これを見る時はいつも、気恥ずかしくてたまらない気持ちになるんだけれども、見終わるとほかの宮崎作品を見たときと同じくらい純粋な気持ちになれる気がして、僕はまったく、見ずにはおれないのです。
進路で悩んだり、キスもしない恋愛をしたり。 いいよなあ。とうらやましく思えてしまう。 自分がそうだったときや、それに限りなく近い状態だったときは、とてもじゃないがいいなんておもえなかったし、映画のようには綺麗にいかなかったし、思い返しても、そんなに一生懸命になったことなどなかったので、全くもって、やり直せるならばやりなおしてみたいもんだ、と思う。 素直で、感激屋で、周りの人のことを思いながらすごせるような、まっすぐな人間に私はなりたい。 この年になるとちょっとそれは大変である。
映画を見て感動すると。 でもこれを作った人たちは、僕達と一緒の人なんだ。物語を作ると言うことは、人をそれで感動させたり、笑わせたり、怒らせたりすることが出来るということなんだ。と思う。そして自分もそういうことが出来たら。と思う。 世界中の人であれ、今のようにたった2.3人のひとであれ、泣いたり笑ったりしてくれたら、それはもう、とてもうれしいことです。
ただ、私にも分っているのは。今日の主人公が文章をおじいさんに読んでもらって「ダメなところは自分でわかってるんだ。」という言葉。 勉強しなくちゃダメなんだ。幾らお金が無くっても、雑誌を読んだり資料を集めたりすることに手をぬいたら、ロクな文章はかけない。 もう一つは、最後まで書ききる集中力を付けると言うこと。 僕にはどうやらそれが足りないらしい。実はOMCの仕事は、何とかして構成力や描写力、その他諸々の地力を付けたいがためのこと。他にも足りないところが一杯あるということが、段々わかってきた。 いつまでもネットで仕事をしていると言うことは、できるならば、ないといいとおもう。ダイレクトに感想が帰ってくるこの快感というものは、嬉しいのですっかりやめるということは無かろう。OMCでは、PCの個性が色々で、それを動かさせて貰うのが、何より面白いところでもあるし。
色々なところに行って、色々なものを見たり考えたり、感じたりしなきゃダメだとおもう。そしてそれらをいつも気持ちを全オープンにして受け止めて、感動することでいいものが書けると思う。 最近の私は、実際生活に精一杯で、美術館にも山にも行っていなかったから、どんどん、本を読むくらいのことだけでもしたい。
やりたいことはいっぱいある。それを「〜なきゃならない」で、ここのところは考えていた様子で、それじゃアカンと、考えたりした今日この頃。
では、また明日。
うなぎ食いてぇ。
…貧乏すぎて、考えることが飯か寝るかの二つに一つになってきた。 いや、PC関連についてはまた別なんだけど。
…あ”〜〜〜〜。腹減ったな〜〜〜〜〜。 テレビで美味そうなご飯やさんの番組ばかりやっておる。 これをオカズにご飯が食べられると仰る方も居るが、今のところはそこまでするほどではなさそうだ。 でも今週末出掛けるから、ほんっとに100円たりとも無駄にはできんのよ。 一緒に遊びに行ったのに 「お金が無いからそれはやりたくない。」とか「高いから食べられない」 とか言いたくないもんな。
遊ぶときには金に糸目は付けんぞ。
そういや去年の今頃は、仕事場の人から野菜がたくさんもらえて嬉しかったな。 今年は仕事場が違うから無理だな〜。
ぐぅ……。
山椒でなくて、わさび醤油の白焼きが食いたい。 チャーハン食いたい。
また、明日。
| 2002年07月16日(火) |
昨日、勧誘の人が来た。 |
どうもこっちの日記帳になってからダレていていかん。 ふと、ネットサーフィンをしていて映画日記をここに書くことをもう一度考えてみるが、それはどうだろうかと、また考え直す。その方法で行くならば、もう一つ日記帳を持った方が良かろう。 エンピツ、のいいところは、一ヶ月のタイトルを一度に現せる、というようなところだと思う。つまり今まで見た映画であるならば、一覧で見られるわけだ。「あいうえお検索」は出来ないけれども。
それとも何かよさそうなCGIでも探すか。 リストやらレポートに適したものは、今まで見たことが無いんだが…。どうよ誰か作ってくれんかよ?
上司のご機嫌一つで、一日の仕事が楽しかったり、いやな気分で終わったりして、最近とても疲れる。きっと向こうも疲れているのだろうから仕方が無いが、大した給料も貰っていないのに、何処まで我慢するべきなのだろうかと考えることは密かに多くなってきた。仕事、ハンパに少ないからなぁ。もうちょっとコンスタントにあるといいんだけれど。
OMCの方は順調! 昨日の晩にシングルのベルの発注があって、凄く嬉しかった。一生懸命書くことが大切だと思うが、それ以上にイイネタを提供するのがいいのかと、ふと考えた。寿司屋のようだ。 少しずつ、知らないひとと触れ合っていくのが、面白いと考える今日この頃です。
そういや、昨日は宗教の勧誘の人が来て、面白かったから一時間くらい話してみた。何でもかんでも最後は神様になってしまうんだけれど、信じて強くなれるならそれでよかろうと思う。 で、それをメールで人に書き送ってみたところ、そんな風に宗教勧誘にあった人は山ほど居るわけで、経験談を読ませてもらった。 「神様が云々で、人に親切にする」とかってそういえば昨日の人も言っていたが、その方は、「人に親切にするなんぞ当たり前だ。」といった。 なるほど。納得。 その辺り思い浮かばなくなってしまったのは、やはり相手の雰囲気に乗せられてしまっていたのであろうか。でも面白そうだったので、また来た時に自分のテンションが高ければまた、話してみようかと思う。 僕は無心教なので、何か、偶像にお祈りしたりお願いしたり(真剣に)という感覚が分らないのだ。それは、もう、人に聞いて想像するか、自分がれっきとした信者になるしかないのだが、信者になったら日本の大部分を占める無信教の人々の気持ちが逆に分らなくなってしまうのではなかろうかと、そうも思ったりする。
百聞は一見にしかず。話を聞くだけのことを、一見と言うのかは知らんが。 しかし興味本位で、怪しい宗教(かどうかはしらないが)の方に根掘り葉掘り聞くのも失礼かもしれないと、この気持ちを抑えきれないながらも思ったりなんだったり。
では、また明日!
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