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月経か読欲かって - 2005年10月29日(土)

小説本とか
1年にいっぺん読むか読まないかぐらいの
私ですが
本が嫌いなワケではありません
…かと言って好きでもないですけど

読むのが遅いんで、拘束時間の長いのが
耐えきれないだけです

映画の2時間も長いと思うし

電車も女も
拘束時間の長いものは苦手です

そんな私ですが
ホントたま〜に本を読みたくなります

今、無性に読みたいのが

重松の流星ワゴンと
フランキーの東京タワーです

誰か持ってない?

品川庄司の品川が
新幹線の中で号泣して、ページがめくれなかった
とか言うから

つづく



夜の遣り取り - 2005年10月28日(金)

警察「そこの自転車止まって」

自身「…はいはい、持ってます」

警察「準備いいねぇ」

自身「…」

警察「…成城…E5003…」

自身「…」

警察「危ないから、ライト取り付けようね」

自身「付けてもすぐ盗まれちゃうんですよ(嘘)」

警察「そうかそうか」

自身「…」

警察「でも今、100ショップで売ってるから」

自身「100円なら盗まれてもいいんですか」

警察「…」



インパクトもん - 2005年10月25日(火)

最近、自分で“まとめてる”コトがあります


それは

今まで生きてきて、出会った人達

もしくは、TVの中の有名人など、誰かが

口から放った言葉の中で

僕の心に残って消えない

そして“今も”燦然と輝く

悩殺(インパクト)フレーズです。


面白かった言葉や

感動した言葉です

まとめてます。


岡本太郎の名言集みたいな本が

いつの間に出版されてますが

ジャンルとしては、そういう(インパクト)もんですね。


後々、HPにUPしようと思いますが

まぁ発端が“ありがち”なので

フェイスをどうするか、その表現方法を考え中で

人に見せるかぎりは

やっぱ一緒に笑ってもらいたいし

感動してもらいたいワケで

そうなると“面倒”なワケです(笑)

まぁ僕が創る時点で、面白いのは保障しますけど


心の引き出しから、フレーズを引っ張り出して

ワープロしてみると

集合体は面白いです。

川口拓馬のエロさがバレます(笑)


こういう整理をしていると

逆に今まで自分が人に

インパクトフレーズをぶつけてきたか

心配になりますね

出会った人に、僕の言葉は残ってるか

不安です

それは、自己の証明であり

この世に生まれてきた証であり

“喧嘩してんじゃん”じゃ困るワケです


“喧嘩してんじゃん”じゃ

※「アインシュタインの隠し子」参照



自転車の進み方 - 2005年10月24日(月)

自転車をこぐ朝は
ノートパソコンの前より

ずっと重力が軽い

前進をオイルに頼ってた頃は
心に仕舞えなかった

マンションと首都高の隙間から
ひざの破れたジーンズへ
くぐり残った光が差し込むと

滞っていた生き方も
少し
開きだす気がする


水溜りに潜る道

なんだか久しぶりに感じる風

青くさい風
青くさいスピード

恋人同士のバイクに抜かれながら

2005年に照れながら

着水した車輪からコンクリに
ふらふらした曲線を

どこまで伸びるか分からないまま

ふらふら今日も描く



埋めごと - 2005年10月23日(日)

木、金
免停講習行ってきました

土
梅ヶ丘髪切りに

日曜は徹夜仕事

盗まれたと思われた自転車
ありました

そんな4日間の穴埋め分

感想、膨らませる気力等
ほぼ無いに等しい

才能ねぇ奴はいつまで経っても
人マネしかできねーなぁ

悲しすぎだよ



祇園精舎も鐘もねぇ - 2005年10月19日(水)

知ってる人は知ってると思うんですけど

僕ね、凄く気を使う人なんです

正確に言うと、相手に気を使わせることが嫌いなんですけど


例えば友達と3人で遊んでて
2人用のゲームがあるとするじゃないですか

そしたら、だいたい先2人にやらせますね
2人に「どうぞどうぞ」って感じで
自ら進んでやることは、滅多にない


何故「絶対」じゃなく
「だいたい」とか「滅多」なのかというと

「絶対」だと、逆に強制的で
気を使わせることになるでしょ

そういう意味で
わざと先やって、すぐ交代したりもしますけどね


で、先に2人がプレーしてて
自分がつまらなそうにしてたら、2人が気ぃ使うから

「今のどうやったの?」
「すげー」的な
なんだか
3人で楽しんでる風を作るんです


終いには気ぃ使いすぎて、疲れて
一番先寝ちゃったり

いまいち自分だけ乗り切れてなかったり(笑)
するんですけど


3人でも4人でも
誰か一人でもつまらなそうにしてるのがイヤで
全体が満遍なく楽しがってないと
自分が落ち着かないんです

誰か一人つまらない奴がいるとすれば

「それは俺で結構」って感じですね

聖徳太子じゃないですけど
3人くらいまでだったら同時に
会話拾えますし


要するに
「相手に気を使わせることが嫌い」ってのは

相手が僕といるとき、変なストレスを抱えてほしくない
楽な状態でいてほしいってことで

それは
人って誰しも「他人からいいように見られたい」と思ってるんで

それの直接的に伝達するバージョンと
間接的なバージョンの2つあって

僕は「他人からいいように見られたいのを
 なんとなく間接的に伝えるバージョン」って話ですね


ただ、間接バージョンってのは
特に僕のように超・間接バージョンの人ってのは

逆に「あぁ、そういう人なんだ」で

終わってしまう恐さがありますね(笑)


恐いですよ

高校なんて、中途半端に進学校なもんだから
基本、真面目高校で
放っておくとオタク集団みたいになっちゃうんで

バランス考えて、わざと道化師(ふざけて)たのに

大人になってから実家でたまに会うと

「お前いつも馬鹿みたいにふざけてたもんな」
みたいな

「そーそー」みたいな
素で馬鹿やってたみたいなこと言われると

泣きたくなりますね(笑)


間接的に、なんとなく
後々考えたら
あの人、あそこでこんな努力を!…みたいな(笑)

間接バージョンの狙い所なのに

これだけの時間をようして、全然伝わってなかったのは
ショックでかいですね

「あぁ、そうだね」しか言わないけど

「その歳でいい加減気付けよ」と

気付いてる人もいましたけど
ごく僅かで

まぁ無常ですわな



マイファザ&マザァ - 2005年10月18日(火)

小学校低学年
だったと思うんですけど

「つるピカハゲ丸」という
貧乏家族のセコさをギャグにしたアニメと

「おぼっちゃまくん」つぅ
金持ち家族の羽振りのよさを笑いにしたアニメが

ほぼ同時期にやってて

親と一緒に見てたんです


で、父親と母親が
それぞれのアニメに対して
それぞれの意見があって

同じとこで言ってるわけじゃないんだけど


父親は

「ハゲ丸くんは面白い」
「おぼっちゃまくんは道徳上よくない」
みたいなことチラッと言ってて


別のタイミングで


母親は、逆に

「おぼっちゃまくんは好き」
「ハゲ丸はつまらない」と


驚いたことに
両親で、逆のこと言ってるんです(笑)

聞いてもないのに
フリートークで

「えぇ!?」っと
子供ながらに悩みましたね

自分、昔から
すごく周りに気を使う人なんで(また明日書くけど)

「こっちの親といるときは、これ(番組)はOKで
 こっちの親のときは、これはNGか〜…」みたいな(笑)

ものすごいイヤでした(笑)


ただそれ以上に
子供ながらにショックだったのは

「父親と母親の考え方の違い」が見えてしまったことです


説明するまでも無いんだけど

おぼっちゃまと、ハゲ丸って
同じギャグアニメでも対照的でしょ

金持ちと貧乏で

母親は、おぼっちゃまくん好きだったんで
やっぱ女性なのか
お金があり、幸せがあるという
そういう堅実的なものが好きなんだ、と

逆に父親は、ハゲ丸みたいな
貧乏でも、その中で楽しみを見出していく
金が無くとも、なんとかなるさ的な笑いが
合ってんだな、と

そんな冷静には思ってませんでしたが

なんかねぇ
冬に半ズボンのカワグチ少年は

ちょっと恐かったというか

親が「真逆のことを言う」という概念“そのもの”が
まだ無かった年頃だったんですよ

親は、どんな場合においても
2人とも同じ意見…と信じてましたから

「お互いの意見がバレたらどうしよう」的な

「この話知ってるの僕だけじゃん」的な

「もしかして離婚?」みたいな(笑)

離婚って言葉は知らなかったと思いますが
喧嘩してほしくね〜なぁ、とは思ったでしょうね

精神的な意味で、印象深い出来事でした


15年経った今
2人の意見がどうなのか

ちょっと気になるトコですけど(笑)



マイマァ〜ザ - 2005年10月16日(日)

母親に
「夜9時以降食べると太るから、やめな」

と注意されたので
自分も

「そうそう、何か最近、科学的に証明されたらしいね」

と、相槌を打ったら

「え!ほんとに!? 母さんも食べるのやめよ」

…

なんやねんそれ(笑)



マイファ〜ザ - 2005年10月15日(土)

うちの父親が
10月11日の文章を読んだらしく

電話口の第一声で


「早く� 銑い亮命燭鮓�せろ」と言ってきた

(笑)

そんなもんあるはずないので

「んなもんない」と笑った


うちの父親は

「何で?」と言った


マジだったので面白かった(笑)


創り手として

誰に向けて発信するか
笑って考えさせられる出来事だった



いつもの言い訳 - 2005年10月14日(金)

何年も書いてるんで、時どき
読んでる方にコメント頂戴したりするんですけど

あまり言いたくないん(nine)ですけど

自分、ここの中で「詩」みたいなものを書くでしょ
「詩」みたいな

でね、その詩に


好感を抱いてます的な
読み続けてます、みたいな


あまり言いたくないんですけどね

言われたり
会ってもいない人から
そういう嬉しいコメントを頂くんです

こんなん書かずに本題いきたいんですけど


ありがたいですよね

嬉しいですよ
文章のどこを好きになってくれたか分からないけれど
何かしら伝わったってのが

そこはもう、自分も普通の人なんですけど
普通の人と同じように嬉しい


で、ね、

本題はここからで


言われたとき、ちょっと複雑、というか
もみ上げ辺りに引っかかるのが
「詩」とか「日記」とか好きです、で

自分「詩」とか「日記」を書いてるつもりが
全く無いんです

ホントに


詩とか日記とか断言されちゃうと
ちょっと焦るというか
精神的にハードル上がったな〜と…なんとなく

実際、自分でここのコトを表現するのに

いつも「ここ」とか「これ」とか「文章」とか

たぶん以前のやつ読み返してみても4、5年
始まってから
「日記」や「詩」という言葉は一度も使ってないんです


そもそも日記も詩も

希望や同情を、押し付けて煽る媒体な気がして
かなり嫌いなんですけど


自分は、今までず〜っと

言葉で遊んでるだけで

「言葉」の強さ
「言葉」の恐さ
「言葉」の無意味さ

遊びながらでも研究して
「言葉」に「言葉」で勝ちたいんですよね

だから
読んでて何だかよく分からないときあるでしょ
「詩」なのか「日記」なのか

どっちでもないんですよね

「レポート」なんですよ
研究っていうなら

自分にお題を課して
自分に提出する「レポート」ですね

レポート


うん


そうかそうか「レポート」だわ


だとしたらタイトルも
マイノリティーリポートみたく

衒学ファンタジア・リポート

「知ったかぶりが夢見心地で書いたレポート」


みたいな

なかなか素敵な(笑)でも長いか…

余談も余談ですね


気持ち的には、例えば
水と油を強引に混ぜたいってのがあって

それは文章だけじゃなく
映像も
たぶん音楽も作らせたら、そうで

なるべくオリジナルにしようという意識
というか驚かせたいだけなんだけど

混ざらないと言われてたものを
なんとしてでも混ぜたくなったり

結果混ざらなくても

その過程を楽しんだり
楽しんだ過程を掘り下げてみたり


自分のやる事に自信が無いから
そうやってノンジャンルにごまかしてる的な部分は
どっかにあるのかもしれないけど

やっぱ、ジャンルに縛られてやるのは
堅苦しいし
ごまかしてると言われようと
自分は無理ですね

そもそもジャンルだって誰かが作ったもんだしね


だから「詩」とか「日記」、とは

考え方も、言葉の持つ雰囲気も
全然違うんです


ただ

人がここのコトを言うときに
日記、詩、以外に
他に言いようもないってのも分かるんですけどね

「レポート」は自分の中では
しっくりくるんですけど

人から
「あのレポートさぁ」みたいなこと言われても

「はぃ?」(笑)


日記でも詩でも何でもいいですわ


自分のレポートを楽しめる
そこまで観れる人は
いい感性してますよ

という自画自賛で終わる
能ある鷹も、爪を隠しちゃいられない、今日この頃。

寒くなってきました。



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