぐるぐる見て回り、我々は新千歳空港に向かった。 飛行機の時間までまだだいぶあったので、空港内のお土産屋さんをくまなく見て歩いた。そこは試食天国で、殆どのお土産は試食可能。有名なお土産を、全て味わえ、3時までの空腹が嘘のような満腹具合だった。 私は着いた時に買って食べたあの「じゃがポックル」と、愛するチーちゃまの名曲「大いなる愛よ夢よ」が商品名になったお菓子を大量に買い込んだ。その他頼まれていたお菓子などを買い、いい加減疲れ切ったところで飛行機の時間がやって来た。
3泊4日の北海道旅行はこうして最後のフライトを迎えた。これに乗ったら、1時間ちょっとで東京。そして茨城へ、水戸へと帰るだけだ。あっという間の4日間だった。
北海道。初めて行った土地なのに、なぜか懐かしい。美味しいものもよかった。買い物も良かった。だけど一番心に残ったのは、その雄大で美しい景色。関東にいてはわからない、北の国の景色、暮らし・・・そういうものだった。 大いなる大地の、その中に身を置いている時が、一番幸福だった。 また帰って来たい。この大空と大地の中へ。
ひとつ心残りは、チーちゃまの故郷、足寄に行けなかったことだ。今度北海道に帰ってきたあかつきには、今度こそ足寄に行ってみたい。そしてチーちゃまの「足寄より」にあやかって「あ初老より」なんて旅行記を書いてみたい( ^□^)♪
そんな事を考えてるうちに、飛行機は新千歳空港を飛び立った。 ふと見た飛行機の窓からは、北海道の地形のままの美しい夜景が見えていた。 まっちょが慌ててカメラを出して撮ったのだが、時間がなく、うまく撮れなかったが、どうにかその美しさをわかっていただける写真を載せたので見て欲しい。
サヨナラ北海道。 また帰ってきます。
2007年06月05日(火) |
【ムッキーの北海道リポート】6 |
【6】ラスト・デイ
感動の美瑛ドライブも終わり、その夜も富良野の宿に泊まった。明日で北海道ともお別れだ。
雨の羽田を飛び立ってから今日まで、思い起こせばいろんなことがあった。 友人もりーに迎えられた雨の新千歳空港。そこで「きたろう氏」を見かけた事を書き忘れた。(まあ書き忘れるほどどうでもいい出来事なんだけれども・・・)
お土産に頼まれた北海道限定のお菓子「じゃがポックル」を買ったのはいいが、途中あまりの空腹に耐え切れず開封してみんなで食べてしまい、そのあまりの美味しさに衝撃を受け、帰りには10箱は買うしかないと誓ったこと・・・。
30年近くチーを愛し続けている大先輩に再会し(春の熊谷でのチーコンで初対面している)、チーの携帯ストラップをいただいて嬉しかったこと・・・。
もりーと4人で泊まった旅館で食べた夕食バイキングとその後のカラオケの楽しかった事・・・。
カーナビが馬鹿で、支笏湖から抜け出せず、一生このままかも・・・と言う不安感で一杯になった事・・・。 その後飛ばした高速道路の横風のあまりの強さに、みんなには黙っていたが、内心『もしかしたら死ぬかも』と恐怖した事・・・。
「北の国から」にも出てきた居酒屋だよ、と教えられ、行ってはみたが、北海道らしいものと言えば「チーズ豆腐」くらいなもので、ジンギスカン鍋だかなんだかはあったが、7月のこのくそ暑いのに鍋でもあるまい、と、どこでも食べられるような天ぷらだのエビフライを食べてしまい、不味くはなかったがイマイチ北海道を満喫出来ず不満が残った夕飯の事・・・。
どれもこれも過ぎてしまえばみな楽しく懐かしい・・・。
そんな感傷も北海道の早すぎる夜明けに打ち破られ、最終日の朝がやって来た。今日は富良野をあとにして、太平洋を目指す予定だ。占冠、日高、平取、二風谷と、ルート237を太平洋を目指し南下。太平洋沿いの小さな町、富川からルート235に乗り、海を見ながら、海の幸など堪能しながら新千歳空港に向かうという予定であった。
が・・・。これがとんでもない大間違いだったと知るのは、もうちょっと後のことである・・・。
途中の二風谷(にぶたに)という町の「アイヌ博物館」に立ち寄り、そのそばにあった昔のアイヌの住居などを再現した公園で、コロボックル気分を味わった。そして日高では「日高ケンタッキーファーム」という施設に立ち寄った。ここでは馬に乗れる。手綱を係員さんに引いてもらいながら、だいたい5分ほどの馬上散歩が楽しめる。マッチョとちょび婆が馬に乗ってる間、私はカメラマンに徹した。こんな重い私が乗るなんて、馬に申し訳がない。・・というのは表向きで、実はちょっと怖いのだ( =д=)・・・
この時点で、我々がすでにものすごい空腹であった事を覚えていて欲しい。
結構長いドライブだったが、あちこちに立ち寄ったり、車中でバカ話をしていたので、さして苦もなく楽しいロングドライブになった。 驚いたのはちょび婆の「嗅覚」で、それも「肥料のかおり」にだけ、ものすごくすばや敏感にく感応することだった。牧場などのそばを通るたびに、誰よりも早く!正確に、それを感知し、知らせてくれるのだ。
「ちょび婆、すごいね、嗅覚が素晴らしいね」と称賛すると 「いやあー他のものはダメなんだけど肥料だけはすぐわかんだー。」 と謙遜?していたので、ちょび婆には「肥料ハンター」の称号を二人から与えておいた。
そんなこんなで遂に海にでた!さあー!美味しい海の幸を食べるどーー!
だが、ここからなのだ。我々に北海道旅行中最大の危機が訪れるのは・・・!
ムッキー
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