沢の螢

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雁来月
2002年09月11日(水)

今月に入って雨の多い日が続いたが、今日は、久しぶりによく晴れた1日だった。
寝具を干し、洗濯をする。
テラスに張ったネットの朝顔が、屋根まで蔓が伸びて、花もかなり増えている。
種を蒔くとき、あまり計画的にしなかったので、色が偏ってしまったのが残念だが、来年の課題にしたい。
昨年、ブルーの朝顔が咲き、その種を取っておき、今年は、それに、赤、紫、絞りなど買い足してみたが、色によって、咲がいいものと悪いものがある。
テラスの他に、私の書斎の窓、玄関近くの部屋の前に、鉢を置いて、咲かせてみた。
あまり蔓を長く伸ばすと、花に栄養が行かないからと言われ、蔓の先を摘んだりしているが、やはり、ネットを張るのが、一番いいようだ。
来年は、もう少し、計画的に咲かせたい。
「亭主のワル口」というページを作ったが、それを読んだ人から、書き込みがあった。
そちらのお宅は、カカア天下だという。
こうした反応があると嬉しい。
昨日も今日も、亭主どのはゴルフ。
しばらく怠けていた部屋の片づけ、掃除機をかけたり、手紙の返事を書いたり、落ち着いた一日だった。


緑色の心
2002年09月10日(火)

趣味の分野の話である。
同好の士が集まったところで、当然ながら、男がいて、女がいて、みな程々に節度があって、品格のある交流を愉しんでおり、低俗なことはないにしても、そこに、魅力的な人がいて、それを憎からず思っている異性がいれば、やはり、何かもやもやとした空気が漂ってくるのは、珍しいことではない。
頭が良く、人間的にも人を惹きつけるところがあり、その人と話していると、何か満ち足りた気持ちになってくる・・こういう人は、男女を問わず、近づいて、付き合って見たいと思うのは、自然のことであろう。
私にも、そういう人がいる。
決して二人だけになることはないし、心の内をさらけ出したこともなく、向こうが私を、どう思っているかは知らないが、その人の存在があると言うことで、私の心は潤い、豊かになっている。
その人の感性、豊富な文学的知識、詩的な表現力、そういうものをすばらしいと思い、趣味の場で、同席するだけの間柄だが、今の私には、その人の存在無しには、考えられない。
その人と知り合ったことで、私の詩的精神は、磨かれてきたし、些細に示唆されることから、たくさんのことを教えてもらった。
埋もれていたものを引き出してもらい、育ててもらったと言っていいかも知れない。
だから私にとって、そのひとは、精神生活の支えであり、ひそかに慕う人であり、時にせつない対象でもある。
でも、それをその人に打ち明けたり、あからさまに表明したりは、絶対にすまいと、心に決めている。
口に出したら終わりだと思うからだ。
言わずにいるからこそ、その人も、屈託無く、接してくれているのだと思う。
気づいているかどうかはわからないが、お互いに黙っていることで、拮抗が保たれ、冗談も言い合えるし、時には、ケンカも出来る。

しかし、ここまで書いたことは、実は過去形である。
最近になって、私は、その人と、もう今までのような付き合いはしないことにした。
その人の才能や感性を慕う人は、私だけではない。
周りにはいつも、才気溢れる人たちがいて、同じように、関心を持ち、交流を愉しんでいる。
その中にあって、私は、だんだんつらくなってきたからである。
その人を独り占めする権利は、私にはない。
でも、おおぜいの中の一人でいるのも、愉しくはない。
自分だけが知っているわけでないその人の一面を、他の人からきくと、やはり、心穏やかでなくなる。
これも、嫉妬というのかなと思う。
音信がないと気になり、かといって、うるさくつきまとうのも、私の何かが許さない。
そんなことを感じるようになって、ごく最近、ちょっとしたことがきっかけで、私は、その人を中心とする集まりから抜けた。
それからひと月経つ。
風の便りに消息を聞くくらいで、一切の音信を絶っている。
ひそかに慕う気持ちは変わらないが、遠くにあるからこそ、美しいのだと、自分の心に言い聞かせている。


ロシアの歌
2002年09月07日(土)

新宿で、ロシアの歌のレクチャーコンサートがあったので、出かけた。
バスの岸本力氏、それにピアノ伴奏がつき、ロシア歌曲と民謡について解説がついての、小音楽会。
ロシアの歌は前から好きだったし、昨年シベリアにも行ったので、興味があった。
岸本氏の歌は、何年か前に聴いたことがある。
日本人離れした大柄の体に、低い声なので、ロシアの歌は合っているらしい。
知っている歌がほとんどだったが、アットホームな感じで、楽しめた。
終わって、cdを一枚買って、サインしてもらった。
夜は、漱石についての講座に出ることになっているが、時間があったので、デパートに行き、夫のシャツや、私のバッグなど、つい買ってしまった。
高山宏「漱石の夢十夜を読む」という講座は、2回目。
夢の第2話。面白かった。

今日は、7月まで行っていた連句サークルの例会のある日。
止めてしまったが、気にならないと言ったら嘘になる。
「いつでもまた来て下さい」と、主宰はじめ、何人かに言われたが、現実には、場所も連絡してこない。
水入らずで、愉しくやっているんだろうなと思い、ちょっぴり寂しかった。


秋黴雨
2002年09月06日(金)

昨夜から降り出した雨が、今日は、大降りの一日だった。
俳句文学館での、連句会に行く。
この会は、宗匠の人たちがほとんどで、私などには、声もかからなかったが、最近は、高齢化が進み、亡くなったり、病気などで、会員の数も減り、少し門戸を広げているらしい。
メンバーが揃わないときは、私にまで、誘いがある。
春に一度寄せていただき、今回は2度目である。
なぜか、前回も、こんな大雨の日だった。
11人が2卓に分かれて歌仙。
捌きが良く、面白い一巻となった。

7月に、それまで入っていた小さな連句サークルを辞めた。
主宰者も、メンバーも、皆優しく穏やかで、善良な人たちだった。
誘われてメンバーに加えてもらい、1年半居た。
月2回の例会を楽しみに出席し、グループの行事にも、積極的に参加してきた。
ところが、なぜか理由はよくわからないが、メンバーの中に、私の存在を、心良く思わない女性が居たらしい。
今年になって、彼女はちょくちょく会を休むようになり、それを気にした私が、グループのリーダー的存在である人に、メールで問い合わせたことから、それがわかった。
そして、その人は、彼女の言うことを、一方的に取り上げて、私をトラブルの原因と、判断したらしかった。
具体的なことは、何も明らかにされなかったが、何か、誤解があるらしいのは、その人のメールで想像できた。
ほかのメンバーは、このことに全く関与していなかった。
私がなぜ、一方的にトラブルの原因にされていたのか、具体的に言ってほしかったが、その答えが得られないまま、私は会を辞めた。
前日まで、辞めるという発想はなかったし、辞めねばならぬようなこともしていないのだが、私は、信頼していた人が、私よりも、彼女の方に添った見方をしたことが、ショックだった。
考えてみると、彼女は私より古くからいて、その人と、始終メールのやりとりをしていて、日頃からコミュニケーションが出来ている。
物事について、相反する解釈があった場合、人は、自分に近い人の言うことを信ずるものだ。
その人が、彼女の言うことを信じ、私をトラブルの元凶と決めつけたのは、当然の成り行きだったかも知れない。
でも、私の言うことも、きちんときいてほしかったし、同じ会のメンバーとして、公平に扱ってほしかった。
大きな組織なら、適当な付き合いをして、いいところだけ採って、やり過ごすことが出来る。
しかし、10数人のささやかなサークルで、隠し事や、嘘があるのは、いやだった。
「よい戦争より悪い平和の方がマシだ」という言葉があるが、「悪い平和」を「よい平和」に変えていくためには、時には、ぶつかり合いも、仕方がないのではないだろうか。
その中から、本当の友情も生まれるかもしれないし、理解も深まる場合もある。
だが、リーダー格の人は、正面からぶつかるより、老獪に、表面何事もないかのごとく、処理したかったらしい。
私は、そのいきさつとは無関係にあった主宰者に、訳を言って、やめることを伝えた。
そして、一月以上になる。
事情を知らない人には、私は「今休んでます」と言うことにされているらしい。
仲良くしていた2人ばかりの人だけに、およそのことは話したが、それ以上、言及していない。
私に辞めるように促した人は、その後、様子をうかがうようなメールをよこしたが、私は、以後音信を絶っている。
私に反感を抱いていた人は、目の上のたんこぶがなくなって、居心地がよくなったので、やがて会に復帰するだろう。
リーダー格の人は、私が入った頃、何かと良く面倒を見てくれて、連句についても、手を取り足を取って、教えてくれた。
こころから信頼していたし、兄のように慕ってもいた。今でも、恩人だと思っている。
なぜ、こんなことになったのか。
裏切られたという思いが消えない。
悲しく、残念であり、そのショックから立ち直るのに、一月かかった。
ホームページを二重構造にしたのも、私に反感を持つ人が、こっそり見ていることがわかったため。
それだけのためでもないが、大きな動機になったのは確かだ。
当分、グループのようなところには、身を置かず、フリーで、声をかけてもらったところだけ、参加することにした。


秋暑し
2002年09月05日(木)

今月に入って、残暑が続いている。
日曜日、深川にて連句の会あり、暑いのでやめようかと思ったくらいだ。
しかし、7月も暑さを言い訳に欠席し、8月は会が夏休みだったので、今月からはなるべく休みたくないと、思い切って出かけた。
出席者17名ほど、先生はまだ避暑地とかで見えなかったが、3席に分かれての連句会で、賑やかだった。
2日の月曜から昨日水曜までは、佐渡の連句会に出かけた。
3年ぶりの佐渡の風景を楽しみ、地元の人たちとの交流もあって、よい旅行だった。
残暑は変わらないが、佐渡の暑さは、あまり湿気がないのか、過ごしやすいように思った。
帰ってくると、さすがに疲れが出て、昨日はぐっすりと寝てしまった。
明日は、大久保の俳句文学館で連句の会がある。
7日の土曜日は、カルチャーセンターで、午後からロシア民謡と、漱石の「夢十夜」の講座がある。

ホームページを新しくしたので、日記も今までと違うデザインのものにした。
もちろん、今までのホームページは、併行して運用していて、日記も、続いている。
書き分けがちょっと面倒だが、こちらが主になると思う。
もう一つの日記は、友人、知人が読んでいるようなので、それを意識して書かねばならず、時として、少し気取ったものになる。
こちらは、原則、面識のある人には公開しておらず、ネット上の訪問者に限っているので、割合、思ったこと、感じたことが、率直に書けるような気がする。
毎日とは行かないかもしれないが、ホームページの更新記録も含め、なるべくまめに、書き込みたいと思っている。


9月
2002年09月01日(日)

まだ残暑のきつい数日が続いている。
そろそろまた台風が来そうである。
日はだんだん短くなり、やがて、木の葉が色づき、秋が深まっていくのだろう。
昨日、本棚にあるはずの「夢十夜」を探して、とうとう見つからず、結局岩波文庫本を買ってしまった。
父の本棚には、分厚い漱石全集があり、もちろんその中に入っているが、重くて持ち歩きは出来ない。

新宿のカルチャーセンターで、高山宏氏の、漱石に関する分析は、なかなか面白かった。
「夢十夜」を10回にわたって語るという講座は、年末まで続く。


八月尽
2002年08月31日(土)

今日で八月も終わり。
長いひと月だった。
猛暑の東京、それを避けての森での生活。
いずれも、感慨深い。
人間は、人と人の間にいるから、人間、そして、人という字は、人と人とが支え合っている形から来ている。
外国生活をしているとき、言葉の違いからくるコミュニケーションのまずさを、時として経験した。
言葉さえ通じたら、こんな行き違いはないのに、と思ったことが何度もあった。
でも一方で、何事も、言葉が通じないんだから仕方がないと、諦めてしまえる、気楽さもあった。
同じ日本人同士、同じ言葉を使っていながら、通じ合えない、あるいは、通じ合おうとしない事柄に遭遇したとき、どうすればいいのだろう。
そんなことを考えながらのひと月であった。
きちんと話せば、絶対分かり合えるはずだと思うのは、一方的な願望で、本当は、食い違った歯車が、正しく噛み合うことは、あり得ないのかもしれない。
人間が、簡単に理解し合い、こころを通じさせられると思うのは、見果てぬ夢のようなもの、だから地球上では、戦争は絶対無くならないし、一見平和だと思うのは、偽りのものであって、どちらかが、我慢をしたり、無理矢理、形だけの平和を、保たされているにすぎない。
もし、本当に人と人とが、対等で、正直に、自分の考えを表現したいと思ったら、必ず、ぶつかるはずである。
それを避けて、当面平和を維持しているように見えても、それは、表面的なものであろう。
しかし、価値観の少しずつ異なる複数の人間がいる場合、リーダーは、偽りであっても、平和であることを第一に考えるので、時としてそこからはみ出す人間も、当然出てくる。
もしリーダーが、一人一人を大事に考えるなら、それぞれが抱いている考えの違いを、よく聞いて、みんなの問題として、考える方法を採るであろう。
しかし、それを、煩わしいとだけ感じ、問題が表面化せずに、平和を保つことだけ考えるなら、はみ出した人間を、有無をいわさず排除して、何事もなかったように、蓋をしてやり過ごす道を取るであろう。
それが、老獪な大人の知恵というものかもしれない。

明日から9月、別のホームページを、新しいサーバーに作り、3ページばかりアップした。
今までのファイルから、大事な物を移し、少しずつ新しいページを、加えていくつもりである。
今月最後の日記、いささか感情にすぎた。
これがあることで、私は救われている。
抽象的にしか、表現できなくとも、心ある人が、感じてくれたら、それでいい。
もう秋、「誰もいない海」でも、口ずさむことにしようか。

2002年08月31日 16時22分41秒



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