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今月に入って雨の多い日が続いたが、今日は、久しぶりによく晴れた1日だった。 寝具を干し、洗濯をする。 テラスに張ったネットの朝顔が、屋根まで蔓が伸びて、花もかなり増えている。 種を蒔くとき、あまり計画的にしなかったので、色が偏ってしまったのが残念だが、来年の課題にしたい。 昨年、ブルーの朝顔が咲き、その種を取っておき、今年は、それに、赤、紫、絞りなど買い足してみたが、色によって、咲がいいものと悪いものがある。 テラスの他に、私の書斎の窓、玄関近くの部屋の前に、鉢を置いて、咲かせてみた。 あまり蔓を長く伸ばすと、花に栄養が行かないからと言われ、蔓の先を摘んだりしているが、やはり、ネットを張るのが、一番いいようだ。 来年は、もう少し、計画的に咲かせたい。 「亭主のワル口」というページを作ったが、それを読んだ人から、書き込みがあった。 そちらのお宅は、カカア天下だという。 こうした反応があると嬉しい。 昨日も今日も、亭主どのはゴルフ。 しばらく怠けていた部屋の片づけ、掃除機をかけたり、手紙の返事を書いたり、落ち着いた一日だった。
趣味の分野の話である。 同好の士が集まったところで、当然ながら、男がいて、女がいて、みな程々に節度があって、品格のある交流を愉しんでおり、低俗なことはないにしても、そこに、魅力的な人がいて、それを憎からず思っている異性がいれば、やはり、何かもやもやとした空気が漂ってくるのは、珍しいことではない。 頭が良く、人間的にも人を惹きつけるところがあり、その人と話していると、何か満ち足りた気持ちになってくる・・こういう人は、男女を問わず、近づいて、付き合って見たいと思うのは、自然のことであろう。 私にも、そういう人がいる。 決して二人だけになることはないし、心の内をさらけ出したこともなく、向こうが私を、どう思っているかは知らないが、その人の存在があると言うことで、私の心は潤い、豊かになっている。 その人の感性、豊富な文学的知識、詩的な表現力、そういうものをすばらしいと思い、趣味の場で、同席するだけの間柄だが、今の私には、その人の存在無しには、考えられない。 その人と知り合ったことで、私の詩的精神は、磨かれてきたし、些細に示唆されることから、たくさんのことを教えてもらった。 埋もれていたものを引き出してもらい、育ててもらったと言っていいかも知れない。 だから私にとって、そのひとは、精神生活の支えであり、ひそかに慕う人であり、時にせつない対象でもある。 でも、それをその人に打ち明けたり、あからさまに表明したりは、絶対にすまいと、心に決めている。 口に出したら終わりだと思うからだ。 言わずにいるからこそ、その人も、屈託無く、接してくれているのだと思う。 気づいているかどうかはわからないが、お互いに黙っていることで、拮抗が保たれ、冗談も言い合えるし、時には、ケンカも出来る。 しかし、ここまで書いたことは、実は過去形である。 最近になって、私は、その人と、もう今までのような付き合いはしないことにした。 その人の才能や感性を慕う人は、私だけではない。 周りにはいつも、才気溢れる人たちがいて、同じように、関心を持ち、交流を愉しんでいる。 その中にあって、私は、だんだんつらくなってきたからである。 その人を独り占めする権利は、私にはない。 でも、おおぜいの中の一人でいるのも、愉しくはない。 自分だけが知っているわけでないその人の一面を、他の人からきくと、やはり、心穏やかでなくなる。 これも、嫉妬というのかなと思う。 音信がないと気になり、かといって、うるさくつきまとうのも、私の何かが許さない。 そんなことを感じるようになって、ごく最近、ちょっとしたことがきっかけで、私は、その人を中心とする集まりから抜けた。 それからひと月経つ。 風の便りに消息を聞くくらいで、一切の音信を絶っている。 ひそかに慕う気持ちは変わらないが、遠くにあるからこそ、美しいのだと、自分の心に言い聞かせている。
新宿で、ロシアの歌のレクチャーコンサートがあったので、出かけた。 バスの岸本力氏、それにピアノ伴奏がつき、ロシア歌曲と民謡について解説がついての、小音楽会。 ロシアの歌は前から好きだったし、昨年シベリアにも行ったので、興味があった。 岸本氏の歌は、何年か前に聴いたことがある。 日本人離れした大柄の体に、低い声なので、ロシアの歌は合っているらしい。 知っている歌がほとんどだったが、アットホームな感じで、楽しめた。 終わって、cdを一枚買って、サインしてもらった。 夜は、漱石についての講座に出ることになっているが、時間があったので、デパートに行き、夫のシャツや、私のバッグなど、つい買ってしまった。 高山宏「漱石の夢十夜を読む」という講座は、2回目。 夢の第2話。面白かった。 今日は、7月まで行っていた連句サークルの例会のある日。 止めてしまったが、気にならないと言ったら嘘になる。 「いつでもまた来て下さい」と、主宰はじめ、何人かに言われたが、現実には、場所も連絡してこない。 水入らずで、愉しくやっているんだろうなと思い、ちょっぴり寂しかった。
昨夜から降り出した雨が、今日は、大降りの一日だった。 俳句文学館での、連句会に行く。 この会は、宗匠の人たちがほとんどで、私などには、声もかからなかったが、最近は、高齢化が進み、亡くなったり、病気などで、会員の数も減り、少し門戸を広げているらしい。 メンバーが揃わないときは、私にまで、誘いがある。 春に一度寄せていただき、今回は2度目である。 なぜか、前回も、こんな大雨の日だった。 11人が2卓に分かれて歌仙。 捌きが良く、面白い一巻となった。 7月に、それまで入っていた小さな連句サークルを辞めた。 主宰者も、メンバーも、皆優しく穏やかで、善良な人たちだった。 誘われてメンバーに加えてもらい、1年半居た。 月2回の例会を楽しみに出席し、グループの行事にも、積極的に参加してきた。 ところが、なぜか理由はよくわからないが、メンバーの中に、私の存在を、心良く思わない女性が居たらしい。 今年になって、彼女はちょくちょく会を休むようになり、それを気にした私が、グループのリーダー的存在である人に、メールで問い合わせたことから、それがわかった。 そして、その人は、彼女の言うことを、一方的に取り上げて、私をトラブルの原因と、判断したらしかった。 具体的なことは、何も明らかにされなかったが、何か、誤解があるらしいのは、その人のメールで想像できた。 ほかのメンバーは、このことに全く関与していなかった。 私がなぜ、一方的にトラブルの原因にされていたのか、具体的に言ってほしかったが、その答えが得られないまま、私は会を辞めた。 前日まで、辞めるという発想はなかったし、辞めねばならぬようなこともしていないのだが、私は、信頼していた人が、私よりも、彼女の方に添った見方をしたことが、ショックだった。 考えてみると、彼女は私より古くからいて、その人と、始終メールのやりとりをしていて、日頃からコミュニケーションが出来ている。 物事について、相反する解釈があった場合、人は、自分に近い人の言うことを信ずるものだ。 その人が、彼女の言うことを信じ、私をトラブルの元凶と決めつけたのは、当然の成り行きだったかも知れない。 でも、私の言うことも、きちんときいてほしかったし、同じ会のメンバーとして、公平に扱ってほしかった。 大きな組織なら、適当な付き合いをして、いいところだけ採って、やり過ごすことが出来る。 しかし、10数人のささやかなサークルで、隠し事や、嘘があるのは、いやだった。 「よい戦争より悪い平和の方がマシだ」という言葉があるが、「悪い平和」を「よい平和」に変えていくためには、時には、ぶつかり合いも、仕方がないのではないだろうか。 その中から、本当の友情も生まれるかもしれないし、理解も深まる場合もある。 だが、リーダー格の人は、正面からぶつかるより、老獪に、表面何事もないかのごとく、処理したかったらしい。 私は、そのいきさつとは無関係にあった主宰者に、訳を言って、やめることを伝えた。 そして、一月以上になる。 事情を知らない人には、私は「今休んでます」と言うことにされているらしい。 仲良くしていた2人ばかりの人だけに、およそのことは話したが、それ以上、言及していない。 私に辞めるように促した人は、その後、様子をうかがうようなメールをよこしたが、私は、以後音信を絶っている。 私に反感を抱いていた人は、目の上のたんこぶがなくなって、居心地がよくなったので、やがて会に復帰するだろう。 リーダー格の人は、私が入った頃、何かと良く面倒を見てくれて、連句についても、手を取り足を取って、教えてくれた。 こころから信頼していたし、兄のように慕ってもいた。今でも、恩人だと思っている。 なぜ、こんなことになったのか。 裏切られたという思いが消えない。 悲しく、残念であり、そのショックから立ち直るのに、一月かかった。 ホームページを二重構造にしたのも、私に反感を持つ人が、こっそり見ていることがわかったため。 それだけのためでもないが、大きな動機になったのは確かだ。 当分、グループのようなところには、身を置かず、フリーで、声をかけてもらったところだけ、参加することにした。
今月に入って、残暑が続いている。 日曜日、深川にて連句の会あり、暑いのでやめようかと思ったくらいだ。 しかし、7月も暑さを言い訳に欠席し、8月は会が夏休みだったので、今月からはなるべく休みたくないと、思い切って出かけた。 出席者17名ほど、先生はまだ避暑地とかで見えなかったが、3席に分かれての連句会で、賑やかだった。 2日の月曜から昨日水曜までは、佐渡の連句会に出かけた。 3年ぶりの佐渡の風景を楽しみ、地元の人たちとの交流もあって、よい旅行だった。 残暑は変わらないが、佐渡の暑さは、あまり湿気がないのか、過ごしやすいように思った。 帰ってくると、さすがに疲れが出て、昨日はぐっすりと寝てしまった。 明日は、大久保の俳句文学館で連句の会がある。 7日の土曜日は、カルチャーセンターで、午後からロシア民謡と、漱石の「夢十夜」の講座がある。 ホームページを新しくしたので、日記も今までと違うデザインのものにした。 もちろん、今までのホームページは、併行して運用していて、日記も、続いている。 書き分けがちょっと面倒だが、こちらが主になると思う。 もう一つの日記は、友人、知人が読んでいるようなので、それを意識して書かねばならず、時として、少し気取ったものになる。 こちらは、原則、面識のある人には公開しておらず、ネット上の訪問者に限っているので、割合、思ったこと、感じたことが、率直に書けるような気がする。 毎日とは行かないかもしれないが、ホームページの更新記録も含め、なるべくまめに、書き込みたいと思っている。
まだ残暑のきつい数日が続いている。 そろそろまた台風が来そうである。 日はだんだん短くなり、やがて、木の葉が色づき、秋が深まっていくのだろう。 昨日、本棚にあるはずの「夢十夜」を探して、とうとう見つからず、結局岩波文庫本を買ってしまった。 父の本棚には、分厚い漱石全集があり、もちろんその中に入っているが、重くて持ち歩きは出来ない。 新宿のカルチャーセンターで、高山宏氏の、漱石に関する分析は、なかなか面白かった。 「夢十夜」を10回にわたって語るという講座は、年末まで続く。
今日で八月も終わり。 長いひと月だった。 猛暑の東京、それを避けての森での生活。 いずれも、感慨深い。 人間は、人と人の間にいるから、人間、そして、人という字は、人と人とが支え合っている形から来ている。 外国生活をしているとき、言葉の違いからくるコミュニケーションのまずさを、時として経験した。 言葉さえ通じたら、こんな行き違いはないのに、と思ったことが何度もあった。 でも一方で、何事も、言葉が通じないんだから仕方がないと、諦めてしまえる、気楽さもあった。 同じ日本人同士、同じ言葉を使っていながら、通じ合えない、あるいは、通じ合おうとしない事柄に遭遇したとき、どうすればいいのだろう。 そんなことを考えながらのひと月であった。 きちんと話せば、絶対分かり合えるはずだと思うのは、一方的な願望で、本当は、食い違った歯車が、正しく噛み合うことは、あり得ないのかもしれない。 人間が、簡単に理解し合い、こころを通じさせられると思うのは、見果てぬ夢のようなもの、だから地球上では、戦争は絶対無くならないし、一見平和だと思うのは、偽りのものであって、どちらかが、我慢をしたり、無理矢理、形だけの平和を、保たされているにすぎない。 もし、本当に人と人とが、対等で、正直に、自分の考えを表現したいと思ったら、必ず、ぶつかるはずである。 それを避けて、当面平和を維持しているように見えても、それは、表面的なものであろう。 しかし、価値観の少しずつ異なる複数の人間がいる場合、リーダーは、偽りであっても、平和であることを第一に考えるので、時としてそこからはみ出す人間も、当然出てくる。 もしリーダーが、一人一人を大事に考えるなら、それぞれが抱いている考えの違いを、よく聞いて、みんなの問題として、考える方法を採るであろう。 しかし、それを、煩わしいとだけ感じ、問題が表面化せずに、平和を保つことだけ考えるなら、はみ出した人間を、有無をいわさず排除して、何事もなかったように、蓋をしてやり過ごす道を取るであろう。 それが、老獪な大人の知恵というものかもしれない。 明日から9月、別のホームページを、新しいサーバーに作り、3ページばかりアップした。 今までのファイルから、大事な物を移し、少しずつ新しいページを、加えていくつもりである。 今月最後の日記、いささか感情にすぎた。 これがあることで、私は救われている。 抽象的にしか、表現できなくとも、心ある人が、感じてくれたら、それでいい。 もう秋、「誰もいない海」でも、口ずさむことにしようか。 2002年08月31日 16時22分41秒
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