沢の螢

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蝉時雨
2002年08月05日(月)

このところ、時々雷雨がある。
そのたびに、暑さが和らぐように思う。
雷雨が来る前に、蝉の鳴き声が、ひときわ激しくなり、いっとき続く。
蝉に限ったことではあるまいが、自然の生き物は、天変地異を、察知する能力があるらしい。
人間も、たぶん、もっと素朴に生きていた頃は、そうした、神から与えられた力を持っていたはずである。文明が、人間を、ひ弱にしてしまったのだろう。
よそに言って、「暑いですね」というと、さっと冷房を強めてくれる。こちらは、季節の挨拶のつもりで言っているのに、受ける方は、自然の暑さも自分の落ち度とばかり、機械で、補おうとする。その心遣いに感謝しながらも、うっかり時候の挨拶も出来ないなと思う。
冷房も、はじめは、涼しくてホッとするが、少し経つと、手足がじわじわと冷えてきて、そのうち、頭が痛くなる。人間の体は、汗をかくように出来ているのに、過度の冷房は、汗腺を塞ぎ、新陳代謝を悪くするので、健康上、いいはずはない。
それでも、冷房無しではいられない人が多いと見えて、その放射熱で、アスファルトは焼け、オゾン層は、熱気に包まれて、地球の温度は、年々上がりつつある。
夏の外出がおっくうなのは、どこに行っても冷房があるからで、真夏だというのに、体を守るためのショールや、上着を持って出ねばならない。
室内と、外気との落差も大きいので、年とともに、体の切り替えが難しくなる。
うちでは、冷房は、湿度を落とすことにもっぱら使い、温度は、28度くらいに押さえている。
湿気がないだけで、かなり不快感は和らぐ。

この1週間ほど、私の心は、剃刀で切られたようにズタズタになっている。
まだ、癒されていないが、全く関係ない人の明るい便りや電話をもらうと、ホッとする。
今朝も、ある人から「ホームページ見ましたよ」というメールが入っていて、嬉しかった。

今日は、高橋順子「連詩講座」に、新宿まで。
あまり暑くないといいのだが・・。

2002年08月05日 08時57分32秒


物忘れ
2002年08月03日(土)

自分の脳の中身がどうなっているのか、見たことがないので分からないが、たぶん、かなり、縮んでいるか、穴だらけか、どちらかだと思う。
人の名前、ものの置き場所、昨日の晩ご飯が何だったかということまで、すぐに忘れる。
何か用事があって、2階に上がる。
上がってから、その用事が何だったか忘れる。
このごろ困るのは、日時を忘れるようになったことで、せっかく買っておいた芝居や音楽会の切符を無駄にしたことも、この1年の間に2回あった。
決まったことは、大きなメモ書きのカレンダーに書き込んでおくのだが、それを見るのを忘れる。
人と約束しておいて、すっぽかしたことがやはり2度ある。
待ち合わせ場所から電話がかかってきて「待ってるんですけど」と言われ、あわてて駆けつけたことがあった。
相手は一人でなかったので、先に、行くべき場所に行ってもらって、現地で落ち合ったが、だいぶ悪口を言われたらしい。
そろそろキタかと、知能テストをしてもらったが、「数字と、図形が少し弱いです」と言われただけで、脳の精密検査も必要無しと、帰されてしまった。
電話で、何か誘われるのが、一番困る。
「x月x日はどうですか」と言われ、カレンダーに書いてないので、安心して約束をしたあとで、まだ書き込んでなかった予定があったことを思い出したりする。
あとで、断るのも、イヤなものだ。
そこで、最近は、電話で誘われたときは、いったん待ってもらって、あとから返事をすることにしている。
昨日、誘いがあって、9月半ばのことなので、今のところ空いているが、何かあるかもしれないので、後から連絡します、と応えた。
ひと月先の予定も立ってないのかと、相手はあきれたらしかった。
今日は、やはり、私の記憶違いで、先約がありながら、だぶってほかの予定を立ててしまい、迷惑を掛けることになってしまった。
こういうことが、重なると、少し、自己嫌悪になる。
あまり先の約束、予定は、原則立てないと言うことにしようかと思う。

そんなに、物忘れが多いのに、不思議と、人から受けた理不尽な仕打ちなどは、いつまでも覚えている。
故なく傷つけた相手を、私は忘れない。
かなり、執念深いのかもしれない。
自分が苦しむだけなのに、と思いつつ、いつまでも引きずっている。
1錠飲んだら、イヤなことは忘れ、いいことだけ覚えているという、便利な薬はないものだろうか。

夕べの雷雨で、少し暑さも弱まったらしい。今日は、ほとんどクーラーも掛けなかった。
私は、梅を干し、連れ合いは庭の草取り、平和で静かな一日だった。

2002年08月03日 21時50分28秒


昭和20年の夏
2002年08月01日(木)

先日新宿の本屋で、目にとまった一冊。
NHKテレビで、今月から放映される予定の教育テレビテキスト、「終戦日記を読む」という講座で、野坂昭如が、講師となっている。
著名人の日記、市井の1少女の日記など、日本人が書いた、終戦前後の日記を読みながら、戦争を考え、語り継ぐというもの。
興味深いので、買ってきた。

もうすぐ、8月6日が来るが、広島で、母方の叔母が原爆で死んでいる。
母の実家は、広島中島本町で、店をやっていた。
家族がみな、別のところに出かけ、たまたま、ひとりで留守番していた未婚の叔母が、従業員4人とともに、原爆の犠牲となった。
爆心地に近いところ、その辺で生き残った人はいない。
あとから、葬式をしようにも、どれが誰の骨とも分からないほどだったという。
終戦後の秋、母は、疎開先の、父の実家から、私を伴って、遅れた叔母の葬式に広島まで行った。
真っ黒に焼けただれた裸木、一面瓦礫の山となった駅前の風景、今でもよく覚えている。まだ、放射能が、残っていたかもしれないが、そんなことは、母も分からなかったであろう。

3年前、母を連れて広島に行った際、平和公園を訪れた。
母の実家のあった場所は、少女の像の近くである。そばにある、大きな土饅頭は、名もなく亡くなった、多くの人たちの骨が埋まっていると聞いた。
「日本人は戦争を伝えていない」と、野坂氏は書いている。
60をすでにいくつか超えた私が、やっとかすかに覚えているくらいの、戦争の記憶。
世代交代が進み、やがて戦争の生き証人は、いなくなってしまうだろう。
どんな些細な断片でもいい。書き残し、語り継いでいくべきではないだろうか。
無念の死を遂げた人たちのために。

2002年08月01日 23時31分15秒


銀座今昔
2002年07月31日(水)

友人と銀座和光の前で待ち合わせた。
「暑いから、店の中でね」という約束に、私は、10分ほど遅れた。
あの辺の四つ角が、久しく見ない間に、様変わりして、やや迷ったこともある。
服部の大時計が見えないので、出口を間違えたかと思ったら、外側のお化粧のために、和光の正面が、すっぽりと、覆いが掛けられていたのだった。
ちょうど時分どき。
2年ほど前に入った、感じのいいフランス料理店に行くことになったが、その周辺に見当たらない。
探したが「どうも、なくなったみたいね」と、見切りを付けて、行きずりの店に入った。
銀座も、近頃は、あまり来なくなって、ちょっと間があくと、こんな風に、あったはずの店が、消えてしまったりする。
人通りも、ひと頃に比べて、少ないように思われた。
20代の中頃、私は、銀座7丁目にあった広告会社で働いていたので、銀座というのは、懐かしい場所である。
新入社員の頃は、上司が、昼ご飯を食べに連れて行ってくれたり、昼休みに、銀座通りのデパートをめぐったり、近藤書店や、日比谷近くの音楽喫茶で、人と待ち合わせたこともあった。
並木座という映画館も、よく行った。
新婚生活を送った麻布のアパートから、都電で銀座まで30分、有楽町のフードセンターで、食料品を買って、走って帰ったこともあった。
それらのことが、断片的によみがえって、一度も住んだことはないのに、ふるさとのような懐かしさがこみ上げてくる。
都電は、とっくに廃止になり、並木座も、今はない。
お茶を飲むために入った店で、「銀座百点」をもらった。
この小冊子だけは、ずっと続いているようだった。

2002年07月31日 00時58分03秒

土用干し
まだ8月になっていないが、ページが重くなったので、日記を更新する。
カンカンでりというほどではないが、うかうかしていると、機を逸してしまうので、今日は、梅の土用干し。
庭の梅を、中ぐらいの壺に塩漬けしてあったのを、2枚の竹笊に並べて、日の当たる庭先に干す。
これを三日繰り返して、梅干しが出来るはずである。
若い頃は、毎年、梅酒を造り、時々は梅干しも漬け、マジメに実行していたのに、近年、そうしたことを、トンとやらなくなってしまった。
今年は、いい梅の実が1キロほどとれたので、もったいないと、久しぶりに漬けることになった。やり方も忘れていて、本と首っ引きで、どうやら、カビも生えずに、うまくいった。
こんなことをしているときは、連れ合いは、機嫌がいい。
元々、古典的な世話女房好みの男である。
(少し心を入れ替えたか)などと、思っているのかもしれないが、どうしてどうして、そんな簡単なものではない。
梅干しが終わったら、見事に、元の不良女房に戻りますよ。あるじどの。

2002年07月31日 12時35分13秒


バッグの中身
2002年07月30日(火)

いつか見たテレビのバラエティ番組で、こんな場面があった。
ゲストの女優に、「ハンドバッグの中身を見せて下さい」といい、女優は、「あら、イヤだわ」とか何とかいいながら、ハンドバッグを開け、テーブルに中身を一つずつ取り出してみせる。
化粧品の入った小袋、財布、ハンカチや手帳、ペン、マスコットにしている小物、それらを、司会者が、あれこれ、冷やかしながら、吟味するという趣向である。
これは、予め、打ち合わせが出来ていて、バッグの中身といっても、人に見せてもいいもの、あるいは、むしろ見てほしいものだけを用意してあるのだろう。
司会者が手帳を開け、「オヤ、彼氏との約束は、どこに書いてあるんですか」などと、おどけていたが、そんなものは、はじめから、持ってくるわけはないのである。
「ほほう、xxブランドのハンカチがお好きなんですね」とか、「思ったより、現金持ってませんね」などといいながら、スタジオに来ていた見学者の反応を、みなで愉しみ、女優自身も、大げさなリアクションで、サービスしているのだった。

今年になって、ホームページを作ったとき、連れ合いが言ったことがある。
連れ合いは、昨年はじめにホームページを立ち上げ、すでに、50ページを超える量になっていた。経済、政治、社会の動きについての考えなど、、どちらかというと、堅い内容である。
はじめは、やはり、誰かに見てほしいと思い、知っているパソコン愛好者に声を掛けて、掲示板に書き込んでもらったり、反応があると、嬉しかったそうだ。
そのうち、どこかで検索するのだろうか、見知らぬ人の中で、いつも見てくれる人も、少しずつ出てきて、こちらからも、訪問するとか、パソコンを通じての、交流も出来てきた。
ところが、時々、困ったことが起きてきた。
何かについて、書こうとするとき、ときに、自分の職業体験を通じて、具体的な例を挙げた方が分かりやすいと思うことがある。
とこらが、それを読んだ知己の中には、「あれは、あの時の、あの人の、あのことでしょう」的な、事実解明の方に、関心が行ってしまい、自分の言わんとすることを、ちゃんと読んでくれないというのである。
もちろん、例として挙げてあることは、「あの時の、あの人の、あのこと」そのものではなく、第三者個人や事柄を、特定するような書き方はせず、普遍化して表現してあるのだが、事情を知る人が、そのつもりで読めば、現実にあったことを当てはめて解釈することは出来る。
見知らぬ人なら、表現されていることだけを、純粋に読んでくれるのに、なまじ顔見知りの人は、思い込みがあるから、難しい、「だんだん書きにくくなっちゃったよ」と、ぼやいていたことを覚えている。
そして、そういうことに気を遣って書いていると、どこか、蒸留水のような、味のないものになってしまい、せっかく今まで参加してくれた、ネット上の、見知らぬお客さんの足が遠のいてしまったそうだ。
「もうやめちゃおうかな」と言い始めている。
そういう経験があるので、私に「ホームページは、知っている人には、あまり、見せない方がいいよ」と、忠告してくれたのであった。
私のサイトは、連れ合いのホームページより、もっと個人的で、自分のバッグの中身を、そのまま見せているようなものである。
でも、そこにいるのは、現実の私ではない。
ホームページの中には、いろいろな場面が設定され、種々の人物が登場するが、それは「茉莉花の書斎」という、私の劇場の役者たちであり、あくまで私の作り出したものである。
現実の人間と、たまたま似た人が出てきても、「あのときの、あの人」ではない。
しかし、現実の私を知る人なら、そのような詮索は、可能かもしれない。
表現されたものを、虚構の世界のドラマと見て、愉しんでくれるか、たまたま知る下世話な事実に当てはめて考えるかは、読む人の、品性による。
私は、ホームページを、現実に私が属する世界の人たちには、よほど信頼できると、思った人以外には、見せない方針をとってきたが、ものによっては、多くの人に、見てほしいし、参加してもらいたいものもあるので、関係者に公開するうち、少しずつ、見る人が増えてきた。
ほとんどは、礼儀正しく、現実に会った場所でも、ホームページについては言及しないし、節度を心得て参加してくれて、有り難いと思う。
しかし、バッグの中身は、そうした礼儀正しい人にでも、見せずに、一人で取り出して、愉しみたいものもある。
そこで、今まで一元化していたページを、「公開したいもの」と、「しまっておきたいもの」に、分けることにした。

2002年07月30日 10時00分04秒




出逢いと別れ
2002年07月28日(日)

安室奈美恵が、離婚したというので、話題になっているらしい。
私は、最近あまりテレビを見ないので、この種の話題に疎くなっているのだが、今日の朝日に取り上げていたので、それで、アウトラインを知ることとなった。
この人は、確か、19か20の若さで、いわゆる「出来ちゃった結婚」をした。
年末の紅白歌合戦で、妊娠中の身ながら、ステージのトリをつとめていたことを覚えている。
ご亭主は、一回り以上も年上の人。やさしい笑顔の印象がある。
生まれた坊やと一緒に、何かのポスターに出ていた。
若い妻と、成熟したおとなである夫。
仕事を続けるカップルの、理想的な形でもあったらしいのに、結婚という枠には、はまらないものがあったようだ。
男と女が出会って愛し合い、結びつくのは簡単なこと。
別れることの方が、ずっと難しい。
争い、憎み合いながらの別れもあるだろうが、相手を思い、愛するが故に別れる場合もある。
二人でしか、分からない、いろいろなことがあったのだろうと想像する。
離婚は、安室の方から言い出したことらしい。
女というのは、妙に思い切りのいいところがあって、それまで、さんざん逡巡しても、いったんきめたら、決断も早い。
たぶん、彼女は、後ろを振り返らず、前向きに生きていくのだろう。
子どものこと、夫のこと、仕事のこと、そんなに簡単な決心ではなかったはずだ。
失うものの大きさを承知しながら、最後は、自分を選んだということだろうか。
時が経って、男と女を超えた人間関係を築くことが出来たら、すばらしい。

暑さは、ちょっと収まったような気もするが、やはり、暑い。
蓼科に行っている夫から、「こっちは、快適だぞ」と、電話がかかってくる。
二人の、日程が合わず、別行動になっていたが、そろそろ私も、暑い東京を脱出したい気分、一つ予定が減って、体が空いたので、今週末から、行こうかと思う。

朝顔は、だいぶ蔓を伸ばしているが、花の咲きは、今ひとつ。
梅も、土用干しせねばならず、2,3日、カッと照りつける日差しも、ほしいところである。

2002年07月28日 16時05分37秒


Mさんへ
2002年07月26日(金)

夕べは愉しい時間でした。
井上ひさし新作「太鼓たたいて笛ふいて」は、笑いと涙と、終わってからずしんと、重いものが残る、すばらしい舞台でした。
大竹しのぶはじめ、6人の役者も、初日の堅さと、未完成な演技が一部あったものの、大変な熱演でしたね。
ひさし作品は、初日の舞台が終わって、ホールで乾杯をするというので、お付き合いさせていただき、役者の一人からサインをもらったり、何人かの人のメッセージを伺ったり、舞台の興奮さめやらぬまま、暑さも忘れていました。
帰り道、舞台関係者が立ち寄るという飲み屋さんで、お話しすることも出来て、嬉しく思いました。
その際、「今日の芝居で、何を感じましたか」ときかれ、うまく応えられなかったことを、恥じております。
ひさし氏が芝居を通じて、訴えようとしているもの、私たちが、生まれる前から続いていて、今に繋がり、そして未来へ引き継いでいくメッセージ、どうしても伝えて行かねばならないことを、渾身の力を振り絞って、書いているのだと、仰いましたね。
林芙美子という、一つの時代に生きた女流作家の人生。
戦争を挟んだ時代の波と、時の権力に翻弄されながら、ある時、今まで信じていたものが、嘘であり、時代の作った物語の正体に気づく。
自分が、物語を作る側にまわっていたことも・・。
それからの彼女は、身を削るようにして書き続けますが、47歳という若さでの突然の死。
ほとんど芙美子の作品を読んでいない私には、理解の浅いところもありましたが、それを抜きにしても、時代の中に生きる個人の姿のありようは、充分感じるものがありました。
また、私のホームページを、見て下さっていて、有り難うございます。
日記について、「周辺のことより、もっと広く目を向けたらいいのに・・」といった意味のことも、仰いました。
私のつぶやきのような日記、ホームページに載せるからには、「財布代わりですから」という私の言葉も、いいわけに聞こえたかもしれません。
確かに、日記は、誰に向かってでもなく、自分自身の心の中を確かめるため、そして、そのことによって、自分を励まし、明日への生き方に繋げたいために書いているのですが、社会性がないという批判、その通りだと思います。
せっかく他者に向かって発信するメッセージ、身の回りの小さなことにとどまらず、社会に繋がることとして書けばいいのに、と、仰りたかったのでしょう。
ご忠告として、有り難く受け止めました。
こういうことは、あまり言ってくれる人がありませんので、貴重な言葉だと、思いました。
でも、たぶん、私の日記は、これからも、同じ書き方と内容で続いていくだろうと思います。
私は、この地球の、日本という国の、小さな場所で生きており、日々の暮らしが、平穏に過ぎていき、私に繋がる家族を含めた人たちが、同じく無事であることを願い、その日その日に顔を合わせる人たちと、幸せな出会いがあることを祈る、それだけの人間です。
遠く離れた国の人たちの不幸を耳にしながら、私には、どうする力もありません。
でも、たとえば、電車の中で、具合が悪くなって、苦しそうにしている人がいたら、一緒に、プラットホームに降りてあげることは出来るかもしれません。
顔を知らない人であっても、同じ電車の近くにいたというそのことで、私に縁の出来た人だからです。
そして、名前も告げず、別れていくでしょう。
ご近所で、市民運動に熱心な人が、自分の家の周りはゴミが散らかっていても平気、「立派な」ことをしてるのだからと、地域のことは、よその奥さんたちに任せて、意に介さずと、言う人がいます。
それも、一つの生き方、そして、どんなやり方であれ、そこに価値の上下はないというのが、ささやかな私の考えと申しましょうか。
夕べは、直接お話しできて、大変愉しうございました。
また、どこかの舞台のロビーでお会いできますことを、願っております。

2002年07月26日 09時21分46秒



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