一日後記

2004年11月10日(水) 気恥ずかしさ。

用事の合間30分ほど時間が空いたので、隣町をブラつく。

昔5年ちょっといた薬屋があるためか、あまりこの界隈を
ぶらぶらすることはなく、用事があれば行く程度。
それが、ちょっとした気まぐれを起こしてみたわけで。


さすがに8年も経てば商店街の様相も変わっている。
夕方、買い物客にモツ焼きを売っていた屋台は一軒の店になっていたし
確か洋服屋だったはずの場所は安っぽいクラブになっていた。
ラーメン屋があった場所は、ちょっと敷居の高そうな串焼き屋で
家具屋だった場所は小洒落た美容室。
でも、総じて飲食店が増えていた。

‥‥結構憶えているもんだと我ながら驚いていると、
以前、店の事務所があったビルにある定食屋のおばちゃんにばったり。
サングラス越しに目が合った瞬間
「あらぁ!久しぶりー!」
そのまま5分ほど立ち話。

お昼時だったせいか、その後顔見知りの方と出くわすことが多く
夜しか見たことない飲み屋のマスターやら
いつも煙草を買っていたお菓子屋のご主人やら。エトセトラ。

最後に会ったのは、薬屋の店長。
「おう!○○さん(相方)元気?」
(職場結婚であったため、相方の同僚でもあるわけで)
相変わらずの調子ではあったが、駅前にできてしまった
大手チェーン店のお蔭で景気はさっぱりだと苦笑いして話していた。


しかしこうも昔の知人に会ってしまうと、
懐かしいというより先に気恥ずかしいような気がするのは、何故だろう。





2004年11月09日(火) 明け方。

最近ちょっと家にいることが少なくなったくせに、
手間のかかる豚角煮を作りたくなって下茹で2日目。
かなり脂も落ちてきた。

で、コンニャク2枚分を全部手綱に切っている午前5時。

何してんだ。私。



2004年11月07日(日) 買い物大会。

よーく考えたら、愚妹の挙式が再来週に迫っていた。
日付の認識はしていたものの、最近自分のことで手一杯だったせいか
着るものだの何だのを全く考えていなかったことに気づく。
おまけに相方も再び休日出勤が続くため、
一緒に買い物に出る日は今日くらいしかなさそうだと。

幸か不幸か、身内のフォーマルな席というものに殆ど縁のなかったもので
その手のものを殆ど持っていない。
相方は一応スーツがあるにはあれど、これがまた10年ほど前に
作ったものだから何かヘン。やはり華奢な体にダブルは似合わない。
おまけに今日、髪を短く刈ってしまったので
試しに着てみたら弱っちいチンピラのようになってしまった。


出先にて。
男性は楽でいいなとつくづく思った。
買うものはスーツと靴の2つに決まっていたので、
計1時間もかからなかったが問題なのは私の方。
最初はパンツスーツでいいやと気楽に構えていたのに、
いざ探してみるとピンとくるようなものが見つからない。
相方をひきずり回すこと約4時間、こっちも段々頭がボーっとしてきた。

結局選んだのは黒のワンピースとシルバーグレイのショールに
ビーズ使いのハイヒール。
ここにたどり着くまでに何回試着室のカーテンを開けたことか。
さすがに相方の目も充血していて、返事も虚ろになっている。
『どう?』と聞いても最初こそ多少言葉数が多かったものが
最後には『ああ。』しか言わなくなった。無理もないが。


夜。
夕食を作る気力もなく、かといって外食する気も起きず
買い置きのレトルトカレーとワインで夕食を済ませた。





2004年11月06日(土) 死に顔。

先日急逝した友人の葬儀から帰った実父は、実母にこう言ったという。
「俺が死んだら、棺の中は身内以外に見せないでくれ。」と。

何でも本人は見たくなかったのに、つい見てしまった友人の顔は
全くの別人に見えた上、やけに鼻の穴が大きく見えたそうだ。
それを見た時『こいつ、こんな顔してたっけ?』と
今までの記憶の中にあった顔に疑問が生じたらしい。
そのせいで自分の死に顔は見せたくないと、そういうことなのよと
実母は笑って話していた。

そこから何故か父方の祖父母(共に他界)の話へ。

私は小学校1年の時に亡くなった祖母も中学1年の頃に亡くなった祖父も、
どういうわけだか両方の死に顔というのを、まだ鮮明に憶えている。

祖父の場合はともかく(年齢もある程度いっていたので)
どうして憶えているのか解らないのは、存命中の記憶が全然ない祖母。
写真ではその祖母に抱かれて笑う私がいるのだが、
いかんせんその写真当時の私は2歳前後で
その後祖母とは長患いのため、殆ど会うことはなかった。
いわば久しぶりに会った祖母は既にこの世の人ではなく
私が生まれて初めて見た『死に顔』というのが、この祖母だったせいだろうか。
祖母の記憶というのは哀しいかな、この顔しかない。

そんな話をしていたら、実母は『両方共忘れたわよ、そんなの』と
あっさり言ってのけた。

「そんなの憶えてたら、生きてる頃の顔なんて消えちゃうでしょ。
 忘れなさい、そんなのは。」

それができたら苦労しないと言うと、間髪入れずに切り返される。

「だから○○○(私)とお父さんは年中胃が痛いとか言ってんのよ。
 私と○○○(愚妹)なんて、そんなことないもんねー。」
‥‥いつの間にか、死に顔談義から血液型談義に移行していたらしい。

ちなみに実父とその生き写しのような私はA型、
実母と愚妹はO型である。



2004年11月05日(金) 恒例行事。

話は月曜まで遡る。
何事もなく一人夕食を済ませた2時間後、鳩尾の辺りがちくりときた。
暫くすると憶えのある鈍痛を感じ、そのまた2時間後激しい嘔吐
・・・直前に飲んだ鎮痛鎮徑剤も全く意味がない。
脂汗をかきながら、いつものよりちょっとひどいなと思い
我慢すること数時間。やっと午前2時頃に痛みがおさまった。
翌日、出勤前にいつもの先生に診てもらうと一言。
「今年、(胃)見てたっけ?見てない?あ、そう。
 じゃそろそろやっとこうか。」

ここ10年以上、毎年必ずといっていいほど激しい胃痛が起きるため
その都度胃カメラを飲んできている。
どうやら潰瘍のできやすい体質らしく、年一度は検査を勧められている。
一昨年は気まぐれで胃のレントゲンを撮ったが、
バリウムに懲りてもうあれはしたくないと思った。
先生も『どっちでもいいよ』とおっしゃってたし。

で、今日は出勤前に胃カメラを飲んできた次第。
お蔭様で今回は潰瘍も見つからず、単なる胃炎ということが分かって
少しホッとした。(写真を見ると胃壁が全体的に充血していた程度)
他は嘔吐の際に己の胃酸で食道に炎症を作ったことくらい。


もう一つ今回の検査で分かったこと。

本当は検査当日の水分摂取はいけないのだが、
少量であったせいか何なのか、飲んでもバレなかった。ついでに煙草も。






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