一日後記

2004年09月13日(月) 松島 おまけ。

■仙台から松島海岸駅まで在来線で移動中、気付いたら
 周りの殆どがリクルートスーツ姿の女のコ。
 しかもあまり大きいとはいえない町で皆降りて行った。
 何だったんだろう?

■本塩釜駅で快速に乗り換えたら、石ノ森章太郎のキャラ絵だらけで
 一瞬引いてしまった。
 おまけに車内アナウンスの声がロボコン。
 (相方が言わなければ私は分からなかった。)
 それにしてもロボコンの声が分かる世代というのは
 かなり限られてくると思うのだが…。

■オルゴール博物館にて。
 昔のものは木枠が重厚だからだろうか、金属的なはずの音色が柔らかく
 少しチェンバロのような音がする。
 係員が操作しないと聴けないのがちょっと残念。
 
 ここで何故か小田和正のオルゴールサウンドCDを購入。

■ガラス美術館にて。
 ガラスなのに蒔絵のような作品に見惚れ、じっと眺めていたら
 少し離れたところから相方が私を呼んでいる。
 『これさ、王冠かぶってるみたいでキングスライム
  (ドラゴンクエストに出る敵キャラ)みたいじゃない?』
 ‥‥‥‥他に例えがないのか。

 ショップで素敵なワイングラスを見つけたが、
 無事持って帰れるかどうか自信がなくて断念する。

■宿にて。
 やたら食事のボリュームが多くてびっくり。
 夕食がそういう量なのは時々あることだけれど、
 朝食から松花堂弁当のような箱の中に
 コロッケが出てくるとは思わなかった。
 それ以外は利便性・サービス共あまり問題ナシ。

■塩釜行き遊覧船にて。
 航行時間約1時間の大半を2階の前方デッキで景色を見ながら過ごす。
 元々客が少なかった上に前方デッキだから、風が冷たく
 ブルゾンのファスナーを上げてほぼ独り占め。
 

確かに景色はきれいだったし、のんびりもできたけれど
今朝になって少々体調を崩したか軽い発熱。
冷却シートを貼って午前中一杯横になっていたら、平熱に戻った。

風に当りすぎたかな。



2004年09月12日(日) 松島 2。

午前5時半にセットしておいたPHSのアラームで目を覚まし
隣で寝ている相方を起こさないよう、シャワーを浴び身支度を整え
一応書置きを残して部屋を出たのが午前6時半。

景色を見ながらぼんやりしたかったと前に書いた。

昨日あちこち歩き回った結果一番気に入ったのは桟橋の縁だったので
どうしてもそちらに足が向く。
早朝だからか誰もいないし、桟橋を叩く内海の静かな波音しかない中
再び縁に腰を下ろして何を考えるでもなく、ただそのまま。
時折煙草に火をつけ、風に吹かれていても全然退屈だと思わなかった。
午前8時、最初の周遊船のお客さん方の声で我に返り、宿に戻る。






おそらく傍目から見りゃ怪しいかも。このまま1時間以上いたのだから。
(写真は前日のもの)



その後さっさと土産物の手配を済ませて、
今度は塩釜行きの遊覧船に乗ってから仙台に戻った。


仙台の駅ビルで相方所望の牛タン定食を食べる。
どの店も昼時を過ぎたというのに長蛇の列。
確かに美味しかったけれど、何故あんなに列ができているのか
いまいちよく分からない。


そういえば酒どころであるにも関わらず
日本酒を1滴も飲んでいなかった。



2004年09月11日(土) 松島 1。

午前3時過ぎまで起きていた罰か、はたまた支度を後回しにした罰か
2人揃って寝坊してしまい出かける45分前に起床。
目が真っ赤に充血したままで荷物を詰め込み化粧を済ませ、
走れるところは全て走って何とか電車には間に合う始末。

途中乗り継ぎのタイミングを逃し、午前11時前に松島海岸駅に到着。
そのまま一度宿へ荷物を預けて、ぶらぶらすることにした。


灰色の雲が低く立ち込めていたものの、幸い雨にはたたられず。
ただやはり東京と比べると涼しくて、念のため持ってきた
ブルゾンは正解だったと思う。

あちこち見て回った後、湾内周遊船で湾内観光。
折角だからと追加料金(1人600円)を払い2階のデッキで
地ビールを飲み景色を眺めていたら
鴎が船の後を一生懸命追ってくる。
そういえば売店に『カモメのエサ』と書いてあったのは、このことか。

面白半分にえびせんを片手に身を乗り出してみると
1羽が人差し指ごとついばんでいった。
これが結構痛くて、餌付けしたのはこれっきり。


桟橋に降りて結構そこからの景色がいいことに気付き、縁に座る。
5分ほどで相方が退屈そうに見えたため、宿に戻った。


疲れたのだろう、すぐ伸びてしまった相方とは反対に
何故か寝付けず部屋でMDを聴いていたら午前2時。
‥‥‥家にいるのと変わらないパターンだと苦笑して、1日目終了。





この頃にはちょっとほろ酔い。



2004年09月10日(金) 左腕。

普段仕事なり遊びなりで外出している時の両腕。

左腕には時計、右腕には揃いの指輪とバングル(orブレスレット)
というのがここ数年定番化してしまった。
出勤時にどれか一つでも欠けると、猛ダッシュで戻るほど。
さすがに自転車に乗る時の右腕は空だけれども、
時計だけは欠かしたことがない。

それがいきなり仕事中に電池切れ。

デジタルなので、何も写らぬ時計をしていてもアホらしいからと
一旦腕から外して電池の型番を確かめる。
もしかしたら店のストックの中にあるかと思ったが、該当なし。
昼休憩は過ぎたばかりだったので、夕方の休憩まで
買いに行く事もできない。

その間たかだか2時間半だというのに、あるはずのモノが
そこにないというのはどうも妙な感じがする。
左腕が、やけに軽く感じて落ち着かない。
視界には時計もカレンダーもあるのに、いかに普段依存していたか。


2時間半後、雨の降る中駅前の大型電器店へ
傘も差さずに走る私がいた。

* * * * * * * * * *

明日、先日の後記に書いた通り
松島へぼけっとするために出かけて参りますので
本当に僅かな間ですが留守に致します。




2004年09月07日(火) ジャージ通学。

何気なく聞いていたラジオで『学校での禁止ネタ』のようなものを
やっていて、ふと中学1年の頃を思い出した。

市内でも運動系の部活が盛んだったからか何なのか、
美術部までもがマラソンをやらされるような学校で
私が所属していた吹奏楽部も、入部して半年は
ずっとマラソン・腹筋・背筋のトレーニングをやらされていた。
(腹式呼吸のためだとか言ってた気がする。)

そんな『校内総体育会系』な学校にはヘンテコな規則というか
暗黙の掟というか、とにかくおかしな理屈があるわけで。


■1年は基本的にジャージにスポーツバッグで通学。

いつ頃からかは知らないが、私が入学した時は既にそんな感じで
まともに制服を着た記憶が1〜2度しかない。
とりわけ校則に明記されてはいないのに、破ると先輩から
袋叩きに遭うという噂があった。
ちなみにポニーテールも袋叩きに遭う原因だったような。

2年になると女子は上ジャージに下スカート、学生カバンもOK
3年になると制服も学生カバンもOK。(進学の問題もあったのだろう)

だから私が2年になった時、学区変更で隣の中学へ転校して
一番驚いたのは『何で皆、制服で通学してるんだ!』ということ。


■廊下の端から反対の端に先輩を見つけても、挨拶すること。

端的な例えではあるが、あながち間違ってもいない。
吹奏楽部ですら先輩の人数分の挨拶を繰り返していたほどだから
運動部はもっと大変だったと思う。
その辺の話は残念ながら忘れてしまったけれど、やはりこれも
無視しようものならこれまた袋叩きに遭うとか何とか。


しかし、思えばそんな噂がまことしやかに1年生の間で
流れていても実際誰かがそんな目に遭ったという記憶はない。
知らなかっただけか皆が真に受けて守っていただけかは
今となっては知る術もないし、別に知ろうとも思わないが。

まだ『校内暴力』という言葉が僅かに残っていた頃の話である。




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