沢の螢

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形状オンチ
2002年06月22日(土)

2年前、物忘れがひどくなったように思い、脳神経科に行った。
図書館で本をみているときに、ふらっとしたり、駅の長いエスカレーターを上る途中に、突然、自分の体が斜めに立っているような気がしたり、人との約束を忘れる、といったことが、重なったためである。
脳波は異常ないので、MRIで調べることになったが、その前に、知能テストをすることになった。それで、問題があれば、機質的な検査をしましょうということである。
知能テストは、小学生の時以来、しかも精神科の分野、ちょっと抵抗があったが、思い立ったら吉日と、受けることにした。
主として記憶に関するさまざまなテストをして、後で結果を訊きに行ったら、数字と図形がちょっと弱いが、特に物忘れ的な問題はないので、MRIもいらないでしょうと言われた。
そして、もし、心配なら、予防的な意味で、ビタミンEと、銀杏の葉エキスを、日常的に服用したらどうですか、アメリカでは、アルツハイマーの治療薬として使っているから、という話であった。
早速買いに行き、せっせと飲んでいたが、そのうち面倒になって、今は、思い出したときに、飲む程度である。
そのころ、老親の介護で、いつも忙しく、疲労困憊していたので、一過性の物忘れだと言うことになったのだった。
数字が弱いというのは、うなづける。算数、数学は、学校に通っていた頃、一度も良い点を取ったことはなかった。電話番号などは覚えられないし、数字に関することは、すぐ忘れる。
図形についても、私はよく道を間違えるので、なるほどと思う。
「君は形状オンチだね」と、連れ合いも言う。
人の顔、ことに男の人の顔は、覚えにくい。背広にネクタイをしていると、皆同じ顔に見える。
一番困ったのは、連れ合いの仕事関係の人、何度紹介されても、印象に残らない。
外国にいたとき、日本人の集まりで挨拶しただけの人は、まず、次に会ったときに忘れていた。
これが、外国人だと一度で覚えるのはどういう訳だろう。
女性の場合は、日本人、外国人を問わず、何か一言でも話をすれば、覚える。
日本人で背広を着たときの男の人というのは、没個性的で、人間的な話題を交わすことがなかったからかもしれない。
現在、私は、そうした義理のつきあいで人と会うことはなくなって、だいたいが趣味を通しての人間関係なので、以前のようなことはなくなった。
しかし、道は相変わらず覚えられない。
今日は、連句の集まりがあって、出かけたが、いつもの場所と違うところだった。
前に一度行ったから分かるだろうと、高をくくって、住所も電話番号もメモしていかなかった。
ところが、駅を降りてからの道が、私の記憶と違って、反対方向だったらしく、途中で公衆電話で番号を調べたりして、たどり着いたものの、すっかり疲れてしまい、まだメンバーがそろってなかったこともあり、そのまま家に帰ってきた。
頼まれたものを人に渡す用事もあったので出かけたのだが、それがなかったら、もっと早く引き返したと思う。
道が分からないと言うのは、一番いらいらすることである。
地図をみても私は東西南北がよく分からない。それに、日本の道は、実に不親切にできている。
何でも外国に比較するのはいけないが、例えば私の暮らしたブラジルでは、どんな小さな道にも名前があり、1メートルごとに番号が付いていた。
文盲の人も多いので、どんな人でも分かるようになっていた。
私の父は、80代後半に入ってから、行き先が分からなくなったり、自宅に帰れなくなったりし始めた。外に出ることが好きで、毎日の散歩を欠かさなかったが、一人で出られなくなったことを自覚してから、寡黙になり、ぐっと老いた。
私は、父親似である。たぶん、同じ道を辿るのであろう。

2002年06月22日 17時31分12秒


パソコンまた入院
2002年06月20日(木)

私のパソコンは、この半年近く、エラー、フリーズ、osの再インストールを繰り返して、一度はメーカーに修理に出したが、いっこうに改善されないので、これは、器械そのものが悪いんだろうと思い、今朝から連れ合いが、メーカーに掛け合い、器械を取り替えるべく交渉した。
何しろ、昨日夕方6時から始めたスキャンディスクが、今朝になっても終わらないのだから、どうかしている。
システムの復元という機能も付いていることになっているが、一度も出来たことがない。
再インストールをする度に、ファイルの保存をするが、やはり、何かが失われる。精神的苦痛も大きいし、インターネットの交信も支障が出てくる。
買って、まだ一年経たないと言うのにである。
メーカーは、なかなか自分のほうに非があるとは認めず、こちらの使い方が悪いか、あとから入れたソフトのせいに原因を持っていこうとする。
1時間半粘って、ようやくメーカーは、器械そのものまで交換はしない代わりに、メインボードと、ハードディスクを取り替え、それでもだめな場合は、返金するというところまで、約束した。対応の相手が、途中から代わっての挙げ句だった。
「まあ、それで妥協するしかないな」と連れ合いは言って、長い電話を終えたが、私は、言葉が出なかった。
朝から食事もそこそこに、なかなか繋がらないメーカーのサポートセンターに電話するために、私のパソコンの前に陣取り、メーカーの専門家を相手に、必死に食い下がっている姿に、打たれたからである。
使い手は私だが、この器械については、トラブルが起きるたびに、日頃「秘書」と呼んでいる連れ合いに応援を頼み、時には八つ当たりして、あれこれ、助けてもらっているのだった。
それに対して、私は、あまり感謝の言葉もかけていない。
それでも、妻のパソコンを、何とかしてやろうと、時間と労力を惜しまずに、奮闘している連れ合いに、私は、言葉に表せないものを感じたのだった。
明日、メーカーが器械を取りに来る。それに備えて、ファイルの保存に半日費やした。
しばらく、また「秘書」のパソコンから入力することになる。

夜、本多劇場に「詩のしの詩(うた)」を見に行った。このところいつも一緒に芝居見物に行く友人と一緒。
渡辺えり子作演出。宇宙座公演。なかなか凝っていて、愉しめた。
今月は、文学座の芝居、ほか。7月にはこまつ座。
芝居は、臨場感があって面白い。
連句と似ているところがある。私の連句ボードも、何とか機能している。

2002年06月20日 00時47分32秒

毒と薬
梅雨も本格的になり、雨の日が続く。
雨は嫌いではないが、自転車が使えないのが困る。
2,3キロまでの距離は、だいたい自転車で用を足すことが多いのである。
今日は、本降りなので、午後からの講話には、バスで行った。
中学、高校の国語教科書から、鴎外、漱石が消えたという話。その代わりに、スポーツの記録文や、中学生の日記などが入っているそうな。
「そんな毒にも薬にもならぬ文章を載せてどうなる。分かっても、分からなくても、本物の名文を載せてこそ、国語教育。子供に媚びる必要がどこにある」と、意気軒昂な講師の話で、たちまち時間が過ぎた。

今日は傘を持っていたので、花を買うのはやめた。必要最小限の食料品を買って帰宅。

私のパソコンは、今朝、メーカーが取りに来た。ハードを取り替えて、戻ってくるのに、10日ほどかかりそうだ。
前回の失敗で懲りてるので、保存は、念入りにしたが、はたして大丈夫かどうか。
器械が戻ってくるまで、ホームページの更新はできないが、ウエブ上の書き込みなどは、連れ合いの器械から、できるよう、設定してある。メールも、私のパスワードでログインして、Yahooから取り込めるようにしたので、とりあえず、支障はない。

私は、どちらかというと政治オンチ、よきに計らえですめばその方がいいと思っている。
でも今の日本の政治や社会状況は、為政者に信頼が置けず、とても安心して任せられる状態ではない。
自分の暮らしや、周囲の人たちの状況から、考えさせられることは、少なからずある。
ただ私は、それを、自分のホームページでは、扱わないことにしているし、その種のページのリンクもしないことにしている。
しかし、関心のあるサイトのページに自分からアクセスして、覗いてみることはある。ところが、時として、種々のウエブサイトの中に、ウイルスでも混じっているのか、アクセスして開いているうちに、突然こちらの器械がフリーズしたり、エラーが出ることがある。
今回、器械がおかしくなった原因の一つに、それもあった。
あまり見慣れないサイトを開けてみたり、ネットサーフィンは、しないほうがいいのかもしれない。
私のパソコンが、セキュリティを高めに設定しているせいかもしれないが・・。

2002年06月20日 23時34分51秒


それぞれの立場
2002年06月17日(月)

60数名を集めての会合も、どうやら大過なく終わった。
3人の幹事の一人として、昨秋から、場所取り、会場との打ち合わせ、前幹事からの情報収集、案内状作成送付、出欠の確認、弁当、茶菓の手配、会場下見、そして今日、会場設営、配席、受付、集金、テーブルのセッティング、司会進行、エトセトラ・・。
いろいろな人たちが献身的に手伝ってくれて、無事、一連の行事が終わった。
私は、厨房と座席とをいったり来たりで、席の温まる暇が無く、肝心の連句は、ちっとも付けられないままに終わったが、歌仙のうち、5句何とか採ってもらったので、まあまあ。
雨も降らず、ほどほどの気温、会場側も、好意的に配慮してくれて、時間内にすべてが終わった。
主宰はじめ、出席者たちも、喜んでくれたようでほっとした。
誤算は、今日になって欠席の人が3人いたこと。多めに頼んだお弁当が、結局余ってしまい、会場の人たちに進呈したり、希望者に持ち帰ってもらったりした。
すべて終わってから、我々幹事3人と、今回の総合企画をし、事実上我々を指揮した人を交え、4人で近くの小店で、ビールを飲んで、お互いの労をねぎらった。
われわれを指揮した人は、会の主宰の片腕として、昨年あたりから、急に表に立つようになったひと。
「なんだか最近威張ってるわねえ」なんて、無責任に悪口を言ったりしていたが、よく話してみると、それなりの理由と、苦労があるのだった。
いろいろな批判、抵抗があることは十分承知して、あえて、憎まれ役を買って出ているところもあり、それは素直に認めてもいいだろうという気になった。
多少、強引なところもないと、ある程度、大きくなった組織の運営はできないのかもしれない。
政治の世界に、規模は違うが、共通するところがあると思った。
それぞれの置かれている立場を理解しないと、人の言動を、軽々しく批判することはできないなと、あらためて思った。

疲れて帰ってきて、一息ついてから、ホームページを開けてみたら、ここの13日付の日記について、関連したメールをくれた人がいて、嬉しかった。
掲示板があれば、きっとそこに書いてくれたのであろうが、廃止してしまったので直接メールを送ってくれたのだろう。
私は、薔薇の句について書いたのだが、偶然薔薇の句をいくつか、ある本の中で目にしたというのである。
崩れた薔薇を愛する心は、普遍的なのですねと、結んであった。

2002年06月17日 01時01分18秒


判官贔屓
2002年06月15日(土)

サッカーのワールドカップがたけなわである。
私も日本の試合はもちろんのこと、毎日どこかのチームの試合を見ている。
今日はイングランドとデンマーク、私ははじめからデンマークを応援した。
・・と言っても、冷蔵庫が壊れて、中のものが腐ってきたので、それらを捨てたり、電源を切って、ついでに長年したことのない冷蔵庫背後の掃除などしながらの、テレビ観戦、ベッカムがシュートを決めるたびに、スタジオは大歓声。
結局デンマークは一点も取れずに終わったらしい。途中から私は見る気がなくなって、結果だけ聞いたのだった。
何で日本のファンが、イギリスの国歌を歌うの?
君が代は拒否してるのに、よその国の君主を称える歌なんて歌わなくたっていいじゃない・・・なんてぶつぶつ言いながら、冷蔵庫の整理をしていたのだった。
イギリスとドイツのチームは強いが、愛嬌がない。
そこへ行くと、アルゼンチン、メキシコ、ブラジルなど、ラテン系の試合の仕方は、実に華麗で、サービス精神に富んでいる。
どちらが贔屓でもないところは、弱いチーム、負けているチームを応援する。
だから、私が応援したチームは、大体一次予選で消えてしまった。
これからは、日本とブラジルを応援する。

明日は会合があり、私は世話役の一人なので、今日は、備品を買いに行ったり、美容院に行ったり、なんだか落ち着かない一日だった。
パソコンにさわる暇もなかった。一応、毎日目を通しているボードやサイトを見て、早めに寝るとしよう。

2002年06月15日 23時18分54秒


梅雨
2002年06月13日(木)

このところ雨が続き、どうやら梅雨に入ったらしい。
先週終わりまで、蒸し暑さが続いたので、かえってほっとする。
木曜日の午後はいつも、大河内昭爾さんの、文学談義を聴きに行く。
今日は原口統三の「二十歳のエチュード」を取り上げる筈が、例によって脱線して、話は縦横に跳び、1時間半があっという間に過ぎた。
とにかく、この方の話は、面白い。昭和文学史の生きた話が聞ける。
文芸評論家であり、「季刊文科」を主宰し、一方で長いこと、女子大の学長もしていた。
会場はいつも、中高年男女でいっぱいである。
私も通い始めて1年になる。
終わると、先生はいつも近くのコーヒーショップに、みんなを誘うので、私も時々つきあって、違う話を聞いたりする。
今日は講座の帰りに、駅前の花屋で、薔薇の花を買った。
今頃は、紫陽花がきれいだが、私は、本当は、薔薇が一番好きだ。
どんな色でも、薔薇ならいい。
今日は、紫に近いピンク色にしたが、店を出ると、色がくすんで見え、やっぱり真紅にすれば良かったかなと、ちょっぴり後悔した。
男の人から薔薇をもらったら、とても嬉しいだろうが、直接もらったことはない。

薔薇崩れ激しきことの起こる前
作者は誰だったか、定かでない。でも、なぜ句を覚えているかというと、私はこの句があることを知らずに、

薔薇散って激しきことの起こりける
と言う句を作ったからで、かなり経ってから同じような句があったことを知って、愕然としたのである。
短い俳句では、よくあることらしいが、私はしばらくの間、俳句を見るのがいやになったほどだった。
雨の日の薔薇、クリスタルガラスの花瓶に挿し、室内に置いて眺めている。

2002年06月13日 18時49分02秒


ホームページ一新
2002年06月11日(火)

昨日、ゲスト用の掲示板を外すことを予告した。
2日ほど経ってからと思ったが、どうせ外すなら早いほうがいいと思い、先ほど更新した。
表紙の写真は紫陽花だが、違うものにした。これは深大寺で撮ったもの。実は、昨年のものである。
掲示板が消えて、少しスペースが空いた。
レイアウトを替え、メールのマークを目立つものにした。
メッセージは、直接、メールで貰えたら嬉しい。
良いものは、この日記の中で、反映させていくつもりである。
私は、気が変わりやすいのか、ホームページの手入れが好きで、始終、素材を替えたり、背景色を変えたりしている。
「そんなことより中身が大事」と言われそうだが・・。
シナリオも、まだアップしたいものがあるが、しばらくこのままにしておく。

2002年06月11日 22時31分07秒



掲示板を閉じる
2002年06月10日(月)

このホームページを始めたのは、昨年の暮れだが、今年になって器械がダウン、修理に出し、2月に戻って来てから、また全部作り直した。
それまでは、練習台みたいなものだったので、消えても惜しくなかったし、少しばかりのページを、また入力し直して、1ページずつ増やし、今は、全部で30ページになり、カウンター数も、2400を超えた。
自分でも日に何度かアクセスするが、ホームページの中で動く分にはカウントされないので、少なくとも、2/3は、他の人のアクセス数であろう。
あまり面白くもないような私のサイトに、訪問してくれる人がいることはありがたいことなので、お客さんの書き込み用にと、掲示板もつくった。
それと別に連句用のボードも二つ作り、使い方は少し違うが、うまく機能している。目的がはっきりしているということもあると思う。
しかし、何となく作った掲示板のほうは、ほとんど書き込みが無く、今までに、ちょっと知っている人が、挨拶代わりに書き込んでくれたほかは、自分のサイトの宣伝(と言っては失礼だろうか)をかねて、1,2度訪問してくれた人がいる程度で、あまり有効に使われなかった。
私のホームページは、面白おかしいものではないし、所謂ネット語で交わされるような会話に、あまり縁がないし、何となく、気軽に書き込むという感じではないのかもしれない。
少なからぬ人が、見てくれてはいるらしいので、たぶん私のところに来るお客さんは、主に似て?シャイで、控えめで、あまり自己顕示欲の強くない、善良な人たちなのだろう。
今まで、不快な記事は一度も投稿されたことが無く、みな、礼儀正しく、美しい日本語を使う人たちだった。
だから、掲示板が無くても、今までと変わらず、訪問してくれて、その気があれば、連句のボードに参加し、さらにその気があれば、メールでメッセージをくれるだろう。
私からのメッセージは、この日記で充分、今までも、会ったことのない人たちへ、ここでいろいろなことを伝えてきたつもりだから、それはこれからも変わらない。
そんなわけで、一両日中に掲示板は外すことにした。
今後、訪問者用の掲示板を持つとしたら、やはり目的をはっきりすべきだろう。
介護の問題などを、話し合うとか、テーマのある話題を、こちらから提案するとか、工夫が必要かと思う。
しかし、今の私は、連句のボードの運営と、ホームページのメンテナンス、そしてこの日記だけで、結構忙しい。
一人でこつこつやっているのだから、あまり欲張るのは考えもの、地味でいいから、長く続けたいと思っている。
いままで掲示板に書き込んでくれた人たちに、感謝!

2002年06月10日 21時24分48秒



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