Deckard's Movie Diary
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<未見の方は読まない方が宜しいかと・・・>
フランソワーズ・オゾン・・・ちょっと甘くみていました(⌒o⌒;A やっぱり只者ではなかったですね(って、今頃かい!)。ある意味、禁じ手の映画とも言えるのですが、全く悪い印象は無かったです。しかし、この作品は書き辛いですわ。何を書いてもネタバレになってしまう可能性が高いですからねぇ・・・っつーか、何も知らないで観るのが一番です。オイラの場合、エンドロールが終わってから、ようやく気がついた鈍感野郎でした(>_<)アチャ! 始まって 20分後、シャーロット・ランプリングは上手いなぁ、物凄い存在感だなぁ・・・ 40分後、オゾンってカットを重ねる間の取り方とかカメラの細かい動きとか奥が深いなぁ・・・ 60分後、それにしてもエロいなぁ・・・ 75分後、男がこんなの内容の映画を観ちゃっていいのかなぁ・・・ 80分後、そんなコトしちゃうわけ!マジかよ・・・ 95分後、え〜!!!どういうこと?????オマケに場内もあっちこっちで?????
で、明るくなって「あ!そういうコトかぁ!!」思わず声に出してしまいました(自爆)。な〜るほど!考えてみればアチコチ「ん?」となるところはあったんですが、ほったらかしちゃいました!だって、あまりに餌の撒き方が上手くて!くっそ〜!もう一度見たいなぁ・・・。というワケで、ランプリングの表情とサニエの肉体とオゾンの才能にすっかりやられてしまいましたとさ(大恥・苦笑)。
| 2004年05月17日(月) |
ビッグ・フィッシュ ドーン・オブ・ザ・デッド |
拝啓 ティム・バートン様 風薫るさわやかな季節になりました。樹々の若葉が目にしみる今日この頃ですが、本日は貴方の新作映画『ビッグ・フィッシュ』を鑑賞してまいりました。貴方の童心溢れる性格、茶目っ気が、あらためて思い出されます。世知辛い世の中で、ともすれば忘れがちな“夢見る心”を周囲に振りまく貴方の心根がスクリーンから溢れており、映画を観ている時からとても暖かい気持ちに包まれました。人にはいろいろな立場や状況があり、自分を守ることや主張することに一生懸命になるあまり、目の前の大切なことに気がつかず失ってしまうことも多いようです。そんななかで、いつも貴方の作品は本当に大切なコトを教えてくれます。“人生なんてお伽話さ。”という今回の作品もまた素敵な物語でした。だけんどもしかし!(あ、失礼しました)ダニー・エルフマンの名曲(『シザーハンズ』)に乗せた予告編で見られる、貴方の魅力を存分に発揮しているシーンの数々は「素晴らしい!」の一言なのですが、ごくごく普通のシーンとなると、僭越ながら消化不良の印象が残りました。特にジェシカ・ラングの存在感の無さと言ったら・・・アルバート・フィニーが輝いているだけに残念です。やはり貴方は現実世界や大人の女性が苦手なのですね。でも逆に言えば、私はそんなコトが気になってしまうような凡庸な感性しか持ち合わせていない自分を恥じなければいけないのです。考えてみれば分かる事ですが、貴方のような方はそんな末梢的な事を気にする必要はありません。貴方の魅力は現実世界をよりリアルに見せるコトではなく、現実世界を夢のように見せるコトなのですから!私は自分の至らなさを戒める為にも死ぬまでに後100回は『ビッグ・フィッシュ』観ることをお約束します。貴方は、これからも周りの雑音など気にせず堂堂と胸をはって「オイラはオイラ」と、欠点なんか笑い飛ばして好き勝手に作って下さいませ。自他共に認める貴方の大ファンである私は、今回もまた楽しいひとときを過ごすことが出来ました。大変感謝しています。末筆ながら、ますますのご活躍を心からお祈りしています。 敬具
なんだよ!この映画!『ドーン・オブ・ザ・デッド』。全く怖くない!気味悪くも無いし、物体Xの顔頭蟹みたいに笑える部分もないし、切なさ系もとってつけたような印象しかないし・・・ゾンビで遊ぶシーンとか面白いところもあるんだけど、どーでもいい映画でした。スピードアップした動きもどうなんでしょ?個人的にはつまらなくなったような気もします。だって、“タメ”が無くなっちゃいましたよ。・・・スポーツでも、歌でも、芝居でも、お笑いでも“タメ”は大事ですからねぇ(笑)。サラ・ポーリーをはじめ出演者が皆頑張っていただけに、もう少し何とかして欲しかったです。
『半落ち』でその実力を知らしめた佐々部清監督が『半落ち』の前に撮っていた『チルソクの夏』。舞台は山口県下関、年に1回開催される釜山との合同親善陸上競技界。そこで、走り高跳びの選手だった郁子は一人の韓国人の男の子と出会う・・・古き良き邦画の香りとでも言うのでしょうか、とても懐かしく清々しい後味の映画でした。まさに“愛すべき小品”と呼ぶのに相応しい作品といえるでしょう(笑)。時代背景は70年代後半、郁子(水谷紀里)の遠距離純愛を軸に初々しい青春模様が繰り広げられます。時代や世相を色濃く反映したストーリーの中、この映画の最大の功労者とも言える主演女子高生4人(真理役の上野樹里は『ジョゼと〜』で元彼女役、次回作は矢口史靖(ウォーター・ボイーイズ)監督作品『スウィングガールズ』)の瑞々しくハツラツとした姿は、観る者に“真っ直ぐだったあの頃”を思い出させてくれます。小生は男子ですが、あの頃の女子ってあんな感じだったんじゃないでしょうか、誰か教えて下さい。また、これが映画初出演(本当かよ!)になる山本譲二も存在感タップリの好演!監督の佐々部清という人は、間違いなく邦画黄金期の正統な継承者ですね。やっぱ『陽はまた昇る』を観ないとダメかなぁ・・・ボソ。
| 2004年05月13日(木) |
世界の中心で、愛をさけぶ |
<ネタバレしています>
『世界の中心で愛を叫んだけもの』。もちろん原作はハーラン・エリスの短編集で暴力と絶望、不条理を描いたSFの名作で・・・あれ?違うなぁ・・・あ、そうか!原作はエヴァンゲリオンの最終話で・・・あ、コレも違うなぁ・・・“けもの”は無いのね?っつー、ワザと過ぎるほどワザとらしい書き出しですが、それでも書かずにはいられないK点越えのベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』です。監督は“またかよ!”の行定勲(笑)。今回の演出は主人公・朔太郎が四国へ飛んで暫くは悪くなかったんですが、途中から例によってダラダラと垂れ流し(幾らなんでも2時間20分は長いだろ!)のように進んでしまいました。まぁ、今作に関しては脚本がダメダメですから・・・では以下にその点を上げて見ます。
�� 台風中継をしているTV画面に偶然に恋人が映り、それをまた偶然に見ていて気がつく。 �� ラジオ番組にふざけて書いた葉書の内容(文化祭でシンデレラ役の女生徒が白血病になって参加出来なくなる)が、そのまま起こる。投書以前に彼女が何らかの病にかかっている節はありましたが・・・。 �� 結婚しようとしている相手、同郷(それも片田舎)で、片親で、脚が不自由なのに、片親の理由や脚が不自由な理由を聞いている節がない(聞いていれば二人の糸はもっと早く繋がるはず)。 �� これは質問なんですが(誰にだよ)白血病を患っていながら、ホンの数時間前まで病院の庭を歩いていたような人間がいきなり死んでしまう・・・なんてコトがあるんですか?
という風にクドクドと書いてきましたが、まぁ、この際(なにがこの際なんだ?)上記のケチには目を瞑ります。が、小学生(おそらく3〜4年生)の時、土砂降りの雨の中で交通事故に遭い、その時着ていたカーディガンを14年経っても持っていて、さらに!そのカーディガンのポケットにカセットテープが入ったままになっている!しかも聴いてない。(同じ家にズーっと住んでいるのなら100歩譲りますが、四国から東京に引越してますしねぇ・・・)な〜んてのは、どう考えたってオカシイでしょ?オカシクないのかなぁ・・・?
それでも良かったところはあります。雑踏の中で柴崎コウが涙を流すシーンと長澤まさみのナレーションを含む演技は見応えありました。元々ダンサーの森山末來はこれからの人ですが、大沢たかおは例によって“別にぃ?”でした。
この作品を観て“奇跡の純愛小説”というキャッチの本当の意味が分かりました。これだけ都合の良い偶然が重なるってコトが奇跡なんですね(苦笑)。まぁ、小説の方はもう少しまともだとは思いますが。それにしても、昨年のメガヒット・ムービーにしてもこの作品にしても・・・大丈夫かなぁ・・・(何が?)だいたい、原題の『恋するソクラテス』だったら25万部売れなかったでしょうね。オイラが社長だったら、パクリタイトルを考えた編集者には特別ボーナスをドッカ〜ン!と進呈します(笑)。ところで、二人が行く無人島の廃墟は『BR�供戮納係興�也が潜んでいた場所のような気がするんですが・・・。
| 2004年05月12日(水) |
パッション ジャンプ |
全米で公開されると同時に物議をかもしたメル・ギブソン監督最新作『パッション』。簡単に言ってしまえば(簡単に言うなよ)原題にある “キリストの受難”を追体験する為だけの映画でした。例えば、これからカソリックの信仰に一生を捧げたいと思っている人はこの映画を毎日朝晩に1回ずつ観てキリストの受難を敬虔な気持ちで受け止め、信仰を深める・・・とか、まぁ、そんな風に活用出来る作品とか言っちゃったりなんかして・・・す、す、すみませんm(_ _)m。というワケで、舞い上がる土埃から滴り落ちる水の一滴まで、作り手のテンションが漲る作品でした。監督メル・ギブソンのこの作品に賭ける異様な意気込みが全てのカットから滲み出ており、高評価をする人々がいるのも理解出来ます。しかし、オイラはキリストのコトを良く知っているワケでもありませんし、特に興味もありません。当然理解し難い部分も出てきますし、ジム・カヴィーゼル扮するイエスに感情移入するのも至難の業です。また、理解の及ばない部分がこの作品にどういう意味で絡んでいるのかも全く分かりません。結果、オイラには拷問シーンばかりが延々と続く作品にしか感じられませんでした。逆に、ここまでそのようなシーンを生真面目に見せ付けられると、作品云々ではなく教育的指導をされているような気分にもなってしまいました。それは、タバコを吸っているシーンを延々と見せられるとタバコを吸いたくなくなるような気分になるのと似ています。結局は、そんなトンチンカンなコトしか感じられなかったオイラにはハードルが高過ぎる作品でした。でも、信じないからと言って目は突付かないでね、知らないだけかもしれないでしょダッシュ!ε≡≡≡ヘ(; -_-)ノ
突然、恋人が失踪・・・っつーシチュエーションに興味を持ったので観てきました。佐藤正午原作『ジャンプ』。監督はこれがデビュー作になる竹下昌男。突然彼女が消えてしまい、残される彼。彼女は何処へ?彼は彼女の足跡を辿って、やがて・・・・これはミステリーの手法、ある種の謎解きです。だからその謎が解けた時に「うっそ〜!」となるのか「なるほどねぇ〜」となるのか・・・結局は失踪した人間の心情が理解出来るかどうかにかかってきます。この映画の場合は現代における人間関係の希薄さがモチーフなので共感出来るところもありますが、それならば明らかに前半部分の描写が物足りません。しかし、全編に流れる実直なトーンには好感を持てます。おそらく失踪する南雲みはる(笛木優子)、残される三谷純之輔(原田泰造)、三谷の同僚・鈴乃木早苗(牧瀬里穂)の3人の糸がもっと上手く絡み合っていたのならさらに魅力的な作品に仕上がっていたでしょう。竹下の師匠にあたる根岸吉太郎辺りが監督していたら・・・残念です。それにしても失踪する南雲みはるの部屋の存在感の無さと言ったら酷いモンです。人が居なくなるんですから、その人がそこにホンの少し前まで生活していたような温もりが無いと説得力がありません。 壁にカレンダーのひとつもかかってないって、どういうこと?そういうところがダメなんだよなぁ・・・何度言ったらわかるんだよ(って、誰も聞いてないよ)。
『ジョゼと虎と魚たち』で評価を高めたであろう犬童一心監督。最新作は老人達が主役の『死に花』。最近の邦画のほとんどがそうであるように、全てにおいてヌルい映画でした。それぞれのキャラの描き方が中途半端でヌルい!肝心な“ひと花咲かせよう!”と行動に出るそれぞれの動悸の描写がヌルい!オチがストーリーに上手く嵌ってない脚本がヌルい!この映画のメインターゲットである年配の方に考慮したワケじゃないだろうけど(苦笑)、テンポがヌルい!(っつーか、ノンビリ?)結局は演出が単調でヌルい!それでも、そんなに悪い映画ではありません。山崎努演じる菊島の“老い”てゆく描写、唯一の若者・和子(星野真里)の絡み方、菊島と明日香(松原智恵子)の恋模様等、魅力的な部分もあります。エンディングも美しいですしねぇ・・・しかし、これだけの芸達者が揃っているのに作品に深みが無いっては致命的です。ナンだか簡単に作っている気がしてしょうがないのですが・・・もちろん、そんなコトは無いでしょうけどね。ちょいと昔だったら、この手の映画をキッチリと娯楽作品にした監督はけっこう居たんですけどねぇ・・・まぁ、役者が若い監督を欲する機運もあるようですが、若くても自分の哲学を持っている人(例えば岩井俊二、是枝裕和)とか、勢いだけは負けない人(最近コケてる北村龍平、矢口史靖)とかだったら意味もありますが、単に小賢しいだけの監督だったら無意味なんじゃないでしょうか・・・ボソ。若い時から小さくまとまってどーすんだよ!(って、人のふりみて、我が身を振り返り、ジっと過去を思う(自爆))
正直言いますと、ジョーン・オズボーンが♪恋に破れてを熱唱する辺りからライヴ映像に突入する度に泣けて仕方がなかったです。この歌のオリジナルはジミー・ラフィンですが『フライド・グリーン・トマト』の中でもポール・ヤングがカバーしていました。いい曲ですなぁ〜。というワケで『永遠のモータウン』です。
ファンク・ブラザーズのコトもジェームス・ジェマーソンの逸話(モータウン25周年コンサートにダフ屋から買ったチケットで観に行った)も知っていましたが、こうやって描かれるとやはりジーンと来ますね。小生がファンク・ブラザーズのコトを知ったのは第1期ジェフ・ベックグループが解散した後、BBAを結成しようとして叶わず、その時にベックが「だったらモータウンのリズム・セクションとやりたい・・・」と発言した時なんです。あのジェフ・ベックが心酔しているモータウンのリズム・セクションって?というコトで、知ったワケです。そして、モータウン・スタジオでコージー・パウエルと共に完成させたのが『Rough And Ready』。(余談ですが、この時デトロイトに同行したマネージャーのミッキー・モストが地元のライブ・ハウスで見つけたのがスージー・クアトロ。その後、ロンドンからソロ・デビューして大成功しちゃったんですねぇ。)
話を元に戻して・・・映画は現在のインタビュー、過去の素材、そして再現フィルム、それぞれの混ざり具合がちょっとアタフタしているのが難点ですが、それでも十分満足出来る仕上がりです。モータウン・ストーリーをバックボーンに繰り広げられる素晴らしいライヴ・シーン。誰も彼もがファンク・ブラザーズの演奏をバックに天にも昇るような気持ち良さで歌っています。そんな演奏シーンが絶妙の按配で挿入されるので、ついついひきこまれてしまいます。モータウンに関しては怪しい話が色々あって、例えばシュープリームスのほとんどの曲はロスでレコーディングされていたとか、『リーチ・アウト、アイル・ビー・ゼア』のベースはジェームス・ジェマーソンではなくハリウッドのセッション・ミュージシャン(確か女性・・・名前は忘れました!Σ( ̄□ ̄;))が弾いていたとか、モータウンが衰退の道を歩むきっかけになったのはマーサを追い落とした、出世欲の固まりだったダイアナ・ロスだったとか、まぁ、色々ありますが、モータウン・サウンドの基礎を作ったのはジェマーソンとベニー・ベンジャミンだったというコトに異論を唱える人はほとんど居ないでしょう。
今で言えば優良なベンチャー企業だった“モーター・タウン”ことデトロイトで生まれたモータウン。売れれば売れるほど「楽しければイイや!」では成り立たなくなります。結局は、映画産業にまで手を出し衰退の一途を辿るコトに・・・。モータウンの基礎を作り、数々のヒット曲を送り出し、世界の音楽ファン&ミュージシャンに与えた影響は計り知れないファンク・ブラザーズ。そんな彼等に陽の当たる映画が作られて本当に良かった!泣けてしまいました♪〜( ̄ε ̄;)
ところで“モータウン・カフェ”って何でタイトーがやってるんですか?それも仙台で?誰か教えて下さい。
| 2004年05月06日(木) |
スクール・オブ・ロック ピーター・パン |
『ハイ・フィデリティ』でティム・ロビンスをコバカにしたシーンが印象的だったジャック・ブラック(笑)。現在もロックグループで活躍しているだけに、今回の『スクール・オブ・ロック』はまさにギターを得たヴァン・ヘイレン状態(笑)。個人的には上映前に流れているロック・クラシックの数々だけで、かなりの高得点(オイオイ…( ;・_・)ッ( ゚ー゚)ウキ…内容は、ロック好きにはたまらないコネタ満載で涙モノの仕上がりになっていました。主演のジャック・ブラック演じるデューイは時代錯誤のロック至上主義者。自分で結成したバンドなのにメンバーからリコールされるし、「こいつ最低だよ」と陰口を叩かれている野郎です。元々ズレてる奴ですから、独り善がりの曲も全く魅力がありません。そんな彼の偏った主義が全く反対のベクトルで偏った教えを受けてきた小学生に(相手が高校生だったら話になりませんが、まだまだ洗脳され易い小学生っていうところが上手い!)カルチャーショックを与え、上手い具合に融合してエンディングへ。毒を持って毒を制す!というパターンですな。まぁ、かなり好意的で大甘な見方ですが・・・とにかくロック大好きなモンですから(苦笑)同居している元バンド仲間の彼が“スクール・オブ・ロック”の良心っつーコトで、これまた好意的に判断しました。一昔前なら、世代間のコミュニケーション・ツールとしてばかり使われていたロックでしたが、こういう映画が作られ、ヒットする時代になったんですねぇ・・・しみじみ。個人的にはジョーン・キューザック(実に魅力的なキャラで好演!)がテーブルの上でスカーフ片手に歌うスティーヴィー・ニックスの物真似を是非拝見したいものです(爆)。ラストの盛り上がりがイマイチだったのが残念でしたが、一番ガッカリしたのは、ロック映画なのに音響が良くなかったんです。因みに日比谷映画でした。
『ピーター・パン』・・・この歳になっても重度のピーター・パン症候群に犯されている自分は観なけれいけない!という使命感で観てきました(苦笑)無粋なコトにディズニー・アニメが苦手なオイラも実写版なら楽しむ事が出来るでしょう(自爆)。まぁ、内容は可も無く不可も無く普通でした(苦笑)。ウェンディが大人になるコトを選んだ後、キチンとピーター・パンが可愛そうに見えます(笑)。つまりピーター・パンは憧れではあるけれど、永遠ではないんですよね。一時の夢。やっぱ、夢ばっかり見てちゃダメなんですかね?
| 2004年05月01日(土) |
Re:プレイ ソニー ロスト・イン・トランスレーション |
なぜかK’s cinemaで公開されている『Re:プレイ』。原作・脚本が『アイデンティティー』のマイケル・クーニー、監督が『トンネル』のローランド・ズゾ・リヒター。これはチェックしたくなるでしょ!不安はK’s cinemaってだけだったんですが(笑)・・・
いやぁ、やっぱり見といて良かったです。さすがに一筋縄では行きません(苦笑)。『アイデンティティー』を御覧になっている方は分かると思うのですが、何を言ってもネタバレになるので書き方が難しいです。『アイデンティティー』ほどの切れ味は無いので、かなりこんがらがります(苦笑)。何故?の疑問も多少残りますが、なるほどねぇ〜!と納得出来るオチにはなっています。ただ、このオチは今までもあったような・・・ボソ。
あ、そうそう!なかなかセンスの良いエフェクトどなぁ・・・と、思っていたら、エンドロールで懐かしい名前を見つけました。70年代から80年代にかけてピンクフロイド、ツェッペリン、ピーター・ガブリエル、ユーミン等のジャケット・デザインで名を馳せた“ヒプノシス”がヴィジュアル・エフェクトに絡んでいました。まぁ、考えてみれば今の時代、映像関係に進出していてもナ〜ンの不思議もないですからね。最後に・・・K’s cinemaなんですが、小綺麗な映画館でした。従業員の対応も拙いながら良かったですし、また行ってみたいですね。
『ソニー』・・・ニコラス・ケイジ初監督作だそうです。まぁ、はっきり言って“見出し”ばかりの映画というか、行間が無いというか、雑誌の中吊り広告みたいな映画というか、全然はっきり言ってないじゃん(自爆)。登場人物がいろいろ行動を起こすんですが、そのバックボーンが全く分かりません。っつーか、おざなりです。だから全く感情移入出来ません。こういう世界ってけっこう好きなんですけどねぇ・・・ゴミ溜めから抜け出そうとする青春モノ・・・なんつーか、ATG(また出たよ)っぽくてね。まぁ、ハリー・ディーン・スタントンが渋かったからイイや!って、なんだそりゃ!本当は3時間くらいの力作を無理やり1時間50分にまとめたのかもしれませんね!って、そんなアホな(苦笑)。
<ネタバレしています!> アカデミー賞脚本賞受賞、ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』。映画の日とはいえ、1時間前で既に立ち見!Σ( ̄□ ̄;) 3時間後の次の回にするのもバカらしいので通路で座って観てしまいました。
ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンセンは素晴らしく、監督の狙いを完璧に表現していると言っても過言ではないでしょう。二人は“異国での疎外感”の中で生まれた淡い恋愛感情を巧みに表現してみませます。そして、その疎外感を際立たせる場所として“東京”が選ばれたワケです。つまり、この映画における“東京”は単なるバックボーンとしての登場だったんです。英語の出来る日本人とも遊びました。カラオケもやりました。歌舞伎町でも遊びました。京都にも行きました。生け花もやりました。富士山に向かってゴルフもやりました・・・・でも“東京(日本)”の文化を理解するような場面は無く、歩みよることも全くありません。病院でのやりとりは単なるコントのノリで楽しめますが、またかよ!という印象です。まぁ、外国人は「そう!そう!」って膝でも打つんでしょうけどね(苦笑)。
目の前に提示され、言葉が通じないモノは基本的に理解不能。言葉を越えて感じるモノは一切描かれません。描かれるのは同じ穴の狢である二人の感情だけです。この映画に脚本賞を与えるアメリカ人の感覚は、まさにアメリカ人ならではの傲慢さを感じさせます。ソフィア・コッポラが「私は、東京への愛、東京の魅力を描きたくてこの映画を撮ったの。」と言うところの“愛”が、この映画の何処にあるのか全く分かりませんでした。なぜなら、東京を単なるディズニーランドの新アトラクション“トーキョー国”としか捉えてないからです。
個人的にはソウルや北京、バンコク辺りが舞台だったのなら、もう少し高い評価になっていた可能性は十分あります。ただ、ソウルが舞台だったとしても、韓国の方に「韓国人から見たらどうなんですか?」と聞く耳は持っているつもりです。何処かのおエライさんのように、自分の経験ばかりを相手に押し付けるようなコトは避けたいと思います。が、しかし!この映画は日本が舞台です。普段から、外国の方に日本を理解してもらいたいと思っている自分には苦い映画でしかありませんでした。まぁ、そんなコトはどーでもイイや!という日本人も大勢いますからね(苦笑)。そんな輩で連日シネマ・ライズは大騒ぎ!(´―`)┌ ヤレヤレ…。
それにしても、広告撮影現場、通訳、売春婦、たった一人でやってくる200万ドルのハリウッドスター(パンフレットには2万ドルって書いてありますが、まぁ、どちらにしてもオカシイです)、以上はデフォルメを通り越してデタラメですよ!「おとつっぁん、おかゆが出来たわよ♪」「カァーット!」「安田ぁ〜!」・・・キントト映画じゃないんだから(って、こんな古いネタなんかワカンねーよ(自爆))。まぁ、アメリカ人が何をどう思おうと構いません!だけんどもしかし!テメェ達が世界基準だなんて大間違いだ!っつーの。バカァ〜!しかし、エンディングソングの『風をあつめて』・・・どういうつもりなんでしょう。あ、そうか!日本のCM等が歌詞の意味に関係なく雰囲気だけで使ってるコトへのオマージュですね(オマージュかい!)
| 2004年04月27日(火) |
キル・ビル2/ラブ・ストーリー |
小生はこう見えてもごく普通の常識人なので、ハチャメチャぶりが良かったと言っても自分の中で限界があったりします。というコトを踏まえて『キル・ビル2』です。元々1本だった映画を二つに分けてしまったのですから、今回はストーリーの途中からスタートです。っつーことは中だるみしているような部分から始まるので、ちょいとノロノロしているのは仕方がないでしょう。例によってサブカル系の引用が始まるのですが、いかんせんその描き方がアホらしくて・・・前作では“アホちゃいまんねん、パーでんねん”というところまで、ブっ飛んでいたので魅力的だったと思うのですが・・・もちろん、観るべきシーンもあります。トレーラー・シーンなんて大好きです!ただ、全編に渡ってやたらとセリフが多く、特にラストでの大甘でダラダラしたヤリトリには閉口しました。結局は『1』と『2』を通しての映画の質が別物になってしまったようです。なんだか後半はこじんまりとしちゃったね!っつー感じでしょうか。ドコゾで大連アリョノフスキーさんが「数年後『キル・ビル』という作品は1作目だけで語られるんじゃないかと思います。」と仰っていましたが、その通りのような気もします。例えば、メインで聞こえてくる音楽だけでもシンクロさせた方が良かったんじゃないでしょうか。結局は『2』は無理矢理“作品”にした印象が拭えません。というワケでこの『キル・ビル2』は買ってきたばかりの桃です(って、いきなり何を言い出すんでしょう)。桃は腐り始める直前が超美味です。前作は、まさに明日は腐る!という直前の味わいでした。でも、個人的には買ってきたばかりの桃のチビっと硬い甘さも嫌いじゃないです。だってオイラは常識人ですし(苦笑)。
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