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或阿呆の人生
kimko



 憂鬱の彼方へ

いけないな。これまで2週間以上どこかに消えていた感情というものが一気に噴出してきたようだ。夜なかなか眠れなかった。寝たのがなんと3時半。かといってまったく建設的なことをしていたわけでもない。寝たら寝たで起きられなくて起床が11時半。寝つき悪いのにしっかり8時間寝てやがる。

パワプロやってバイトへ。今日は新人さんと同じだから色々教えなければいけないんだよな。何人かにそいつのことを聞いてみると怖いとかでかいとかなんとも自分を不安にさせるようなことばかりだ。とりあえず共通してるのは声がでかい、ってことで。

18時、来た。やっぱりでかい。声もでかい。っていうかドスがきいてる。ただ、やっぱり新人だけあって態度は丁寧だ。あと、高校の後輩だということがわかったので結構すんなり打ち解ける事は出来た。休憩時に懸念事項だった飲みについてのメールを出しておく。今日は微妙に忙しくて片付けがなかなかできず。新製品のサラダの仕込みもしなきゃいけないし、新人さんにこっちの手が回らないところまでやれともいえないしで時間がかかりまくった。結局あがりは23時近く。めんどい。

帰ってからはなにしてたかわかんないけど、とりあえずメール一生懸命打って1時半くらいに就寝。

資料があるとはいえいい加減旅行記を書き進めなければいけないのだが。ここ1日2日で1日目は終わらせなきゃなと思う。とにかく書く量が膨大なので大変なのだ。無気力状態にあってはなおさら。

2003年03月25日(火)



 金太郎飴の日々

これまでがずっと色々あったせいか、帰ってきてからの事がほとんど記憶にない。それなりにはいろいろやっていたと思うのだけれども。本を読む気力もないし、勉強する気力もない、ネットにつなぐ気力もない、音楽を聴く気力もない。一気に無気力状態になってしまったんじゃないかと思えるほど。

とりあえず、カテキョにいった。その席で、4月からもお願いします。といわれた。これがかなりの懸念事項だったので嬉しかった。本人が親に直談判したらしい。一応頼りにしてくれるやつがいるんだな。

2003年03月24日(月)



 復帰、しかし省エネモードで(当分の間)

帰ってきて即チャリ35キロ往復やったのがまだ残っている。だいたい出かける前までは0時くらいに寝れば8時くらいにはすっきり起きられたはずなのだが、9時半にようやく起きる事が出来た。やれやれ。

とりあえず、飯食って、あやつの家でパワプロやったら久々にやりたくなったので、弟の部屋からプレステ借りて3時間ほどやった。出かけるのが面倒になったが、そうもいってられないので本を返す。ったく、半端な借り方してるのが多いから未だに春樹が読めぬ。とりあえず7冊借りてきたが、明日からはバイトラッシュなのでどれだけ読めるかどうか…。あと、旅行記も書かなければいけない。半月以上キーボードに触ってなかったがタイピングに関してはあまり問題がないのでどうにかなるとは思うが…。なんやかんやいって指が覚えているのかどうか。

とりあえず、書き始めてはいるけども、もう3週間近く前のことなので資料整理だのいろいろしないとちと書くのはむずかしいと思われる。さて、F1ビデオにとって寝るか。明日は11時から。知らない人と一緒に入る事になるけど、やることかわんないし、どうにかなるかな。

2003年03月23日(日)



 漂流は続くのだ

お彼岸ということでばあちゃんちへ。だが今日は寒かったねえ・・・
今日も結局パソやらず。明日からどうにかやりたいな。図書館いかないとねえ、いい加減。あと久々にゲームもしたくなったり。疲れ取れないのになんか大変だ。来週バイトラッシュだしな。

2003年03月22日(土)



 16日間キーボード触ってないな

めちゃくちゃぐっすり寝て飯食って帰宅。風が弱かったのであまり苦労はしなかった。やっぱ疲れたけどね。

そして久々にバイト。Xデーなんていうからすごいのかと思っていたが普通やったなあ・・・
今日もPC使えず。明日も厳しい!あさってようやくかなあ?

2003年03月21日(金)



 転がる石は止まらない

昨日帰ってきたばっかだが30キロくらいチャリこいで従兄弟の家に来た。こやつが以前やったのに刺激を受けたんだが別に帰ってすぐやらずとも・・・と思うがね。まあ、じっとしてたくなかったんかなと思う。でも疲れたね、明日バイトやし。だいじょぶかなあ?

2003年03月20日(木)



 今夜タイタニックの夢を見るか?

いよいよ今日が最後。24時間後には帰宅しているはず。
帰ったらバイトと読書と今回の旅行記の清書だな〜

てか100冊絶対無理!これ計算に入れてなかった。なんとか出てる間に10冊は読んだけどさ。

引き続き2015年9月15日の記。
帰りはフェリーだったに違いない、帰りにフェリー乗ったのは1回だけでそこで印象的なことがあること、そしてタイトルからと後は学生時代には北斗星に乗っていないというのが根拠である。そして、フェリーの夜便には乗ったことがない。従って前日は札幌宿泊だったと言える。

テレビ塔に行ってお土産を買っているはずである。3年後はあるところからの記憶が抜け落ちているのと、その頃には土産を買う習慣がなくなっていたからである。

エレベーターに乗ったらエレベーターガールのお姉ちゃんと2人きりになってしまい、非常に気まずかったのが猛烈に記憶に残っている。2人きりだが、お姉ちゃんはテンプレ通りの観光案内をしていたのが…帰りは階段を駆け下りたw

その後は多分苫小牧に直行し、当時バイトしていたチェーン店で新商品を食べたと思われる。半袖の上にジャンパー1枚で外に出て配送されたものを受け取るという仕事をしていたのが今でも記憶にある。

その後、自分も冬に同じようなことをする事になるのだが、おそらくあのジャンパーはどこでも同じものだったのだろう、地元では半袖ポロシャツ1枚の上にあれを着るだけで逆に暑いくらいだった。それなら北海道でもなんとかなる。今や知る由もないがあれはどこの製品だったのか…

さて、フェリーはガラガラであった。と、近くの北杜夫に似た人が手招きをしている。何かと思っていってみると酒の相手であるw
確かにめぼしい人物が近くに自分しかいなかったというのもあるだろうが。相手が持っていた酒をごちそうになり、つまみを食べ、あれこれ話をしただろう。

内容は忘れてしまったけど、1つ「ごみ投げてきて」というのが記憶にある。これが方言で捨ててというのを知ったのは後の話で、その時の自分は投げないと怒られると思ってゴミ箱まで自信のある距離まで近づいて投げて捨てたものだったw

いったいいつお開きになったのか、いつ寝たのかは記憶にないが、下船の時肩を叩かれて「頑張りなさいよ」と言われたのが今でも記憶にある。当時の自分は大学2年と3年の間だった。今はそこから12年プラスなわけで…

その後の記憶は全くないのだが、これで同じ時期に日本の南と北を見てみようという今に至るまで最大の旅行は終わったのだった。

完結まで12年半というのも実に長かったw


2003年03月18日(火)
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