突然ですが、近日中に休止します。
詳しいことは、今週中に書きます。 再開する気は、ありありなので閉鎖などは決してしませんが、 ちょっとここらで、小休止。
昨日に日記が、お疲れ風なのですが、今回の休止とはまったく関係ありません。
そんなわけで、次の日記が「番茶日記」としての最後の日記になります。
しつこいけど、閉鎖じゃなくて休止ですよ。 やめませんよ、また、違った形になります。
ちょっと、弱音を吐いてもいいですか いいですよね、
少し疲れているんですよね。 最近容量オーバー気味で
ため息をつくと幸せが逃げていくと信じてしまうタイプなのでついたりしませんが、よっこらしょっと腰を下ろしたくなる気ににもなります。
一時だけのことです。 ちょっと、腰でも下ろしてみましょうかね。
2002年08月18日(日) |
桜吹雪のサライの夜は |
免許の更新に行こうと思ったのに、寝坊していけなかった。 やらないといけないことが、ちゃんとできないと落ち込むタイプ。 競馬場にあせっていって、メインの札幌記念のレースを見れたことが救い。
東京に行った友達が帰省中なのでテレビ塔のファミレスでご飯食べる。 久しぶりに会った彼女はあいかわらず浮いてる女で、 たぶん札幌1浮かない女であろう、友達と私は「もてないあたしたち改造計画」をもくもくと相談しその計画もくだらないもので 「最後に勝つのはどうせぶりっ子だろー受身じゃないとダメだろーが、勢いある女はダメなんだよ、張り合う女は嫌われる」など怒鳴ってました。 「恋人と別れた子たちって、みんなあたしに電話してくる」というコメントをいって私もそうなので「あたしも」と言ってしまったのですが、
それって、みんな「あいつ」ならどうせ一人だから
と信じ切っているってことなんだろうな、なんて一人身に優しい私なのでしょうか、恋人が出来て遊んでくれなくなっても何も言わないでほっとくし、別れて寂しくなって「遊ぼう」といわれても、「いいよー」なんていうし、 まぁ、いい人すぎるわ自分。一人身界のカリスマになるのも時間の問題ね。 「っーか、誰もなりたくねーよ」とか思うけど。
24時間テレビはいつまでたっても感動のさせ方がワンパターンすぎて笑える。 昔裕木奈江が司会のときに、マラソンでゴールして(お決まりで)みんな涙という場面で泣きもせず、シラーとしてて私的には笑えた。 どうも、私はサライを聞くと笑いが込み上げてくるみたいです。
そんなことよりサライってどこなんですか?
2002年08月17日(土) |
どこのかわいこちゃんですか? |
会話があまりない同僚にチュッパチャップスを差し上げてみた。 お互い、口にくわえたまま仕事。 ...余計会話がなくなりましたがな。
今日仕事が終わったら、同僚の子と元同僚たちでお酒を飲みいく予定で待ち合わせの時間に間に合うように仕事してたのに相変わらず忙しくて、間に合わないとメールしてもらった 職場に元同僚(その1)がいきなり登場。 聞けば、携帯を止められているそうです、おもわず 「飲みにいく金あるんだったら、断っていいから払えよ!料金」といってしまった。 元同僚(その2)は、私が入る前に働いていた人なので私とは当然初対面。 とても、気を使えるいい人でひょうきんでとても繊細な人だということがわかりました。鍋に誘っていただいたし。
元同僚(その1)の二件目のお誘いを断ったら 「付き合いが悪い」だの「あたしに対して冷たい」など言われ 私は、自分のことを「あーだ、こーだ」と言われることが嫌いなので、 内心「ムッと」しました、でも面倒だから表には出さないけど。
結局、2件目に付き合って終電で帰ろうとしたら 「タクシーで帰ればいいでしょ」と言われて、何もいうことができませんでした。 人の財布の中身を考えることも大事じゃないかと、あと人の明日の予定も心配できる人じゃないとダメですね。 いつもじゃなくていいからさぁ、たまにはね。
嗚呼、これって愚痴じゃん。 今度会ったらちゃんと言おう。
「なんのために生まれて、なんのために生きるのか、わからないなんて、そんなのはいやだ」
って、アンパンマンにオープニングのテーマが仕事が忙しくて、突然流れだしてきたりして。(頭にたまに曲が流れる人) 「お!けっこういいこといってるじゃん」と関心し 私はまだまだ、なんのためなんってわかんないよーと思ったりした。
ここで終わればまだ、よかったんだけど 「愛と勇気だけが友だちさー」のところで「?」 アンパンマンさんよぉ、それ以外友だちはいないんかい! カレーパンマンはおまえにとっては、友だちじゃないんかーい!とハラ黒な考えに移行。 実はアンパンマンって、バタ子とできていたりして、でもドキンちゃんに実はフラリしたり、ジャムおじさんが助けにくるのが遅いので実のところは恨んでいるじゃ、と良い子は見ちゃダメよ的な考えをしてしまった。 書いてることもくだらないけど、そんなこと仕事中に考えるあたしも相当なくだらなさ。
作者の人が、昔人に裏切られたりして借金で苦しんで死のうと思ったときにアンパンマンを書いたって知ってました?徹子の部屋で昔見たよ。(うろ覚えだけどな)
関係ないけど、ゲイナイトいってきた感想は後日UP
お盆なんだよね みんな帰ってきてるんだよね。 私はお盆休みないけど、仕事しながらの札幌帰省のみんなの接待にいそがしいのね。
さっき友だちの家から帰ってきました、 これから焼肉食べにいきいます、あーカルビ その後、ゲイナイトで明日仕事、いや帰れません、寝れません。 気合と根性、場末な底力で頑張りまっする。
時間・時間・時。欲しと思うもの第一位。 そういながら、一時間も本読みながら長々とお風呂タイムした今日。 ゆっくりとした時間の流れも大切なら、人と関わり早い時間の流れも欲しい。 いつも、貪欲で欲しがり、欲しいと求めても出てこないものをねだる毎日。
携帯の話 「携帯変わりました」の連絡が終わってません。 携帯はあれば、便利だけど必要なだけあればいい人で、なくてはいけない人ではないということが判明。 今回は地方に住んでいる人とか、仕事が忙しい人だからという人意外、何ヶ月も連絡ない人には、連絡してません。 私がお高い人だからというわけではなく、曖昧な関係をメモリーに残すことはしたくなくて、身軽な携帯というものを目指してみました。 実際、人に会えば「○○が携帯通じないっていってるよ」とお知らせはいってくれるし、メールで「〜に携帯教えてもいい?」ってやってくれるし、携帯が通じないならパソコンにメールがくるし、 人気者とかじゃないんです。 ただ、携帯だけでしか繋がっていれない関係って疑問なんです。 携帯が繋がらなくても、人と人は苦労を感じながら繋がっていけるって思うタイプなのです。 「便利は不便」 会うこと、相手を思って書く手紙、会うことがなく、繋がることがなく、空白を埋めることが出来る、相手を思う、自分の時間。 そういうものを大切に大事にしていたい、 携帯というものに、依存することじゃなくって、今以上に仲を深める道具として。
2002年08月08日(木) |
ホリデーナイトフィーバー!? |
今日は休みでした、家にこもってました。 雨だから、全然止まないから。 パソコンの前にずっといて一人HP作成。 あ、CD借りにいったけど。
同僚の子とは仲が良いって思ってるんですけど 昔は仕事帰りに遊んだりもよくしてたけど、最後に二人で遊んだのは5月の話。 最近会話らしい会話が無いです、 「最近まともな会話してないよね?」相手「あー」 「いいや、今日が駄目なら明日がある、明日が駄目なら明々後日がある!返事は」相手「あー」終了チーン って感じです。 私あれなんですよね、仲良くなって落ち着くと別に相手がどうでもよくなってしまうタイプなんですよね。 女子によくありがちな焼きもちは、あまりない仲が良い人がどこで何してようが、そんなん相手の勝手だからどうでもいい。 この同僚土曜にフリマやるんで、天気が良くないってメールしたら 「あたしの力で雨を止ませてみせる」って返信が、強いなぁ
日記をネットに付け始めもうすぐ1年です(初期の日記は別のサイトにありますが) もう止めてしまおうかなぁって思った時がありました。 止めてしまおうとは思わなくても、一時的に休止してしまおうとか思ってしまうことはたまに今でもあります。 ネットだからこそ書けない内容ってたくさんあったし、文章にならない文章を殴り書きしたくもなる。 でも、こうやって続けている自分がいるってことは 「やっぱり、書くことが生活の一部なんだって」
いつまで続くのか、
さっき、友だち(と勝手に思っている)チャットで 「文字で伝える」ってことの話題になったんだけどね 文字で伝えきれることって、制限があって伝わりにくいんだろうなぁ と思うことが多い。
だってさ、文字だけって悪いようにも良いようにも取れるじゃない 私がこういう感じでって思って発した言葉も 感じ方によっては、酷く残酷に酷く優しく感じることもできると思う。 だからこそ、こう文章だけでその人の性格をイメージしても、「こうだ!!」って決め付けないようと思うんだよね。 実際会った人でも、その人の全部はわからなくて当然だし。 例えば「イントネーション・間・声の質・表情・雰囲気」は会ってみないとわからないんじゃないのかなーと。
パソコンを手にしてネット始めたには一年前以上。 その当時は、ネットの人との繋がりってとても私にとって非日常的なもので遠い世界であって、現実世界に繋がるものではないと思っていた。
でも実際、ネット経由で人と出会ってみて その人たちとは私の日常に込みこまれる人たちとなっていった。
もちろん想像とは違うところはたくさんあった。 私にとってそれは、意外な一面であった。 それを知って、ネットだけではない繋がりを確立させてくれたように感じた。 だけどって、ネットに気を許したわけじゃない。 自分のことを必要以上に言っては危険だと思う、誰しもが見れるから。 たくさん人間がいて、中には無害な人と有害な人がいることは確か。 それを感じ取るには、リアルな世界で人を見抜く力を見につけることじゃないかなと思う。文字という少ない情報の中では。
人を接するときに思うこと それは、いいところを前面的に捕らえること、そして認めること。 理解が出来ないところを見ること、違いを認めること。 理想は、もろい。 枠に外れたところは、自分自身に問題定義をする。 ほら「こんな感じ方もあるんだよ、こんな考え方もあるんだよ、自分にとって受け入れるかい?自分以外の人を」って。
2002年08月05日(月) |
外は雨で、私の日記はジメジメしてる |
携帯のメールの仕方すら満足に覚えられません。 とりあえず、二三人にためしでメールしてみた。 スカイメールとロングメールなんじゃこりゃ?
「本気で死にたい」って思ったこと今までの人生で本気で思ったことがあるかと考えてみた。 自分の思う私の人生で、絶望して先の未来を感じることもできないってことはなくて。 絶望を感じたとしても、先がある絶望ばかりで、絶望して何かを失ったとしても、全てを失ったわけではなくて、絶望の先の明るい未来を考えてしまうところ、軽くしか絶望してない。 そもそも、「もう駄目だ死ぬ」って思うような出来事がないので「生きるか死ぬか」の選択肢を選んだことすらないと思った。 絶体絶命な出来事を体験したときにそれでも強く生きたいって思うのでしょうかね。 こんなこと書くと自殺願望があるのかと勘違いされそうですが、 死を選ぶことは、今の私の先にある楽しみを逃すことだから全然思わないのですが、死にたくなる可能性も長い人生あって当然だと思う。
今いる私の周りの人が万が一、死というものを選んでしまったとしたら、それは酷い裏切りで、私は憎み続けるタイプだと思う。 「なんで」というより「置いてきやがって」とひどくむかつく。
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