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快進撃を進めてきた巨人が、今夜はどうも旗色が悪く、敗け戦になりそうなので、テレビをやめて、パソコンに向かう。 昨日、図書館に行き、本を10冊借りたが、大活字本が含まれている。 これは、弱視の人向けに、大きな活字で印刷された本。最近、本の種類も増え、時々、借りてくる。 最近出た「俳句類語辞典」(三省堂)、一つの言葉について、類語が9種類、それに全部俳句が付いていて、字が大きいので、読みやすい。 私は、このところ、ちょっと俳句に興味があって、その種の本を少し読んでいる。 短歌の結社に入っているが、そちらは全然気が乗らず、今月も、とうとう欠詠してしまった。 2ヶ月に10首の歌が、出来なかったのである。 少し閉塞状態。 俳句に、新鮮なものを感じて、時々、句作を試みている。 一つは、季語の魅力。 そして、一七音で、すべてを語るという、奥行きの深さ。 初心の私には、とてつもなく難しい。でも、今は、知らないことで、、かえって愉しい。 大活字本その2は、泡坂妻夫のミステリー。 ほかに、中村哲「医者、井戸を掘る」、月遅れの雑誌、パソコンの本など。 ここ2,3日、気になっていたことがあった。 でも、思い切って人に送ったメールの返事を読んで、少し気が晴れた。 思い過ごし、思い込みだけではないのだが、直接的な答えは返ってこなくても、ボールを投げたという事実は、伝わったはずだから、それでいいと思った。 2002年07月24日 22時08分15秒
昨日は、少し遅れた私の誕生祝いをするといって、息子夫婦が、やってきた。 「腰痛が続いて、家の中は、散らかしっぱなしだから」と、あらかじめ、予防線を張っていたが、最低、掃除機を掛けたり、居間のテーブルを片づけたりした。 料理は、いつも、息子の妻が、一抱え用意してくるのが、この数年の習慣である。 夫が、車でスイカとワインを買いに行き、私は、和え物と、冷たいオニオンスープを作った程度。 3時の約束が、来たのは6時近く。 道が混んでいたり、寄り道に手間取ったそうな。 ちょうど時間なので、早速晩餐にはいる。 息子の妻は、料理が得意。 姑が、その方はだめなことを知っているので、テーブルいっぱいの品数を、揃えて持ってくる。 正月のおせちも、最近は、彼女の手作り。 昨日は、ビーフのサラダ、鰻の混ぜご飯、ピクルスに、インゲンのごま和え、豚の角煮。 ワインの紅白に、誕生祝いのケーキ、薔薇の盛り籠。これは、精巧に出来た、造花である。 「いつも面倒掛けて悪いわね」というと、「いえいえ、こんなことしか出来なくて」と、けろっとしている。 正月以来の顔合わせなので、夫の誕生日や、母の日など、いくつか一緒にして、乾杯をした。 二人とも30代半ば、仕事が忙しく、すれ違いで、この夏は、一緒に休みが取れないので、どこにも行きませんと言っていた。 4人の会話は、やはり、社会の一線で働いている若い夫婦と、先輩である夫との、話が中心になる。 私は、そちらの方は聞き役だが、時々、入り込んで、感想を言う。 親子と言うより、夫婦二組といった雰囲気である。 まだ、息子夫婦に子どもがいないせいもあって、あまり、家庭的なことは、話題にならない。 あれこれ、話が弾んで、気がついたら、夜中の12時を回っていた。 二人を送り出して、残った親夫婦は、それぞれの部屋に戻り、めいめいのパソコンの前に座ったのであった。 2002年07月21日 08時47分54秒 酷暑 梅雨が明け、代わって、連日の猛暑である。 酷暑とも、極暑とも言う。 この暑さの中、外出は、正直おっくうである。しかし、家にいても、暑さは同じ。 むしろ、冷房の効いた場所で日中を過ごす方がいいので、思い切って出かける。 今日は、連句サークルの例会。 夫が、車で駅まで送ってくれたので、時間も短縮、暑い思いをせずに済んだ。 出席者9人、二つのグループに分かれての付け合い。 和やかに、愉しく終わった。 このサークルには、昨年初めから、参加している。 最初は、お客さんとして声を掛けられ、2度3度と足を運ぶうちに、「入りませんか」と言われ、喜んでメンバーに加えてもらった。 名簿上のメンバーは、16人ほど。 このごろは、10名前後が、いつも出席している。 ここ半年ばかり、私に対して、心よく思わない人がいるのを知っているし、目に見えないところで、不明朗なささやきがあることも感じている。 思ったことを、すぐ口に出してしまう、私のような人間は、雰囲気に合わないのではないかと思い、行かない方がいいかもしれないと、悩んだりしたが、表に出ないことは、ないものと解釈することにした。 人の好き嫌い、誤解や、思い違いは、どこにいても同じである。 人の心の中まで、責任はとれない。 私は、このサークルでの連句が好きだし、メンバーの人たちも、善良すぎるほど、いい人たちで、おおむね心よく、受け入れてくれていると、信じている。 最初に、いらっしゃいと、熱心に誘ってくれた事実だけを大事にしたい。 それ以外の思惑は考えず、淡々と、「その他おおぜい」に徹することにした。 それで、少し、気が楽になった。 連句が終わり、外に出ると、まだかなりの暑さだったが、途中で買い物をして、家につく頃は、少し涼しい風が吹いてきた。 留守中、夫がふんだんに水を撒いたらしく、門の前の鉢植えが、生き生きしていた。 朝顔は、順調に蔓を伸ばし、わずかだが、咲き始めている。 朝顔やひと日ひと日の蔓の伸び 2002年07月21日 19時27分22秒
昨夜「藪の中」を見る。 世田谷パブリックシアター。 芥川龍之介原作「藪の中」。 鐘下辰男脚色、演出。 主な登場人物、内野聖陽(多穣丸)、高橋恵子(女)、若松武史(女の夫)。 会場は、若い女性が8割方を占めて、満員だった。 一つの事実をめぐって、展開される、それぞれの主張の違い。 芝居は、中央に据えた円形の舞台で、事件の目撃者、役人、主役の3人が、次々と、登場して、劇中劇を交えながら、主にセリフの掛け合いで、進行する。 休憩無しの2時間、舞台を立体的に使っての演出は、なかなか凝っていた。 芥川の小説は、昭和25年に黒澤明により映画化されて「羅生門」というタイトルで、ヴェニス(カンヌ?)映画祭のグランプリを取った。 私は、当時小学生、映画好きの父親が、「まだ早い」と行って、見せてくれなかった。 しかし、グランプリを取った当時の世の中の興奮は、6月に、ワールドカップで日本が決勝トーナメントに進出したことよりも、遙かに凄かった。 戦争に負け、すっかり国際的自信をなくしていた日本が、一本の映画で、世界のトップに立ったのだから。 そして、映画は、当時の日本では、娯楽の王者であり、それまで目に触れることのなかったアメリカやヨーロッパの名作が、次々入ってきた。 子どもの私も「仔鹿物語」、「若草物語」、戦前のリバイバル「会議は踊る」、「未完成交響楽」などを、父親と一緒に見たのである。 日本の映画界も、どんどん作品を公開していた。 その先駆けのように賞を受けた「羅生門」は、公開当時、国内の評判は、あまり芳しくなかったらしい。 「わかりにくい」というのが、多くの世評であり、興行成績も、それ程ではなかったようだ。 しかし、外国で、グランプリを受けたと言うことは、それらを一掃するのに、大きな役割を果たした。 受賞後初めて、この映画を見に行った人が、多かったのではないだろうか。 私が見たのは、大人になってからである。 モノクロ映画の、光と蔭を巧みに使った映像。 三船敏郎の、引き締まった肉体の美しさ、京マチ子の、女のもろさと凄さ、侍役の森雅之の、まなざしの豊かさ、みな、鮮明に残っている。 この映画の成功の一つは、カメラのすばらしさである。 森の中で、茂った葉の間から漏れる光の揺れ。そこに一陣の風が吹いて、笠の陰に隠れた女の顔が、一瞬、あらわになる。 それをとらえた盗賊の目がきらりと光る。 女を我がものにしようと思いつく一瞬。昼寝を醒まされた眼が、獣のまなこに代わる刻を、カメラは見事に写していた。 また、縛られたまま、目の前で盗賊に犯された妻を見る夫の目、森雅之の目の表情も凄いが、やはり、カメラがいい。 木漏れ日と、このまなざし。 映画の重要な場面であり、話の展開の中心でもある。 昨日の芝居が、それをどのように表現するか、大変興味があったが、やはり、舞台では無理と見えて、全部、会話で処理していた。 木漏れ日と、まなざし。 映像でなければ表せないであろう。 映画は、このころから昭和40年代初め頃まで、黄金時代が続くが、テレビの普及とともに、次第に衰退していく。 内外問わず、名作として今に語り継がれているのは、多くは、その時代のものである。 将来映画評論家になりたいと、夢を描いていたのは、この頃であった。 「羅生門」のカメラマン宮川一夫は、黒沢映画はじめ、名だたる作品を残して、故人となった。 黒澤明、三船敏郎、森雅之も、今はいない。 そして、私は、最近、ほとんど映画館に足を運んでいない。 舞台の「藪の中」。 俳優は熱演であり、ナマの迫力は、三階席にも充分伝わってきて、面白かったが、私はしきりに、遙か昔に見た映画「羅生門」を、思い出したのであった。 2002年07月20日 09時21分06秒
昨日は、木曜講座の1学期が終わるので、大河内先生を囲んで、夕食会。15人ほどが、井の頭線沿線の小料理屋に集まった。 私は、教室で、いつも最前列に座っているので、後ろの人の顔を知らないのである。 先生と、2,3のほかは、初対面に近かったが、ほかの人たちは、私のことはよく見ていて、「遅刻しても、一番前に行く方ね」なんて、言われてしまった。 先生はじめ、下戸ばかりで、すぐに幕の内弁当が出てきて、お酒を飲み損なってしまったが、先生の話は、面白く、時間を経つのを忘れた。 その店は、先生の姪がやっていて、わがままがきくからと、先生が予約してくれたのだが、十年ばかり前、半年ほど住んだことのある駅のそば、そして、夫が、大学のクラスメートと、時々利用する店だとわかり、偶然とはいえ、世間は狭いと思った。 先生の追っかけグループと自称する四人組のレディたちは、先生が出ているカルチャー講座に、全部出席とのこと。 「あなた達がいるから、同じ話をするわけに行かず、弱ったよ」と、先生はいうが、レディたちに言わせると、同じ材料でも、先生の話は、料理法が、毎回違うから、面白いのだとか。 昨日は、あまりに暑いので、行く前は、ちょっとおっくうだったが、行ってよかったと思った。 私は、人と話をするのが好きだし、ほどほどに礼儀をわきまえた大人たちは、話題も深く、興味深い。 昨日は、子どもの頃の、戦争の話をしたら、一世代上のひとが、よくきいてくれた。 先生が常に言うのは、「文学は、そもそも役に立たないから文学なのであって、大事なのは無用の用だ」ということ。 最近は、文学のわからん連中が、試験の答案みたいな作品を書いてくると、嘆いていた。 おとといは、連句の集まりで深川へ。 こちらは、七年半ほどの付き合いになる。 連句そのものは愉しいが、その集まりは、このごろ、私にとって、あまり愉快な場所ではなくなった。 はじめの頃の、ほどほどに緊張感のある会合が、少したがが外れたように、締まりのないものに、変質しつつあるように見える。 それは、私が慣れてきたから、感じることでもあろう。 中心をなしていた重鎮が、次第に高齢化、病気、亡くなったりの変化が続き、代わって会を牛耳じりはじめた人たちは、企業論理を導入して、今までのやり方を一新しつつあるらしい。 確かに、組織の運営は、その方がうまくいくだろうし、事務的にもきちんとしてきたことはある。 だが、それと共に「古き良きもの」も、盥の水とともに、赤ん坊まで流してしまったように見える。 少し変わった人、黙っていても、人間的魅力を醸し出していた人、目に見えた働きはしなくても、いるだけで暖かい雰囲気を周囲に与えていた人などが、「扶養家族は不要」とばかり、押しやられていくようだ。 文芸の場が、こういう風に変質すれば、本来文芸にとって、もっとも大事な「無用の用」は、文字通り役に立たぬものとして、無視されていくのだろう。 そこには、優しさも、思いやりも、先達を気遣う気持ちもなく、あるのは、力のある人たちへの点数かせぎであり、礼節を欠いた人間関係の乱れであり、堕落である。 最近、心ある連句の先輩たちが、姿を見せなくなったことを、私は気にしている。 参加者数が、毎回増えていることを、誇らしげに語る「力ある人」の言をききながら、きちんとけじめのセレモニーもせずに、だらだら終わってしまった会合を、何か空しいものに思いながら、一人、帰路についたのであった。 いつものように、「力のある人たち」を中心とするメンバーが、どこかで、祝杯を挙げているであろうことを、想像しながら。 この日は、私の誕生日だった。 息子夫婦が、週末に、来るという。 正月以来のこと。二人とも仕事で忙しく、夫の誕生日、母の日、父の日をパスしてしまったことを気にしている。 そこで、せめてお袋の誕生祝いを、ということになったらしい。 嬉しいが、私は、今月はじめから、断続的な腰痛に悩まされている。 少し、家の中でも、きれいにしなければ、と、少し気重でもある。 そんなことを言いつつ、今夜は、内野聖陽「藪の中」を見に行く。 2002年07月19日 11時34分04秒
・・・というドラマを、最近、NHKでやっている。 私は、以前は、よくテレビを見る方で、中でもドラマは好きだったが、ここ1年半ほどは、インターネットに時間を費やすことが多くなり、また、見応えのあるドラマも、この数年はぐっと減って、ジャリガキ(まあ、私としたことが、こんな言葉を使うなんて!意味はおわかりですね)向きの、ふやけたものしかお目にかからないので、あまりテレビを見なくなった。 しかし、3週間ほど前、たまたま、夜9時のニュースを見ていて、何となくそのままにしていたら、始まったのが、表題のドラマで、ついつい見てしまったのが、結構面白い。 岩下志麻、松坂慶子の二人に、津嘉山正種が絡む、大人の恋物語。 懐かしの池辺良も登場する。 若いのは、緒方直人に、岩崎ひろみ。 夫に家出されながら、仕出し弁当屋を切り盛りする岩下に、ちょっと蓮っ葉だが、女の魅力を備えた松坂。 津嘉山が、どちらに靡くか、毎回はらはらさせられる。 この人は、舞台俳優で、テレビにはあまり出てこないが、なかなかいい。 ところが、今日、一つのヤマ場だったのに、ウッカリ忘れてしまい、見損なってしまった。 最後に、岩下と津嘉山が、浜辺でダンスをする場面があったから、こちらの二人で恋が成就したのか。 あと2回で終わる。 台風が近づいているようだ。今日も、一日熱い風が吹いていた。 夏物が、まだ全部出てないので、午後から、ひっくり返していたら、汗だくになってしまった。 その合間を縫って、洗濯やら、ホームページの手入れやら。 台風が去って、カッと暑い日差しが続いたら、梅を干さねばならない。 うちの庭の梅の木が、花が小さくなった代わりに、大きな実が付くようになり、先月、1キロほど採って、塩漬けにした。 干し方がうまくいけば、自家製の梅干しが出来るはず。 シャワーの火照りを冷ます間と思って、書き始めたら、長くなったついでに、昔話。 若い頃、夜中の12時に、同じ星を見るという約束をしたことがあった。 しかし、私は天文オンチで、星座などよく分からなかったので、これは長続きしなかった。 その代わり、同じ時間に、お互いのことを心に浮かべるという約束をしたが、果たして、いつまで続いたか、記憶にない。 今の時代に、若い恋人たちは、お互いの気持ちを確かめるのに、どんなことをするのだろうか。 夜空を仰いで、同じ星を見るなんてことは、おそらくしないだろう。 私だって、今なら、パソコンで、メールの送信時間を見て、あら、私も、同じ時間に、同じことを思っていたのね、なんて、ちょっとした一致点を見つけて、嬉しくなったり、充分いま風になっている。 もう、月や、星も、昔ほど、ふんだんに見えないのだから。 2002年07月16日 01時49分14秒 夕焼け ひと月ぶりに図書館に行った。 近くの図書館が、6月はじめから、点検のため休館していて、借りた本がそのままになっていた。 すでに、開館しているのを知っていたが、返しそびれていた。 借りた本の一冊が、家の中で行方不明になっていたからで、今日やっと探し出したので、夕方まとめて持っていったのである。 期限はとうに過ぎていたので、わけをいって、謝った。幸い、リクエストもなかったらしかった。 本の借り出し期間は3週間、一人10冊までとなっている。ついつい、読めぬと分かっていながら、目一杯借りてきては、後悔する。 そこで、今日は、4冊だけ借りた。 月遅れの文芸雑誌、大河内昭爾氏の話にたびたび出てきたので、もう一度読んでみようと原口統三「二十歳のエチュード」、吉増剛造「剥き出しの野の花」、これは詩とエッセイが混じったもの。それに結城昌治「俳句は下手でかまわない」という本。 そのうち閉館の七時になったので、手続きして外へ出た。 まだ、薄暮。ふと西の空を見ると、真っ赤な夕焼け。美しかった。でも、建ち並ぶ二階や三階の家の陰に、すぐ隠れてしまった。 この十年あまりの年月に、心に残る夕焼けは、いくつかある。 まず、なんといっても、昨年夏、シベリア横断の、旅の列車から見た夕焼け。これは、とても、言葉では表せない。 二番目は、十年以上前、ロンドンで見た夕焼け。 テラスハウスの四階から、真っ赤に空を染めた夕焼けに気づき、思わず外に走り出て、しばらく、西に向かって夕日を追った。 街中で、地平線は見えないが、残照のすばらしさは、いつまでも、心に残った。 それから、蓼科の小屋から見る夕焼け。 西側には、はじめ、家がなく、赤松林の合間から見える夕焼けは、私の好きな景色だった。 ある夏、私を残して、夫だけ仕事のために、東京に帰っていき、何日か、たった一人で、過ごしたことがあった。 夕方になり、それが習慣になっていた私は、窓辺に座って、夕焼けを見ていたのだが、突然、あふれるほどに涙が出て、止まらなかった。 その前の夏、私は大病をして、まだ体も心も癒されていなかった。 人嫌いになり、話したい人もいなかった。 そのくせ、寂しくて仕方がなかった。 誰もいないのをいいことに、心ゆくまで、涙を流した。 しかし、その夕焼けも、五年ほど前に、西側に山荘が建ったことで、だいぶ様子が変わってしまい、もう、あのときと同じ景色ではない。 シベリア横断から、ちょうど一年経つ。 旅行中に誕生日を迎え、モスクワのホテルで、ケーキでお祝いをしてもらった。夫から、ホテルあてに、先回りして、お祝いのファックスが届いていたことを思い出す。 列車の中で見た残照と朝焼け。 きっと、今も変わらずにあるだろう。 2002年07月16日 20時42分28秒
芝居友達で、いま一番親しくしているY子さんから夕べ電話があった。 「向こう一週間ばかり、多忙で、電話できないかもしれないから」と、芝居の日取りの確認や、連句の話など。 彼女は、私より少し年上だが、ずっとエネルギーがあって、一人何役もの仕事や、付き合いをこなしている。 長年、社会の一線で働いてきたので、3日も家にいると、落ち着かないのだという。 いったん最前線から退いたものの、周りがほっておかないのだろうか、大学の講師とか、いろいろな役回りが巡ってきて、毎日、何かしらの用事で、出ている。 その合間を縫って、電話をくれるわけである。 仕事だけでなく、昔のクラスメートや、仕事仲間との旅行や、付き合いも多いらしく、私と電話で話している間にも、始終キャッチフォンが入ってくる。 スーパーウーマンということばがふさわしいだろう。 でも、彼女のいいところは、そうした仕事のキャリヤや、能力が、どこにでも通用するとは限らないと言うことを、自覚していることである。 よく、男の人で、昔の肩書きが、抜けきらず、どこへ行っても、それが顔を出して、鼻持ちならないという人がいる。 この手の人は、私のもっとも嫌いなタイプ、一度、あるツァーで、この手の男と一緒になり、旅行の終わりに、大げんかしたことがあった。 「アンタみたいな人は、けちなツァーなんかに入らないで、お供を3人くらい連れて、一人で行きなさいよ」と言ってやった。 旅行の間中、威張り返り、初対面の私を「会社の女の子」扱いした口をきいたからである。 役所の窓口で、けんもほろろの応対をしたヤツに「何様だと思ってるのよ」と、言ってやったこともある。 私は、この世に亭主以外に怖い人はいないので、誰に対しても、同じ接し方で通している。 弱いものイジメはしない代わり、こういうエライさんをやっつけるのは好きである。 ムネオみたいなヤツは、結構多い。Y子さんがそういうタイプだったら、私は、はじめから付き合わないと思う。 忙しいと言うことは、それだけ、周りから期待され、役割があるということで,結構なことなのだが、そのために時間を取られ、金銭的には、入る方より、出る方が多いくらいだという。 「間に合わないとすぐタクシーに乗っちゃうから、交通費もバカにならないわ」と言っていた。 でも、何もしなくて、ゼロでいるより、同じゼロなら、何かして、プラスマイナスゼロの方が、いいのじゃ、ないだろうか。 少なくとも、数字に表れない満足感、充実感、そこで感じたり、思ったりの、体験をする。たとえ、いいことだけでなくても、生きている実感は、得られるはずだ。 家にいる安息や、静かさを、かけがえなく思いつつも、社会と繋がった人の、プラスとマイナスを、時に羨ましく思うのである。 2002年07月12日 12時49分43秒
昨日の台風も過ぎ、今日は真夏の青空。 珍しく早起きしたので、家事もはかどり、洗濯物も、朝のうちに翻ることが出来た。 昼前来たクリーニング屋さんが、「暑いですねえ。食欲がなくなりますね」といっている。 このクリーニング屋さんは、5年前から出入りするようになった。 親たちが来て、夫がまだ会社勤めをしていたので、洗濯に出すものが多くなり、隣の家に出入りしている人に、来てもらうことになった。 まだ若くて、幼稚園や小学校低学年の、男の子二人のお父さんである。 礼儀正しく、仕事に間違いはないし、人柄もいいので、最近は洗濯に出すものもぐっと減ったが、月に何度か来てもらう。 「今日はワイシャツ一枚だけなんだけど、悪いわね」というと、「いいんですよ。気になったら、ざっと洗っておいて頂ければ、汚れも落ちやすいですから」というので、今度からそうすることにした。 汗汚れは、時間が経つと落ちにくくなるのだという。 ワイシャツなど、自分で洗ってアイロンをかけていたこともあったが、綿100パーセントのシャツは、やはり、のり付け、アイロンがむずかしい。 いつか息子の妻が、「お母様、ワイシャツは、クリーニング屋さんに出した方がいいですよ。襟やカフスがピシッとしてないと、お父様が悪口言われます」と言ったことがあった。 オフィスの女性は、そういうところにすぐ気が付くのだとか。 以前は、別のクリーニング屋さんを頼んでいたが、来る日と、こちらが家にいる日が合わず、面倒なので、やめて久しかった。 いまは、私か夫のどちらかが家にいることが多いので、すれ違わずに済んでいる。 午後から大河内昭爾氏の木曜講座。会津八一の短歌についてのはずが、例によって脱線して、戦後の風俗小説の話になり、田村泰次郎や、日劇ミュージックホールの話題にもふれ、興味深いことであった。 来週で、夏休み。秋からの継続の申し込みを、ウッカリしていたら、もう満員だという。 あわてて、一人分潜り込ませてもらった。 2002年07月11日 17時08分45秒
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