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窓際のあじさいのつぼみが膨らんできた。雨が続いて、開花を急いでいるような気がする。 この家に引っ越してきた頃、庭のあじさいは三カ所あった。 東の道路に面したところに、ブルーのあじさい、西側の玄関の近くに、白と水色、そして南の窓際に紫色の額あじさいがあった。 あじさいには、胸の痛くなる思い出があり、この時期になると、よみがえってきて辛くなる。 10年前に家を建て替えるとき、多すぎる庭木をだいぶ減らし、あじさいも東側にあったブルーのものをあきらめた。 でも、野鳥が落としたのだろうか。いつの間にか、裏庭に、うす紫色のあじさいが育っていて、大きな花を咲かせるほどになった。 去年、6月半ばに、教えてくれる人があって、高幡不動のあじさいを見に行った。 さまざまの色のあじさいが、見事に咲きそろっていて、壮観だった。 日盛りのなか、汗ばむほどだったので、少しばかり居て、帰ってきた。 私は雨の日のあじさいが好きだ。しとどに濡れ、重たく花房をたれている風情が、何とも言えない。 そして、日々、微妙に色が変わり、花の終わりは、無惨に茶色く変色してしまう。 恋のはじめと終わりをこの花に重ねてしまうのは、思い入れが強すぎるだろうか。 2002年05月19日 02時10分50秒
・・・の招待状をもらったので、雨の激しい中を、調布市内のホールへ出かけた。 以前歌を習っていた先生の、教え子たちの発表会である。私は、3年ほど前に、その先生に声楽とシャンソンを習っていたが、両親の介護などで、だんだん行けなくなり、止めてしまった。 そのころ一緒に習っていた人たちが、まだ何人か続けていて、今日の音楽会に出ていた。 継続は力なりと言うが、みな3年の間に歌がずっとうまくなっていて、感心した。楽しそうで羨ましかった。 先生も3曲歌った。普通素人のコンサートは、タダだが、今日は先生が歌う分だけ、1000円というチケット代になっていた。 以前の発表会で、先生がサービスで歌ったことがあり、その時私は、「プロはタダで歌ってはいけません」と先生に言った。 だから、チケット代がわずかでも付いていたことは、良かったと思った。 出演者50人。シャンソン、カンツォーネ、ポップス、映画の主題歌など、中にはほとんどプロに近いような人もいて、なかなか面白かった。 今、私は歌を忘れたカナリアになっているが、嫌いになったわけではない。いや、むしろ以前に増して、歌を愛している。 終わって先生に、招待状のお礼を言った。 また習いに行こうかなどと考えながら、バスに乗って帰った。 2002年05月17日 23時10分40秒
パソコンなどというものに浸るまでは、私は典型的アナログ人間、電話さえもあまり使う方ではなかった。 送り状、礼状、時候の挨拶、葉書や手紙の返事、すべて縦書きの手書き、まめに書くことを良しとし、実行していた。 口下手なせいもあって、電話で人と話すのは苦手だが、手紙なら思ったように書けるので、少々時間がかかっても、書くことにしていた。 それが一変したのは、メールなどというものを使うようになってからである。 早いし、郵便ポストまで行かなくていいし、電話やファックスのように音がしない。ワープロ入力も慣れてしまえば、速さは手書きとあまり変わらないし、読みやすい。 今やすっかりメール党になってしまった。 たまに、手紙を書く段になると、なんだかおっくであるが、もらったものには、必ず返事を書くのを常としている。 これはメールでも変わらない。 「メールに返事なんて出すの?」といった人がいて、こういう人とは、メールのやりとりなんかしたくないと思ったが、この世界は、いちいち返事など出す方がおかしいと聞いて2度ビックリした。 送った方は、届いたかどうかをやはり気にしているのではないだろうか。送信エラーだってあるし、原則返事を期待して送るわけだから、「受け取りました」ぐらいいってもいいんじゃないかと思う。 もちろん、最初からお互い暗黙の決め方がしてある場合は別である。 私は、掲示板を持っているので、書き込みには、どんな些細なものでも、何らかの返事をすることにしている。「今日は」と言われたら、やはり「こんにちは」とか「有り難う」とか、言ってあげたい。黙っているのは、話しかけられて、そっぽを向いているのと同じだからだ。 反応がないことこそ、寂しいものはないからである。 ホームページを持ってから、私は関心のあるテーマを掲げたサイトをよく訪問する。 気に入ったページに会ったときは、掲示板にも一言挨拶しておく。たいていは、何か反応もあって、お返しにこちらに来てくれたりする。 でも、せっかく掲示板がありながら、1昼夜経っても、メッセージに対して何にもリアクションがないことがある。その場合、私は潔く自分のメッセージを削除してしまう。 いろいろ見ていると、千客万来のサイトというのは、管理者が実によく、反応している。もちろん、お客が多いから内容が良いというわけではないが、来てくれた人に対する細やかな態度が、見ている人に伝わるのだと思う。 あまり宣伝もしてない私のホームページ、それでもいつの間にかカウンターの数が2000に近づいた。 顔も名前も存じ上げないお客さんたち、こころから嬉しく思っています。今後ともどうかよろしく。 2002年05月17日 01時02分24秒
夕べ遅く、テレビでアルピニスト、野口健が出ていた。「親の顔」とかいう番組で、今まで見たことがなかった。 私が見たかったのは、アルピニストの親の方である。 まず父親が登場したところで、私は寝かかっていた連れ合いを起こして、一緒にテレビの前に坐った。連れあいの後輩であり、学生合唱団では、私も一緒だった。 団のマネージャーをやり、在学中に外交官試験に受かって、周囲をビックリさせた。学年がちょっと下なので、ほとんど話したことはないが、明るい好青年だった印象がある。 その彼が、今すっかり有名になってしまった息子の父として、テレビに登場している。 ロンドンにいたとき、連れ合いが仕事でローマに行き、そこでイタリア公使していた彼にあった。その時「下の息子がロンドンの学校にいる」という話をしていて、それが昨日のアルピニストだったのだ。 「ずいぶん苦労したんだなあ」と連れ合いがいった。家庭的な事情や子育ての苦労など、テレビで聞くまでは、あまり知らなかった。 昨年、彼が帰国したとき、歓迎のパーテイーがあって、久しぶりに会った。「息子の方が有名になっちゃって・・」と苦笑していたことを思い出す。 「マスコミは、何かあると手のひらを返したようになるから、・・」といっていたのが印象的だった。 このところ、我が家にヒキガエルが登場している。どうやら前から庭のどこかに棲んでいたらしく、夜、玄関の前にじっとしているのを連れ合いが見つけた。「大事にしようね」と話している。犬、猫の嫌いな我が家だが、自然の生き物は好きで、野鳥や虫などは、歓迎している。 2002年05月14日 09時14分37秒
先日、新国立劇場で、オペラ「トスカ」を見た。 この中で歌われる「星も光りぬ」や、表題の、visi d’arteは、独立した歌としても、演奏会で歌われる有名なアリアである。 今回はイタリアのノルマ・ファンティーニがトスカを演じた。とらわれの身になった恋人を思って歌う歌。 近松などの世話物も、恋に殉じた男女の道行きが出てくるが、タブーの多い時代でこそ、恋に命を懸ける喜びがあったわけで、今のように、何にも枷がなくなってしまうと、真剣な恋はしにくいのではないだろうか。 もちろん、親の反対で結婚できないという例も、皆無ではないようだが、原則的に、結婚は年齢を満たしていれば本人の自由、親の反対ぐらいで成り立たないものは、はじめから大したものではあるまい。 また恋と結婚はイコールではないから、人はいつでも誰とでも恋をする。それが現実にどういう形をとるかは、別の問題。 若い頃、私は恋愛至上主義者だった。まだ、それほど自由な時代ではなかったから、命を懸ける恋というのも、ありそうな気がした。 身近に駆け落ち結婚した人もいるし、恋のために、自分の人生を変えた人もいる。 何かを得ることは、それ以上に何かを失うこと。そうした覚悟のない恋は、たぶん恋の名に値しないのだろう。恋に名を借りた戯れ言か遊び。 でも、人生の終わりが近づいてくると、命までは懸けられないが、傷つかない程度に恋の香りを楽しむ器用な人がいても、不思議ではないかもしれない。 時々、そんな例を見聞きする。 恋故に命を懸けし時代あり枷なき今の恋は薄味(初出 桃李歌壇「和歌連作の部屋」) 2002年05月13日 13時21分38秒
年一回の同期会。といっても学生時代の混声合唱団の方である。 私は中学から大学まで女ばかりの学校で育ったので、同世代の男性とのつきあいは、この合唱団ぐらいしかなかった。 子育てや仕事で忙しい頃は、会合も途絶え勝ちになっていたが、最近次々とリタイアしたり、子どもがみな独立して家を離れると、昔の仲間たちとの交流が復活し、こうして再会して、現役の頃の歌を歌うのである。 このところ集まる人数も定着して、平均20人ほど。 今日は、昔の愛唱曲集の中からリクエストで歌ったり、当時のコンダクターの指導で、少し練習したり、2時間ほど愉しみ、あとは立食パーティーになった。 メンバーの中には、カンボジアに学校を作るというNGOの団体の理事をしている人、趣味で習い始めたシャンソンが、趣味の域を超えて、プロになってしまった人、合唱をずっと続けて、自分で団を作った人、地域のボランティア活動に忙しい人、リタイアを期に、日本書紀を研究し始めた人、さまざま。 親の介護の問題もある。これから10年ぐらいが、好きなことを何とかやれる時期かもしれない。若いと思っていても、そろそろ体力の衰えを、自覚し始めた点で共通していた。 むかし男の人たちの胸を惑わせた美女も、それほどでない人も、今になるとさほどの差もなく、それぞれが、人格を持った美しさを備えているのも、若いときと違うことだった。 2002年05月12日 02時20分34秒
連休の頃は晴天続きで、暑いほどの陽気だったのに、ここ2,3日冬に戻ったかのような薄寒である。 今日も出かけるとき、かなりの降りだったので、コートを着て出た。でも、なぜか5月過ぎて、冬のコートを着るのもヘンだし、第一、もう着ることもないだろうと、クリーニングに出したり、衣装箱にしまったりして、薄手のダスターコートしかないのである。 今日は、久しぶりに座の連句に誘われ、大久保の俳句文学館まで。 出席者10人が、2席に分かれて歌仙を愉しんだ。この会は、結社の中のベテラン揃いで運営していて、私のところまで、声がかかることは、いままでなかったが、最近、会員数が減ったり、老齢化して出られない人が増えたりで、すこし門戸を広げているらしい。 昨年一度誘われ、その時は躊躇するものがあって、辞退してしまったが、今回は喜んで参加させてもらった。 誘ってくれるということをありがたいと思い、よほどのことがない限り、気持ちよく応じる方がいいと、思い直したからである。 正統的な式目を重んじる連句のやり方は、最近砕けた付け合いになれている私には、ほどほどに緊張感があって、よい座であった。 あらためて教わったことの一つか二つあり、感謝の気持ちで帰ってきた。 終日雨。初夏の雨を、若葉雨などという。 思い出すのは、去年のちょうど今頃。ひどい降りの中を、小田急線鶴川まで、所用を兼ねての連句に参加し、「若葉雨」という季語を使った誰かの発句で、三吟に加えさせてもらったこと。 その時一緒に行ったひとのことや、帰りの電車の時間がかかって、パソコン教室に遅れたことなど思い出す。1年は短いようで、長い。 2002年05月11日 00時21分26秒
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